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「――白きを紡ぐ、極北の王女よ――」
ゾアナが詠唱を開始する。
援護の擲弾が、敵に命中。
「――生者のほとぼりを、死者の魂を冱せ――凍結霧!」
素早く呪文詠唱を終えると、
強烈な冷気がルビーアリゲイタを襲った。
体表面が一瞬にして霜に覆われ、
巨体を包み込む。
ルビーアリゲイタは咆哮と共に火を吐いたが、
霜はどんどん厚くなる。
もがけばもがくほど霜は割れるが、
それ以上のスピードで霜が発生した。
遂には地面に落下する。
激しい地響きを伴うが、地面と接した部分のみ霜が破壊され、
それ以外の部分から、霜はまだ発生し続ける。
だが、ルビーアリゲイタは構わずに、蒸気を上げながらも突進した。
しぶとくぐらつきながらも、
地上からライフルで狙いを定める元特殊部隊員たちに、襲いかかる。
彼らに魔獣との接近戦で敵う見込みは無い。
ライフルで応戦しても無駄なのは明白。
かといって他の装備を準備している暇は無い。
それに無駄弾を使えば赤字になってしまう。
だから彼らは、
尾でおとなしく“殴られること”にした。
人間が3体、
ゴミ屑のように回転し、
あっという間に100m先まで吹っ飛ぶ。
それはまるで死を悟った最期の一撃のようで、
ルビーアリゲイタは自らを追い詰めた敵を道連れにしたかのようだ。
やがて、巨体は動かなくなり、
完全に氷に覆われ、
凍結した。
『目標・生体反応ブルー』
「よし、直ちに転送・装備を確認せよ」
『了解』
完全に沈黙したターゲットに、2人が付き、
残りは各々、装備を確認しつつ、雑談などを始めた。
吹き飛んだ3人が、起き上がり、ヘルメットを外す。
「はー、死ぬかと思った」
「お前、それ前回も言ってたぞ」
「損傷の点検、ちゃんとやれよ」
「わーかってるって」
煙草に火を点しながら、ガスターは点検を開始する。
装備品は全て、彼らの武器でもあり、盾だ。
巨大な怪物に叩き飛ばされても無事だったのは、
強化外骨格、各部の間接にある対ショックギアが衝撃を緩和し、更に付加されている魔術の恩恵で、装備自体も無傷で済んでいた。
ガスターは煙草を咥えながら、右腕の端末に装備状況を入力する。
彼の仕事は、そこでひと段落した。
――それにしても、便利な世の中になったものだ。
ガスターは氷漬けになったルビーアリゲイタと、それを挟むように立つ同志の姿をぼんやりと眺めた。
間もなく、
光の線がルビーアリゲイタの巨体をスキャンする。
脚の先から、頭のてっぺんまで光の線が奔り、
やがて光は消える。
次にルビーアリゲイタの巨体は、輪切り状に消えていく。
転送が開始されたのだ。
10年前、
空間の神殿、
空間の神官の出現により、人々の暮らしは加速度的に便利になった。
この転送システムも、その恩恵である。
「ガスター伍長、どうした? 気を抜くにはまだ早いぞ」
ぼんやりしていた部下を、ゾアナが気に留める。
「大尉! いえ、時代は変わるもんだな、と思いまして」
慌てて背筋を伸ばすが、ガスターは煙を吐き出すと、すぐにまた背中を丸めてしまった。
「昔はこんなデカイ化物を運ぶなんて、腕の立つ運び屋に大金を払わないとならなかったのに、今じゃ簡単な操作で安く転送できる。
便利な世の中になったもんですね」
「ああ、そうだな」
同じ事を考えていたゾアナは、彼の話に頷く。
Aランク以上の魔獣で、規定以上の大きさのものは、空間転送が許可されているのだ。
しかしこのシステムができる前は、強い魔獣の巣窟でも戦える、
専門の運び屋に大金を払って獲物を運ばせるしか、戦利品を持ち帰る方法が無かったのだ。
「運び屋が命がけで必死に獲物を傷つけないように運んでたのに、今じゃあっけなく画面操作1つで事が済んじまう」
魔獣は全身余すところ無く、素材として様々な品に利用されるのだ。
当然、傷の少ない美品の方が、高く買い取られる。
だからこそ、ゾアナたちは傷をつけない凍結させる方法で、ルビーアリゲイタを倒した。
「不満か?」
「いえ……もっと早く空間の神殿が見つかっていれば、俺たちは祖国を追い出されずに済んだのかな、と思いまして……」
「終わった可能性の話をしても仕方ない。我々は永久に英雄になったんだ、それ以外の未来は無い」
ゾアナはただ、真っ直ぐに前を見据え、常と変らず事務的に語る。
はあ、と気の無い返事をし、ガスターは紫煙を燻らせた。
ゾアナは北の空を見上げ、
「時代、か」
ただ一言呟き、思い出す。
永久に終わらない任務を告げられた日を――
ガビアル連邦の内戦に於いて、重要な国家機密を護衛・拝送任務を成し遂げた彼らは、以後も戦場で活躍した。
しかし旧ガビアルの崩壊に伴って、彼らは都合の悪い存在となる。政治局は既に英雄となっていた彼らに、新たな任務を与え、終わることのない戦いを命じた。実質的な国外追放だ。
処刑か、戦場で生きるかしかない彼らは、戦いの日々を受け入れるしかなかった。
転送を終え、残装備の確認が完了すると、彼らは再び狩りに出た。
戦地での滞在は長引けば長引くほどコストがかかり、体力や魔力の消耗が激しくなる。
まだ日も高く、装備にも余裕があったので、できるだけ早いうちに任務を終えようとしたのだ。
上空の最前線を高速で移動し、索敵を行っているレガーチから、通信が入る。
『なんだ……あれ? 白い……鳥? いや、そんなものこの地には生息していない筈』
まるで独り言のような頼りない報告に、皆一様に前方への注視を余儀なくされた。
『人……人間だ!!』
今度ははっきりとした、彼の報告に、皆ライフルを構え、態勢を整える。
やがて全員のヘルメットが、その姿を映した。
荒れ果てた更地に、ポツリと聳える大きな岩の上で、白髪の人間らしきものが蹲っていた。
乾いた強風で煽られ、髪が激しく吹かれているが、身体の方は微動だにしない。
『死体か?』
『いや、生体反応有り! 生きている』
『畜生、不測の事態だ。ネームレスとの接触に備えろ!』
ソトラーノスが悪態を吐き、指示を出す。
『何故こんなところに人が?』
『警戒しろ、場合によっては戦闘になるかもしれん!』
だが、無視することはできない。
こういった一般人が立ち入ることを許されない土地で、人と遭遇した場合、お互いの所属と目的等、確認し合わなければならない義務がある。
事情次第では、保護や排除等、然るべき対処が必要だ。
ゾアナを含んだ後衛を残し、一斉に不審人物を取り囲み、照準が対象に集中する。
接触は最も接近戦に長けた、2mを超える大男、ボビリョフが行う。
ボビリョフはライフルではなく、サブマシンガンに装備を切り替えていた。
銃口を向けながら、ボビリョフは未だ微動だにしない対象に声を掛ける。
『おい――おい! ……畜生、寝てやがる!』
膝を抱え、頭を埋め、深い呼吸に合わせ、一定のリズムで背中を上下させているその人物を、寝ていると判断した。
ヘルメット越しに声を掛けたくらいでは起きないくらいに、熟睡している様子。
しかし、妙だな――とボビリョフは何かが心に引っ掛かった。
ここがSランク任務地である凶悪な魔獣の住処だという事を忘れて、まるで昼下がりの公園のベンチでも見ているかのような、そんな気分になったのだ。
そうか、とすぐに思い当たることになる。
白髪のこの男の身なりが、戦闘とは無縁な、街をぶらつく若者のような格好で、かつ、周囲に彼の持ち物らしきものが一切見当たらないからだ。
こんな軽装で、どうやって此処まで来たのか、今まで生き延びてきたのか、不審に思う。
魔術師であっても、このような場所では帯剣くらいしているのが普通なのだ。
それに防具も無く、完全に無防備。おまけに食糧も携帯していないようだ。
――何かがおかしい。
言い様の無い不安に駆られていると、
「軍曹」
耳に届くゾアナの冷厳な声に、はっと我に返る。
寝ていた彼の頭が、僅かに上がったのだ。
状況を把握し、ボビリョフは直ぐに思考を切り替えた。
『手を上げろ!!』
声を張り上げ、銃口を突きつける。
すると、
「――ひっ、……ぅ、わああああああああ……ッ!!」
彼は顔を伏せたまま開口一番、寝起きの声で叫んだ。
『な、何だ!?』
ボビリョフも他の者達も、一様に驚く。
想定していたどの反応とも違ったのだ。
より照準は、彼の急所を正確に捉える。
それに構わず、彼はゆらりと立ち上がったかと思えば、そのまま崩れるように岩の上から地面に下り立った。
耐え切れない、といった様子で、すぐさま自分の口を手で抑えると、
地面に両膝と片手をつき、
嘔吐した。
「ぅ……ゲぇ……ッ」
『な……っ!?』
寝起きと共に叫んだ挙句、
急に跪き、吐き出した彼の奇怪な行動に戸惑いながらも、ボビリョフはサブマシンガンでの警戒を怠らない。
『――両手を上げろ! 伏せるんだ!!』
「ぅッ……う…………気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……最低だ、オレは……ッう、ェ……」
弱弱しく呟きながら、尚も彼は胃から込み上げてくる液体を吐き出す。
ボビリョフはサブマシンガンを下げ、嘔吐いても胃液しか出なく、苦しんでいる彼の肩に、手を置いた。
『お、おい……大丈夫か? 君の所属と目的は? 何故こんなところで寝ていたんだ』
疑問を一息に投げかけると、嘔吐く彼の動きがピタリと止まる。
ゆっくりと、
覗き込むように、顔が上げられ、
ボビリョフは息を呑む。
目に飛び込んだのは“赤”
宝石のような赤い瞳に、生気の無い蒼白な顔面。
――人間、だよな?
白髪の者も、赤目の者も、稀に見かけるが、ここまで純粋な“白”と“赤”を目にしたのは初めてだった。
彼の人間離れした奇妙な雰囲気と、端正な顔立ちに、嫌な汗が流れる。
『酒を飲んだのか? 我慢して伏せてくれ』
腕に力を入れて、強制的に伏せさせようとしたとき、
彼はスッと“立ち上がった”
長身のボビリョフは屈んで彼を覗き込んでいたのだが、今度は見上げる形となる。
彼と再び目が合い、ぞっとする。
恐ろしく冷たい目で見据えていたが、何も見ていないようでもあり、確かに目が合っているのだが、彼は別のものを見ているようでもあった。
「なんで今、オレのこと触ったの? オレのこと犯そうとしたんだろ」
『は?』
彼の言葉の真意が解らず、問い返そうとしたときだった。
『ボビリョフ!!』
同志のうちの誰かが叫んで、反射的に全神経を研ぎ澄まさせる。
が、彼はまだ気付いていない。気付けない。
すると、視界の隅に赤い飛沫が奔った。
飛沫の元を目で追い、漸く認識する。
『ッな!?』
自分の片腕がなくなっているということを――