第八章 『幼馴染』
「今日も天気の良い朝ねぇ」
さっきの怒りもどこへやら、珍しく天気の話を持ちかける秋と学園に向かうのはお決まりになっている。で、秋の機嫌が回復にあたり甚大な被害がでるのも決まりだ。
そんなこと気にした様子もなく秋が振り向きざまに、
「何仏頂面してんのよ」
「あれだけボコられれば普通の顔してたってそう見えるわ!」
そう、結局捕まったおれは殴られた。いくら避けるのが得意と言っても捕まって身動きを拘束されれば逃げようがない。
「ちくしょう。まさか、時間いっぱいまで追いかけてくるとは思わなかった」
いつもなら秋は着替えの時間を残すために諦めている。
「最近逃げられっぱなしだったからね」
爽やかな笑顔の下には鬼が潜んでいるに違いない。
「それにしても珍しく三人で登校だね」
実は会話に参加してないだけで携帯を片手にした宙もこの場にいた。
大きな欠伸を何度もして、強制的な会話へ仕方なそうに宙は口を開く。
「……寝ようと思ったら急なSOS連絡が入ったからね。家にまで押しかけられても面倒なだけだから出てきたんだよ。ふわぁー」
連絡したのは当然おれで、相談役の宙になんとか秋からの襲撃から逃れる術を聞き出そうとしたのだが、徹夜明けの宙はなんの役にも立たなかった。おれが朝から殴られているのに、そのまま寝かすなど断固として許さない。どんな被害であれ、被害は皆で分かち合うものだ。だって、友達だからね。
「……それで、僕を引っ張り出した本当の理由は何?」
パタン、パタンと携帯が開いたり閉じたり。
頭をごしごし掻いている宙はさすが幼馴染だと言える。秋に襲われるなんて日常茶飯事で、いつもなら連絡しても無理に登校させずに遅刻を許す。だけど今回は許さなかった。
「相談っていうより訊きたいことがあったんだけど、人の物を仕方なく持ち出してしまったらどうする?」
昨日は疲れの所為で考えなかった首飾りの事だ。もちろん返しに行くつもりではいたけど、なにせ異世界の女の子は話を聞いてくれるような対応じゃなかった。だから、参考までに意見を集めようと思ったのだ。
「もしもし、警察ですか?」
「ちょっとまてぇい!」
幼馴染を売り飛ばそうとしていた秋の携帯をふんだくる。
「なによ。窃盗は泥棒よ」
「意味が重複してるよ秋。それで、どういった経緯で持ち出したの?」
秋はとりあえず無視して、おれは少し考えてから説明しようとした。まず異世界に関しては全くもって話す気がなかったからだ。
なぜなら間違いなく信じない。仮に秋からそんなことを言われたら、おれは信じないと断言できる。
「えー、あー」
ただ説明しようにも本当のことを混ぜながら話すには良い例えが浮かばない。それなら、異世界の話をまるっきり飛ばして説明してみればどうだろうか。
博士との出会いまで記憶を遡る、すると案外良い例えが浮かんだ。
「昨日知り合った人の家に行って、その人の物を勝手に使ったら、取り外しのきかないもので、持ち帰った」
少なからず話の筋は外れていないはずだ。
「ふーん、昨日ね……」
パタン、パタンと携帯が開いたり閉じたり。
宙が俺の左腕をちらりと見た。相変わらず勘が鋭い男だ。
一方、
「取り外しがきかない……、身に着けるものよね? じゃあ、その付けた部分を切り落とす!」
秋にはなにも頼らないでおこう。……腕が無くなる。
「シンは返す気はあるんだよね」
「もちろん」
相手が話す機会をくれたらね。
「そっか……。それじゃあ、相手と会った瞬間に突拍子もないことをしてみたら?」
「どういうこと?」
秋が尋ねたから訊かないけど、おれにも意味は分からない。
「つまりね。シンはその持ってきちゃったものを返したい。でも返す前に話を聞いてもらえないってシンは考えているってことだと思うから、相手が何かしてくる前に一瞬でいいから動きを止めちゃえばいい」
「なるほど」
納得はできた。その一瞬で事情を説明してしまえばいいってことだ。
でも、不思議なことに宙はおれの意図することを的確に突いてきた。おれの説明では取り外しがきかないと言っているのに……。
「ふーん」
秋は秋で、おれが納得したもんだから、話を合わせるように分かったような空返事を返している。でも、その空返事の方がアホさを証明しているよ。
「っで!」
「バカにした表情ね」
こんな時だけ勘を鋭くしやがった。
「そんなことありませんよ」
とりあえず、秋には誤魔化そう。尻を蹴られる以上の被害が生まれないために。
一旦話が終わったように見せかけ、一人納得のいってない秋を先頭に一人歩かせつつ、後ろに下がったおれは宙に本当の意味を小声で尋ねた。
「なんでわかったの?」
おそらくこれだけで宙は理解する。
パタン、パタンと携帯が開いたり閉じたり。
「ん? ああ、本当に取り外せない物だったとしたら、その持ち主の方が一番理解しているし、シンの話し方から察して、その持って帰ってきたものは返すことができると思っただけだよ」
あれだけの情報でそれだけ理解するとはやっぱり、宙はただ者じゃないな。
「さすが、幼馴染だ。あっちのアホとは違って」
「ん~、切り落とせないなら、付いているものを壊すっていう手もあったわね」
可哀想な後ろ姿を一度見てつくづくそう思う。
すると、ふいに宙が小さく笑った。
「幼馴染だからってのは当たっているけど、本当はね。適当だったんだよ」
「え?」
「さすがにあれだけじゃ分からないよ。それにいつもしていない腕時計がシンの腕にあれば、なおさらその時計だと思う」
「じゃあ、なんで?」
パタン、パタンと携帯が開いたり閉じたり。
「だから、それが幼馴染って部分かな。でも、時計が外せないってことはないし、本当に返したいものがなんなのかまでは分からないから、一つ仮説を立てた。返せない理由が、持ち主の態度にあるんじゃないかなって」
宙を過大評価しすぎたとは思えなかった。時計のことは当たっていないけれど、それだけ分析できれば十分すごい。さすが、遅刻常習犯なのに成績が学園トップといったところだ。
「さすが持つべきものは天才というか」
「あはは、それはどうも」
「ん、何二人でこそこそ話してるのよ!」
訝しんだ表情で秋がやっと気づいた。まぁ、また適当に誤魔化しておこう。
「べっつにぃ、宙が天才だってことを褒め称えていただけ」
「はぁ? いっつも携帯片手に開いたり閉じたりしているやつは変態なだけよ」
「まぁ、そこは否定しないけどさ」
「否定してよ。ただの癖なんだから」
宙が変態の汚名を否定しつつ、一応異世界での対応策もできたことでおれも満足していた。
そして、この対応策が別のところで活用されることになるとは、この時は思ってもみなかった。
……しかも、失敗に終わるだなんて。