第二章 『博士という老人』
うっすらと瞼が持ち上がり、蛍光灯の光が眩しい。その光から逃れたいと思っていたら、影ができた。……それも老人の度アップの顔が、だ。
「大丈夫か?」
素直に目覚めが悪いと思いつつも、気を失う前の事が思い出されると身の心配をしてくれたのには感謝する。
「大丈夫……みたい」
体を起こし異常がないかを調べてみても、どこか痛かったりはしなかった。でも、全くの無傷ということに疑問が浮かんでいると、
「まぁ、見事なまでの着地をしてから気を失ったからな」
確かに思い起こしてみると、落ちた恐怖というよりも老人が追いかけてきたことに気を失ったような気がする。
「こんな年寄りの家じゃ、茶しかないが飲んでいきなさい」
もはや幽霊なんて存在じゃないと分かると、カミナリじいさんとさほど違いはない。よって、おれは誘われるままに古めかしい椅子に座った。
腰を落ち着かせてから辺りを見渡し、地下という空間にありながら昭和テイストなレトロな雰囲気のある部屋に違和感を覚える。そんな挙動不審なおれの行動を気にした様子もなく、お茶を入れた老人は前の席に腰を座った。
それから、外での不審な行動を訊いてきた。
説明を頭で整理している最中に裏切り者の二人を紹介もせず名前だけをだして、学校での噂、クラスメイトの行動、今にいたる経緯を愚痴という形で吐き出した。
そんなおれの愚痴を相槌も入れずに聞いてくれていた老人。そんな老人が口を開き、素朴な質問を投げかけてきた。
「毎日怖い思いをしてあそこの道を通るつもりだったのか?」
老人がお茶を啜りなんとなしに言ったその内容に、今の状況が出来上がったことを心底お礼が言いたい。考えてみれば、明日も明後日もこれから学園に行くたびに帰りがやってくるのだ。
「ありがとうございます!」
「……最近の子の考えが分からん」
とりあえず感謝の押し売りだけして気分はすっきりと晴れた。
それからは平凡な学園生活の話を訊かれ、おれが話して老人が訊くという状態が続いた。
どれくらい時間が経った頃だろうか、一息ついた時だ。
椅子に座って足をぶらぶらと投げ出しているとカツンと何かにぶつかった。会話の区切れも合わさってテーブルの下を覗く。
汗が猛烈に垂れる。
「……まさか、老人って犬飼ってるの?」
「生まれてこの方老人と呼ばれた記憶はないな……。友人からは博士と呼ばれているから、博士で頼む」
「わわかった、よろしく『博士』。おれは北河斬心。みんなからはシンって呼ばれてる」
「あだ名は会話に出てきておったから知っとるよ。犬は一匹飼ってるの」
「じゃ、そろそろ遅いし帰ろうかな」
ナイスな機転でお暇しようと立ち上がった。これで余計な弱点を気付かれることは――、
「なんじゃ、犬もダメなのか?」
……ですよねー。
「昔から動物は襲ってくるから苦手なんだよ」
「そういう体質なのかの。ちなみに今はおらんよ、友人の家にお泊りに行っておる」
「そっか、じゃあもう少しいる」
「……わかりやすいの」
家に帰っても暇だ。
「ところで博士はここでなにしてんの?」
今までおれの話ばかりをしてきたから、気になって聞いてみた。
ところがそんな素朴な質問に、博士は迷いを見せる。まぁ、確かに地下にいる時点で怪しさ満点だから、人には話せないのかもしれない。
「話せないならいいよ。訊かれたくないこともあるだろうし」
自分で訊いた分フォローのつもりでそう答えると博士は優しく微笑んだ。
「人の気持ちを理解できる子なら教えてもいいじゃろ。それに小学生じゃ理解できんだろうしな」
「ぶっ飛ばすぞじじい」
「なんとも失礼」
失礼なのはそっちだという言葉を飲み込んで事実だけを教えてやる。というか、会話で分かっていると思っていたのに……。
「中学生なんだけど」
「おう、それはすまんかった。小学生なりに大人に見せようと『おれ』なんって一人称を使っているものだと思ってな」
「………………」
「……すまん」
再度博士が謝ってきたので何も言わないでおこうと思う。
「それで、何を教えてくれるのさ?」
「フフ」
訊くと博士は不気味に笑った。
「気持ち悪いよ」
「この部屋にいて不思議に思ったことはないか?」
無視された。
「地下にあることを含め、リビングしかないこの部屋を。上の空き地の面積にも関わらず小さな小屋しかないこと――ん、そういえば、空き地とはなにを基準に空き地と呼んでおるんだろうな? 一応ワシが所有している土地だから空いているわけではないんだが」
意外と気にしていたのか不満を織り交ぜながら、訊かれたので答える。
「不思議も何も、地下の面積分部屋があるんでしょ」
「……なんじゃ、わかっておったんか」
がっかりした年寄の表情はなんて切ないのだろうか。
「いや、なんかごめんね」
「……まぁ、考えれば分かることではあるからな。しかし、扉自体がどこにあるか分からないように作っておったんだがな」
「あそこでしょ」
そういって、壁の一か所を指さした。
「なんと、そこまで考え付いたのか?」
「考えたというよりも、雰囲気で分かるだけなんだけど」
「どういうことだ?」
「昔から違和感がある場所がわかるっていうか、存在が分かるっていうか。まぁ、そんな感じ」
「うーむ。世の中には共感覚とかいうのもあるからな。そういった類のものかもしれんな。まぁ、いい。そこまで分かってもこれから見せるものは想像できんものだろうから見せてやろう」
そう言って博士は指さした壁まで行き壁を触った。すると、なにやら暗証番号を入力する基盤が出てきた。何ケタかの数字を入力すると扉が一人でに開いていく。
「忍者屋敷なのか、銀行の貸金庫なのかよくわからない部屋だな」
「ほっとけ」
博士が開いた扉から別の部屋に移動し、おれもその後を続く。
そして、
「うわっ」
その光景にさすがに驚いた。
その部屋は別世界と言っていいほどさっきまでいた部屋とは違っていた。簡単にいうとハイテクな世界。昭和テイストなんて微塵もない機械だらけ、それも半端な数じゃなかった。
天井に固定されたモニターに図式やグラフが映し出され、いくつかの束に纏められた配線が床を辿り何処かへと続いている。
「こっちじゃこっち」
いつの間にか歩き出していた博士に呼ばれてその後を追う。追いながら、あちこちに視線を泳がせているうちに博士の評価が変わる。
「幽霊なんてもんじゃないよな、これって……。もはや変態だ」
「誰が変態じゃ」
新しい部屋の扉の前で博士は振り返っていた。どうやら、レトロ部屋を除いても地下の空間はいくつかの部屋で区切られているらしい。
「さて、今度はこの部屋が何か当ててみてごらん」
実はさっきの根に持っているんじゃないかと、博士の人格を探りつつ中に入る。
部屋には電車の一列を切り離したような別室が作られ、その隣にはそれを操作するような機械が並んでいた。別室には窓がなく中は見えない。
今度も正解を言い当ててヘコませてやろうかと考えていたけど、ここまで意味不明だと分かるわけがない。
「どうだ? わからんだろ? これは分からんだろうな」
にやにやと笑みを浮かべる博士を見て確証を得た。絶対に根に持っていやがる。
「わかるわけないじゃんか」
博士の態度にむかつきを覚え、不貞腐れながら尋ねた。
「だろうの」
あ、さっきまでの博士だ。満足して大人げない態度が無くなっている。
「これは、ワシが作ったまだ名も無い機械でな。シンに分かりやすく言えば、人工神隠し発生装置といったところだろうな」
「神隠し?」
想像できたのは、トンネルを抜けると婆さんが営む温泉街ぐらいだ。
「正確に言うと全然違うけどの」
「って、違うのかよ!」
「おおっ、新鮮な反応じゃな。ワシの友人は最近冷たくてな反応が薄いというか――」
そんなことはどうでもいいから、説明してほしい。長ったらしく博士の友人の話を聞かされつつ、その間に別室の扉に近づいていく。外側は鉄で覆われているようで、拳でコンコンとノックをしてみても中々分厚い鈍い音ばかりが響いた。
「――でな、って聞いておらんな」
「それで正確に言うとなんなのさ?」
「若いもんはせっかちというかなんというか。まぁ、いいわい。それはな異世界へ行くための装置なんじゃよ」
「あー、なるほどね」
納得できた。この人は紛れもない変人だ。
「ちなみにこれは完成してるの、変人」
「年寄りに向けられる暴言にしては度が過ぎとる。完成はしとるよ。実験を友人に頼んでおるんだが、協力的じゃなくての」
これは意外な答えだった。正直老人の戯言として受け流しておくつもりだったけど、完成しているのなら是非とも使ってみたい。なぜなら、男なら一度は異世界なんてものに憧れるからだ! ま、半信半疑だけど。
「ねぇ、博士」
「ん、ってなんじゃその意味深な笑みわ」
これはうっかり、勝手に踊りだすワクワクとドキドキがつい頬が緩ませたみたいだ。
「おれがそのじ――」
「ダメじゃ」
「はやっ! もっと真剣に考えてよ!」
「バカ垂れ、真剣に考えんでも答えは出せるわ! 異世界と言ってどんな世界を期待しておるか知らんが、危険が付き物。それを会ったばかりのしょうが――んんっ、中学生に行かせられんわ」
間違いなく小学生って言い掛けたな。いずれ博士を豚箱へと放り込んでやろうと思う。それよりも今は好奇心がそそられる目の前の機械に入り込むことが重要だ。
だけど、考えもなしに言い争ったって博士の立場からすれば納得しないだろう。実際、おれが博士の立場だったら同じことを言うと思う。じゃあ、どうするか……。ダメだ、今すぐは思いつかない。
「じゃあさ、どういう仕組か教えてよ」
とりあえず、情報を集めよう。
「うーん。そんなに簡単に引き下がれると行かせたくなるな」
おっ、以外にもあっさり――
「冗談はさておき、仕組か。説明してやらんこともないが、どうせ理解できんだろうしな」
――上の草むらを切り倒して、小屋を公にさらけ出してやりたい。
「おおそうじゃ、この機械を使うための道具を教えてやろう」
おれが密かに草を刈る鎌の購入計画を立てている間に、博士はこの機械に関する、とある物を探しに機械の隣にある机へと歩き出していた。
引き出しをあけ、そこから何かを取り出すと軽く持ち上げて見せてくる。
「これがこの機械を使う上で絶対に忘れてはいけないものじゃ」
「……腕時計?」
少し離れた距離から見えるそれはメインの基盤にその周りにはいくつかのボタン、腕に嵌める為の薄いベルト、それ以外には特に変わった様子はない。
「言い得て妙だが、時計機能はオマケじゃの。どんな世界に行っても時間軸が変わることはないじゃろうし。カモフラージュ程度だと思ってくれればいい」
博士の説明だとほかの機能が本当の目的であることが窺える。
「気づかないか?」
それだけの説明で分かるような言い草だけど、思いつかない。別室の部屋やその周りの機械類、おまけに机を見てみてもそれに繋がるヒントは無さそうだった。