第6話
マリエルとハニエラが、咳込んでえずいていたレイラお嬢様の口や鼻の周りを、ハンカチか何かで手早く拭いて、抱き上げて馬車に載せる。
「クロイムツェルトさん、ありがとうね。あなたが気付いてくれなかったら、気付かないでそのまま通り過ぎるところだったわ」
「いえ……」
マリエルが咳込むレイラお嬢様の背中をさすりながらお礼を言ってくれるのを、クロイムツェルトはしらっととぼける。
「クロイムちゃん耳が良いのね!」
「そうなんでしょうかね」
ハニエラの賛辞も曖昧にスルーしながら、クロイムツェルトは、下位意識のひとつを使って、思念で、喘息の治療薬のストックを、薬品の生産ラインか、今は無人になってしまっている病院船か、船団内のこれまた無人になってしまっている居住船の、どこか適当な診療所あたりから確保して送るようにジーヴスに指示を出す。
けれどもジーヴスから、
(この世界の“人間らしき”生物は遺伝的に言って、我々のいうところの人間と、ほぼ同じ生物であると推察できますが、それでもこのレイラという個体の遺伝子情報について分析することなく我々の持っている薬剤を投与することにはリスクが伴います。
またさらに、この未成年者であろうと推察される者に、親権者の同意なしで治療行為を行うことにも法的な問題があります。薬剤投与のための調査としての遺伝子検査もまた、親権者の同意が必要な治療行為に含まれます)
と返答が返ってくる。
(法的な問題をクリアできるパターンは?)
目の前で体を折って咳込む少女を見ながら、若干の焦燥感とともにクロイムツェルトは再度ジーヴスに尋ねる。
(取り得る法的な手段は三つあると考えられます。
第一は、このレイラという少女の症状がより重篤化し、生命に危険が及んでいると判断できる場合には、緊急避難による、親権者の同意なしでの治療行為が可能です。
第二は、陛下がこの星系に対して宣戦の布告をし、陛下のクラインクロイム第八王爵家と、この周辺を統治している政府との間で、法律上の戦争状態を生起させれば、大抵のことは司令官たる陛下の権限で行えるようになります。
第三は、この惑星に生息している“人間らしき”生物は厳密にいえば“人間”ではないという法的解釈を行うことです。人間を適用対象としている法律は、現地の“野生動物”には適用する必要がありません)
どれもこれもロクでもない。
(何か他に方法は!)
叩きつけるようにもう一度ジーヴスに照会する。
(親権者の同意が必要な治療行為に至らない程度の、軽度な治療行為を行うことが可能です。例えば、このレイラという少女は、気温が下がってくると咳込みだしましたから、湿気を含んだ暖かい空気を作って吸わせるだけでも、多少の症状の改善が見られると思われます)
つまり暖房と加湿器のようなことをしてやればよいということか。
水は、さっきハニエラが水筒を持っていた。これをナノマシンから熱エネルギーを引き出して蒸気にするのは何でもない。
(エネルギーコンデンサ型のナノマシンを用いた熱エネルギーや運動エネルギーの操作は、この世界の“擬似魔法”そのものですから、同じことを行っても、奇異に見られるおそれはさして無いと推察されます)
ジーヴスから補足説明が飛んでくる。
だったらなにも躊躇うことはない。
「ちょっとお水をくれる?」
そうハニエラに声をかける。
「あ、うん。お茶だけど」
お茶かよ、とクロイムツェルトは内心で突っ込みを入れるが、まあどっちでもいいやと思い直して、水筒を受け取り、蓋を開けると、空いている方の掌の上に注ぎだした。
同時に、クロイムツェルトの掌の内部のナノマシン群、またこの世界の“擬似魔法”のネタ元である、空中に無数に漂っているかなり旧式の、ただし密度は濃く数も極めて多いナノマシン群に指示を出す。
クロイムツェルトの掌に流れ落ちたお茶は、運動エネルギーや重力エネルギーの制御によって、クロイムツェルトの掌の上数センチのところで、丸い球体となって纏まる。
その様子を見て、パーストン、マリエル、ハニエラの目が、おや、という感じで見開かれるが、そんなにものすごく驚愕しているというふうではない。
それを確認してクロイムツェルトはお茶の球体に、一挙に熱エネルギーを加える。
シュウウウウというような水分が蒸発するような音がして、馬車のなかの空気が湿り気をおびる。同時にクロイムツェルトは馬車内の気温も上昇させる。
それから、クロイムツェルトがそっと手を伸ばして、レイラお嬢様の背中を少しさすってやると、段々と咳が収まって、呼吸が穏やかになっていった。
◆
オネット家のお屋敷に帰ると、陽が落ちかかった薄暗がりのなかを、人が何人も外に出てきて、レイラお嬢様の名前を呼んで探しているところだったので、御者のマルコが、大声でレイラお嬢様はこっちにいるぞと怒鳴りながら、馬車を正面の玄関前に着けた。
マリエルがレイラお嬢様を抱っこして、皆で馬車から降りると、マルコの声に反応して、ばたばたと何人か寄ってきているところで、そのなかにリオンとシャンテもいた。
マリエルが、抱き上げていたレイラお嬢様をシャンテの手に渡すと、レイラお嬢様は暖かい馬車からでてしまったせいで、また咳込みはじめていたから、クロイムツェルトは側に寄っていって、またハニエラから貰ったお茶を掌に注いで蒸発させて、お茶の暖かい蒸気を作り、運動エネルギー制御系統のナノマシン群を用いて、内向きの斥力フィールドを作って、暖かい蒸気と空気を閉じ込める。
シャンテやリオンや他の人達がまた少し驚いたふうに目を見開くなかを、クロイムツェルトはそっと手を伸ばしてレイラお嬢様の背中をゆっくりさする。
咳が少しおさまったタイミングで「レイラちゃんを暖かい場所に連れて行きましょう」とクロイムツェルトが言うと、皆がクロイムツェルトに注目して固まっていた時間が解けて、シャンテが「え、あ、そうね……」と言ったのを合図に皆が動き出した。
発生させている斥力フィールドがレイラお嬢様からズレないように、レイラお嬢様を抱いているシャンテと歩調を合わせてお屋敷に入る。
2階に上がって、先を歩いていたメイドさんが、奥の方の部屋の扉を開けると、そこは優しい風合いのクリーム色の壁紙の部屋で、天蓋にレースのカーテンが掛かった大きなベッドが置いてあって、ベッドの頭のところには沢山のぬいぐるみが並べてあった。
どうやら、そこがレイラお嬢様の子供部屋になっているらしかった。
部屋のなかは暖められていて、空気は十分に湿気を含んでいたので、これなら大丈夫だろうと判断して、クロイムツェルトは斥力フィールドを解除して、蒸気と暖かい空気を部屋に散らす。
部屋のなかは十分に暖められているのに、この部屋にある暖炉には火が入っていないので、クロイムツェルトは額の皮下に埋め込まれた赤外線センサーで部屋のなかを観察してみる。
センサーで熱源を探ってみると部屋の数か所に、赤く輝く、拳より少し小さい程度の石ころのような物体が数個、金属製で脚付きの、深めの皿のような容器に入れられて設置されているのだった。
その容器の中にはお湯が入っていて、石ころはお湯の中に沈められていて、容器内のお湯からは湯気がたっている。
(あの石は、エネルギーコンデンサ系のナノマシンが多数固まって結晶化したものです。現地語では『晶術石』と呼ばれております。この部屋にあるものは熱エネルギーを取り出すために利用されているようです)とジーヴスから注釈が入る。
つまりそれが暖房兼加湿器になっているわけだ。
シャンテとメイドさんがレイラお嬢様を寝間着か何かに着替えさせ始めたので、
「あの、お部屋に戻らせて頂きます」と言って、
「ああ、ごめんなさいね、とっても助かったわ、ありがとう」というシャンテの言葉に送られながらクロイムツェルトは割り当てられた部屋に退室した
◆
軌道上から観察する限りでは、この世界の技術水準は一部を除いて、それほど高いようには見えなかった。
たとえばつい先日も、クロイムツェルトは調査のため、現地住民に偽装したドローンを降ろして、貴金属を両替して、そのお金で眼鏡をひとつ買ってみた。眼鏡のレンズの工作精度はそれほど高くなく、レンズ自体も手作業で製作されているようだった。
精度の高いレンズが作れないということは、顕微鏡も大したものができないということになる。
だから、この世界の住人は、エネルギー操作系のナノマシンの構造や作成方法は理解していないようだということも推測できる。
けれども、このレイラお嬢様の部屋の、暖房兼加湿器にみられるように、その利用の仕方は知っているらしかった。
もっとも、眼鏡のレンズが大したことがないからといって、この世界の住人が単に技術水準が低いと決めつけられない部分も幾らかある。
この世界の言語や文化など、文明に対するある種の人為的な操作しかり。
惑星の軌道上に低い高度で浮遊している、16個存在する巨大な塔のような構造体しかり。
さらに驚くべきはこの世界で『治癒晶術』あるいは単に『治癒術』と呼ばれる技術である。
その名前のごとく、体の病変や怪我を魔法のように直してしまう技術であるが、その『治癒晶術』が行使されると、青い光を纏ったフィールドが発生し、そのフィールド内に包まれた、体の病変や怪我がまさしく一瞬で治癒しているのである。
その『治癒晶術』が行使されるところをさらに詳細に覗き見て観察すると、その治癒晶術の行使と同時に、空間転移が観測されている。
このことから『治癒晶術』の行使によって発生するフィールド内で患部を空間ごと転移させ、転移した先で何らかの高度な治療行為を一瞬で行い、それから患部を再転位させて元に戻すということが行われているのであろうか、とクロイムツェルトは推測したが確証は得られていない。
もしクロイムツェルトの推測が正しければ、この『治癒晶術』という技術は、①空間転移、②ナノマシン等による高度医療、③そして高度な治療行為を一瞬で施術する、すなわち何らかの時間操作、という極めて高度な技術を複合させた行為ということになる。
クロイムツェルトの所有する船団にも『停滞フィールド』という時間操作の技術はある。
この『停滞フィールド』というのはフィールドの内部に亜光速の極微振動を与えて、フィールド内部の時間の進み方を遅らせるという装置である。
『停滞フィールド』はクロイムツェルトの船団のいたるところで用いられている。
時間の進みを遅らせる必要のあるところ、すなわち物品を保存する倉庫、艦船で、暴走する恐れがゼロとは言えないタイプのジェネレーターを稼働させる場合の安全装置の一種として、反応弾の弾頭の安全装置として等。
諸々の用途に無数に装備されている。
けれども、その『停滞フィールド』で可能なのは、時間の進みを遅らせることであって、時間の進みを速めることではない。
あるフィールド内の時間の進みを遅くしようと思えば、そのフィールドを丸ごと亜光速で動かせばよい。高度な技術が必要になるが、不可能な話ではない。
けれども、あるフィールド内の時間の進みを速くしようとするなら、それを『停滞フィールド』と同じく相対性理論によって現実化しようとするなら、フィールド内以外の全ての空間を振動させるしかなくなる。
つまり世界そのものを亜光速で振動させることで、見かけ上そのフィールド内の時間は速く進むようになる。
しかし、ある特定のフィールドを振動させるのと、世界そのものを振動させるのでは、難易度が全く異なるのは当たり前の話である。
いやいや、それとも『停滞フィールド』方式ではなく、例えば『時間の流れが自分たちの世界より相対的に速い異世界』があると仮定して、フィールドの内部をその異世界と接続すれば……
◆
などと部屋のベッドに座り込んだクロイムツェルトが思考実験を繰り返していると、メイドさんがやってきて、お食事の時間です、と言った。