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第十九章『オウノコケラ』

             ◆

「アスター、説明しなさい」


「…………一つ、疑問がありました。それはリチア様があの少年と最初にこの部屋で会った時の事です。リチア様が最初に少年を取り逃がした時、侵入者として排除されようとしている。…………逃げるということ自体は少年の持つ異世界への帰還ということで納得していましたが、リチア様の攻撃の回避については説明ができませんでした」


「その前に逃げたんじゃないの?」


「…………それだと会話が生まれず、リチア様が私に少年を無傷で確保するような命令を出すことはなかったかと」


「……つまり、偶然以上の理由でお姉さまがあいつに興味を持った理由がある。それは異世界の移動手段と同時に取り逃がしたことへの執着ってこと?」


「…………おそらくは」


「それで、今その理由がお姉さまの動きを見えているってことなのね」


セイの歯が苛立ちで噛みしめられた。


「万が一でもお姉さまが負けるなんてことはないわ!」


「…………はい。それももうすぐ終わります」


アスターの言葉は贔屓目のないものだった。


             ◆


唐突にその時が来た。


それも、おれの予想をはるかに超えて悪い結果で現れる。


ヴェーレが膝から崩れ、間一髪チアの攻撃を避けた。それが最後、ヴェーレの動きが完全に止まった。


「………………そんな」


おれはチアに狙われていない。いや、狙われるまでの時間もヴェーレとチアとの戦いは続かなかった。もう少し長い時間を掛けてチアが血液を流し続けるような事態になっていれば、そうなっていたかもしれない。


誤算はヴェーレに降りかかっている変化に、おれが理解していなかったことが原因。


『この土地では我が一族以外、本来の力は出せないからな』


それよりも、均衡を好転させる対応策をすぐに思いついていれば…………。


「違う……、違う! もっとおれがヴェーレの状態に気付いてあげられていれば!」


最初から戦うことなんて考えなければよかったのに、


「ごめん、ヴェーレ」


おれの過信が招いたことだ。師としてじいちゃんが道場を開いているから、なんて軽い考えで二人の戦いを続けさせた。


「最初から、ヴェーレを逃がすことだけ考えていれば!」


おれは二人の間に割って入った。止める者はいない。さっきまでいた人型ヴェーレもヴェーレが崩れると同時に消えている。


「もう終わりか……、もう少し楽しみたかったけど」


「まだ終わってない」


「シン、お前はこの世界の事を知らなさすぎる。お前は戦いに向いていない」

そんなこと、今さらだけど改めて分かったよ!


「ヴェーレ逃げれる?」


「…………はぁ、はぁ。いらぬ世話だ。奴に勝つことだけを考えろ」


「どうやら、そいつの方が理解しているようね。いや、いつから死を覚悟していたと聞いた方がいいかしら?」


どういうことだ……。


「説明しましょうか? ここは、この土地が認めた者しか住まわせてはくれないのよ。それ以外の存在は存在するだけで力の制限が掛かる。おまけにそいつは私の部下と鬼ごっこで力を使い、いまここで新たに力を使っている。そんな状態で持つわけがない」


「……じゃあ」


ヴェーレは初めから……、


「見くびるなっ! 死など見ることなどシンに言われ、捨てている。我は千古狼の名をこの世に残すために戦う!」


セイにあんなことを言っておきながら、おれがヴェーレの味方になりたくなった本当の理由が分かった。


ヴェーレは優しいんだ。


おれの話をちゃんと聞いてくれるのも、力付くでおれから『王の杮』を奪おうとしないのも、簡単におれを信用しちゃうのも、ヴェーレは他人を大切にしてくれるからだ。


「チア」


この短い時間でヴェーレを逃がす方法があるとすれば、こんな簡単な方法しかなかった。


「何をしているの?」


「無様ね」


「……………………」


「おれの世界で土下座って言うんだ。誰かに何を捨てても願いを聞き入れてほしいときにする」


「よせっ、この世界では――」


「おれはこの世界の人間じゃない! だからっ、大切だと思うことは守りたい!」


「はぁ!? あんた多種なんか守ったって――」


セイを睨みつけた。それ以上は許さない。


「何を捨てても、か?」


「うん」


「……………………」


長く感じる沈黙が続く。


「良いわ。条件を出した通り、お前はセイの夫となれ。そして狼、お前は奴隷としてここで働いてもらう」


「ふざっ――」


「そいつの躾はシンお前がしなさい。できなければ殺す」


ヴェーレの優しさがおれの命を留めさせ、ヴェーレの命が守られる代わりに千古狼の名をおれが汚す。


それでもおれはヴェーレの命の方が大切だ。


「ごめん。ヴェーレ」


だから、勝手なことをしたことを謝ることしかできない。


誰も何も言葉を発しない緊張感が続くと思った矢先。


「はぁ、思い通りにいかないものね」


誰よりも厳しい雰囲気を出していたはずのチアの口から、そんな言葉が聴こえた……。


「…………お遊びが過ぎるかと」


「こいつをからかうのは中々面白くてね」


なんだ、何かがおかしい。


「え……?」


変な気配に思わずセイの方を見てしまった。


「こっちを見るな!」


うん。この子じゃダメだ。


「どういうこと?」


今度はヴェーレに訊いてみた。


「…………」


何も答えない。ヴェーレとおれの立場は同じだから同じなのか。


「私は着替えてくるわ。後はアスターに任せる。それと――――」


「…………畏まりました」


ちょ――、


「ちょっとまてぇええい! 説明していけ!」


おれの悲しくも切ない叫びに一度は振り向いたけど、「ふふっ」っと、バカにするように笑いながらチアは部屋から出て言ってしまった。


「何が起こって……」


「…………リチア様の条件に気付きませんか?」


混乱するおれにアスターさんが静かに諭すように訊いてきた。その声はさっきまでの敵対心が完全に消えている。


「えーと、負けたらおれが奴隷で、ヴェーレが夫ぐべはっ」


「つまり、お姉さまが最初から狼を始末する気がなかったのね」


「だ、騙された。……………ん?」


「…………」


「…………」


「……なによ」


「そっち側なのに知らなかったんだなぁとぐふたすっ」


なんでおれだけ……。


それにしても、おれは初めての変な高揚感に気付かなかったけど、冷静に戦っていたヴェーレなら気付いていてもおかしくない。だから、気付けたでしょという意味でヴェーレを見る。


「……私にとっては死ぬのと意味が変わらない」


まぁ、そうだね。結局騙されていたのはおれだけってことか……。


「でも、なんで狼なんて生かしておくんだろう?」


ヴェーレがセイを睨む。勇ましいのは分かったけど、ここでは危険極まりない。すぐ沸点が高くなるセイにそんなことしたら、


「なによ。やる気?」


ケンカをすぐ買っちゃう。


「ヴェーレは休憩してて、セイは少しおとなしぐぶばっ」


仲裁役って損だ……。


「アスターは知らないの?」


「…………おそらくシン様の存在をこの世界中に広める為に、逃がすつもりだったのかと」


「あ、なるほど。じゃないと、餌にならないものね」


ん?餌ってなんだ! 餌って! おれをこの世界で有名にしてどうするつもりだったんだ!?


「アスターさん!?」


「…………それではシン様、お帰りになられるのでしたらリチア様にご挨拶をしてからにしてください。玉座におられます」


無視された!? 初めてアスターさんに無視された!?


「…………そして貴方は――」


「あ、アスターさん。ヴェーレは休ませてあげて」


「なんで、あんたの指示なんて」


「…………畏まりました」


とりあえず……良かった。


「アスターッ!?」


「…………リチア様のご命令でこの方の躾はシン様に委ねられています」


「うっ」


「…………部屋を用意しますので付いて来てください」


アスターさんがそう言ってもヴェーレは動かなかった。もしかして動けないのかもしれないと肩を貸そうと近づく。


「……私が主を信用していいのだろうか? これ以上生き恥を曝してまで」


そうだった……。おれの身勝手な判断でこうなっているだけで、ヴェーレは納得していない。おれは元の世界に帰らなければいけないし、その間に最悪の事が起きればヴェーレは自分で……。


「な、なんとかさっ。チアにお願いして『オウノコケラ』を借りれれば、ヴェーレの種族もきっと」


「それは無理よ」


またセイか。真面目な話の時には邪魔しないでほしいのに。


「チアさえ説得できれば――」


「『王の杮』は世界を掌握するための力しかないのよ」


「は?」


「なんだと………………」


初めて聞かされる『王の杮』の価値。それはヴェーレも知らない様子だった。


「あんたまで知らないわけ? 『王の杮』はいくつかに別れていて、それを王の名を持つ一族が代々守っていくものなのよ。力ある者は他種族や、一族以外の力に頼るなんてことしないから、『王の杮』を使わない。だから、その一つがここにあるのよ」


「……『オウノコケラ』って武器かなんかなの?」


「少し違うわね。昔の話で私は詳しくは知らないけど、『力』そのものだって聞いたことがあるわ」


いうなれば『王の杮』は兵器でしかないということだ。そうなるとヴェーレの目的は初めから、


「……はは、ははははははっ、私は初めから千古狼の名を汚していたということか」


自分を卑下する壊れた笑いは、ヴェーレの姿を今にも消してしまいそうなほど弱弱しく見えた。


「…………」


慰める事なんてできるわけがない。


そこからヴェーレは人形のようにアスターさんの後を追うように部屋を出て行ってしまう。


「あ、あのさ、ヴェーレおれまた来るから!」


それが精いっぱいで、ヴェーレは振り向くことなくいなくなった。


結局おれはヴェーレを救えてはいなかった。



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