第10話
クロイムツェルトはこのたび、なんでも屋の雑用担当メイドから、レイラお嬢様のナース・メイドになった。
それはクロイムツェルトにとって、全く望外の幸運だった。
クロイムツェルトにとってのメイドとは何か。
それは、暖かな光。
それは、彼女の歓び。
それは、無限の愛であり、世界が彼女に向けた愛だった。
それゆえに、メイド、というものはクロイムツェルトの偶像となった。
彼女は、そのイコンを、彼女自身の理想とし、その理想を体現するメイドたらんとしているのであった。
しかし、メイドというものに対してクロイムツェルトが抱いているこのイメージは、単なる家事使用人としての一般的なメイドの在りかたとはズレがある。というかかなり違う。
つまり、クロイムツェルトにとっての『メイド』とは、家事を行う労働力としての使用人にとどまるものではない。
愛情を注いでくれる親のかわりであり、最も親しい友人であり、彼女自身のために命をすら散らす臣下であり、愛と忠節と献身を象徴する存在、を表わす言葉であった。
そう、彼女は理想のメイドたらんと欲していたが、結局のところ、彼女の関心は、純粋な家事労働者としてのメイドの仕事に向いていたのではなくて、メイドとして自分が仕える主人との間に持ち得る関係性にこそ向いていたのである。
であればこそ、お嬢様であるレイラの身近にいて、レイラの世話をすることが主な仕事であるナース・メイドこそは、彼女にとって理想、クロイムツェルトの持つメイドの像にもっとも近い仕事であった。
ナース・メイドとは、すなわち子守のためのメイドである。
◆
どこの屋敷でも大体そうであるが、このオネット邸でも、ナース・メイドは子供部屋のすぐ隣に専用の私室を与えられる。
その私室は、子供部屋と内部で繋がるようにドアが設けられていて、責任を持つ子供が子供部屋にいるときは、ナースも子供部屋に一緒にいるか、さもなければ、その専用私室にいて、常に子供たちの気配に気を配っていることになる。
専用の個室を与えられることになり、今まで大部屋で同室だったハニエラやマリエルと離れることになってしまうから、クロイムツェルトには、その点は寂しかった。
けれども、彼女は、そもそもレイラが泣いている姿を見て、この子のためにメイドになろうと決心したわけだから、クロイムツェルトは、この新しい仕事について、とても張り切っているのだった。
そして、そんなふうに張り切っているクロイムツェルトに、レイラお嬢様からお願いがあった。
レイラは、悲しみに暮れて、身も世もないように泣きながら、レイラの乳母をしていたマーヤという女性に面会したいとの希望を述べたのだった。
クロイムツェルトの世話をしてくれたメイドたちは、クロイムツェルトが頼みさえすれば、してはいけないことと、するのが不可能なこと以外は、なんでもしてくれた。
ということは、クロイムツェルトも、それと同じようにするので、彼女はレイラのお願いを全力で叶えにかかるのだった。
◆
クロイムツェルトはその日の夜、レイラお嬢様を寝かしつけ、細々とした身の回りの整頓をし、全ての仕事を終えた。
仕事を終えてから寝るまでの間が、メイドたちの、それほど多くはない自由時間になる。
まず、クロイムツェルトは、家政のモリーが交代でレイラをみてくれている間に風呂に入って帰ってきた。
そうして寝間着に着替えてから、手紙を書いたり、手芸をしたり、同室の同僚とおしゃべりをしたり、本を読んだりして過ごすのが一般的なメイドの時間の過ごし方である。
が、クロイムツェルトには、この世界に手紙を書くような相手はいないし、手芸の趣味はない。部屋は個室になってしまっておしゃべりの相手はいない。
本などは、わざわざ手に取って読まなくても、船団のライブラリから、分割した複数の下位意識で、文字、音声、動画、三次元モデルなど、何らかのデーターは常に摂取し続けているし、そのデーター摂取はベッドのなかでもできる。
それで、早々にベッドに入ったクロイムツェルトだったが、今夜は、寝てしまう前に、降下・制圧分艦隊旗艦のCICにある戦術コンピューターにアクセスして、航空写真やら現地の文献調査やら聞き込みやらで作成した近傍の地図を脳内のセントラルコンピューターにダウンロードした。
そして、その地図をレイラに見せてもらった手紙の封筒裏に書かれていた住所と照合する。
そうすると、そのマーヤという女性の住所と、この屋敷とは数百km以上離れていることが分かった。行こうとすれば国境も幾つか越えることになる。
まあ、これでは馬車でちょっと会いにいくというわけにもいかないだろうという距離だったけれども、適当なシャトルを飛ばせばすぐ着く距離でもあった。
というわけで
(何か迎賓用のシャトルを適当に、隠蔽してお屋敷の近くに降ろしといて)
とジーヴスに思念で命令する。
クロイムツェルトの脳内にダウンロードされた地図は、上空の駆逐艦から撮影した画像データーからおこしている。
だから、地形や、構造物の現況についてのデーターは完璧といっていいものの、その地図と、現地の住所制度との細かい摺合はまだ不完全で、住所表示が作成した地図のどの辺に当たるのかがはっきりしないのである。
つまり、マーヤさんの住所の表示から、マーヤさんの家の位置は概ね分かるものの、はっきりと細かく特定できない。
それで、クロイムツェルトは、さらなる聞き込みが必要だと判断する。
船団内に配置されている適当なアンドロイドを何体か選びだして、適当なそれらしい服を着せて、マーヤという女性の住所の近くにシャトルで降ろすようジーヴスに思念で命じる。
そうやって準備万端に用意を整えてからクロイムツェルトは意識を落とし、安らかな眠りについた。
◆
翌朝、クロイムツェルトはいつものように脳内アラームで目覚めると、身支度を済ませて、それから偵察球を一応の用心のためにレイラの寝ている子供部屋に幾つか、光学迷彩で隠蔽したうえで放って、それからいつも通り玄関の掃除に向かった。
玄関の掃除が済んで、キッチンで朝の掃除をしているハニエラを手伝っていると、偵察球からレイラがベッドで身じろぎをしている映像がはいる。
「レイラお嬢様が起きそうだから部屋にもどるわ!」
と言い捨てて掃除道具を放り出し、何でそんなことがわかるのよと、まだ掃除を手伝ってほしいらしく、ぶつぶつ言っているハニエラも放置して子供部屋に帰る。
それからレイラのベッドのそばに立って、レイラが目覚めるのを待つ。
レイラが目を開けたら、無表情キャラたるクロイムツェルトには常にないような極上の笑顔を作って「おはようございます、良い朝ですよ」と挨拶をする。
(朝はメイドの優しい声で目覚めるって最高よね! そんでもってその優しい声のメイドっていうのがこの私ときたもんだからもう完璧! このシチュエーションっていっぺんやってみたかったのよね!)
メイド的憧れのシチュエーションのひとつを実現させた喜びに浸りながら、レイラの寝間着を脱がせて風呂に入れて、風呂から上がると体を拭いてやり、クローゼット中から、かわいい室内着を物色して着せつける。
ワンピースの背中のボタンを留めていると、レイラがもの問いたげに見上げてきたので、
「マーヤさんの家の詳しい場所を調べていますから、あと少しだけ待ってくださいね」
と言うと、レイラの顔が嬉しげにてれてれと崩れた。
そのあまりの萌え力に驚愕しながら、それでもレイラを隙なく可愛く完璧に仕上げると、ちょうど朝食の時間になったので、レイラの手をひいて、レイラと自分の汚れものを持って、洗濯場をまわって汚れものを渡して、それからレイラを食堂に引き渡す。
それからキッチンのほうにまわって、洗いものと下ごしらえを手伝い、それが済むと使用人ホールで簡単に連絡事項を聞いてから自分の朝食をとる。
それから子供部屋に舞い戻って掃除を始める。
そんな風に時間を過ごしていると、そろそろ日が高くなってきて、いい時間になったので、掃除をするのと同時に分割意識を用いて、昨晩のうちに宇宙から降ろしておいたアンドロイドを義体として遠隔操作し、聞き込みをして、マーヤという女性の家を特定することにする。
マーヤという女性がいるはずの町は人口数千人程度の中規模の町で、大きくはなく、かといって小さくもなく、幾つかの農村が散らばっている中心部に位置して、そこからの物資を集積させている町だった。
町には市壁や囲いがなく、そのために広々とはしているものの、どこかしまりがなく、あまり秩序というものが感じられない広がり方をしている。
その秩序のない町の中心部を、ただこれだけはまっすぐにはしっている、大通りがあって、この大通りは町の端と端で、街道と直接に繋がって、その一部となっていた。
舗装もされていない路面は、埃っぽくはあったけれど幅は広い。
道沿いには、宿場が数多く並んでいて、その宿場こそが、この町の発生のもとであり、存在意義でもあるのだろう。
クロイムツェルトは、街中に侵入させたアンドロイド数体で、マーヤという人物の聞き込みをしていく。
そうして徐々に目的地に近づき、大通りの中程を北に折れると、その道は食料品やら雑貨やらが並ぶ市場になっている。
聞き込みによると、その一画にある果物店こそがマーヤという女性の家のようだった。
通りに面した店があって、その店の表にある壁の窪みに、太い角材がはめ込まれていて、道に突き出すようにして設置されてあり、その角材に大きな彩布を張りわたして庇にし、初夏の日差しを遮るようにしてある。
その下に、オレンジやらなにやらが山のように盛られている陳列棚があって、その後ろに中年の女性がひとりと、初老の女性がひとりずつ座っていて店番をしていた。
アンドロイドを1体近づけて、買い物をさせながら、アンドロイドの目を通してふたりの画像データーをとって、それからアンドロイド達をシャトルに帰還させた。
そうしているうちに義体を操作している本体であるクロイムツェルトは、簡単な食事を採り、それから子供部屋の掃除を済ませたら、昼食が終わる時間になったので、レイラを食堂に回収しに行った。
食堂から子供部屋に戻ると、レイラの相手をする時間になる。
クロイムツェルトは、レイラにお勉強・お絵かき用の小さな黒板とチョークを借りた。
レイラとふたりで子供部屋のテーブルにつくと、クロイムツェルトは視界に映る黒板に、先ほど採取した画像データーを半透明化し、レイヤーとして重ねあわせ、なぞるようにして精密な似顔絵を描いていく。
まずは初老の女性のほうから。
絵ができあがると、興味津々で覗いていたレイラに、
「マーヤさんってこの方ですか?」と聞いてみるが、レイラはかぶりをふる。
ハズレらしい。
黒板を拭って消して、今度は中年の女性のほうの似顔絵を描く。
今度は、覗きこんでいたレイラの顔が、黒板の絵ができあがるにつれて、驚きに染まっていく。
最後の一筆を描いて、黒板を立てるようにして脇に座るレイラに見せ
「この方ですか?」と聞くと、今度こそレイラは大きく頷いた。
「では今日の散歩のときにお訪ねすることにしましょう」
クロイムツェルトが言うと、レイラはとびきりの笑顔で大きく頷いた。
そのあまりの可愛らしさに、常には無表情キャラであるクロイムツェルトさえも触発されて、穏やかな笑みを浮かべる。
もう部屋のなかは、うふふ、あはは、とでもいうような擬音が舞い散るような穏やかで満足感に満ちた空気が溢れたが、次の瞬間、レイラがふと疑問の表情を浮かべて、
「ねえねえ、クロイムはどうしてマーヤのかおをしってたの?」と聞いた。
来たな。とクロイムツェルトは思った。
当たり前のことだが、まったく面識がないはずのマーヤという人の顔を、クロイムツェルトが知っているのはおかしい。
そして、それだけでもおかしいのに、それ以上に、そのマーヤの家まで、シャトルでレイラを送り届けたりなどしなければならない以上、なんらかの言い訳をレイラにしておく必要がある。
もちろん、クロイムツェルトのことだからそのあたりは一応考えてある。
そして、クロイムツェルトはおもむろに口を開き、
「レイラお嬢様。それは、ですね……メイドの嗜みというものです」
と、何の答えにもなっていない答えをレイラの質問に返した。
◆
マンガとかゲームとか小説とかのサブカルチャーには、メイドのくせにやたら強くて、なぜか暗殺術とかを習得してたいたりする、あからさまに怪しいメイドとかが、たまに出てくる。
そして、そういうメイドは、クール系で、仕事は完璧で、美人で、黒髪で、おおむね眼鏡をかけていたりすることが多いような気がする。
眼鏡以外はクロイムツェルトにおおむね当てはまっている。
そんでもって主人公から、何でそんな特殊技能を持っているんだ、などと聞かれたときには、大抵『メイドですから』か、あるいは『メイドの嗜みです』と言って、答えになっていないような答えで返すのがお約束なのだ。
ということで、クロイムツェルトも、かなり無理があるいいわけだけど、レイラお嬢様ってまだ幼児だし、これでごまかされてくれないかなと、クロイムツェルトはご都合主義的な願望を抱くが、
「……たしなみ、ってなに?」
そもそも言葉の意味が通じていなかった。
レイラお嬢様には『メイドの嗜みです』よりは『メイドですから』のほうがベストの返答であったか、メイド的憧れシチュエーションのひとつを演じ損ねてしまった後悔に歯噛みしながら、言い訳を続ける。
「えー、それはですね。まあ私くらいのメイドになればそのくらいは普通にお見通しってことですよ。そう、私くらいだとこれくらいできるのは普通だよっていうくらいの意味です。ええ、普通なんですよフツー」
「……?」
首をかしげて、まったくわけが分からないよ、という顔でレイラは見上げてくる。
「お嬢様、なんでも深く追求するのがいいということばかりではないんです。かるく流してください。それでいいんです。あまり物事を深く追求すると生きづらくなります。主に私が」
そう畳みかけながら、マーヤさんの似顔絵を描いた黒板を拭う。
「あーっ、消しちゃだめっ!」
それに気づいたレイラが抗議の声をあげるが、
「こ、これは勘弁してください。消させてくださいッ! 思いきり証拠物件ですから!」
と叫びながら強引に消してしまう。
それで、むすくれてしまったレイラに、
「今日のお散歩のときに、本物にあわせてあげますからね、ねっ、ねっ」
と言って機嫌をとる。
そんなこんなで昼食の時間になり、クロイムツェルトはレイラを、私がマーヤさんの似顔絵を描いたこととか、マーヤさんに会いにいく予定があるんだとか、そういうことはくれぐれも内緒ですよ。旦那様や奥様に怪しまれたら私はこのお屋敷ににいられなくなるかもしれないし、そしたらマーヤさんに会いにもいけなくなっちゃうんですからね。
とかなんとか、微妙に脅迫っぽいニュアンスもブレンドした言葉で口止めして、食堂に送り出した。
クロイムツェルトも使用人ホールで昼食をとって、それから食事を終えたレイラを食堂まで引き取りにいって、子供部屋に戻ったら、少しお昼寝をさせ、その間にレイラの外出着や帽子の用意をする。
慎重に選定した、もっとも可愛い外出着を着せつけて、鍔広の帽子をしっかりかぶらせて、それからレイラの手をひいてモリーのところに行き、レイラお嬢様と散歩にいってくると声をかけてから屋敷をでた。




