第三十八話 : その瞳を開くのは
廃墟を出るとそこは光の国だった――なーんて、どこかの小説の書き出しのような感想を思い浮かべてしまうくらいに、そこには光が溢れていた。
時間的にはお天道様もカンカン照りの真昼間。時空間移動での時間差の影響が出ないよう、転送前と同じ時間になるようにサヤ姉ぇが設定してくれたらしい。
西暦二×××年。季節は夏。
ムンムンとした熱気が地面から立ち昇る。廃墟前の道は舗装すらされていない砂利道だけど、少し向こうに見える道路にはユラユラと空間が歪んで見えた。――陽炎だ!
「うわーーッ! ねぇねぇフカサワちゃん、あれが陽炎って奴!? 本で読んだことはあるけど、実際に見たのは初めてだよ! うわ、すごい! ホントにユラユラしてる!」
『この時代ではまだ道路の温度調整などの設備はそこまで整っていません。陽炎は一般的な自然現象としてこの時代の住人には受け入れられているようです』
「……追いつけるかな」
『追いつく、とは?』
「あの陽炎まで。あのユラユラしたとこに突っ込んだら、すっごく気持ち良さそうじゃない?」
『……あのユラユラとした外見は光が不規則な屈折を起こしているだけですから、実際に何かがあるわけではないのですが』
「そんなの知ってるけど! やってみなくちゃこの気持ちが収まらない! わかんないかなぁ?」
『わかり兼ねます』
「百聞は一見にしかず、って言うよ」
『……じゃあ、ちょっとだけ』
ピンク色のボディをほんのり赤くして、フカサワちゃんが恥ずかしそうに同意した。ってか、やっぱりフカサワちゃんも興味あったんじゃん! く〜っ、可愛い奴め!
「よっしゃ、突っ込めーーッ!」
『ま、待ってくださいよ!』
廃墟から出てほんの数分。
わたしたちの時代にはないものが当たり前のように存在するこの場所に、わたしの好奇心は完璧に魅了されていた。
陽炎はただユラユラと、わたしたちを歓迎するかのように遠くで揺れていた。
◆ ◆ ◆
「室長。何か警護室から連絡はありましたか?」
「連絡? 今のところは特にないけど」
「…………」
忙しなく動いていたサヤの指がピタリと止まる。
その瞬間、机の上に浮かび上がるキーボードは消失し、押し退けていた元々の景色をそこに戻した。
「――ここから離れます」
凛とした声が室内に響き渡る。言葉を最後まで言い終わらぬうちに、サヤはサポートルームの正規の出入口ではなく、非常口へと足を向けていた。
余りにも突然すぎる判断と行動に呆気に取られる柳に向けて、振り返りもせずサヤは言葉をよこす。
「急いで下さい。それとも、ここに一人で残りますか? 私は構いませんが」
「い、行くに決まってるだろう!」
バタバタとした柳の足音がサヤに近づいてくる。ともすれば廊下にまで響きそうなその音に、サヤはため息をついた。
名を表すのは体駆だけで、行動には反映されていないらしい。それとも――。
「おい、これからどこに向かうんだ?」
「……ひとまず室長の部屋へ。あそこなら各フロアの様子が見てとれますから」
「ふん、僕の部屋か。出来ればずっとそこでくつろいでいたいところだけどねぇ」
「…………」
柳の声に返事をすることなく、サヤは目的の場所へと歩み続ける。
肩から提げた射出機のスイッチの入れる。いくつものキーが空中に浮かびだす。まるで魔方陣のように、ライトグリーンの文字の羅列がサヤの身体を取り囲む。
サヤの細い指が踊るように宙を駆ける。グラスに浮かび上がった言葉は――『計画変更』だった。
◇ ◇ ◇
陽炎へ突っ込む計画は、見事に頓挫した。
いくら走ってもユラユラとした景色は遠くへ遠くへ行くばかり。目測では今立っている場所が最初に陽炎が見えた場所だとは思うんだけど、いざその場所まできたところで特に目立った痕跡も実感もなく、ただ熱いだけ。陽炎が出来る程の日差しの中で全力疾走したきたんだから当然っちゃ当然なんだけど。
隣を見ると、心なしか落ち込んだ表情のフカサワちゃん。気分を変えるため……って言うか、元々の目的を達成するため、探し人の居場所を聞こうとしたその瞬間、フカサワちゃんの身体からポンポンポンと太鼓のなるような音がした。
『オペレーター日高サヤ様より入電です。――計画変更。帰還場所を管制塔から変更。場所は未定。追って連絡。……以上です』
「変更って……管制塔に何かあったの!?」
『連絡は取ってみますが、時差のせいで返信はかなり遅れるかと』
「……何かあったらとしたら、変だよ。おかしい」
いくら時空間の隔たりがあるって行っても、過去旅行での時間経過はこちらと向こうとで差異がないように設定されてるはず。わたしがこっちに来てまだ十分も経ってないのに、もう向こうでは何かが起こってるって言うの?
……おかしい。おかしいよ……だけど、それなら――。
「……フカサワちゃん。連絡はもういいよ。それよりもフゥの居場所は?」
『え、向こうの様子はよろしいのですか?』
「サヤ姉ぇのことはヌエちゃんに任せてるし、もうこっちに来ちゃったわたしが出来ることなんて、最初から一つしかないじゃない」
『……そうですね』
それなら、一刻も早くフゥを探し出して、いつでも向こうに帰れるようにしておくのが、わたしが出来る最善策だ。
サヤ姉ぇは絶対にわたしに助けを求めることはしない。いつだってわたしを支えてくれる側に居ようとするんだ。今までずっとそうだったし、これからだってそうするつもりなんだ。
勝手に自分のポジション決めて、誰にもそれを譲ることなく突っ走る。さすが兄妹だよね。そういうとこ、ナツ兄ぃにそっくりだよ。
『俯瞰の眼7918Aの現在地は、ここから南西の方角10Km地点です。例のフライングマンも共にその場所に居るはずです』
「南西……太陽があっちだから、南西は――あっちか」
だけどねサヤ姉ぇ。わたしはもう小さな子どもじゃないし、サヤ姉ぇだって誰かに頼っていいんだよ。わたしやナツ兄ぃ、……かなり心許ないけど、ヌエちゃんに頼ったっていい。
一人だけで突っ走らないでよ、サヤ姉ぇ。
わたしだって同じ目的地に向かって走ってる仲間なんだから。たまにはバトン譲ってよね。
ナツ兄ぃとサヤ姉ぇの最終目的。フライングマンのフゥ。その一番近くに居るのは、わたしなんだから。
「さまよえる者フライングマン……ナツ兄ぃの、好きな人……」
『正確な場所へはわたくしが誘導します。急ぎましょう』
「うん、よろしくね!」
『では、全速力で参ります。――サン様、付いてきてください』
フカサワちゃんが放った言葉の後半は、違う場所から聴こえてきた。
わたしの視界に居たはずの丸い機体は、残像を残したまま5メートルほど離れた空中に浮かんでいた。……これが『俯瞰の眼』の特殊機能、瞬間移動ってやつ?
゛
『急いでください。この後にまだ二度も時空間移動をしなければならないのですから』
「……ふ〜ん、上等。フカサワちゃん、わたしの足の速さ舐めてるでしょ?」
『ご安心を。見失わない程度に移動するよう調整致しますので』
「望むところさ! ……行くよ、フカサワちゃん」
軽く足首を振る。息を軽く吸って、ハッと吐き出す。――それがスタートの合図。
わたしが走り出したと同時にフカサワちゃんの機体が消えた。さっきよりも移動範囲を広めたのか、かなり前方に姿を現すのが見える。いちいち大きな瞳を開け閉じしないと瞬間移動出来ないのか、移動するごとにタイムラグが生じるみたい。その一瞬の間に、わたしはフカサワちゃんの隣を通り過ぎる。
「――くゥッ! はっやーーッ!」
スピードを増すごとに狭くなる視界の中心部分に、ピンク色の球体が現れては消え、すれ違ってはまた現れる。一切手加減なしの全速力で走ってるってのに、さすが『俯瞰の眼』。元々監視のために作られたロボットなんだし、監視下から逃げられないよう移動速度も半端じゃない。文字通り『目』を付けられたりなんかしたら最後、ロックオンされて常に着かず離れずらしいし。
「うわっ!」
何かの声が聴こえて、すぐに遠ざかっていく。フカサワちゃんの声じゃない。多分、この時代の人の声だ。
人気のない廃墟から生活スペースへと出てきたのか、いろんなところから声らしきものが聴こえる。まぁ、こんなスピードで走ってくる女の子が突然現れたらそりゃ驚くよね。
悲鳴、驚愕、叫び声を聴き流しながら、わたしは街中を駆け抜ける。人も車も障害物も避けつつこのスピードを保ったまま走れるんだから、我ながら大した反射神経と運動神経だと思う。駆け抜けた後で何か騒ぎが起こってるかもしんないけど、そんなの知ったこっちゃない。旅の恥は掻き捨てって言うし。
『サン様、もうすぐです』
「……も、う……す、ぐぅぅッ!?」
フカサワちゃんの声がする。くそ、超余裕の声って感じ。わたしはそろそろきつくなってきたってのに……!
普段なら10Kmくらい楽勝だけど、こんな全速力で、しかも人波掻き分けてなんて条件で走ったことないし。
息が切れる。表情が歪んでいくのがわかる。
心臓がバクバクと暴れまくって「もう止まって!」って悲鳴をあげてる気がする。
そう言えば、こっちの時代は酸素が濃いから向こうの時代での人口酸素に慣れてるこの身じゃかなりきついのかも。
半ばぼおっとしてきた頭でそんなことを考えている、その時だった。
『――いました』
そんな冷静な声が耳に届いた。
フカサワちゃんの背面部分が数メートル先で止まっていた。ようやく……ゴール。ようやく、一息つける……。
膝に手をつきながら息を整える。フカサワちゃんは視線を一点に向けたまま、遠くをみつめていた。
その視線の先に、白い少女が居た。
人でごった返しになった広場の中央で、その少女は瞳を閉じて空を見上げていた。それだけなら何も珍しくはない光景だけど、普通ではない要素がそこに混ざっていた。
色鮮やかな景色の中、その空間だけが色を塗り忘れられたように、その女の子はどこまでも白くて。
彼女のそばにふわふわと浮かぶ真っ黒な機体のフカちゃんが、彼女の白さをより際立たせているように見えた。
その異様なまでの白さに振り返ることなく、誰もが彼女のそばを通り過ぎていく。
記録されぬ者、フライングマン。
その眼に映った事実さえ記録されることなく、誰の記憶にも残らない。
視界いっぱいに広がる人波の中、彼女はああやって人の温もりに触れているつもりなのかもしれない。
この場で彼女とフカちゃんを認識しているのはわたしとフカサワちゃんだけ。彼女の閉じた瞳を開くのは、わたしたちにしか出来ないこと。
そしてわたしは――、
「――あなたが、フゥ?」
人波の中で、彼女の名を呼んだ。
その身を包む白さと同じように真っ白な瞳が、わたしを見つめた。