第十二章『オオカミ』
とある少年が泣きながら逃げている頃。
「この森からは逃げ切れませんよ」
サングラスに黒服の男が言うのを無視し、城に侵入者した狼は出口を探して走っていた。
侵入してから一日が経とうとしているにも関わらず、一向に狼は森の外へと出られない。森の中は暗く、月明かりだけが木々の隙間から漏れている程度。
だが、暗く湿気の多い森の中に閉じ込められている狼はなにも見えにくいと理由で閉じ込められているわけではなかった。狼は鼻が利く、それに頼れば難なく森から抜けおおせているはずだ。
それでも抜け出していない。それは何かしらの術が施されているに違いなかった。それが城の主の力なのか、城の部下あるいは家従なのか狼には分からない。
「っち」
牙を剥き出しにし、イラつきと戸惑いから舌打ちをする。それに狼を戸惑わせていたのは不可解な森の事だけではなかった。
それは、狼の鼻で感じとれるもう一人の侵入者である少年の匂いだ。どういう術か、少年はあの部屋から突如姿を消した。それも狼の目的である首飾りを有してだ。
――にも関わらず、少年はあの城へと再びやってきている。
狼はあの少年が自分よりも格下だと断言していた。それはあの部屋での少年のお粗末な動きでだ。
狼の脳裏で「(……何かしらの理由があるというのか)」と反復される。
「一度城へと戻り、確認するべきか?」
ちらっと狼が視界に入れようと城を見上げた途端、黒服の男が視界を遮った。
「我らの追撃を逃れられたらの話ですか?」
黒服の男は拳を地面へと突き刺し、轟音の後まるで月のクレーターのように抉り取られた。
「っち」
城を見上げた動作でできた隙の所為でそれを間一髪避け、どちらにせよ邪魔な存在に舌打ちをしたのち走り出す。
「(あの杮を使うためには何かが必要……?)」
黒服の感情を逆なでするように存在を無視。
「いよいよ腹が立ちますね。我々を相手にする気はないと?」
「(運が良ければ『王の杮』もあるか。それに……)」
闇が続く森の先を見る。
「(使えるなら試しに使ってみる必要もありそうだ)」
決めることで、狼は走っていた方向を反転させ立ち止まる。
「ほう。無視して城へ向かおうと?」
「いや、相手をしてやる」
初めて黒服と会話がされた。
そして、いつの間にか狼の口には一枚の布が咥えられている。大きさは人の体を何重にも包めるくらいで、それを上へと放り投げた。
黒服は迂闊に飛び込まない。その正体が分からなかったからだ。
布が舞い上がり地面に着く前にその一か所から『手』、それも人のものが布を掴む。その手は乱暴に布を掴み、身体を覆い隠す。
「なるほど」
布からは頭、腕、脚が露出され、そこに獣の姿から人型、それも少女の姿へと転換させた狼の姿があった。
「お前に私の裸体を見せる気はない」
「こちらも見たくありませんね。しかし、転換が不十分のようですが?」
確かに狼の少女の姿は中途半端なものだ。頭には狼の耳がまだあり、臀部には尾がちょろちょろと見え隠れしている。
その黒服の言葉に狼の少女は人の顔で睨み付けた。
狼の少女は転換を失敗したわけでも、未熟なわけでもない。普段できることができない原因はこの森にある。それを知っていて言葉にする黒服にイラつきを覚えたのだ。
時間を掛ければ耳も尾も消せるだろうが、狼の少女はそうはしない。いいや、正確にはしている暇はない。布を登場させた時と違って、すでに黒服の男が待っている理由などないのだ。
黒服の男が構え、地面を蹴って飛ぶ。
狼の少女も男が到着するのを待つ気はない。口を大きく開き気配のする方向へと咆哮を浴びせた。
木々が倒れ辺りを野原へと変えていく。
その中に黒服の男の姿はなく気配も消えている。
すると、
「こちらです」
狼の少女の頭上、咆哮が消えるタイミングに合わせて拳を構えていた。
少女はバックステップ一つ入れ回避行動に出る。
「我々は単独行動をしませんのでご了承を」
狼の少女が後ろの存在に気が付いた時には、最初から殴る気はなかったとアピールするように黒服の男は態勢を正し、白い手袋をはめ直している。
「意外と鼻が利かないな狼よ、消えな」
狼の少女は一言も返さず無表情。もう一人の黒服の拳が身体を貫き、狼の少女の肉片は一つ残らず消し飛んだ。
「今度はどうですか?」
「偽物ですね。手ごたえが微塵もなかった」
「そうですか……、これではリチア様に合せる顔がありませんね。引き続き捜索を偽も合わせて行いま――」
――――ピッィイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッッ!!
「――――ッッッ!? まさか狼が」
「…………おそらく、それはないでしょう。行動からするに狼は隠密で動いています。それを城の中で破るとは思えません」
「では、新たな侵入者が!?」
「どうでしょう。どちらにせよ、あちらはアスター様にお任せするしかありません。我々は自らの仕事もこなせてはいないのですから」
「ですが、狼であれば!」
「それならばあちらが本体ですか? 我々はそれが分からず、探しているのです。森は気分屋です、いつ侵入者を出すかもわかりません。ですから、逃げる可能性を消すのも我々の仕事ですよ」
「……わかりました。仕事を全うします」
「行きましょう」
一組の黒服に分身である狼が消された頃、本体である狼の少女は完全な人の形で城の屋上部にいた。
「『影狼・狼』がまた一つ消えたか……、それよりも」
狼の少女は状況を把握しつつ、それよりも気になることに意識を取られる。城から突如鳴り響いた音、そしてその直後消えた少年の匂い。
術を少年が使っていたなら、と考えることはできる。だが、『影狼・狼』が人型への転換を中途半端なものにしたように、突然消えるという高等な術をこの土地では使えるとは狼の少女は思えなかった。それも二度も。
「なにより、あいつは何をしにここにきたんだ……?」
謎が深まるばかりで、狼の少女の思考が再度この土地を離れる方法を考え始めた。
その瞬間、
「――――ッ!?」
あの少年の匂いが突然現れた。
体が瞬間的にその匂いの方へと走らせる。
辿り着いた場所は、標的と少年が最初にいた部屋。
「なんだ、この感覚は……」
狼の少女の何かが、痛みで尻を撫ででいる少年を求めていた。
ガラス張りの一角を割り中に入ろうとした途端、冷静になった狼の少女は部屋にいるもう一人の気配に気が付く。
どうやら、まだその存在は狼の少女に気が付いていない。
「…………機会を窺うしかないか」




