第三章 『ブラックホール』
「ふむ、説明してしまうと帰還用の道具じゃよ」
あっさりと明かされて理解できた。確かに異世界に行くための機械がここにあるならば帰ってくるときにはどうすればいいのかという話だ。それでも引っかかる部分はある。腕時計なんて小さなもので帰ってくることができるなら、目の前にある機械の大きさは必要ないんじゃないだろうか。
「そこの部屋と違いがあるの?」
疑問を口にすると、当然と言わんばかりに博士が補足する。
「そういうことになるの。説明するにはこの装置の説明をしなければいかんが、そもそも異世界と言っているがどこにあるかなんてものまで、ワシにも分からん。そのために、行先はランダム。二度同じ場所に行きたければその世界の物質が必要になる。それでもって腕時計式との違いだが、帰りは固定になる」
博士が必要に応じて人口神隠し装置と腕時計を交互に指さして説明してくれた。つまり、行くときは適当で帰りは必ず博士の家に戻ってくるということだ。
「腕時計式はあくまで帰還用に作っただけで簡略されておる。よって、異世界に行くための扉を開く力はない。合図を送ることでこちら側の装置が起動し帰りの道を開いてくれるということだ」
「じゃあ、腕時計を色々な人に渡せば博士の友達以外にも協力してくれる人はいるんじゃないの?」
これまた純粋な疑問が浮かんだ。
「いやいや、これ一つでどれだけの時間が掛かると思っとるんじゃ。まだ二つしかないんじゃよ。友人に一つは渡しておるから、実質一つ。それにワシが作っといてなんじゃが、これは腕に嵌ると二度と外せないようになっておる」
その一言でおれの電球に明かりが灯った。この世に二つしかなく、二度とはずせない……完璧だ。
「でもなんで外せないように作ったのさ?」
どうでもいい質問をして博士へと近づいていく。
「簡単に言うと失くさないためじゃな」
博士の前に立って、時計を興味ありげに「見せて」と手を伸ばした。なんの警戒もした様子もなく時計が博士からおれの手に渡る。
「強度は申し分なく上げておるが失くしてしまうとどうすることもできんし、この世界で使う分には邪魔に思われがちだが、異世界に行ってこれを失くされると行った者自身が帰ってこられなくなる。そう思って取り外しがきかないように作ったんじゃ。その内色々と改良はするつもりではおるが」
「改良か……でも、それはもう少し後でもいいんじゃないかな?」
「どうしてそう思う?」
「だって……外されたらこまるもん」
博士が頭に『?』を浮かべているのに対して、分かりやすくおれは腕を上げその答えを目せ付けた。
「あ、こらっ」
博士は目を見開いておれの腕に嵌められた時計を確認した時には遅い。
「残念もう嵌めちゃいましたー!」
これで、もう情報はいらない。
「ふっふっふ、二つしかない時計の一つはおれの手に、そして博士の友達が協力的じゃないなら、もうおれしかいない!」
「やられたわい」
完全勝利をわが手に高笑いしてやった。
「さぁ、おれを別の世界へと誘いたまえ」
「貴重な物だとわかっておるのかの……。まぁ、そこまでされたら任せるしかないの」
意外と物わかりが良いようで、なんとなく違和感が残る。
「素直だね」
その違和感を探るために一応聞いてみた。
「その時計にはな、二つの機能が付いておるんじゃよ。一つは起動させてすぐ帰還するものと、一番短い時間で三十分のタイマー式強制帰還。今回は行ってもらうが、タイマーの設定だけは絶対にさせてもらう」
なるほど、おれが自由気ままに行動させない手段がすでにあったのか。でも、おれ自身長い時間異世界なんて場所に長い時間いるつもりはない。学園を出てからすでに結構な時間が過ぎているからだ。
「そのへんの指示には従うよ、おれも長居するつもりはないから」
「それじゃあ、腕を出しなさい時間を設定する」
博士の指示通りに腕を出して、準備が整うと別室の部屋へと入るように言われる。その部屋の入口付近まで行き博士が何やら操作を行うことで扉が開かれた。
「……異世界か」
嘘か真実か、ここに来て真相を確かめられることにおれの心臓が再び激しく鼓動をドクンドクンと循環させ唸り始めた。
落ち着かせるために部屋に入る前に博士に最後の質問をする。
「これ、本当に動くんだよね」
「失礼な奴じゃな。すでに一回起動済みじゃわい。それに成功しておる」
それを聞けて安心した。
真っ暗な部屋の中に足を踏み入れ外の光が遮断される。そこにスピーカー越しに博士の声が届いた。
『それじゃあ、始めるぞい。まず目を瞑っておれ』
「うん」
真っ暗で何も見えないから目を瞑っても何も変わらない。そう思っていると、目を瞑ってても分かるほど瞼の向こうが明るくなってきた。
どうやらもう異世界へと来てしまったみたいだ。
明るい世界にゆっくりと瞼を開く。
「こ、これが異世界……」
先がどこにあるのかも全くわらかない程の真っ白な空間。想像していた世界との違いに――
『さて、心の準備はいいかの?』
「――って、まだかいっ!!」
『……勝手に気分だけ先乗りされてもの……。なんじゃって【こ、これが異世界……】だったか?』
「やめてぇえええええっ!」
独りきりだと思ってちょっと気分に浸った分だけ、猛烈な恥ずかしさに押しつぶされる。よくよく部屋の辺りを見てみるとただ単に電灯に光が灯っただけだった。
『はっはは、傑作じゃったな』
「いっそのこと一思いにやってよ……」
はやる鼓動も恥の前では消えてしまっている。
『それじゃあ、本当に起動させるぞ。まだ引き返せるが?』
「ふっ、愚問を。これ以上ない恥を掻かされて怖いもんなんかあるか!」
言い切ってやった。それに博士の笑い声が聞こえ、
『じゃあ、ワシからの忠告じゃ。なにかあったらすぐに腕時計を起動させなさい。タイマーはあくまでこちらからできる制限のみ。飛んでしまったら、すべての判断はシン、お前さん次第なのじゃからの』
「わかった」
それを最後にスピーカーは切られた。
次第に静寂に包まれた空間に荒々しくうねり音が響き渡る。正体を探そうと辺りを見渡し、真っ白な空間の一点、そこに米粒程度の黒い点が出来上がっていた。
次第にその点が円になりさらに拡大していく。その円に部屋の壁が吸い込まれるようにがたがたと震え、掃除機にでも吸われるような吸引力に髪が引っ張られ体が滑り出した。
「うぐぅうう」
初めての経験に素直に吸い込まれるのを拒み、踏み留まろうとおれの足に力が入った。それも無力と言わんばかりに体が引きずられていく。
体が無重力でも味わうように軽くなっていき――限界だ。
そう思った矢先、
『ああ、いい忘れておった。その空間にできる異世界への扉の名前は――』
勝手にスピーカーを通して明かされる扉とやらの名前に、こっちは返事を返している余裕は無さそ――
『――ブラックホール』
「怖い名前付けんなぁっ――ぁぁぁああああああああああああああっ!!!」
思わぬ名前にツッコミ入れてしまった瞬間、おれの体はブラックホールにキュポンッとでも音が鳴るように吸い込まれていた。