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第三十九話 : 仄暗い視線

 

『あの娘は、何もかもがまっしろだった。髪の色も、肌の色も、瞳の色も、……心の中も、全部が全部まっしろだったんだ』


 以前、ナツ兄ぃが初めて会った時のフゥのことをそう言っていたのを思い出した。

 わたしと同い年か、それとも一つ二つ程年上か。どこにでも居るような普通の少女に見える。全身まっしろであることを除けば、だけど。

 わたしを捉えた二つの瞳はまるでわたしじゃなくて、わたしの背後にある光景を見ているみたいに虚ろだった。

 ――空白。少女の存在を一言で表すなら、そう言ってしまうのが何よりも的確に思えた。


『……フカンノ、メ……』


 彼女の声が、雑踏の溢れる人波の中を無視してわたしの耳にはっきりと届いてくる。

 狭い通路の先から反響を繰り返してきたような不思議な声。距離感がまったく掴めない、奇妙な響きを含んだ声。

 その声を聴いて理解した。間違いない、彼女がわたしたちの捜し求めていたフライングマン、フゥだ。


『サン様、あの少女の傍らに浮かぶ俯瞰の眼がシリアルナンバー7918A、通称フカちゃんです』

「……うん、わかってる」


 フゥの身体の周りでふわふわと浮かぶ俯瞰の眼。フカサワちゃんよりも少し大きくて黒い機体は、ママやナツ兄ぃから聞いていた話の通りだった。

 一歩、人波の中に足を踏み出す。

 フゥはこちらから視線を外さない。何を考えてるのか、その表情から読み取ることは出来ない。

 わたしも視線を外すことなく、一歩ずつ距離を縮めていく。

 すべての始まりの元。ナツ兄ぃが自分の人生を犠牲にしてでも救おうとした少女に、今まさに手を差し出した、――その瞬間だった。

 縦に走った青白い光が、わたしとフゥの間を遮るように発生した。


「――ッ!? 何よこれ!?」

『特殊磁場発生! 時空間移動の際に発生するものとかなり似た磁場です!』

「時空間移動!? まさかあの娘、逃げるつもり!?」

『サン様、離れてください! 『向こう側』に引きずられてしまいます!』


 縦に伸びた青い光は横へと広がり『ゲート』へと変化した。

 どんどん明るさを増していく青い光。目を開けることも出来ないくらいの眩しさだって言うのに、誰一人として気にかける人は居ない。この光の洪水さえも、わたしたち以外には認識出来ない『向こう側』のものなんだ。

 せっかく見つけたのに! もう手の届くところに居るのに!

 光の中にかすかに見える人影。何かをしゃべっているみたいだけど、ほとんどがゲートが閉じていく音のせいで聴くことが出来ない。

 ただ一つ聴こえたのは――、


『……ナツ』


 わたしのよく知る人の名を呼ぶ声だった。




 ◆ ◆ ◆




 心ばかりの照明が灯る非常通路を歩く二人。先を歩くのはサヤ、その後に柳が続いている。

 二人が目指す先であるPV管理室長室には非常通路からはかなり遠回りとなってしまう。それに対してぐちりぐちりと文句を言う柳を無視しながら、サヤは忙しなくキーを打ち続ける。

 ようやく室長室への通路に差し掛かる扉に辿り着いたその時、サヤは眉をしかめ歩みを止めた。


「……どうした? 早く出ないのかい?」


 背後から柳の声が響いてくる。振り返ったサヤの口元には、人差し指が添えられていた。

 その反対側の手の親指が無線機を指しているのに気づいて、柳は無線のスイッチを入れた。


『室長室のそばに不審者がいます。すぐにここから離れます』


 イヤホンからは機械的な音声が流れてくる。キーボードに入力された言葉を変換したものだ。

 事態が変わったことを察知し、柳は口をつぐんでコクリと頷いた。ポケットの中の拳銃を握ろうとして初めて気づいたのか、手の中の汗をズボンで拭いていた。

 柳が事態を把握したことを認めて、サヤは再び非常通路を歩き出す。

 彼女が何をしているんか、グラスディスプレイを装着していない柳には知ることが出来ない。

 管制塔に侵入者が居た場合、護衛官や警報システムから一番にその報告が来るのは柳のはずだった。その柳にも伝わっていない情報を、なぜサヤが当然のように知り得たのか。

 ――この女は、僕が思っている以上に有能だということか……。

 先を歩く小柄な女性の後ろ姿。権力だけが己の力だった柳には、その後ろ姿は大きく見えた。尊敬と畏怖、劣等感と妬みが混じった視線がサヤに突き刺さる。


「……訊きたいことがある」

『後にしてください。今は声を発しないで。奴に気付かれます』

「君がフライングマンを探し出した方法は、本当に他のフライングマンには利用できないのかい?」


 サヤの足がピタリと止まった。冷たい視線がゆっくりと柳へと向いた。


『まだ諦めていないのですか? 仙堂はあなたを利用していただけ。あなたの野望など、彼には邪魔にしかならない』

「しかし……、仙堂さんの目的がフライングマンの製造なら、僕のやろうとしていることだって同じことだ! だったら――!」

『同じじゃない』


 その言葉と突き刺さるような視線に、柳は思わず身を引いた。

 先ほどからサヤは一言も発しない。まだ用心しているのか、全ての会話を無線機への音声入力で済ませている。

 それでも、視線だけは柳から外そうとしない。

 言葉以外で何かを訴えるように、強い視線は柳を貫く。


『室長の望みはフライングマンを人間兵器にすることでしたね。誰からも認識されないフライングマンの性質を利用して、無敵の暗殺者を作り上げると。……しかし、フライングマンとなった者は何者にも干渉することは不可能なことは以前にも説明したはずですが』

「そ、それは研究媒体が少ない今だからこその話で、実際のフライングマンとなった者を直接調べれば……」

『それこそ仙堂が許すと思いますか?』


 その言葉に柳は顔をしかめた。

 フライングマンをこちら側へと戻す方法を探っていたために、日高ナツは仙堂に捕まった。あれほど心を許していたであろう日高ナツに対してもそうだったのだ。柳が研究のためにとフライングマンを確保する方法を得たとしても、同じ末路を辿るのは明白だった。

 しかしそれでも、柳はこの野望を諦めることは出来ない。彼に残された道は、もうこれしかないのだから。


「……わかったよ。余計なことを言って悪かったね」

『では、先を急ぎます』


 再び歩きだすサヤ。小さな後ろ姿が一点の迷いもなく非常通路の先へと進んでいく。

 ――なんでそんなに自信に充ちているんだ……なんでそこまで揺るがないんだ……!

 柳の心に再び暗い感情が湧き上がる。

 心ばかりの照明が通路をぼんやりと浮かび上がらせる。仄暗い視線が背中に突き刺さる中、グラスディスプレイに手紙のようなマークが現れる。

 それは過去からの手紙、俯瞰の眼からの通達だった。




 ◆ ◆ ◆




『――連絡がつきました。対処法はある、とのことです』

「よっしゃ! さっすがサヤ姉ぇ!」


 フゥが青い光の中に吸い込まれてから約三十分後、ようやくサヤ姉ぇからの返事が届いた。

 人ゴミのど真ん中で思わずガッツポーズを取るわたし。周囲からいろんな意味での視線を感じる。フカサワちゃんはこの時代の人には認識されないから、わたしが空中に向かっていきなり叫びだした変な人にでも見えているんだろう。

 さすがにちょっと恥ずかしいけど、今はそんなのは後まわしだ。肝心なのは、わたしたちが新たに直面した問題への解決策なんだから。


『フライングマンが別の時空へ飛ばされたのは、おそらくわたくしたちの接近によるものだと思われます。たまたま移動したにしては出来すぎのタイミングですし、サン様とフライングマンを隔てるようにゲートが現れたのも、何か作為的なものを感じます』

「……世界の意思、か……。ナツ兄ぃは敵じゃないって言ってたけど、味方ってわけでもないんだよねぇ、やっぱり」

『フライングマンの現在の位置はサヤ様が探索中です。見つかり次第、その時空へと繋がるゲートを開くそうです』

「で、このイタチごっこを終わらせる解決策ってのは?」

『それが……わたくしにはよく意味がわからないのですが……』

「なに? サヤ姉ぇは何て言ってたの?」

『逃げるってわかってる男を、ミオ姉ぇならどう対処すると思う?……とのことです』


 言いよどむフカサワちゃんのその言葉に、自分の表情が崩れていくのがわかった。サヤ姉ぇが言いたいことが、わかりすぎるくらいわかってしまった。

 って言うか、サヤ姉ぇもママのあのレクチャーを受けたことがあるのかと思うと、笑わずにはいられなかった。

 またもや周囲からの視線を強く感じる。突然大声を出した女の子が今度はニヤつきだしたんだから、どうせおかしなものでも見るような目で見てるんだろう。

 その中でも一際大きな眼差しを向けるフカサワちゃんが言葉の意味を訊ねるように目を瞬かせる。……う〜ん、可愛い。その可愛さに免じて、フカサワちゃんにも答えを教えてあげるとしよう。


「ママならきっとこう言うね。――逃げる男をものにしたいのなら、確実に追い込むこと。逃げ道を一つだけ残しおけば相手は簡単に罠にひっかかるから、ってね」

『……男をものにする、ですか?』


 わたしの答えを聞いた後も、フカサワちゃんの大きな目はパチパチと瞬いたままだった。

 

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