第七章 『最強は誰だ』
求めた小さな冒険から夜が明け、目が覚めると道場の方から相変わらず騒がしい声が聴こえてきた。
「また秋か……。そういえば今日来るって言ってたっけ」
ベッドから這い出て目覚めて早々に熱くるしい掛け声のする方へ行ってみると、案の定、秋が祖父であるじいちゃんとテコンドーの練習を剣道の練習生の目の前で繰り広げていた。
道場の中に入ると、年下から年上まで練習生達がじいちゃんの孫というだけで挨拶をしてくれる。まぁ、挨拶なんて基本なのだから孫とかそういったことは関係ないんだけど。
のろのろと疲労が完全には消えない体を進めて皆に挨拶をしたとこで、秋がおれに気づいたようだ。その隣で細見の筋肉質で師範の肩書きを持つじいちゃんも手を緩めた。
「遅いわよ寝坊助」
「いや、十分早いんだけど」
秋はじいちゃんとの練習に一区切り終え、挨拶そっちのけで憎まれ口を開口一番。秋からすればこれが挨拶のようなものだ。
「シンも、もっと早く起きて皆と練習に参加しなさい。恵まれた環境に居りながら、なんとも情けない。そろそろ後継者にこの道場も譲りたいと思っとるのに」
あー、めんどくさい年寄の小言が始まったよ。
「何も剣道とまでは言わん。『道』の名の付く武術であれば結構。こう見えてもワシは色々と鍛えたものだ。教えてほしい『道』があれば基礎ぐらい教えてやる」
「そうそう。そうなったら、私だって一緒に練習してあげるわよ」
じいちゃんに味方に付いた秋の思考は丸わかりだ。そのニヤけ面はおれをサンドバックの代わりに仕上げる気だ。
「やだね」
人には向き不向きってものがあるんだ。というか、秋に関しては向きも不向きもあったもんじゃない。
「だいたい、後継者ならまず父さんがなればいい」
「いや、婿殿は……」
始まった。婿養子である父さんにじいちゃんは激がつくほど甘い。まぁ、……理由を知っているだけに中々卑怯な手だったかな。
「そういえばおじさんと会ったのいつだっけなぁ。でも、なんでおじいちゃん、おじさんにそんな弱い態度なの?」
秋の疑問におれは、あ~あ、と思う。
じいちゃんはその昔、最強と謳われていた時代があったらしい。その時代の事をおれは又聞きにしか知っているわけじゃないけど、じいちゃんの知り合いだと訪ねてくる人の大半が有名な武道家とか昔お世話になった人とかで、いつも低姿勢でくることが多い。その人達は口裏を合わせているんじゃないかと思うほど当時のことを絶賛するので、いつのまにか信じるようになった。
とまぁ、一部で伝説の人扱いを受けるじいちゃんだけど、たった一人だけそのじいちゃんを倒した人がいる。
じいちゃんが珍しく落ち込んだトーンで秋に説明して、その名が明かされた。
「香奈枝だ」
何を隠そう、うちの母さんだ。
「シンのお母さん!? おじさんの方じゃなくて!?」
秋が驚いた気持ちも分からないでもない。父さんは見た目通り温和で暴力など一度も使ったことがない頭脳派の男だ。それに並んで母さんも見た目は温和で優しさが溢れる細見の人なのだ、が。
「あれは怒らせると危険なんだよ」
「全く以ってその通り」
ぽかんと口を開きっぱなしにしている秋が想像している母さんはきっと、参観日などで見る大人しい母さんなのだろう。そんな記憶で美化できる母さんも、じいちゃんのトラウマを聞けば覆がえるはずだ。実際、おれは昔好奇心という魔の囁きに抗えず、試しに母さんを怒らせるという実験を一度だけしたことがある。……たった一度だけ。
そんなわけで、じいちゃんの昔話が始まった。
「あれは、香奈枝がまだ高校生の時じゃったな。うちには一人娘の香奈枝だけで男の子は授からんでな。香奈枝に剣道を教え込もうとしていたんだが、シンと一緒で逃げ回っておった。だが、そんなことで諦められんかったワシは香奈枝に一つの提案話を持ちかけたんじゃ」
それは悲劇のきっかけ、というかいまだに継続している枷だ。
「『ワシに勝てば何でも言うことを聞いてやる』と言ってしもうた」
後悔後に絶たずの実例だな。
「それで、それでシンのお母さんは何て言ってきたの?」
「……言ってきたというより………………連れてきよった」
「ん?」
「父さんをだよ」
いまだに現実を受け入れられていないのか、渋るじいちゃんの代わりに話の中に突然出てきた人物の正体をおれが明かす。すると、一応秋も女の子でそう言ったことには敏感に気が付いた。
「そっか、それでおじいちゃんが勝つけど、可哀想だから付き合うことをおじちゃんが許すのね!?」
「うう……まぁ…………」
完全肯定でも否定でもないじいちゃんの呟き。
「まぁ、続きを聞いてあげてよ」
今はじいちゃんの手助けをしてあげよう。あまりに不憫すぎる。
「え、うん」
何か不思議な空気を感じ取った秋は静かに頷く。
「剣道ではワシが圧倒的に有利じゃったからテコンドーを提案した。ところが無差別格闘を香奈枝が提案してきおった。さらにワシが有利になったことを教え、それでも譲らんから了承して始まった。初撃は香奈枝の上段突き、そしてワシがそれにカウンターを合わせる。まぁ、女の子じゃたし大人しい子に育っておったからワシが手加減をしたつもりじゃった」
平然と上段突きを繰り出してくる母さんにおれは疑問が浮かぶけど口は挟まない。この家系で育てば見よう見真似の技くらいできる。
「ところが、そのカウンターにカウンターで合わせてきおった」
ボクシング用語でクリスクロスと言うらしい。
「あ~、それでやられちゃったんだ。油断大敵ってやつね」
「いや、ワシもそんなものでやられるほど弱くはない。確かに歳は取り始めておったが、四〇代半ば未だにワシを超えられるものは出ておらんと言われておるんだぞ」
「へぇ~」
じいちゃんの自慢もこの後起こる事態を知っていれば軽く受け止められる。むしろ哀れに思えるほどに。
「その後、癪だったが一歩後退して、反撃に転じる蹴りをおみまいするはずだった、が。距離を一気に詰められた。動きが読まれておったのだな。ガード越しに軽い拳がきた。手加減だと思ったワシはつい本気になった。動きにフェイントを織り交ぜた―――…………瞬間にやられた」
「へ?」
呆気なく言われた試合終了にアホがアホ面をしている。
「こ、拳が急に重みを増してワシの頬を叩き追ったのじゃ……。当然一発ではワシだって気を失ったりはせん。しかし、そのあと次々と乱打が飛び交ってきおった。さすがの手数にガードは間に合わず、そのまま……のされた」
合掌もんだ。
「お、おじいちゃんがやられたんだ」
秋もじいちゃんの実力は知っているからこそ畏怖をここで感じたのだろう。秋の愚痴でじいちゃんに一発も入れたことはないと聞いたことがある。
「ああ、後に知ったことだが、香奈枝は人の動きが感覚的に視えるらしい。おそらくは家系上のものなのか、達人が見なくとも気配で感じ取れるようなもんだろう。ワシはそれにやられた」
そんなことよりも、母さんの本当の恐怖はここから始まるのだ。
「そしてワシがやられてから香奈枝は口にした。『この人との結婚を許してもらおうと思ったけど、変えるねお父さん』とな」
おれは音を遮断させるために耳を覆い隠す。き、聴きたくない。
「けっ結婚まで進むんだ……。それでシンのお母さん、なんて言ったの?」
「『私とお父さんで譲れない提案があったら、今みたいに決めようと』笑顔でにっこりとほほ笑みながらそう言ったんじゃ」
「ひぃいいいいいっ」
きききききき聞きたくない……。
「それ以来、ことある毎にワシは外に連れら殴られる。ああ、今の言葉でこういうんじゃったかな、家庭内暴力と」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいっ」
「ち、ちなみにおじいちゃんの提案って」
「……一度も通っておらん。といよりも、香奈枝の提案は全て決定事項じゃ」
一度だけじいちゃんの名言を聞いたことがある。
【時には逃げる時も必要だ】
今ではもう母さんが提案したら誰も抵抗しない。仮に本当にダメな意見が出た時の抵抗力として父さんがいるのだ。よって現在じいちゃんの強い味方は父さんだけ、むしろ父さんを手放せないのはじいちゃんの方だ。
道場で微かに震える練習生達も何かがあったのだろうか、このぐらいで終わらせないと皆トラウマが蘇ってしまう。
「あー! ヤメヤメッ! アホ秋の所為で朝から気分が悪くなる」
「あれれ、シン君は今私の事をアホって言ったのかなぁ?」
今更ながら云わざるを得ないだろう。
「あのね秋」
「なにかな?」
適当におれの話を聞き流そうとしているけど、これは親切心から教えてあげようとしているのだ。
「ここ、剣道場だよ」
にっこり笑顔で優しく教えた――はずなのに、きつい睨みが来た。
秋が近寄ってくるからおれは後退する。
「憐れんだ顔をするな! 分かってるに決まってるでしょっ!」
拳をスウェーで避ける。
「じゃあテコンドーの道場に行けっ!」
「この辺にないし、おじいちゃんが鍛錬してくれるから来てるのよ!」
今度は回し蹴りを避ける。
「避けるなっ!!」
「避けるに決まってるだろ! そこまでアホなのか」
「真顔でアホアホ言うな!」
今度は拳も蹴りもこない。代わりに距離を詰めてこようとするので当然逃げる。だって、掴まれたら避けられないだろ。
「まてこらっ」
「待てるか!」
時間も時間で練習生達が片づけを始めている間をすり抜け、秋の間の手から逃げる。
「ぎゃっ」「ふぶっ」「ぎゃふ」「ごふ」
逃げるためには尊い犠牲は仕方ない。
「皆構えろ!」「自分の身は自分でまもぶっ」
ごめんよ皆。おれのために犠牲になってくれ。
「「「「「「「「「頼むから道場から出てってれっっっ!!!」」」」」」」」」
おれは生贄が無くなるまで走り続け学校に行くまで秋と鬼ごっことを続けることになった。
「全く、シンの奴め。香奈枝から受け継いだものがあるというのに勿体ない。……しかし、見事な回避。久々に山籠もりでもしてみるか……」




