8手目 女子高生、常識的に考える
「ちょ、ちょっと、なにをする気?」
私の質問に、ふたりはきょとんとした。
「もちろん、将棋です」
「左様、他になにがある」
あなたたち、ほんとに女子高生ですか?
「では、盤駒を用意しましょう」
大谷さんがふところから取り出したのは、緑地に白で枠付けされた布盤だ。
さらに腰の合切袋から、木の駒も出てきた。
ふたりはサクッとならべて、大谷さんが歩を5枚集める。
「拙僧が振り駒を」
華麗に歩が放り投げられて、表が3枚。大谷さんの先手。
「あ、あの……私はなにをすれば……?」
「裏見殿には、秒読みを頼もう」
「20秒からでお願いします」
なんでK知まで来て秒読みやらなきゃいけないの。おかしいでしょ。
狼狽する私をよそに、神崎さんと大谷さんは一礼した。
「よろしくお願いいたします」
「よろしくお願い仕る」
大谷さんはスッと手を伸ばして、2六歩と突いた。
「ほぉ、初手2六歩か」
「しぃちゃんの手のうちは、分かっていますからね」
「よろしい、ならば受けて立とう。6二銀」
なによ、この出だし。変則的にもほどがある。
2五歩、3二金、2四歩、同歩、同飛、2三歩、2八飛。
神崎さんは、いきなり飛車先を切らせた。大丈夫かしら。
「こちらのほうが布陣は速い。4一玉」
7六歩、5四歩、4八銀、5三銀。
んー、たしかに、後手のほうが進展している。
というか、かまいたちね。神崎さんの得意戦法だ。
2013年度のオールスター戦でやられた記憶。
「しぃちゃんは、せっかちですね。4六歩」
3四歩、4七銀、5二金、7八金、4四歩、6八銀、4三金右。
どちらも低く構えたがっているようだ。
「6九玉」
「3三角」
大谷さんは、端歩に指を添える。
「積極的にいきます。1六歩」
うぅん……大谷さんって、どれくらい強いのかしら。
このかたちで端に目がいくのは、なかなかセンスがあるような。
すくなくとも、初段以上はありそう。
それにしても、秒を読む機会がない。ふたりとも早指し。
私は他人の秒を読んだ経験がほとんどないから、これは助かる。
「それは受ける。1四歩だ」
3六歩、2二銀、3七桂。
さてさて、これはおもしろくなってきた。
先手は王様の囲いよりも、攻めを優先するようだ。
見ていて刺激があった。
「5一角」
ここで、大谷さんが小考。
私は時計を構える。20秒が過ぎるのを待った。
「……1、2、3、4、5」
「5六銀」
右四間? その予想通り、3三桂、4八飛と進んだ。
「6二角」
変わった受けが飛び出した。
「神崎流、雲のごとしですか……5九金です」
3一玉、7九玉、2一玉、7七角。
両者、さすがに陣形を整えた。
どちらも変わったかたちだから、先が読みにくい。
「8四歩」
神崎さんは、ここで8筋の歩を突いた。若干、悠長にみえる。
大谷さんは、ふたたび小考。
「1、2、3、4、5、6、7」
「1五歩」
きた、開戦だ。
「先攻されたか……同歩」
4五歩、同歩、3五歩、4六歩、同飛、4四歩。
細かい応酬。4六歩を飛車で取らせてから4四歩は、なかなか見えにくい。
「こじ開けます。4五歩」
「無論、取らぬ。5五歩」
4六歩以下は、これが狙いだったのだろう。
大谷さんは口もとに手をあてて、すこし前のめりになった。
その目は、さっきまでの俗世離れしたものではなく、獲物を狙うハンターだ。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「4四歩」
大谷さんは、攻め合いを選択した。
同銀、5五銀、同銀、同角、4四歩。
「3四歩」
ん、これは厳しい気がする。
「……しまった」
神崎さんの同金に、大谷さんは7七角と下がった。
現局面をみるに……神崎さん、悪くなったんじゃない?
「4三銀」
さすがに顔色は変えないけど、この手は苦しい。
おそらくは、5二銀の防止だ。
「ならば、6六飛です」
飛車成り確定。
神崎さんは、6四歩、同飛、5三角と手順を尽くす。
「6一飛成」
「これが王手なのは参ったな……3一金」
3五歩、同金、4五歩。
いやあ、大谷さん、かなり強い。
上部から歩の叩きで崩していくのは、上級者のテクニックだ。
「しかし、これで余裕ができた。5二銀」
神崎さんは、相手の龍をバックさせた。6五龍、4五桂、同桂、同金。
「3三歩」
「くッ、取れないか。8五歩」
神崎さん、あいかわらずイイ勘してる。でも、まだ後手が悪そう。
2五桂(これがあるから3三歩に同銀とできない)、5五歩、1三歩。
端歩を突いておいた効果だ。
2四歩、1五香、1四歩、同香、2三銀。
止まった? 止まってない?
大谷さんは、ここでまた時間を使った。
「1、2、3、4、5、6」
「1二歩成」
「同香」
大谷さんは香車を持って、私の予想よりもひとつまえで成った。
「1三香成」
うまい。これは放置できないから、同香、同桂成しかないけど、その局面が激痛。
神崎さんは、初めて10秒ほど考えた。同香と取る。
同桂成、2二金、1四歩、1二歩、2三成桂、同金、5四香。
これは、寄せに入った感じ。挟撃形だ。
6四歩、5三香成、同銀。
「8五龍」
龍を捨てたッ!?
「……同飛」
「4三角」
「むぅ……1一玉」
「3二歩成」
龍捨ては、飛車の横利きを消した好手だった。鮮やかな収束。
「ここまでか……拙者の負けだ」
ゲームセット。大谷さんの勝ち。
最低限の駒組みから神崎さんを葬るなんて、ちょっとびっくり。
「いやはや、拙者の不出来な将棋であったな」
「四国山地を越えて、すこしお疲れなのでは」
神崎さんは両腕を組むと、目を閉じ、フッと微笑んだ。
「所詮、拙者は県代表にあらずということよ……ところで、裏見殿」
神崎さんは私に向き直った。
「裏見殿は、なぜ四国にいるのだ。修行か」
んなわけないでしょ。私は、従兄弟の家に来ていることを伝えた。
「そうか、親族同士で交流があるのは、よいことだ」
「神崎さんは、大谷さんと遊ぶために来たの? それとも、別用のついで?」
「無論、ひぃちゃんと遊ぶためだ」
遊ぶためだけに、四国まで来てるのか。よっぽど仲がいいようだ。まあ、このふたりと波長が合いそうな人間は、1万人に1人もいないと思うし、妥当なのかも。
私が納得していると、神崎さんは、ビニールに包まれた手紙の束を取り出した。
「皆から、書状を預かっている」
神崎さんはビニールを開けて、中身を大谷さんに手渡した。
大谷さんは右手で受け取って、左手で手紙を拝む。
横合いからチラ見すると、一枚目は、かわいらしい絵の書かれた暑中見舞いだった。
機密文章ではないみたい。
「これはこれは、拙僧の住所が定まらぬゆえ、わざわざありがとうございます」
「ひぃちゃんは、携帯もなにも、持っておらぬからな」
大谷さんは暑中見舞いをもらったのがうれしいのか、早速目を通した。
「これは、桐野さんですね。なになに、『夏は暑いですぅ』」
まんま過ぎる。
「こちらは吉備さんですね。『ひよこさん、暑中見舞い申し上げます。H島は厳しい暑さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。当方はそろそろ受験勉強など始めようかと思い、塾通いの日々です。お近くにおいでのときは、ぜひお立ち寄りください』」
受験勉強とか、イヤなキーワードを使うのは止めてください。
本榧はうちと違って、進学校なのよね。いいところ狙ってそう。
「次は捨神くんですか。『大谷先輩、暑中見舞い申し上げます。最近、すこし悩んでいることがあるんですよね。じつは……いえ、なんでもありません。もしH島に来たときは、ぜひ声をかけてください。あと、鳴門くんによろしく伝えてください』」
なんじゃそりゃ。暑中見舞いになってない。
「捨神殿が悩み事だと? ……洋琴か?」
「将棋じゃない?」
「将棋で不調になったような噂は、聞いておらぬが」
たしかに、そう言われてみれば、そうだ。春の個人戦は優勝したし、むしろ好調。
私と神崎さんが納得し合っていると、大谷さんが口を挟んだ。
「ピアノでも将棋でもなく……恋愛相談の気配がします」
「捨神くんが? ……ないと思うんだけど」
「彼も健全な高校生。それに、惚れ込んだら一直線のタイプかと」
惚れ込んだら一直線……私は松平のことを思い出して、首を左右に振った。
「裏見殿、なにをしておるのだ」
「な、なんでもない……捨神くんが女性に惚れ込んでるのが、想像できなくて……」
「あれだけピアノと将棋に熱中できるのです。好きになった対象は、とことん究めるタイプだと思うのですが」
「しかし、捨神殿の惚れそうな女性像が思い浮かばぬ」
同意。女子力で単純に比較したら、圧倒的に姫野さんの勝ち。でも、姫野さんと捨神くんは、付き合いが長いはず。いまさら、という感じだ。大谷さんの分析が正しいなら、あとから好きになるタイプでは、なさそう。むしろ一目惚れ。
「一目惚れだとすると……今年になって会った子かしら」
「将棋部の新1年生ではないのか? とりあえず、将棋の指せる女であろう」
新1年生……飛瀬さん、大場さん、ポーンさん、来島さん。
このなかから消去法でいくと……ポーンさんか来島さん。お嬢様(?)系がいいなら、おそらくポーンさんでしょうね。でも、姫野さんに惚れないところをみると、そうではないような気がする。つまり……来島さん? 来島さんは、駒桜市内に似たような女の子がいないから、合ってるかも。
だとすると、飛瀬さん、残念。叶わぬ恋ってことか。
「さて、そろそろ下山せぬか?」
「そうですね。遊びに行きましょう」
遊びと聞いて、私は俄然関心が出てきた。
どういうプランを用意しているのか、それを尋ねる。
「まずは知り合いの寺に行って、座禅を組む」
「それから近場の滝に打たれます」
「心身ともに清めたところで、三日間の断食」
「剣山地を越えて、T島まで健脚踏破」
……………………
……………………
…………………
………………
「座禅は楽しいですよ。裏見さんも、ご一緒にいかがですか?」
「あの……もうちょっと、女子高生らしい遊びにしない……?」
「もっと女子高生らしい遊び……手裏剣の的当てか」
JKはそんなことしないでしょ、JK。
場所:四国八十八箇所 第36番札所 独鈷山青龍寺
先手:大谷 雛
後手:神崎 忍
戦型:後手かまいたち
▲2六歩 △6二銀 ▲2五歩 △3二金 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △2三歩 ▲2八飛 △4一玉 ▲7六歩 △5四歩
▲4八銀 △5三銀 ▲4六歩 △3四歩 ▲4七銀 △5二金
▲7八金 △4四歩 ▲6八銀 △4三金右 ▲6九玉 △3三角
▲1六歩 △1四歩 ▲3六歩 △2二銀 ▲3七桂 △5一角
▲5六銀 △3三桂 ▲4八飛 △6二角 ▲5九金 △3一玉
▲7九玉 △2一玉 ▲7七角 △8四歩 ▲1五歩 △同 歩
▲4五歩 △同 歩 ▲3五歩 △4六歩 ▲同 飛 △4四歩
▲4五歩 △5五歩 ▲4四歩 △同 銀 ▲5五銀 △同 銀
▲同 角 △4四歩 ▲3四歩 △同 金 ▲7七角 △4三銀
▲6六飛 △6四歩 ▲同 飛 △5三角 ▲6一飛成 △3一金
▲3五歩 △同 金 ▲4五歩 △5二銀 ▲6五龍 △4五桂
▲同 桂 △同 金 ▲3三歩 △8五歩 ▲2五桂 △5五歩
▲1三歩 △2四歩 ▲1五香 △1四歩 ▲同 香 △2三銀
▲1二歩成 △同 香 ▲1三香成 △同 香 ▲同桂成 △2二金
▲1四歩 △1二歩 ▲2三成桂 △同 金 ▲5四香 △6四歩
▲5三香成 △同 銀 ▲8五龍 △同 飛 ▲4三角 △1一玉
▲3二歩成
まで103手で大谷の勝ち




