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The Picture 第3話

それは若い女の人の声だった。一瞬電話が繋がったことに真っ白になっていた頭が、その事実をやっと理解したのと同時に、今度は胸のざわめきに襲われた。もしかして、彼女?それとも9年前に17歳だったってことは今26歳、或いは結婚していたっておかしくはない年齢だった。疑問が頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。

「もしもし?」

もう一度電話の向こうから女性の声が呼びかけて来た。

あたしははっとした。

「あの、佳原匠さんの携帯ですか?」

今にも消え入りそうな声を必死で堪えて訊ねる。

電話の向こう側でも聞き慣れない相手からの電話をいぶかしんでいるみたいで、よそよそしい声音が応じた。

「そうですけど・・・そちらは?」

その時電話の向こう側で、電話口から離れた場所で叱責するような声が聞こえた。

「おい、何勝手に出てんだよ」

「だって鳴ってたから」

携帯から口を離してるのか遠く会話が聞こえる。

「ちょっと待ってよ」電話の向こうで女の人が誰かを制する声がしてから、

「ごめんなさい。で、そちらはどなた?」と女の人が再び問いかけてきた。

予想していなかった状況に内心混乱しつつ、自分の素性を告げた。

「あの、あたし、さいたま市立高校二年の阿佐宮萌奈美あさみや もなみっていいます」

あたしの言葉を聞いた途端、スピーカーから聞こえる声は突然信じられない位にハイテンションなものになった。

「えーっ、市高生!?わーっ、懐かしい!」 

さっきまでのよそよそしさは跡形も無く消え、口調にはフレンドリーささえ感じられた。

「あたしも市高出身なんだー」

どうやら電話の向こう側の女性はOBに当たるらしかった。

電話の向こう側では、携帯を巡る争奪戦が繰り広げられているらしく、話の途中に度々「おい、いい加減に返せ」とか「ちょっと、今話してんだからっ」とか言い争う声が聞こえ、電話口の声は遠くなったり近くなったりしている。

どうしたらいいか分からず、茫然と電話越しの言い争いを聞いていた。

「もしもし?」

突然男の人の声が問いかけて来て、あたしはどきっとした。

「もしもし?どちら様ですか?」

あたしがうろたえてすぐに答えられずにいると、電話の向こうから男の人の声が再び聞き返して来た。

電話の向こうで「だから市高の生徒だって言ってるじゃん」って先程まで電話口にいた女の人が口出しするのが聞こえた。電話口の男の人は電話を離して「うるさい。ちょっと黙ってろ」って怒っている。

「もしもし?済みません。それで市高生だそうだけど、何の用?」

再び男性が電話口に出て問いかけられた。

あたしはどぎまぎしながら、慌てて訊ねた。

「あの、佳原匠さんはいらっしゃいますか?」

ほんの一瞬、沈黙があったように感じられた。それから電話の向こうから返事が聞こえた。

「佳原匠は僕ですが?」

それを聞いた途端、あたしの心臓の鼓動は跳ね上がった。かあっと顔が火照って、高鳴る鼓動が電話の向こうにまで聞こえちゃうんじゃないかって思った。

「あ、あのっ、突然お電話差し上げて済みませんっ」

一気にまくし立てるように喋った。声が裏返りそうなくらい緊張していた。

「あたし、阿佐宮萌奈美っていいます。今、さいたま市立高校の二年に在学しています」

上ずった声で自分の素性を改めて説明する。

電話の向こうからは何の反応もなかった。自分の出身校の生徒って言っても、見ず知らずの人間から突然掛かってきた電話を不審に思って慎重になっているんだろうか。

返答がないことに戸惑いながら、今電話を掛けていることの経緯いきさつを説明した。

「えっと、あの、実は先日学校で美術準備室の整理をしていたんです。その時、佳原さんがお描きになった絵が仕舞われていたのを見つけて、それで今お電話を差し上げているんです」

「僕の描いた絵?」

戸惑った様子の返事があった。心当たりがないみたいだった。

「はい。あの、佳原さんが二年の時、文化祭の展示でお描きになったものだって聞きました。その後、県展にも出品されたって伺ってます。女の子の絵です」

あたしは佳原さんが思い出してくれるように、絵に関する情報を伝えた。

電話の向こうで、ああ、って小さく呟く声が聞こえた。

「あの、思い出していただけました?」

あたしが確認すると、佳原さんは「ああ、うん」って答えた。

「でも、何で今頃?もう卒業して8年も経ってるのに」佳原さんは不思議そうだった。

「あ、はい。あの、柳河先生って覚えてらっしゃいます?美術の先生の」

訊ねたら佳原さんは記憶を辿るように少し沈黙した後、ああ、って頷いた。

「うん、覚えてる」

「柳河先生、この三月で定年退職されて、新しい美術の先生が来られたんですけど、柳河先生、お辞めになる時先生の私物以外までは手が回らなかったみたいで、美術教室と準備室に色んなものが残されたままの状態だったんです。それで片付けをしていて、準備室にあった沢山のキャンバスの中に佳原さんの絵があったんです」

説明を終えて大きく息をついた。今のあたしの説明で佳原さんは事の次第を理解できただろうか?少し不安な気がした。

「へえ・・・柳河先生、退職したんだ」

感慨深げな呟きが電話の向こうから聞こえた。

「でも、僕が描いた絵だってよくわかったね?」

ふと気がついたように佳原さんは疑問を口にした。

「え、はい」

返事をしながらあたしは佳原さんにそう聞かれて少し動揺した。

確かにあの絵を描いたのが佳原さんだってことが分かるまでには、それなりの手間がかかっていたし、それ程の手間をかけてまでどうして描いた人物を知りたいって思ったのかっていう点になると、あたしは佳原さんが納得できるような理由を何も思いつかなかった。それは殆どあたしの個人的な感情に起因していたのだから。

「ええと、あの絵にはイニシャルと日付が入ってたので、多分その時の美術部員だった生徒が描いたものだって思って、卒業アルバムを見たり、その頃学校にいた先生とかに聞いたりしてそれで運良く分かったんです」

「ふうん」

佳原さんはあたしのかなり漠然とした説明に、要領を得ない調子で相槌を打った。それから気が付いたように訊ねた。

「そう言えば、僕の携帯の番号はどうして分かったの?」

「あ、はい。あの、織田島先生から教えて貰ったんです」

そう答えても佳原さんはその名前にすぐに思い当たらないみたいだった。

「・・・織田島先生って?」

「え、あの、織田島先生も市高のOBで、佳原さんとは同じ学年だったって言ってました」

あたしが説明すると佳原さんは思い出したようだった。

「ああ、あの織田島か。え?あいつ、市高で教師やってるの?」

織田島先生の近況は知らなかったみたいで驚いた声で聞き返された。

「はい。あたし達二年の世界史の先生です」

「へえ。知らなかったな」

興味深そうに佳原さんは呟いた。それから、すぐに不審そうな口調で問いかけて来た。

「あれ、でも、織田島、僕の携帯の番号知らないと思うけど」

あたしはその時のことを思い出していた。織田島先生はあの時、誰か知り合いの人に聞いて佳原さんの携帯の番号を教えて貰っていたんだった。

「あ、その時あたしその場に一緒にいたんですけど、織田島先生、誰かお知り合いの人に電話して佳原さんの番号聞いてました」

「え、そうなんだ」

あたしの説明を聞いて佳原さんは少し不満げな口調で独り言のように呟いた。

「誰だよ一体。勝手に教えやがって」

電話越しに聞こえる不機嫌そうな声に動揺しながら、織田島先生や佳原さんの携帯番号を教えてくれた相手の人に、佳原さんの不満の矛先が向いてしまっては申し訳ないって思って、弁護する気持ちで慌てて説明した。

「あの、違うんです。あたしが佳原さんと連絡を取りたいって無理にお願いして、それで織田島先生わざわざ調べてくれたんです。だから、あの、織田島先生と、その相手の方にも怒ったりしないでください」

あたしが訴えるようにお願いすると、電話の向こうで佳原さんは溜息をついた。

「それで?」

「え?」質問の意味がよく分からなくて聞き返した。

「あの・・・?」

佳原さんは不満げな気持ちを抑制するように低く抑揚の無い声でもう一度聞き返した。

「それで、わざわざ調べてまで電話して来た、その用件ってのは一体何なのかな?」

佳原さんの声に潜む苛立ったような気配に、あたしは胸をすくませていた。怒らせちゃったのかも知れないって思って動揺した。それでも、出来る限り平静な声で喋った。

「あの、それで、佳原さんの絵、せっかく見つかったので、お持ちにならないかなって思って」

あたしが聞いてから、佳原さんはすぐに答えなかった。少し電話の向こうで思案しているようだった。

「いや、いいよ」

佳原さんの返答が聞こえた。

「え?」余りに短い答えだったので、あたしは聞き返した。

「だから、いいよ、別に。処分して貰って構わない」

関心ないというような口調で佳原さんは改めてそう答えた。

「え、でも・・・」

思いがけない答えが返って来て激しく動揺していた。

「わざわざ行くのも面倒臭いし、今更高校の時描いた絵を見る気にもならないし。せっかく電話してくれたのに悪いんだけど、そっちで処分して貰えるかな」

そんな!胸の中で抗議の声を上げた。

あの絵を処分するなんて、そんな事絶対出来ないって思った。ひと目見た時からあの絵にとても魅せられて、何か大切な事を伝えてくれているって感じてた。あの絵を見てとても温かい気持ちになれて、何だか心の中が満たされる感じがした。だからあの絵を描いた人の手に戻してあげたいって思った。ううん、それ以上に、あの絵を描いた人に会ってみたいって思ってた。

それなのに・・・とても悲しくて、すごく失望した気持ちだった。あの絵を見た時感じた想いは気のせいだったんだろうか。あたしの単なる思い違いだったんだろうか。

電話を終えることが出来なくて、何か言おうって思いながら必死に言葉を探していた。

その時だった。

携帯の向こうで憤懣ふんまんやるかたないって様子の女の人の声が横から割って入ったのだった。

「ちょっと、少しは電話して来てくれた相手の気持ちを考えてあげたら?」

それは最初に電話に出た女の人の声だった。

「高校の時描いた絵が見つかって懐かしいだろうからって、わざわざ電話して来てくれたんでしょ?ちょっとは感謝するとかって気持ち持てないの?」

聞いていると一方的に女の人がまくし立てている。時々「いや」とか「だから」っていう佳原さんの声が聞こえたけど、二言目も言わせずにその女の人は畳み掛けるが如く佳原さんを非難しまくっていた。

「高校生の女の子が電話して来てくれたんだから、感謝こそすれぞんざいにするなんてバチが当たるわよ!匠くん相手に若い女の子から電話がかかってくるなんて単なるかけ間違いかキャッチセールス位しか有り得ないんだから。この奇跡とも言える状況にもっと感謝すべきだって分かってんの?」

聞いてて何だか論点がずれているようにも感じられたけど、こちらが口を差し挟むタイミングが掴めないほどに、女の人の弁舌は凄まじい勢いだった。

「そんなだからいつもみんなから“愛想がない”だの“人当たりが悪い”だの“性格最悪”だのって罵詈雑言の悪口言われ放題だって自覚してんの?折角可愛らしい後輩から電話が掛かってきたってのに、そんなにべもない返事して大人げないったらないわよ。どうせ卒業してから一度も学校に行ってないんでしょ?お世話になった先生にもロクに挨拶にも行かないで。いい機会だから行って来なさいよ」

あれ?って思った。何だか話が思いがけずいい方向に転がり始めているような・・・

「いい?折角だから、一度学校に顔出して来なさいよ」電話越しに女の人は言い放って、今度はあたしに向けて話しかけてきた。

「もしもし?」

「あ、はい」

あたしは慌てて返事をした。

「ごめんね。匠くんてば愛想なくて。いつもあんなんでみんなから“性格最悪”ってさんざん言われまくってるの。どうか、機嫌悪くしないでね」

とりなすように言う女の人に、あたしは頷いた。

「あ、はい。もちろんです」

「よかったあ」ほっとしたように女の人が言って、電話口から離れたのかやや小さい声で言うのが聞こえた。

「ほら。彼女全然怒ってないって。よかったね」

それからまたすぐ電話口に戻って、はっきり聞こえる声で告げた。

「ね、さっき行かないなんて言ってたけど、匠くん、絶対学校に行かせるから。心配しないでね」

それはとても嬉しい知らせだった。けど大丈夫なのかな、とも思った。それにこんな風に言えるほどの影響力を持つこの女性は一体誰なんだろう、って改めて疑問に感じた。その事がとても気に掛かった。佳原さんのことを「匠くん」って名前で呼んでいることからしても、とても親しい、恐らく恋人のような関係なんじゃないかって思った。そのことはあたしの胸の中で何か鈍い痛みを感じさせた。

「おい、俺行くつもりなんて・・・」電話の向こうで佳原さんの不機嫌そうな声が言いかけた。

即座に女の人が「いつまでもぶつぶつとうるさいわね。男なら潔く覚悟決めて行って来なさいよ。いい?絶対行って来るのよ。あたしが約束したんだからね。万が一行かなかったりしたら、どうなるか分かってるでしょうね」

脅しとも取れるような凄みのある声で佳原さんが抗議するのを黙らせていた。

それからまた電話口で、ころりと人が変わったように、とても優しげな口調が告げた。

「あ、ごめんね、いちいち。じゃあ学校へは貴方を訪ねて行けばいいかな?」

はい、と返事をしたら「ごめんね。悪いんだけど、もう一度名前教えてくれる?」って聞き返された。

「阿佐宮萌奈美です」

あたしが答えると、電話の向こうの女性は「阿佐宮萌奈美ちゃん」って繰り返して「可愛い名前ね」って言った。

「あ、いえ、どうもありがとうございます」

顔を赤くして、どぎまぎしながらお礼を言った。

「それじゃ、明日にでも夕方・・・そうね4時頃だったら、もう放課後になってるよね?」

聞かれて、「はい。大丈夫です」って答えた。

「うん。じゃ明日の4時頃学校に行けばいいかな?萌奈美ちゃんは都合悪くない?」

佳原さんに確認することもなく彼女の一存で予定を立てられて、あたしはちょっと心配ではあったけれど、不都合はなかったので「はい」って返事をした。

「じゃあ明日の4時ってことで」

もう一度確認するかのように言って、電話の向こう側で「いい?分かった?」って語気も荒く確かめていた。

諦めているのか、佳原さんの返事なり反論なりは聞こえなかった。

「じゃそういうことで、じゃあね、バイバイ」

電話の向こうの女性は意気揚々とした声で告げた。

あたしも「どうも失礼します」って返事をして、電話を終えた。

携帯を閉じ、あたしは改めて狐につままれたような気分になっていた。

本当に大丈夫なんだろうか?本当に佳原さんは明日来てくれるのかな?まだ半信半疑だった。そして何よりもあの女の人が誰だったのか、とても気になっていた。

なんだかもやもやとしたすっきりしない気持ちを抱いたまま、あたしはNAVIセンターの二階から渡り廊下を渡って教室棟へと戻った。

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