91手目 おめえさん、女子高生だね
「遊子お嬢様、さきほどからご機嫌ななめに見えますが」
私は自動車の窓から、じっと高速道路のランプを眺めていた。
「お嬢様?」
「なんでもないよ」
「やはり箕辺辰吉に言い寄られていたのでは?」
「その話はしなくていいからね」
私はともえちゃんを黙らせた。
こういうときに詮索してこないのは、ともえちゃんのいいところだと思う。
お目付役としては失格だけど。
「今日のパーティーは何時から?」
「6時からです」
「早いんだね」
「あしたが月曜日ですので」
だね。私も学校があるし、10時には帰りたいかな。
ああ、それにしても、私ってなんでこう癇癪持ちなのかな……さっきのだって、辰吉くんが話し合おうって言ってくれたのに……後悔先に立たずとは、このことだよ。学校で会うとき、なんて言おう……素直に謝ろうか……うぅん……それは女のプライドが……。
私が切り出しの台詞に悩むなか、ベンツは高速を降りた。一般車道を走って、大きな白塗りの邸宅に横づけした。シャッターが上がると、私たちはそのまま地下駐車場へと案内された。一番奥のコーナーに駐車して、車をおりた。
専用エレベーターで、さらにひとつ下のB2へ。とびらがひらくと、絨毯敷きの廊下に出た。左右から、黒服サングラスの男たちがあらわれる。
「貴重品をお預かりします」
私と運転手は、ふところの重たいモノを取り出して、黒服にそれぞれ渡した。
「そちらのお嬢さんも」
「私の得物はこれだ」
ともえちゃんは右手のこぶしを握って、グッと顔のまえにかざした。
「……ほんとうに持ってらっしゃらないのですか?」
「飛び道具は使わない主義でな。ボディチェックしたいならするがいい」
黒服ふたりは顔を見合わせて、肩をすくめてみせた。
「どうぞ、みなさんお待ちです」
だよね。この先に空港と同じようなセキュリティゲートもあるし。
腕時計はまだ6時になっていなかったけど、間に合ったかな。
オペラ座にあるようなドア。
サイドにひかえていた黒服の男が、それを開けてくれた。
最初に五感で認識したのは、煙草の匂い。それから、中央天井のシャンデリアだった。オペラハウスみたいな三層ぶち抜きの大広間。
「遊子ちゃん、来てくれてうれしいわぁ」
髪を島田に結った志摩礼子さんが登場。
赤地の着物姿で、右手にキセルを持っていた。
「こんばんは、礼子ちゃん、遅くなってごめんね」
「ええんよ、どうせ団体戦の時期やろ。うちも出て来たばかり」
そっか……どこの市も、だいたい似たような時期にやってるんだね。
「今日はうちの組が主催やし、ゆっくりしていってぇな」
「よろしく」
私は礼子ちゃんと一緒に、3階の中央席に陣取った。回転式の肘掛け椅子で、座り心地は最高。そばには白くて小さなテーブル。マイクとタブレットが常備してあった。
「飲み物は、なにがええ? ワイン? カクテル?」
「オレンジジュースでいいよ」
「アルコールにせんの?」
「明日学校があるから」
「ふぅん……ほな、うちは挨拶回りがあるさかい」
礼子ちゃんはそう言って、キセルを吹かしながら2階へ降りて行った。
下の階では、こわもてのおじさんおばさんたちが、お酒を飲みながら談笑している。
結構知ってる顔が多いね、今夜は。
私は、うしろに立ったままのともえちゃんに話しかける。
「パパからいくら預かってる?」
ともえちゃんは、胸ポケットから黒いカードを取り出した。
「1000万ほど」
軍資金は十分……っていうか十分過ぎるね。
自分で言うのもなんだけど、娘を甘やかし過ぎなんじゃないかな。
「よぉ、遊子」
黒いスーツにサングラス。つば付き帽子をかぶった少年に声をかけられた。
少年はサングラスをはずして、帽子を脱いだ。
「遊子、やっぱ来てたんだな」
「かっちゃんがギリギリに来るなんて、めずらしいね」
「O市は団体戦があったからな。俺は幹事だ」
彼の名前は、大伴勝利。通称かっちゃん。
礼子ちゃんと同じ友愛塾高校の学生。でも、私たちより1コ下。1年生。
かっちゃんは付き添いにサングラスを預けて、ひとつ右の席に腰をおろした。
女のひとが注文を取りに来る。
「ウィスキー、ストレートで」
「かしこまりました」
かっちゃんはそれから、私のほうへ向き直った。
「このまえのジャビスコ、なんで来なかったんだ?」
「ちょっと用事があって……それに、女子は私が入るチームなかったから」
「それもそうか……ガチ勢ばっかだったもんな」
かっちゃんはポケットから銀色の煙草ケースを取り出すと、私に差し出した。
「吸うか?」
「ごめん、禁煙してる」
「禁煙? 俺たちまだ10代だぜ?」
その理屈はおかしいと思うよ。うん。
「キューバ産のコイーバだ。親父の土産。一本やるよ」
「気持ちだけ受け取っておくね」
辰吉くんとキスしたとき、煙草くさかったらアウトだから。
かっちゃんが葉巻をカットしているあいだ、私は適当な話題を探した。
高校生らしい会話……高校生らしい会話……銃のお手入れ?
うぅん、やっぱり将棋かな。こういうときに共通の趣味があると助かる。
「ジャビスコ杯、かっちゃんは出たんだよね?」
「ああ」
「どうだった?」
かっちゃんは葉巻に火をつけて、ゆっくり煙を吸った。
「3勝2敗」
「すごいね。あの面子で勝ち越したんだ」
「つってもなぁ、勝った相手は微妙なのばっかだし、大文字の野郎に負けちまった」
そのあたりの実力差はよく分からないから、私はコメントをひかえた。
さっきの係員の女性が来て、飲み物をテーブルに置いた。
「乾杯……って、なんだそれ? カクテル?」
「オレンジジュースだよ」
かっちゃんはウィスキーをひとくち舐めて、じっとこちらを見た。
「最近、付き合い悪くないか?」
「……そんなことないよ」
「気のせいかね……ところで、遊子のほうも団体戦やってるのか?」
「やってるよ。駒桜は今日が1日目」
「遊子はレギュラー?」
私は違うと答えた。
「駒桜は女子の層が厚いからなぁ。うらやましいぜ」
そんな話をしているうちに、礼子ちゃんも挨拶回りからもどってきた。
「いつもの3人やね」
礼子ちゃんはそう言いながら、三角形をなすように私たちのあいだに座った。
「なあ、礼子。最近、遊子の付き合いが悪いと思わないか?」
かっちゃんは葉巻の煙を揺らしながら、そう尋ねた。
礼子ちゃんは女子高生とは思えない妖艶な笑みを浮かべて、
「せやねぇ」
と答えた。そして、右手の小指を立てた。
「おおかた、これやろ」
「お、マジか?」
私は顔が赤くなるのを感じた。
「ふたりとも、勝手なこと言ってたら怒るよ?」
ヴィーとサイレンが鳴って、照明がすこし落ちた。
《ただいまより、第118回例会を開催致します》
スピーカーから、女性のアナウンスが入った。
《まずは、ホストの志摩礼子様より開会のご挨拶をいただきます》
礼子ちゃんが席を立って、マイクを持った。
「ただいまご紹介にあずかりました、志摩礼子でございます。志摩組組長、志摩源三の代理として、ひとことご挨拶させていただきます。今宵は親分衆方をはじめとして、たくさんのご列席を拝し、まことにありがとうございました。思えば昭和の……」
うんたらかんたら。こういう挨拶は眠たくなるね。
「前口上はこれくらいに致しまして、これより賭場を開帳させていただきます」
正面ホールの壁に、スクリーンがおりてきた。
パッと画面が明るくなって、将棋盤が映る。
「今宵の趣向は将棋。先後の勝ち負けを当てていただきます。一口10万から、100万を上限と致しまして、60手までは1手30秒、それ以降は1手60秒の早指しです」
いつもの変則ルールだね。将棋は3ヶ月ぶり。前回は花札、前々回は麻雀だった。
「それでは1回戦の賭け金に入ります。ご存分にお楽しみください」
レッツ・ショー・ターイム。
「遊子お嬢様、いかがいたしますか?」
「んー、とりあえず対戦表を見ないとね」
私はタブレットを操作して、今日の対戦表を確認した。
K田M男(先手) vs M山S喜(後手)
ふぅん、結構有名な真剣師だね。
過去の対戦成績は……ここの賭場でおたがいに3勝3敗か。
「こいつは難しいな」
かっちゃんは葉巻をくわえたまま、タブレットをいじっていた。
「礼子、八百長はナシだぜ?」
「失礼やねぇ。公正明大、清廉潔白が、うちのモットー」
「どうだか……一戦目は見にして……いてて」
礼子ちゃんは、キセルの底でかっちゃんの頭を小突いた。
「見はナシ。一口でも二口でも買わんかい」
「冗談だよ、冗談……やけどしたらどうするんだ」
場所代みたいなもんだからね。賭け金は必ず払わないといけない。
「遊子、どっちに賭ける?」
「べつにどっちでもよくない? 確率的に半々でしょ?」
とか言いつつ、私は両者の棋風を調べた。
K田さんが居飛車党で、M山さんが振り飛車党か……対抗形だね。
アマチュアに人気の相穴になる可能性が高い。
こういう賭場では、負けにくい戦法を選ぶのがポイントだから。
……………………
……………………
…………………
………………
居飛車党のK田さんにしとこう。私が居飛車党だから、手を読みやすいほうに。
「俺は先手にするわ。一口な」
「けちやなぁ」
「うっせぇ、今月はこづかいが厳しいんだよ」
私は礼子ちゃんに、いくら賭けるかと尋ねた。
「ホストは100……と言いたいところやけど、後手に50やね」
「じゃあ私は先手に50ね」
タブレットをさくさく操作して、私は支払いを済ませた。
あとは対局開始を待つまでの雑談。
「ところで遊子は、なんで将棋始めたんだ?」
かっちゃんは、あんまり訊いて欲しくないところを訊いてきた。
「……気分かな。もともとゲーム好きだし」
「小中で俺たちが誘っても、やらなかったじゃないか」
そうだっけ、ととぼけておく。
礼子ちゃんはニヤリと笑って、
「ほらな、やっぱり男……」
ヴィー
開始のブザーだ。ぱらぱらと拍手も聞こえた。
《それでは対局を開始します》
スクリーンに手が伸びて、7六歩が指された。
3四歩、2六歩、4四歩、4八銀、4二飛、6八玉、6二玉、7八玉。
速い速い。30秒将棋ならではのスピード。
7二玉、5六歩、3二銀、2五歩、3三角、7七角、4三銀、5七銀。
これは相穴コースにみえる。後手もノーマル四間っぽくない。
8二玉、8八玉、5四銀、6六歩、9二香、9八香、9一玉、9九玉。
やっぱりね。
「ここまでは予想通りだなあ」
と、かっちゃん。将棋歴は私より長いし、同じことを考えていたようだ。
8二銀、8八銀、6四歩、5八金右。
先手は右金の出が遅れてるけど、大丈夫かな?
6二飛、6八金寄、7一金、7九金、5一金、7八金寄、6一金左、3六歩。
先手も攻勢に。
4五歩、6八銀、7二金左、3七桂、4二飛。
「振りなおしたね」
「この形で6筋からは攻めないだろ」
かっちゃんはそう言って、ウィスキーをちびちび舐めた。
アルコールが入ると読めなくなると思うんだけど。
パシリ
仕掛けた。
同歩、6五歩(!)、4六歩(!)、3三角成、同桂、3一角。
会場がざわつく。
「これは先手調子よしですな」
「いやいや、後手も十分でしょう」
と、ひとつ下の階のおじさんたちが話していた。
5二飛、4六歩、4七歩。
うーん……いい勝負? と金が出来たら先手悪い可能性もありそう。
6四歩、4八歩成、同飛、2六角。
「あそこに角打って大丈夫なのかな? 4七飛で受かってるよね?」
「2六角の狙いは5三の紐だろ。4七飛、3二飛だと思うぜ」
【参考図】
ああ、そういうことか。私にもピンときた。
4七飛、3二飛。
本譜もその通りに進む。
2七歩、4四角、5五歩、3一飛。
《ここから1手60秒になります》
礼子ちゃんはキセルをかたむけて、マイクに口を近づけた。
「これは先手持ちやろ。志摩組、後手を8割で買うたる」




