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第三十七話 : 過去の香り

 


「――ごめん。散々心配させちゃって悪いけど、また心配させるようなこと、してくるから。先に謝っておくね。ごめんねママ」

『…………』


 怒りとも呆れともつかない表情で黙ったまま、ママはピクリとも動かない。

 管制塔の中枢、通信室の広い室内をいっぱいいっぱいまで使った贅沢なホログラム電話。仙堂がいつこちらに手を出してくるのかわからない現状のおかげで、いつもはオペレーターでごった返しになっているはずのこの部屋には今、わたし以外誰もいない。ヌエちゃんの権限で特別休暇を与えてるんだとか。

 そんな閑散とした室内で、かなりのドアップに拡大されたママの顔がわたしを睨みつけている。……もうちょっと小さい画像にしておけばよかったかなぁ……。

 サヤ姉ぇが仕掛けたジャミングのせいでホログラムの画像は乱れに乱れている。無表情がたまに笑顔のように歪んだり、般若みたいに釣り目になったり。ママの心情を映し出してるみたいで、怒鳴られてもおかしくない身のわたしとしては全然笑えない。

 毎日連絡を取ること。ナツ兄ぃの研究の手伝いをするためのママから出された条件。それを一週間以上もこなすことが出来ない程、わたしの身の回りにはいろんなことが起こりすぎた。

 わたしの身に起こったことの大体の経緯はサヤ姉ぇからママへ伝わってるはず。正直、今すぐに帰ってこいって怒鳴るのが親としての当たり前の対応なんだと思う。

 聖母にも般若にも見えるホログラムに睨まれながら、審判の言葉を待つ。

 だけど、わたしは知ってる。うちのママが、そんな当たり前の対応をするはずがないって。


『……時空間移動って、どの時代に行くわけ?』

「うん、西暦二×××年だって。ママたちが行った時代より、百年くらい後かな」

『百年か。百年も経てばかなり変わってるよねぇ……』


 ママの目が遠くを見つめた……かと思ったら、すぐにニヤッとほくそ笑む。


『それはお土産もかなり期待できるわね。期待に添わないものなら家にあげないからね、サン』


 ほら、これだ。これがうちのママなんだ。

 わたしを信頼してくれる。わたしが選んだ行動を全て応援してくれる。そんなママだから、わたしは……!


「任せといてよママ! すっごいの持って帰ってくるから! 覚悟しといてね!」

『お、言っちゃったねぇ。クマさんと一緒に楽しみに待ってるわよ』


 ――大好きだよ、ママ。

 心の中でそう告げて、満面の笑顔を返す。室内いっぱいに浮かぶママの顔は、今度こそ間違いなく、聖母みたいな優しい笑顔だった。




 ◇ ◇ ◇




「ミオ姉ぇへのあいさつは済んだ?」

「うん、バッチリ! お土産よろしくとか言ってたよ」

「……自分の娘が大変な目に遭ってるって言うのに、お土産ね。ミオ姉ぇらしいけど」


 ため息をつきながら、サヤ姉ぇがこちらに振り向いた。後ろで一つにくくられた黒髪が、視線を追うように軌跡を描く。

 ディスプレイ用の眼鏡を額に当てて、耳にはイヤホンマイク、首からキーボードホログラムを射出させるための機材がたすき掛けされている。

 これからの数時間に備えた、サヤ姉ぇの戦闘態勢だ。


「おぉ、格好いいじゃんサヤ姉ぇ! それに対して、こっちはねぇ……」

「……なんだよ? 何か言いたそうだね」


 一方ヌエちゃんの装備はと言うと、サヤ姉ぇと連絡を取り合うための無線機とイヤホンマイクのみ。完全に受身体勢。勝手に動かれても危険なだけだから、ヌエちゃんなりに分をわきまえてるんだろうけど。

 実質、この部隊の指揮を執るのはサヤ姉ぇってことになる。

 時空間移動中のわたしとは最新型の『俯瞰の眼』を通じて、ヌエちゃんとはジャミングの影響を受けない特殊な無線機を通じて指示を出し、それに加えて三回分の時空間移動のセッティングを一人でこなさなきゃならない。もしその間に仙堂の襲撃があれば、さらに負担は倍増する。

 それなのに、サヤ姉ぇはわたしのことを心配してくれる。本当に危険なのはサヤ姉ぇの方なのに。


「……ヌエちゃん」

「だからヌエちゃんとか言うな! 僕がお前のいくつ年上だと思って――!」

「サヤ姉ぇのこと、頼んだからね。どうかサヤ姉ぇを守って。お願いします」

「う……」

「盾になったり囮になったり人間爆弾になったり、いろいろ方法はあるんだからね」

「……おい。それだと全部僕が死ぬことにならないか?」

「女を守って死ねるなんて、男の死に様に相応しいじゃない!」

「やかましい!」


 ヌエちゃんに男の死に様を説いたその時、軽快なメロディが室内に響き渡った。

 音の出所はナツ兄ぃのHPC。それが理解できた瞬間、わたしたちに緊張感が走る。

 ナツ兄ぃの立てた仮説の検証終了を知らせる音。それが、行動開始の合図だった。


「サン、五分後にゲートを開くからすぐに用意して」

「わかった!」


 足早に、ゲートを開くための部屋へと向かう。サポートルームを出る寸前に少しだけ振り返ると、サヤ姉ぇと目が合った。

 その表情に、一瞬見惚れてしまった。

 それは、何て言えばいい表情なんだろう。慈愛に充ちたとか、心配そうにって言うのとは、また違う気がする。

 ただ、綺麗だった。美しいって思ったんだ。


「行ってきます!」


 頼りになるパートナーに満面を笑みを向けて、わたしは部屋から駆けていく。

 サポートルームからゲートを開くための部屋までは多少距離がある。まっすぐな長い廊下に、あの時のことを思い出した。

 六年前、パパの研究所の中でナツ兄ぃを探して走り回ったこと。言い様のない不安に押しつぶされそうになって、それを振り払うように全力で走ったこと。ナツ兄ぃを追いかけられることも出来ずに、置き去りにされたこと。

 ――過去のことだよ。

 もうわたしは振り返らない。振り返るのなら、あの時とっくに振り向いてた。ナツ兄ぃを見捨てた、あの時に。

 『出発ゲート』と書かれたプレートが視界に入る。ドアをスライドさせて中へ入ると、すでにそこには光の門が開かれていた。

 オレンジ色の光が室内を照らす。柔らかくて温かい光。初めて見るはずなのに、どこかで見たことのあるような懐かしい光。

 光の門の前に佇む。いつの間にいたのか、最新型の俯瞰の眼がわたしの隣でふわふわと浮いていた。


『初めまして。わたくし、シリアルナンバーM2232の俯瞰の眼、通称フカサワと申します。以後お見知りおきを』

「フカサワ?」

『あくまで通称です。ご要望であれば別の通称でも構いませんが』

「ううん、別にいいよ。フカサワちゃんね。……俯瞰の眼の通称って誰が考えてるの?」

『初代設計者による仕様です。こだわりと言っても過言ではないようです。これから先製作されるはずのナンバーZ9999までの全ての俯瞰の眼に、すでに通称が付いているようですから』

「ふ〜ん。……ま、いっか。よろしくね、フカサワちゃん!」

『こちらこそ、よろしくお願い致します』


 ふわふわと浮かびながら、ピンク色の球状の身体をこちらに傾けるフカサワちゃん。多分、これがお辞儀のつもりなんだ。大きな瞳もきちんと閉じたままだし。

 その姿がかわいくて、思わず微笑んでしまった。ママがフカちゃんを気に入った理由がわかる。愛らしいもんね、堅い口調とこのスタイルが。


『何かおかしいですか?』

「ううん、別に」

『サン、用意はいい?』

「は? へ?」


 フカサワちゃん、なんでいきなりタメ口!?

 ……あ、そっか。サヤ姉ぇとの連絡は俯瞰の眼を通じて行うんだった。最新型の俯瞰の眼はオペレーターに画像と音声を送受信出来るんだよね。さすがに時空間を挟んじゃうとリアルタイムとはいかないみたいだけど。


『あと十秒で転送の準備出来るから。さっきも説明したけど、転送された場所にその時代での衣服は用意してあるし、フゥの居場所は一時間置きに報告する。他に質問は?』

「うん、大丈夫。何か問題が起こったらその時にどうすればいいか訊くから」

『了解。……さぁ、開くよ』


 サヤ姉ぇの言葉と共に、光の粒子がフカサワちゃんとわたしの身体を包んでいく。

 目の前が真っ白になって、眩しくて目を開けられない。

 水の中にいるような、空中に浮遊しているような、身体中にゾクゾクする感覚が走る。でもそれも一瞬のことで、すぐにその感覚は霧散した。代わりに訪れたのは温もり。赤ん坊の頃、羊水の中で眠っていた感覚と同じものなのかもしれない。

 安らぎの中、唐突に現実感が降って来る。足に地の感覚と重力を感じた。さっきまでは感じなかった何か不思議な香りが鼻を刺す。

 ゆっくりと目を開ける。ぼんやりと視界に入ってきたのは、さっきまでとは全然違う景色。まるで廃墟のような、誰もいない建物の中だった。


『――転送終了です』


 隣からフカサワちゃんの声が聴こえる。その方向に視線をやると、フカサワちゃんの背後にある窓から信じられないものが見えた。


「……木だ。木がある……」


 不思議な香りの正体は、あの木から運ばれてくる風の匂い。今まで嗅いだどの香りよりも、その香りは優しかった。

 パパが育てた人口苗も人口花からも、その香りはしなかった。

 今までCGや写真でしか見たことのない大きな木。何十年の歳月を過ごしたからこその香り。わたしたちの時代には、もう存在しない香り。

 思い切りその香りを吸い込んで、ようやく実感が湧いてきた。

 わたしは、過去にやってきたんだ。

 ナツ兄ぃの願いを果たすために。

 フライングマンの少女、フゥを救うために。


「さて、行きますか!」


 床に置かれていた衣服を着ながら、廃墟中に響くように気合を入れる。

 出口から差し込む光に向かって、わたしは思い切り駆け出した。


 

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