第1話
人と人とが一緒に暮らしていて、そのうちに関係が悪くなって、互いどうしに我慢がならなくなった――とそうなれば別れて暮らすことになるかもしれない。
女の子達のルームシェアは解消され、老人達のグループホームは解散し、隣の家の奥さんは旦那と別れて実家に帰っちゃったりするのである。
相手のことが気に入らなければ、離れてしまえばいい。
安易にそう考えるのが、良いことかどうかはともかく、こういう考え方は、宇宙時代の初期には流行った。個人と個人の関係のみならず、組織と組織、国家と国家との関係においてもそうだった。
例えば、A国とB国という国があったとしよう。この2つの国は隣り合っていて、それなのにお互いどうし、どうしても我慢できないほど仲たがいをしているのである。お互いに邪魔っけだと思っているのだ。
このA国とB国が地球のような地面の上にある国であったなら、それはもうどうしようもない。大地が不動である以上、引っ越すわけにもいかず、お互いに我慢しながら交渉や妥協をして、それがうまくいかなければ、あとは戦争しかない。
でもこれが宇宙時代の国家、つまり惑星上の領土でなく、宇宙コロニーや、生活空間を備えた宇宙船の集団からなる国家であれば話は違ってくる。どうしても気に入らない奴らと隣り合ってしまったらどうするか。
無理な交渉や妥協や戦争をする必要はない。離れてしまえばいいのである。
宇宙コロニーであれ、生活空間を備えた宇宙船であれ、エンジンを吹かすなりなんなりすれば移動可能だからである。これが地上の領土を持たない国家の利点である。
というわけで、宇宙に居住するための技術が段々に実用化され、人間が惑星の頸木から解き放たれるに従って、それぞれにモノの考え方や価値観が異なる人間たちが、惑星上から宇宙へとどんどんと飛び出していったのである。
その頃、地球(といっても画面の前にいる読者の皆さんが住んでいる現実世界とは違う世界の地球である。)の人口は三百億にも増えていて、異なる価値観を持っていがみ合う人間たちで、破裂寸前の圧力鍋の様になっていて、宇宙にでも飛び出さないと、息が詰まってやってられない。ということだったのである。
宇宙に飛び出すにはどうすればいいかというと、具体的には生産設備を備えた船と機械知性を用意するのである。
生産船と機械知性、この組み合わせさえあれば星間物質を元手に、水、食料、工業製品、工作機械など、何でも作りだせるし、はては生産船と機械知性そのものさえも作り出してしまえるのである。
自由主義、全体主義、資本主義、共産主義、宗教上の原理主義、男尊女卑、両性平等、女尊男卑、ナショナリスト、アナーキスト、人種主義者、右翼、左翼、その他、その他、もう千差万別十人十色な、いがみ合っている人々が、自分達だけの楽園を求めて、てんでばらばら手前勝手に宇宙へ飛び出したのである。
「出てけ!」
「出てくよ! ぷい!」
個々に違いはあれども、端的に言えばこのような会話がいたるところで交わされる。
この世界の或る輸入雑貨商の男はこう言った。
――ユートピアっていうのはね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。自分達だけで、静かで、豊かで……――
つまりそういうことなのである。誰にも邪魔されることなく、自由に生きられる社会を求めて、分裂し分裂し分裂する人類。
異なる価値観を持つ他人とうまくやっていこうとするのではなく、安易に分裂し続けた結果、宇宙は、度し難いほどに純化された偏狭な価値観の中でだけ生きる人々ばかりになった。
多少の例外はあれども。
どんな集団であれ先鋭化したために小さくなってしまうと、通常は活力を失って衰退するものなのであるが、単純労働はもちろん、熟練労働から、ある程度創造的な分野さえ肩代わりし得る、高度に洗練された機械知性と生産設備の存在が、衰退の流れを食い止めてしまう。
少数の人間たちと、彼らに傅く無数の機械知性。これを大きな宇宙船でパッケージにしたものが、無数に、しかし互いにおおむね干渉せずに点在している。これが、この時代の社会の在り方だった。この時代が宇宙時代の初期『孤独のユートピアの時代』ともいわれる時代である。
さて、このように、嫌いあっているものどうしが離れて、皆で好きなように暮らして、宇宙は平和になった―――のかといえばやっぱりそんなことはないのである。
価値観の合わない集団どうしが、くっついている必要はなくなったとしても、トラブルのタネはそれだけではないからである。
すなわち『孤独のユートピアの時代』の次には、歴史上最も野蛮な戦乱の時代が訪れたのだった。
『孤独のユートピアの時代』の最初に宇宙に飛び出した集団は、それぞれ他の集団と関わらずにすむように、十分な距離をとって居場所を定めたわけだが、それぞれの集団どうしの規模が拡大するにしたがって、勢力圏の境が接し始める。
人間の増加はまあ、地球上でいた場合とそれほど変わらなかったから、広大な宇宙空間で居る限り問題にはならなかったが、それ以外の要素、すなわち星間物質を原料にして、機械が機械を生産する半自動方式で、無数に生産される機械知性搭載の生産船や戦闘艦が爆発的な増加を見せたのである。
なんで生産船や戦闘艦を、その様に増加させたかというと、それはもちろん自己防衛のためである。
そして、その過剰な自己防衛の根底には人間社会の分裂がそもそもの原因としてあった。
宇宙時代の初期に、自分たちだけの価値観を追い求めようと、分裂を繰り返したせいで、人間の社会は、それぞれに先鋭化し、原理主義的になり、結果として集団相互の断絶はより深くなってしまった。
お互いに離れたせいで、人の目や外聞を気にしなくなり、相互理解も放棄したせいで、徐々に、お互いに他の集団が、全く理解できない、それこそ宇宙人のような存在になってしまったのである。
その様な状況の中では、自分たちの集団が、自分たち以外の集団に征服されるということは、ほとんど自分たちの社会の死をもたらすようにすら思えてくるのである。
もし仮に、今の日本みたいに比較的自由な国が、何処とはいわないが、例えば極めて強圧的な独裁国家や、非常に厳格な原理主義的宗教に支配されている国とか、あるいはそこに住む人間に女子割礼みたいなことを強要するような国に征服されるかもしれない、という事態になったとしたらどうだろうか。
やはり極めて窮屈に、あるいは恐怖をすら感じるのではないかと思うし、征服する側とされる側を入れ換えた逆のパターンでも、受け入れがたい価値観の変化という点ではまた同じである。そのような感覚だ。
結局のところばらばらに分裂して相手のことが目に入らないようにして住んでいるとしても、相手のことが全く気にならないわけではないのだった。
時間が経てば経つほど、自分側の集団も、相手側の集団も、軍事力を含めてお互いに発展し得るし、むしろ、離れたせいで姿が見えにくくなった分だけ、相手の実態が分からなくなって余計に恐怖心が煽られるのである。
刃物を持っている(かもしれない)頭のおかしい連中が、ひょっとするとすぐ近くにいる!(かもしれない)
奴らはひょっとして自分たちを征服しようとする(かもしれない)。なんたって奴らは頭がおかしい(かもしれない)から!
そのような恐怖を完全に取り除くことは難しい。けれども、それを薄める方法はある。
頭のおかしい連中に自分が支配される、などということが絶対に起こらないよう、事前に軍拡をしておくのである。
自分が一番強ければ誰にも征服されずに済む。
非常に安易な考えではあるけれど、相互理解とか妥協とか交渉とか譲歩とか、そういうことがすっかり下手くそになり、逆にお互いエキセントリックになる一方の人類にとって、それは採り得るほとんど唯一の手段でもあった。
それに、価値観の相違によって集団が分裂する際の利権分配の揉め事、揉めた相手方に勝つための第三勢力の引き込み、敗北した側のテロによる報復、報復の連鎖、あるいは純粋に利益目当ての海賊行為など、従来からあったトラブル発生の原因も、ももちろん無くなったわけではないのである。
こうして宇宙では今や、比較的少数の人間によって統率される、無数の機械知性搭載戦闘艦によって大規模な戦争が行われるようになったのである。
妙な方向へ純化され、ひどく先鋭化した集団同士が戦争をするわけだから、それは極めて残酷で凄惨なものになるのが当たり前でもあった。
それでなくても、宇宙での戦争というものは、空気のない宇宙空間で行うわけだから、それは一般的に危険で過激なものになる傾向がある。
たとえば、ある集団同士が戦争をしていて、そこに、宇宙コロニーがあったとしよう。そのコロニーの中には工場などがあるのである。
戦争に勝とうとすれば、相手方の生産能力を破壊しなければならないから、敵方としては、その工場を破壊したいわけである。
惑星上での戦争であったなら、その工場の上空から空爆するなり、ミサイルを撃ち込むなりして破壊すれば良かっただろう。
けれども、その工場が宇宙コロニーの中にある場合、他に被害を出さずに選択的に破壊するのは難しい。宇宙コロニーというものは真空の宇宙に浮かんでいるものだからである。
外壁に小さな穴を開けて、そこから戦闘ユニットを送り込んで制圧するとか、やり方が無いわけではないものの、時間も手間もコストもかかるし、そもそも状況からして制圧が難しい場合もある。宇宙戦争においてはピンポイントの選択的攻撃というやつは難しいのである。
そうなると、作戦の都合上、余裕が無いときには戦闘艦のミサイルや艦砲射撃で、コロニーごと破壊してしまえということになってくる。それはすなわち都市丸ごとの破壊であって民間人の大虐殺ということである。当然、虐殺された側の報復感情も並ではない。
敵に勝つために、自己複製すら行う生産設備によって、無数の戦闘艦を作り、その艦に兵器を艤装し、人間自身を遥かに超える数の機械知性の助けを受けて、憤激のままに殴り合うのである。
故にこそ、その闘争の残虐さと規模の大きさは、まさしく有史以来空前であり比類無いというべきものであった。
◆
というわけで、そのような背景にあって、時は帝国歴三千六百二十八年――
千三百六十年の長きに渡って続いてきた戦乱の時代は“雷帝”と称されるクライツォーク神聖帝国第二十六代皇帝グラーフ・フォン・ヘルタン・クライツォークの在位にあって終息を迎えようとしていた。
宇宙空間にあり、三次元的に絡まりあう星間国家の領土争いにおいて、クライツォーク神聖帝国の版図六方面のうち敵対する勢力を、銀河系標準座標を基準として、帝国は、前面、後面、上面、下面および右面において、あるものを攻め滅ぼし、あるものには恭順の誓約を受けていた。
そして、いまや、帝国の版図と境を接する勢力のうち抵抗を続けるものは、左面のヴァルト・クラミア武装商船同盟を残すのみとなっていた。
既知宇宙の覇権はクライツォーク神聖帝国の手に落ちる。
このことは今後一年の内には確実に到来する事実であるかのようにも思われていたが、実際にはそうならなかった。
帝国がヴァルト・クラミア武装商船同盟を撃滅すべく主力の三十二個艦隊を左面に振り向けていた間に、ヴァルト・クラミア武装商船同盟の外交的努力が実を結んだのである。
帝国の下面、上面、後面にあって、それぞれ帝国に恭順を誓っていたはずのガダルトイア三氏族、エルタイン連合およびSPD共和国の三勢力が、誓約に違背し、連合して十二個の艦隊、百六十二万余隻をもって帝国中枢に向け侵攻を開始したのである。
主力艦隊の留守に不意を突かれた形となった帝国は、辺境また警備の各独立艦隊をもってこれにあたり、ほとんど奇跡的なまでの奮戦の結果、敵方総戦力十二個艦隊のうち十一個までを撃滅したが、しかし、帝国の中枢であり帝都たる五連星星系に、残余の一個艦隊であるSDP共和国制式第三艦隊が到達せんとしていたのであった。
SDP共和国制式第三艦隊によって、今にも虐殺されようとしている五連星星系帝都居住宙域、六千億人の帝国臣民の前にあって、最後の防壁となっていたのは、商用で偶然その宙域に居合わせた、クロイムツェルト・ケーニヒスス・クラインクロイム第八女王爵の率いる私有船団であった。
ひばり船団と称されるかの船団は、皇帝直率の近衛艦隊に用いられるものを除けば、王爵にのみ賜与される、既知宇宙で最強の打撃力を誇る近衛仕様の球型超弩級戦艦十八隻を核とし、球型弩級戦艦五十四隻、大型戦艦百六十二隻、および他の多数の打撃艦艇、特殊艦艇、戦闘機からなる戦闘分艦隊を有してはいた。
しかしひばり船団の本体は、その戦闘分艦隊によって防衛される四千隻あまりの巨船からなる生産船団を主力とする、あくまで民生の船団なのである。
ゆえに数千個もの帝都居住宙域メガ・コロニーを背後にかばいながら、十二万隻以上にも及ぶ敵艦隊を、戦闘機や観測機を除けば、たった八千三百四十二隻の戦闘分艦隊で相手取るのは、球型超弩級戦艦をはじめとする王族仕様の個々の巨艦の攻撃力が優れているといったところで、どだい無理な話であった。
事ここに至って、クロイムツェルト・ケーニヒスス・クラインクロイム第八女王爵はある決断を下す。
きっかけとなったのは、数年前に帝国兵部省に送られてきた一本の論文であった。
論文のタイトルは、『深空間跳躍の同期よる、非連続な構造体からなる仮想深空間門の生成について』である。
大雑把に内容を要約すると、
①宇宙船に搭載され、深空間からエネルギーを取り出すための、相転移エンジンは、空間跳躍のための深空間門と構造的に同一である。
②故に、戦艦などの高出力エンジンを搭載した艦艇が多数存在する艦隊が、それぞれの艦の相転移エンジンの波調を精密に同期させれば、艦隊をまるごと覆うような巨大な深空間門を仮想的に発生させることができる。
③そうすると艦隊の作戦行動中に、空間跳躍を行う必要が生じた場合、通常空間にいちいち深空間門を設置して、艦隊を数十回に分けて跳躍させるという手間がなくなり、作戦行動の迅速化に資する。
④ただし、現状では跳躍の制御ができず、廃艦予定の大型艦で構成された実験艦隊で行われた実験では、実験に用いた艦隊そのものが破壊されてしまった。
ということである。
つまり、この論文が本来目的としている、空間跳躍の迅速化という目的は達せられなかったわけだが、兵部省は、この空間跳躍の失敗という現象の軍事利用の可能性に着目した。
すなわち、大型艦を中心に構成した小規模な艦隊を、でき得るかぎり無人化して、敵艦隊に突っ込ませ、非連続の構造体つまり艦隊の艦の相転移エンジンを用いた仮想深空間門を形成し、空間跳躍を行って、故意に失敗させ、敵艦隊ごと粉々に破壊する、ということである。
深空間跳躍に失敗した場合、跳躍した物体は空間と空間の狭間で、空間跳躍の失敗の程度に応じて跳躍可能質量にまで粉々に引き裂かれ、しかる後に跳躍先の宇宙空間へ復帰するからである。
しかし、理論物理学者の中には、空間跳躍に失敗した場合、その対象は、極めてわずかな、二十億分の一以下の確率で、我々の存在する宇宙と並行して無数に存在する別の宇宙のどれかに飛ばされることになると言うものもいる。
帝国兵部省はこの論文について『高重力弾頭の使用によって相転移エンジンの波調同期を妨害できる以上、相転移エンジンの派調同期を利用した深空間門生成による自殺攻撃という手段を、実戦で用いることはおそらく困難であるが、初見の相手に一度限りの奇襲として用い得る』とコメントをつけた。
この論文は機密Lv13に指定され、クロイムツェルトは王族資格によって、この論文を閲覧したのであった。
そして、眼前の敵艦隊の侵攻にあたって、他にとるべき手段が無いと判断したクロイムツェルトは、この奇策を用いることにした。
クロイムツェルトは、指揮下の全艦船に、機械知性体を除き総員下船を下命。
機械知性体については、現データーのコピーを作成し、八隻の通報艦に乗せて安全な後方へ移送した。
しかし、戦闘艦隊の最終指揮権を、機械知性体が持つことが許されていないために、クロイムツェルト第八女王爵は、生身の人間としてはただ一人、他のすべての艦艇および機械知性体とともにひばり船団の総旗艦である<レダⅥ>の中央に設置されている王爵座に居残ったのだった。
あらゆる種類の膨大なエネルギーが炸裂する戦闘空域において中継艦による長距離遠隔指揮はリスクが大きいと彼女は判断したのである。
――帝国歴三千六百二十八年六月二八日 帝国標準時 午後三時四十八分――
ひばり船団の総旗艦である<レダⅥ>
クラインクロイム王爵家の紋章が描かれている部分を除いて、純白に輝く直径三百八十二キロメートルの破壊の権化たる巨大な球体。
そのほぼ中心部に設けられ、帝国旗と王爵旗が交差するように掛けられた壁を背にした王爵座に、ひとりの少女が座っている。
少女は、極めて白い肌に、大きな眼、といったコーカソイド的なメリハリの効いた顔立ちをしていたが、その特徴をモンゴロイド系の柔和さが和らげていた。
このコーカソイド的要素は皇帝であった彼女の父から受け継いだものであり、モンゴロイド的な要素、とりわけ帝国の宝石とも讃えられさえした黒髪と黒い瞳は、皇帝の寵姫であった彼女の母から受け継いだものである。
彼女は輝くばかりの美少女であるが、それは当然ながら高度な遺伝子デザインの結果であり、故にその賛辞は真実ではあれ、多分に世辞の要素が強いものではあった。
とまれ、王爵座に座する、彼女の二十四個に分割された最上位意識の一番目に、敵艦隊と此方の船団を図式化した三次元図がリアルタイムで送り込まれていた。
ひばり船団は、総旗艦の<レダⅥ>をはじめとする、超弩級・弩級の各戦闘艦を艦列の前面に出し、敵艦隊に正対させている。
その様子は、何も知らない敵から見るならば、敗北を覚悟した王族の指揮官が、悲壮な決意によって、玉砕するために自ら艦列の前面に立って突撃してきたかのように見えるだろう。
しかし、その突撃する巨艦群の背後にはひばり船団の本体である生産用巨船の群れが配され、それぞれの船の相転移エンジンをフル稼働させていた。更にそこから、戦艦・巡洋艦の群が旗艦の前方に向かって拡がり、かつ湾曲しながら、大きく枝のように張り伸ばされ、その枝から、小型艦、支援艇、無数の戦闘機や観測機器までが動員され、稼働した相転移エンジンによる仮想深空間門が、膨らんだ蕾のような形状に形成されつつあり、その蕾の中に敵艦隊を丸ごと飲み込みつつあった。
総旗艦の<レダⅥ>はちょうど蕾の中の雄蕊の位置にある。
おそらく敵艦隊もその動きには気づいているはずである。敵に対する投影面積をこれほどまでに大きく戦力展開をしている以上、気付かれるのは当然であった。
通常の戦力展開と比較して、たとえ包囲戦を企図したものであれ、ひばり船団の戦力展開はあまりに薄く、またあまりに広く、非常に不自然な、常道を逸したものであった。
しかし、敵艦隊は特に目立った対応をすることはなく、索敵用の観測機群を除いて、適度に戦力を集中させつつ正面戦力群、予備戦力群の二つの塊になって、ちょうど蕾の中の雄蕊の位置にある総旗艦の<レダⅥ>を目指し、前進してきていた。
敵の指揮官も、ひばり船団の布陣についておそらくは不審には思っていることが予想されるが、結局のところ、ひばり船団の打撃力の八割以上は、総旗艦<レダⅥ>と、その周囲に集結している、球型超弩級戦艦をはじめとする巨艦群が有しているのである。
故に、戦力に上回る敵方としては、正面の巨艦群に攻撃を集中させて早期に破壊し、その後に残余の艦艇を掃討することが戦術的に正しい行動になる。
仮に、薄く広く展開した、小型艦や戦闘機や観測機器などに不審を感じて、戦力を振り向け、分散させるなら、それこそ正面からの痛撃を食らう恐れがあるのである。
したがって、ひばり船団は、敵からの妨害をほとんど受けることなく、敵艦隊を内部に包み込んだ仮想深空間門の生成をほぼ完了していた。あとは敵艦隊の背面で網の口を絞るだけである。
敵艦隊に特段の動きがないという事実は、つまり、クロイムツェルトが、この作戦のタネとして用いた論文が敵側には漏れていないことを意味している。
そこまでを確認すると、クロイムツェルトは、安堵の溜息をひとつ吐き、二十四個に分割された上位意識のうち、宙域図を監視している上位意識を一番目から十二番目に下げ、もはや敵味方の艦隊もろとも瓦礫となり果てる自分に、最期の残り少ない時間を、自分の好きなことを考えて過ごす自由を許した。
◆
クロイムツェルトは幸薄い女であった。
生まれながらに無数の船団と地位と権威と富と、さらに多くのものを所有することが予定されてはいたものの、それゆえに多くの危難を自らに招きよせた。
クロイムツェルトには兄が三人おり、彼らは自分たちの両親を殺し、その上で、自らの相続分を増やすために、今度は互いどうし、家族ぐるみで殺しあった。生き残ったのは三番目の兄のカルトヘルトただひとりで、彼は、兄たちと、兄たちの妻、子、孫、曾孫、すなわち帝国貴族法典で定められている相続人を殺しつくし、しかるのち最後に残った競争相手であるクロイムツェルトを殺しにきた。
彼女はその当時まだ八歳でしかなく、有力な後援者もなかったので、他の兄弟達に比べて優先度が低く、カルトヘルトの殺人リストの最後尾に載せられていたのだった。
クロイムツェルトが住む離宮船の使用人たちは、クロイムツェルトを守って戦ったが、船内に侵入したカルトヘルトと、カルトヘルトの率いる制圧歩兵機の群れに、ひとり、またひとりと殺されていった。そして、最後にひとり残ったキッチン・メイドであるアニーは、クロイムツェルトの手を引いて、自分の職場である厨房へ逃げ込んだ。彼女は厨房の什器を漁り、自分の手には肉切り包丁を持ち、クロイムツェルトの服のそでに肉を焼くときに用いる鉄串を滑り込ませた。それからクロイムツェルトをダストボックスの中に押し込み、蓋を閉めた。
それから数分してカルトヘルトがやってきて、制圧歩兵機にアニーを殺させた。クロイムツェルトは、アニーが叫び、そして殺される物音を間近で聞き、恐怖し、憤激した。
それからカルトヘルトはダストボックスに自ら歩み寄り「かくれんぼは終わりだよ?」と嘲る調子で言い、ダストボックスの蓋を開けた。
クロイムツェルトをただの無力な子供と侮り、また、殺人を喜ぶその邪悪な嗜虐趣味のために、クロイムツェルトを制圧歩兵機に殺させるのではなく、自分で手ずから殺そうとしたのである。
しかし、その侮りと、性癖ために、カルトヘルトは自らの掌に握りかけていた果実を取りこぼし、さらには命をも失うことになった。
クロイムツェルトはダストボックスの中で生ごみに塗れて、しゃがみこんでいる自分の眼前に、殺人の快楽と嘲りで歪んだ兄の顔を見た。
次の瞬間、クロイムツェルトは、怒りに任せて、キッチン・メイドのアニーが持たせてくれた鉄串を、腕を振るようにして服の袖から手に滑り込ませ、目の前にある、兄の顔の眼窩に突き込んだのだった。
カルトヘルトは王族として、既知宇宙で最高度の強化手術を受けた人間のひとりであった。
であるから通常、例えばクロイムツェルトの振り上げた鉄串の先端や、あるいは高速の実体弾など、彼を殺傷しかねない物体が彼に到達しようとした場合、彼の人工有機素材に置換されて強化された骨や筋肉や皮膚、その他、身体のあらゆる隙間にみっしりと詰め込まれたエネルギー蓄積・放出ナノマシンが、その運動エネルギーを吸収するはずではあった。
例えば銃弾などにくらべれば、いくら強化されているといったところで、たかが人間の振り上げた鉄串ごときは、さほどの運動エネルギーを持っていないし、よしんば運動エネルギーを殺しきれなかったとしても、彼の脳髄の奥にある個人用セントラルコンピューターが、運動エネルギーを彼の体の表面で放出させるように指示をだし、そのために、カルムヘルトの身体は、格闘もののビデオゲームのキャラクターように吹き飛びはするものの、彼が地面などに打ち付けられる前に、彼の身体にあるエネルギー蓄積・放出ナノマシンが再び運動エネルギーを回収し、結果として彼の身体には傷ひとつつかなかっただろう。
本来であれば。
しかし、今回の場合カルトヘルトにとっての不幸はふたつあった。
ひとつは、クロイムツェルトが憤怒と恐怖のままに振り上げた鉄串の先端が、偶然にも彼の眼球に向かったことだ。眼球は視覚機能向上のための補助機器の存在や、視界確保のために光の透過を確保する必要から、瞼を閉じていないかぎり、体表に露出している部分ではもっともエネルギー蓄積・放出ナノマシンの分布密度が薄い場所である。
まだ、それだけであれば、最も重要な器官である脳を保護するために、頭蓋や顔の骨に付着また内蔵されているナノマシンがなんとかしてエネルギーを吸収しきっただろう。
しかしカルトヘルトのふたつめの不幸は、彼に鉄串を突き刺そうとしているクロイムツェルトもまた王族でありすなわちカルトヘルトと同程度の強化手術を受けている点にあった。
エネルギー蓄積・放出ナノマシンは近接格闘戦にあって攻撃の補助手段にもなり得る。
カルトヘルトと同じくクロイムツェルトの脳髄の奥にも設けられているセントラルコンピューターは、主人たるクロイムツェルトを支援するため鉄串の近傍に、すなわち彼女の右手と右腕にあるエネルギー蓄積・放出ナノマシンを総動員し、また彼女の腕のモーションを解析して、そのすべての運動エネルギーを鋭く尖った鉄串の先端に叩き込む。そして同時に空間干渉をおこない、カルトヘルトのナノマシン群の働きを妨害した。
こうして鉄串はカルトヘルトの側のナノマシン群が防御手段をとるよりも一瞬速く突き刺さり、あっけなくカルトヘルトの眼窩から脳髄に達した。カルトヘルトとクロイムツェルト、敵対するふたつのナノマシンの勢力はぶつかり合って軋み、飽和した運動エネルギーは、もはや鉄串の先端がカルムヘルトの体内にまで入り込んでいたために、彼の体表ではなく頭蓋の内部で炸裂し、行き場を失った運動エネルギーは彼の脳髄を修復不可能なまでに破壊し尽くした。
すなわちクロイムツェルトはカルトヘルトを殺害した。
すなわち彼女は、皇帝であった父の、帝国貴族民法典に定められた唯一の相続人となり、カルトヘルトが手に入れるはずだったすべてのものを奪い取る結果になった。
カルトヘルトが指揮し、たった今、メイドのアニーを殺させた制圧歩兵機についてさえも、カルトヘルトが絶命した瞬間に、帝国貴族民法典の規定にしたがってカルトヘルトからクロイムツェルトへの兄弟間相続がなされ、クロイムツェルトの指揮下に入ったのだった。
こうしてクロイムツェルトは第二十五代クライツォーク神聖帝国皇帝となった。
しかし彼女はその当時まだ八歳の子供でしかなかったので、帝位を叔父のグラーフ・フォン・ヘルタン・クライツォークに譲り、彼女自身はそのかわり王爵に叙せられた。
◆
――帝国歴三千六百二十八年六月二十八日 帝国標準時 午後四時十八分――
ひばり船団総旗艦<レダⅥ>のセントラルコンピューターであるジーヴスから
(本作戦に参加の全艦艇、戦闘機、観測機器、所定の配置を完了しました)
とクロイムツェルトの十三番目の上位意識に報告が上がる。
(波調同期を開始)
と、クロイムツェルトは思考によって下命した。
各艦艇の相転移エンジンの波調が精密に同期し集束していく。
敵艦隊は、ひばり船団総旗艦<レダⅥ>の鼻先に食いつきつつある。作戦は成功した。
もはや敵艦隊に、この深空間門の巨大な網から逃れる術は残されていない。
クロイムツェルトは、王爵座の背にもたれかかり瞑目する。
(……アリス、クレア、バレンシア、ミレイユ、サリー、アンネ、シャルロッテ、エマ、アニー……)
死を前にして彼女は愛するメイドたちの名前を心の中で呼んでいく。
クロイムツェルトは父母の愛情を知らない。
彼女の家族は、それぞれが別々に、離宮となる船に分かれて住んでいたからである。
そんな彼女を家族のかわりに愛したのは、使用人達であって、使用人たちは彼女を細やかに世話し、豊かな愛情を注ぎ、彼女が彼女自身の兄に殺されそうになったときには、彼女のために命をさえ散らした。ひとり残らず。
彼女にとっての価値あるすべてのものは使用人たちから与えられたのである。
そして、クロイムツェルトは、その手で兄を殺したその後も結婚をせず、家族を持たなかった。生きていれば彼女を政略結婚の駒にしようとしたであろう両親もすでに死んでいたからだった。
彼女は家族を持つかわりに、自身の身の回りの世話をするだけにしては不必要なほど多くのメイドを雇い入れた。そして彼女たちに愛情を注ぎ、また注がれて過ごしたのである。
彼女にとって家族とは遠いもの、害をなすもの、彼女の真に愛してくれた使用人たちを殺すものであった。そして、彼女の家族が彼女を愛さなかったように、彼女の愛情もまた使用人たちにしか向けられなかったのである。
クロイムツェルトは背後に何千億もの命を背負って戦ってはいたものの、それは彼女にとってはほとんど観念的な、単なる数字にすぎなかった。
彼女は離宮となる船で、メイドたちにだけ傅かれて育ったのであって、それ以外の外の世界は知識として、あるいはオンライン上の世界としてしか知らなかったからである。クロイムツェルトが背後に守っているメガ・コロニーに住んでいる住民の中にクロイムツェルトの友人は一人とていない。
彼女が本当に命を懸けて救おうとしたのは、現在は後方のコロニーに避難している、彼女に仕えたメイドたちだったのである。
つまり彼女らはクロイムツェルトにとっての全てだったのだ。
(深空間跳躍実行まであと六十秒)
ジーヴスから十三番目の上位意識に報告が上がる。
クロイムツェルトは記憶を巡っていく。
優しかったナースメイドのこと、寂しく感じた夜にはいつも添い寝をしてもらったこと、
メイドたちが午前中には青のドレスを着て大きなエプロンを着け、午後には黒いドレスに着替えて、少し小さくて装飾の入った美しいエプロンを着けていたこと。頭にはレースのキャップを着けていたこと。
自分も大きくなったら、同じ制服が貰えるはずだと信じていたのに、ある日、自分が王族であるために、一生メイドにはなれないのだということを知って、ベッドの中で涙に濡れたことを思い出す。
普段から表情をあまり表さないクロイムツェルトの顔に苦笑らしきものが刹那浮かぶ。
それは、子供の他愛のない思い込みではあったけれど、けれども、それは確かにクロイムツェルトの心からの願いであったのだ。そしてそれは今でも変わっていない。
「カウントダウンを開始します……」
ジーヴスの声が聞こえる。
クロイムツェルトは、心のなかで語りかける、それは誰に向けてということもなく、あるいは、クロイムツェルトを愛し、クロイムツェルトが愛したすべてのメイドたちに語りかける。
「深空間跳躍実行まであと20秒、19、18、17……」
自分は、貴方達を本当に愛していたのだと。
「……10、9、8……」
自分は貴方達のようになりたかったのだと。
「……3、2、1、跳躍します」
誰も見知らぬ宇宙へ、
誰もわたしを知るものがない宇宙へ、
跳ばされることがもし本当にあったなら、今度は自分もメイドになろう。
クロイムツェルトは、ほぼ確実な死を前にした最期の瞬間に、そう決めた。
――――閃光!