第五章 『乱入者と帰還』
思考することはない。ただ体が感じるままに女の子の剣を避けるのみだ。
最初に剣は横に振り払われる。
それを後退して避けるのだが、飛んだりはしない。女の子の動きは早いから、飛んだりなんてしたらあっという間に捕まってしまう。体重を一方の片足に掛け後ろに下げる。体が斜めに倒れそうになるところで前足ごと後ろに移動した。
目の前を剣先が通り過ぎ、紙一重で避ける。
そこで、考えを改めなければいけないことに気が付いた。本気で逃げるというだけあっておれは最初から油断も、力を抜いたりだってしていない。それなのに紙一重でしか避けられないということは思っている以上に女の子の速さは優れている。
「なるほど」
女の子も何かに気が付いたようだ。
「これならどう!」
「――ぃっ」
今度は小さな動きで剣先を連撃で向けてくる。
ぎりぎりのところで避けてみせているけど、速すぎる! このままじゃ時期に捕まるのがオチだ。
「くっ――はっ――クソッ――」
そして限界はすぐにきた。
無理な体勢からさらに体を捻らなければいけなくなって、このままじゃ倒れた瞬間に終わる。
「終わり」
「んなこと、終われるか!」
キンッ! 甲高い効果音が鳴り響く。
避けることで態勢が崩れるなら避けない。その代りに剣を迎えた。と言ってもおれは武器を持っているわけではないから、あるのは博士の説明を聞いて頑強に作られた時計だけだ。
これも結構な賭けだったんだけど、さすが博士と言うべきだ。人口神隠しなんて作る変人なだけあって、異世界でもこの時計は簡単には壊れたりしない。
「ちっ」
剣が弾かれたことで一瞬隙ができるその間におれは急いで距離をとった。
「はぁ、はぁ、はぁ、危ない」
そうとう消耗したけど、これで帰還のボタンを押す暇が作れた。すぐに時計へ手を伸ばそうと――ざわめきが背筋を駆け巡った。
「ちゃんと避けろよ」
その女の子の忠告、直後。
「――――ッッッ!!!」
おれは後先考えずに横っ飛びした。
居合で横一文字という技がある。本来一撃で敵を倒すことのできる居合の真髄。それを剣で、しかも数メートルの距離を斬撃が飛んでくるなんて反則以外の何者でもない。外を傍観できるガラスの壁が粉砕し崩れていくのを気に掛けるはずもない。それに壊したのは女の子の方だ。
転がり避けたおれが女の子の姿を見つける間もなく、首にひんやり尖ったものが触れる。
…………死ぬ…………。
「残念でした」
女の子の声が終了の合図――そして、予期せぬ始まりの合図となった。
ピシッ、っと枠に嵌められた一枚のガラスがヒビ割れ床に落ちる最中、その隙間から黒い影が入り込んだ。入ってきた勢いで周りのガラスまでもが風圧で割れる。
「他にもいたのね」
「え? え?」
何が起きているのか女の子が見ている方向におれは遅れて視線を送ると、唸り声と共に暴風がガラスの破片を巻き上げ襲ってきた。
「うそっ!」
「ちっ」
本能的に顔を腕で覆い隠し隙間から見えたのは、女の子が上段から剣を振り下ろし、まるでおれを守るように斬撃を繰り出していた。
斬撃の勢いでガラスの破片はほとんどを落としたが、風圧までも殺すことはできずにおれと女の子は吹き飛ばされてしまう。
無様にも転がるおれと違って女の子は態勢を倒すことなく後退しただけ、そのおかげかおれと女の子の距離が開いている。
だからといってすぐに逃げ出すというのは抵抗ができた。意図的か分からないけどガラスの破片から助けてもらって、さっさと帰還するというのには人としてどうかと思う。
ボタンを押すのに戸惑っていると、さっきの侵入者の唸り声がまた聴こえてきた。
その正体を女の子が言う。
「狼か」
狼――イヌ科イヌ属に属する哺乳類。
「いぬぅうううううううううううううううううううううううッッッ!!!」
…………我慢できなかった。
叫んだ所為で一人と一匹の視線がおれに集中する。
「ひぃっ」
悲鳴は主に犬に対してだ。
座った態勢から後ずさりして出来るだけ距離を離そうとした途中、何かが手にぶつかった。
「……なんだ、これ?」
手に取ったそれは記憶にある。これは確か女の子が首からぶら下げていたものだ。
持ち主のほうに視線を向けると、女の子は徐に首元を手で探り、
「――ッ!? 返せっ、小僧!」
叫ぶと同時、こっちに向かって狼が駆け出した。
「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!」
ピッィイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッッ!!
「ぎゃあああああああああ――――――――――――――――――――」
時計から三〇分が経ったことを合図するアラームに狼が事態を把握するために後退する。その間、女の子は驚いた表情で、アラームに驚いて悲鳴を上げるおれが帰還していくのを見送った。
「――ぐひぃ、いでっ!」
行きといい、帰りといい、異世界から現実世界へのジャンプは唐突過ぎて着地がうまくいかない。しかも今回に限っては、何が起きたのか分からずに強制ジャンプで帰ってきたことすら気づくのに数秒かかった。
「ふむ、タイマーをセットしておいて、正解じゃったな」
暗闇に光がこぼれ、博士が出迎えにそんなことを言ってきた。
「はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
博士の見解の声でも安心して力が抜けた。まさか、出会ったばかりの博士の声がこれほどまで安心することがあるとは想像すらしていなかった。
「なんじゃ、ため息なんてつきおって」
何を勘違いしたのか、文句を言ってくる博士ですら癒される。
「ナイスだ博士」
タイマー機能を最初に考えた人を褒め称えたい。そして、危険予測をきちんとしていた博士も今回ばかりは褒めてやる。
「……ようわからんが、帰ってきてなによりじゃ」
まったくだ。
「異世界の話を聞きたいところだが、中学生を拘束するには時間が遅い。今日は帰ってまた今度聞かせてもらいじゃが」
「へ? 聞きたいの?」
「当たり前じゃろ。ワシがなんのためにこの装置を作ったと思っとるんだ」
そういえばその辺の話はしていなかったような気がする。そうか、異世界の事を知りたくてこの機械をつくったんだ……。
「うん。また来るよ」
それだけ言うと博士は頬を緩ませてなにやら嬉しそうにもう一度「ああ、また来なさい」と言い残した。
博士が装置の扉から離れておれも帰るために立ち上がる。
「ん?」
床に掌をつこうとして何かが握られていることに初めて気が付いた。
それは五芒星をさらに複雑にしたような星形の形で、異世界の住人の女の子が「返せ」と叫んでいた品だった。
「あー、持って帰ってきちゃった」
失くさないようにだけして、ポケットへとしまいこんだ。
とりあえず、
「疲れた……」