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第11話

 クロイムツェルトはレイラの手をひいて、オネット家の広い庭園を散策する。


 庭園には、築山が築かれ、小さな丘がしつらえられ、そうやって散策するものの視線がさえぎられて全景を一望できないように設計されており、そうすることによって庭園が、実際よりも広く感じられるように演出されていた。

 そしてその山や丘のあいだを縫うようにして、小川や散策用の小道がはしっている。


 整えられてはいても野趣を失っていない、盛んな下生えからの草の香り。ちょっとした茂みに咲いている白や黄色やピンクや青の慎ましい小花。強くなった夏の日差しによって色濃さを増した樹々の葉のみどり。木立のなかを穏やかに過ぎゆく風。幽かに聞こえるせせらぎの音。


 そしてクロイムツェルトは、右手につないであるレイラの、小さくて柔らかでしっとりとした手の感触を感じた。

 少しい日照りで乾いた土を踏むレイラの小さな足音、それに合わせて、視界の隅でゆらゆら揺れるかわいらしい帽子。


 クロイムツェルトは、もうほとんど酩酊するかのような幸福を感じた。

 それは、時よ止まれとばかりに永遠を願ってしまうような、一生のうちにもさほどないような幸福だった。



 愛する人をたくさん亡くし、愛する人と遠くに離れ、それでもクロイムツェルトは絶望せずにやってきた。

 失っても、失っても、それでも彼女は、自分が愛されていることを、いかにも強く愛されていたことを確かに知っていたからだった。


 彼女のメイドたちが、彼女をかばって彼女の兄に殺されたとき、彼女の世界は崩壊したが、しかしその瞬間こそは、彼女のメイドたちが彼女に対して一心に愛をささげた瞬間でもあったのだ。


 世界はクロイムツェルトに耐えがたい痛みを与えはしたが、しかし彼女は、愛されることを知っており、故にこそ愛することも知っており、世界に歓びのあるを知っていた。


 であればこそ、私は幸福だ、とクロイムツェルトは自分自身にそう言い聞かせ、新たに見つけた惑星上に、新しい愛を見つけに降りたったのだった。


 そうして、偶然と成り行きと努力の果てに、今日のこの日のこの瞬間、クロイムツェルトはレイラの手をひいて歩いている。


メイドとしてお嬢様の手をひいて歩いている!



 クロイムツェルトは感動すべきその事実を、強く強く噛みしめながら、今しばらく歩き、庭園を抜け、シャトルを隠蔽して駐機させてある、奥まった木立のなかに入ったところで歩みを止めた。


 クロイムツェルトが立ち止まったので、レイラが物問いたげな顔で見上げてくる。


 クロイムツェルトは、レイラのその顔を見ながら、この子が自分にどれほどのよろこびを与えているのか、この子自身は全く知らないだろうと思った。


 子供や犬や猫は、自分がどれほどのものを人に与えているのかを知らないのだ。

 そして大人はそれを受け取る。


 だから、確かにクロイムツェルトは大人になったのだった。




「では、行きましょうか」


 クロイムツェルトはレイラにそう言うと、シャトルのハッチを開けてタラップを下ろした。

 レイラは驚きに目を見開いている。


 無理もない。光学迷彩をほどこしてあるシャトルのハッチが開いてタラップになったわけだから、普通の人間の眼には、何もない空間に突然穴があいて、そこから階段が生えてきたように見えるだろう。


 クロイムツェルトはレイラを抱き上げると、軽やかにタラップを上り、送迎用であるシャトルの、広々とした廊下をつたって貴賓室へと入った。


 レイラを適当なソファーに座らせ、帽子を脱がせてやり、

「お茶をお持ちしますので、少しお待ちくださいね」

と声をかけつつ調理室のほうへ向かいかけると、


「……ここはどこなの?」とレイラから質問があった。


 まあ当然の疑問ではあろうからクロイムツェルトは考え考えしながら答える。

「……お嬢様は、お船に乗られたことはおありですか?」


「ないわ」


「ない、とすると……馬車は乗られたことはおありですよね?」


「うん!」


「説明しにくいのですが、ここはとても大きな馬車、のようなものの中です」


「ばしゃなんてなかったわ!」


「それは……不思議な力で姿を隠していたからです」


「……」

 レイラは疑い深げな視線でクロイムツェルトを眺めている。


 確かに我ながらひどい説明だとはクロイムツェルトも思うものの『宇宙船』や『シャトル』や『光学迷彩』といった単語、というか概念がない世界の、それも子供に説明をするのは難しい。


 少し考えて、

「外にいたときにソファーなんて見えなかったけれど、お嬢様はいまソファーに座っているでしょう?」


 そう言ってやるとレイラは納得したような顔になって言った。

「クロイムはまほうつかいなのね!?」


 全然違うと思ったけれど『高度に進歩した科学は魔法のようにしか見えない』というような言葉をどこかで読んだことがあるのを思い出して、

「そのようなものかもしれませんね」とクロイムツェルトは答えて、

「ほかの人には内緒ですよ?」と言って意味ありげに微笑んでみると、レイラは表情を引き締めてこっくりと頷いてくれた。



 うまい流れで口止めまでできてしまったことに喜びながら、調理室のほうへ行ってみて、ストッカーを開けてみると、淹れたてのお茶やらジュースやらお菓子やら軽食やらが、停滞状態でたくさん残っていた。


 紅茶とジュースとお菓子を適当に見繕って銀盆に載せて、貴賓室に持ち帰りながら、頭のなかのコンピューターでシャトルのフライトプランを検討する。


 検討すると言っても、マーヤさんが居る目的地の街まで直線で飛ぶだけのことで、最速でいけば加減速を含めて五分もかからない。


 でもそれだとレイラがお菓子を食べる時間が足りないから、十五分程度で着くように適当にプランを組んでデーターをシャトルの方に渡すと、シャトルは弾かれたように動き出した。

 が、もちろん慣性制御の装置が働くのでシャトル内からでは何の動揺も感じられない。


 それを確認すると、クロイムツェルトは、レイラがお菓子を食べたりジュースを飲んだりするのを眺めながら、上空の艦艇から目的地の街の周辺を走査して、着陸の場所に選んだ、人目につきにくい適当な木立の周囲に、人がいないことを確認した。





 着陸地点に選定した木立のなかにシャトルが降りたっても、レイラがまだジュースを飲み終わっていなかったので少し待つ。


 レイラがジュースを飲み終わると、クロイムツェルトは、ハンカチでレイラの口のまわりを拭いてやり、帽子をかぶせてから抱き上げると、貴賓室を出て、廊下をつたってシャトルのタラップを降り、タラップが折り畳まれてハッチになり、閉まるのを確認した。


 ハッチが閉まると同時にハッチは掻き消えたように見えなくなり、そこには一見しても何もないかのようになった。



 シャトルを降ろした木立を、歩いて抜けると、初夏の日差しが照りつけてくる。


 抱っこしたままの、レイラの帽子をちょっと深めにかぶりなおさせて、街のほうに目をやると、視界の左手のほうから、低い丘のあいだを縫うようにして、草原の上を街道がはしってきて、街に突っ込んでいるのが見えた。


 夏が近づいて青みの強くなった下草を踏みしめながら、街に向かって歩きはじめる。

 街の住人に見とがめられないように着陸地点を選んだので、街までは少し距離がある。


 屋敷からの数百キロにおよぶ行程のうちの、ほんの何百分の一の僅かな距離に、これまでに使った移動時間の半分ほども使ってしまうことに妙なおかしみを覚えながら、クロイムツェルトは街に向かっててくてく歩き、街の外側にある、建物と建物の間のちょっとした路地から、特に誰にも見とがめられることもなく街に入った。


 レイラを抱っこしたまま、脳内で街のマップを展開しながら、水たまりやら轍やらになって路面がへこんでしまったところを補強したらしく、ところどころに石が埋め込んである通りを歩く。


 土埃の匂い。向かい合った建物から建物へと張られた紐に翻る洗濯物。

 窓から聞こえる生活の雑音。微かな汚物の臭気。


 猥雑で、そのぶんだけ溢れている人の気配に、クロイムツェルトは無表情ながらも感動しつつ道をたどっていくと、マーヤの店の前に出た。


 店先に、うずたかく盛られた青りんごのような果物から漂ってくる甘い香りを楽しみながら、クロイムツェルトが店の奥を覗きこむと、そこには中年の女性がいて、事前に確保した画像データと照らし合わせる限り、その女性がマーヤだった。


 クロイムツェルトが声をかけようとする刹那に、レイラが暴れだす。クロイムツェルトの腕のなかから飛び出すと、果物の置いてある台をまわりこんで、マーヤに抱きついた。

 そうしてそのままレイラはしゃくりあげはじめた。





 マーヤは、でっぷりと肥えていて、骨も太そうで頑丈な印象を受ける人で、その体を厚手の質素で丈夫そうな服と、目の粗い布の大きなエプロンに包んでいて、よく日に焼けて少し傷んだ灰色の髪と、赤みがかった肌をして、それだけを見る限り、マーヤは単なる田舎のおばちゃんという印象の人ではあった。

 けれども意思が強そうな尖った鼻や、こちらを観察するようにきらきらと輝く瞳には確かに知性の色があって、口を開けば、彼女は確かに子供を育てることを仕事にできていたというほどに思慮のある人で、クロイムツェルトは、そのマーヤの思慮深さのために追い込まれている最中だった。


 涙ながらの感動のご対面が終わると、次は、今日はどうしてこんなところまで、という話の流れになるのは必然で、そうすると妙な話になってくるのだった。




「……ということは、クロイムツェルトさんは、私に代わる、お嬢様の新しい乳母で、今日はレイラお嬢様と、ご旅行で立ち寄ったとおっしゃるんだね?」

 とマーヤがクロイムツェルトに詰問調で尋ねる。


「……はい、そういうことになります」

 事実がその通りなので、クロイムツェルトはそう答えるしかないが、確かに無理のある話だなとは彼女自身思う。


「お嬢様とあなたのたった二人で?」


「はい」とクロイムツェルトが答えると、マーヤは手を大きく広げて、ありえない、とでも言うかのようなジェスチャーをした。


「お屋敷からここまでどれだけ離れてると思ってるのさ! 旦那様も奥様も来られないのに、お嬢様にメイドをひとり付けただけで、外国に旅行になんざ行かせるもんかね!」


 まあ確かに旦那様も奥様も、レイラお嬢様が海外旅行をしてるとは思ってないだろうなとクロイムツェルトも思うが、かといって、散歩の途中でそのまま連れてきちゃいました、などと言おうものなら、まるで誘拐犯だからどう言ったものかなと考えていると、


「もしかして誘拐じゃないだろうね!?」

と先にマーヤが言って、レイラをその胸にひしとかき抱いた。


 豊満なマーヤの胸に潰されたレイラが、

「クロイムはひとさらいじゃないわ。マーヤにあわせてくれるっていってつれてきてくれたのよ」

と、にこにこしながら、フォローをしてくれるものの、聞きようによっては、幼児を言葉巧みにだまして連れ去ったようにも聞こえる。


 わたくし空飛ぶ馬車のようなものを持っておりましてうんぬんとがんばって説明して、「決して誘拐ではありません」と言ってはみるが、なんの証拠もないわけで、マーヤは完全に警戒モードに入っているらしく


「……信用できないね。あんたの頭がおかしいんじゃないかと思うよ」と返ってくる。


 まあ確かに、この世界の普通の人が、クロイムツェルトの話を真面目に聞けば、誘拐かさもなければ頭がおかしいのだと判断するだろう。


(やはり大人はレイラお嬢様のようなお子様と違って簡単にはごまかされませんな)


 ジーヴスが脳内でいらんつっこみを入れてくるが、誘拐に限らず『何かをしたことの証明』は、割合簡単にできても『何かをやっていないことの証明』というのは難しい。『悪魔の証明』というやつである。


 だから、結局のところ、すべての事情を、マーヤが信じざるを得ないしかたで、つまびらかに見せてしまうしかないのだった。




「……分かりました、事情をご理解いただけるようなものをお見せしますから、街の外れまで来ていただけますか?」


 クロイムツェルトがそう言うと、マーヤはクロイムツェルトを睨むようにして少しだけ考え込み、それから、レイラの手をしっかり握ったまま立ち上がると、暖炉から火掻き棒を手に取った。


「……じゃあ連れてってもらおうじゃないのさ」

 そう言ったマーヤに火掻き棒で追い立てられるようにして、クロイムツェルトはマーヤの家を出て、街の外に向かって歩き始めた。





 街の外に向かって行く道の途中で、マーヤは「ちょいとお待ちよ」と言って立ち止まった。


 クロイムツェルトが足を止めると、マーヤはレイラの手を引いたまま脇道に入り、脇道に面した一件の店らしき構えの家の戸口に立った。


 戸口の中からは、金属を打つような音や、ふいごのような音が聞こえてきている。

 ひょっとして鍛冶屋かなにかだろうかとクロイムツェルトが考えたときに、

「ゼグス、ちょっと出てきておくれよ!」

 とマーヤが戸口から店の奥に向かって怒鳴った。


 すると唸り声とも返事ともつかないような声がした後に、背こそ低いものの、腕も脚も異常に太くがっしりした男がでてきた。手にはさっきまで金属を叩いていたとおぼしきハンマーを持っている。


 クロイムツェルトが記憶を探って、たしかこれは『土鬼族』とかいう種族だったなと思い返していると、

「おう、マーヤじゃねえか、どした?」

と、そのゼグスと呼ばれた男は、顔に生やした立派な白いひげの奥から重低音で返事をした。


「ああ、ゼグスお願いだよ。街の外れまでついてきて欲しいんだよ! もうわたしゃどうしたらいいのか……」

とマーヤはそのゼグスに向かってわめきたてた。





 ゼクスは、普通の人間の太腿くらいはある腕を組みながら、眉間に皺をよせて、マーヤの話を聞き終える。


「……よくわからんが、要するにこの嬢ちゃんが人さらいかもしれないから、それを今から確かめにいくんで付いてきてくれって話なのか?」 


「そうなんだよ!」とマーヤが答える。


「……よし分かった。そういう話なら……ジェイク、ちょっと来い!」

 ゼクスはそう店の奥に向かって怒鳴った。


 すると、わりと細く流暢な声で「はい」と返事があって、今度は蜥蜴を直立させて人間にしたような生物が表にでてきた。

 体表は苔のような深い緑色で、瞳は黄色で、爬虫類らしい見た目にふさわしく縦長の虹彩があった。脚と腕は太くて、手足の先には鋭い鉤爪があって、その鉤爪で握るようにしてハンマーをひとつ片手に持っていた。体の後ろからは太い脚に見合った太い尻尾が生えていて、その尻尾にもひとつ、先っぽのほうを巻きつけるようにしてハンマーを持っていた。


 これは『蜥蜴族』とか『竜人族』とか言われる種族であったはずだ。と、クロイムツェルトが思い出していると、


「じゃ行くかね。たった二人じゃ、あんたがもし人さらいで、他に仲間がいたら不安だからな」


 と、ゼクスと呼ばれた土鬼族の男が言って、クロイムツェルトに見せつけるように、にやりと笑みを浮かべた。



 店を出て大通りをしばらく行くと、今度は、一行の進路をふさぐようにして巨人が立ちふさがった。


 クロイムツェルトの記憶によれば、これは『大鬼族』という種族のはずであったけれども、目の前に立ちふさがった存在は、まさしく巨人と言ったとおりに、本当に大きくて、身長は目測でおよそ3メートル少しくらいもあった。


 腕は小柄な女子の胴ほどにも太く、その付け根にある肩は、ほとんど大臀筋の如く、肩鎧でも着けている如く、筋肉でいかって盛り上がっているのが服の上からでも分かった。

 大樹の幹のように太い脚には、腿と脛にだけ重そうな装甲を付けていた。


 その巌のような巨大な体の上には、比較すれば、ほとんど違和感を覚えるような、普通の人間のものとほとんど変わらない柔和な女らしい顔がくっついている。


 その顔に加えて、胸には、巨大な体と比較してもなお圧倒的に、膨大に、山脈のように柔らかく隆起している乳房があって、それでこの巨人は女だということが分かった。


 その大鬼族の女は、

「あら、そんなに怖い顔してどこへ行くの?」

と、顔には似合っているが、体には全然似合っていない柔和な声で優しく質問してきた。


「ああ、聞いておくれよ、クリスティーネ!」

 そう言ってマーヤはクリスティーネと呼ばれた大鬼族の女に事情を訴え始めた。


 もう事情の説明をするのも二度目なので、要領を得たのか、

(クリスティーネって、見た目の割にはかわいらしい名前ね)

と、どうでもいいような感想をクロイムツェルトが抱いている間にマーヤの説明が終わった。


 人差指を頬にあてるという、そこはかとなくかわいらしい動作で(人差指そのものは極めてゴツかったが)マーヤの説明を聞いていたクリスティーネは、説明を聞き終わると、


「そういうことなら術師もいたほうがいいわね、少し待ってて。」


 そう言って道を外れて見えなくなると、2分ほどして女性をひとり連れてきた。


 女性といってもこれも普通の人間ではない。

 緑色のローブを着ていて、額には金色に輝くサークレットを付けており、体は人間のものと大差はない。


 けれども、顎が細く目が大きい、極めて繊細で美しい顔には、人間のものと明らかに違う、木の葉のような形の大きな耳が、左右に飛び出すようにしてくっついていた。


 これは、森族という種族のはずで、クロイムツェルトはその極めて均質化されたような美しい、すなわち特徴のない顔を、

(遺伝子デザイン施された人の顔はこんなふうになることが多いのよね)

という感想を抱きながら眺める。



 するとクリスティーネが「じゃあ行きましょうか」と号令をかけたので、一行はぞろぞろと、今度こそ街の外のシャトルに向かって歩き出した。



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