第三十六話 : それぞれのやるべきこと
夢を、見ていた。
ハッキリと夢だと判る夢。明晰夢ってやつ。
その夢の中ではわたしはいなくて、登場人物はたったの二人。ナツ兄ぃと黒スーツの男だけ。
薄暗い部屋の中、殴られて、蹴られて、痣と血だらけになったナツ兄ぃ。その姿を見ながら、心底嬉しそうに高笑いする男。
……こんなの、観たくない。観たくないのに!
夢だとわかっているのに、その光景はわたしの願いを叶えてくれない。それどころか、わたしがそう望めば望む程に、男はよりナツ兄ぃをいたぶり続ける。
……やめて、やめてよ、――やめてェェッ!!
その叫びは声にならず。その叫びは誰にも届かず。その叫びは、叶わない。
大好きな人がなぶられ続ける光景。それから目を逸らすことも出来ず、夢は続く。
永遠とも思える程の地獄の時間にようやく終わりが見えてきた。それは、わたしの想像した中でも最悪な結末。
気持ちの悪い笑顔を向けながら、黒スーツの男がゆっくりと銃を構えた。
銃口の先には、ぴくりとも動かずに倒れるナツ兄ぃの姿。
わたしの心臓の鼓動が、夢の中にうるさいくらいに響き渡る。
その音にタイミングを合わせたように、黒スーツの男は、ゆっくりと引き鉄を――
「――イヤアアァァァァッ!!」
ようやく搾り出せた叫び声が、夢の中の光景を打ち消した。
鼓動はまだ鳴り止まない。荒い呼吸と心臓の音が頭に響く。
涙で歪んだ視界に飛び込んできたのは、一面灰色の世界。その灰色の中に、縦横にまっすぐな線が走っている。同じ大きさに縁取られたいくつもの四角の中に明滅する光が見えた。
「……プラネタ、リウム……?」
その考えは当たってたみたいで、天井一面に並ぶ四角の中にはいくつもの星座たちを象るように光が明滅を繰り返していた。
……ベガとオリオン座が一緒に光ってるし。季節感が死語になってるとは言っても、星座をごっちゃにしちゃうかなぁ……。
「それね、ヒーリング効果を狙って作られたらしいよ。効果があるかどうかは、はっきり言って疑わしいけどね」
瞬間、ぞわっと鳥肌が立った。すぐそばに、誰かいる!
思わず身をひるがえ――そうと思ったら、見事にバランスを崩してしまった。
わたしが居た場所がベッドの上なんだって想像もしてなかったから、そのままベッド脇へ真っ逆さま。
「ふぎゃっ!」
「サンっ! 大丈夫?」
「……え? え、え?」
ベッドを迂回しながら姿を現したのは、わたしのよく知る人物――サヤ姉ぇだった。
◇ ◇ ◇
「……そっか。そんなことになってたんだ」
「…………」
リクライニングチェアに腰掛けながら、サヤ姉ぇの言葉に深く頷く。
仮眠室と呼ばれる、サヤ姉ぇが働く管制塔の中の一室。天井にはエセプラネタリウムが、相変わらず季節感関係なしに輝いている。
目が覚めてから一時間後、わたしはサヤ姉ぇに全てを話した。
あのホテルから逃げ出した夜のこと。ナツ兄ぃと仙堂が決別したこと。仙堂に見つからないように過ごした四日間のこと。黒スーツとの決闘のこと。そして、ナツ兄ぃが自分を犠牲にしてわたしを逃がしてくれたこと。
それから後のことはあまり覚えてない。どこに隠れて、何を食べて、どこで寝ていたのか、まるで記憶が曖昧だった。昨夜管制塔に辿り着いたことなんて、サヤ姉ぇから聞かされても全然実感がない。
この四日間はナツ兄ぃのことだけしか考えてなかった気がする。
ナツ兄ぃは無事なのか。ナツ兄ぃは苦しんでないか。ナツ兄ぃは生きているのか。そればっかりを考えていた。
――ナツ兄ぃを見捨てたくせに!
ナツ兄ぃのことを思う度に、自分のした行為を責める気持ちで一杯になる。悔しくて、苦しくて、その度に泣いて、その度に決心した。
『フゥのこと頼むぜ、……相棒』
ナツ兄ぃはわたしのことをパートナーとして認めてくれた。
フゥを救い出すことはナツ兄ぃの悲願。それを果たさずして、何がパートナーだ!
ナツ兄ぃと別れてから三日。その思いだけがわたしを突き動かしていたんだ。
「頑張ったね、サン」
「……ッ!」
いきなり、サヤ姉ぇに抱きしめられた。
思わず涙が出た。サヤ姉ぇには昔から慰められてばっかりだ。相変わらず胸のないサヤ姉ぇだけど、その変わらなさが逆に嬉しい。いろんな意味で。
「……なんか変なこと考えてない?」
「ううん、全然」
勘が鋭いとこも変わりなく。
わたしとサヤ姉ぇはしばらくそうやって抱き合っていた。
◇ ◇ ◇
「……で、結局仙堂さんの動きは掴めず終いか。役に立たないなぁ」
出会い頭に思い切り無粋な言葉を投げかける面長おじさん、もとい、ヌエちゃん。
驚いたことに、サヤ姉ぇとヌエちゃんは協力関係にあるらしい。多分、って言うか絶対だろうけど、サヤ姉ぇが何か弱みを握ってるんだろうなぁ。ヌエちゃんつつかれたらヤバイこといっぱいありそうだし。
「室長。ご自身の心配をされるのは結構ですが、時と場合を考えた大人らしい対応と余裕は持っていた方が良いですよ」
「余裕? そんなもの、仙堂さんが日高ナツを切り捨てた時から持ってないさ」
切り捨てた――その言葉に思わず反応してしまう。
思いの外鋭くなっていたのか、わたしの視線にヌエちゃんは少したじろいだ様子だった。
「ひ、日高ナツのことを、仙堂さんは本当に気に入っていたんだ。休日には自ら足を運ぶ程にな。僕のところへなんて、仙堂さんは一度だって来やしなかったっていうのに」
「それ、単純にヌエちゃんのことが嫌いだったんじゃないの?」
「そんなことあるかぁ! 僕がどれだけ仙堂さんに尽くしてきたと思ってるんだぁ! あと、ヌエちゃんって言うなぁ!」
大きな目玉をギョロっと見開きながらヌエちゃんが叫ぶ。広い室内に反響して、それはいたるところからわたしの鼓膜に響き渡る。その大声にわたしだけでなく、サヤ姉ぇまでが冷たい視線を浴びせた。
あ、こりゃ出るな、久々に。
「――室長。ご自分の首を絞めるのがどうもお好きなようですが、自慰に励むのは自室にこもってからでいかがですか?」
「な、なんだとぉッ!」
「話を聴かれて困るのはあなたもそうでしょう? この管制塔にだって仙堂の息はかかっている。好き好んで自らを追い込むような真似を、自慰以外に何と呼べば?」
「ぐっ……!」
サヤ姉ぇの言葉に、ヌエちゃんはようやく口をつぐんだ。氷の宣告の鋭さは未だ健在みたい。
わたしが眠っていた仮眠室の隣にある部屋。いつもサヤ姉ぇが働いている管制塔のサポートルームで、わたしとサヤ姉ぇ、ヌエちゃんの三人は密談を交わしている真っ最中。それなのに大声で喚くんだから、そりゃサヤ姉ぇじゃなくたって怒るよ。
しばらく周りの気配を探った後、サヤ姉ぇは近くにあるPCに何かのプログラムを打ちなおした。
「一応、盗聴防止用のジャミングはかけ直したけど、安全じゃないことに変わりはない。私への監視が解かれたのは、サンをこちらに向かいやすくするためか、それともサンがここにいることが確認されたからかのどちらかかもしれないし。……サン、そのHPCの実験ってまだ結果は出てないの?」
「ちょっと待って……うん、まだ。あともうちょっとみたい」
「……そう。じゃあ今のうちに私たちがこれからやることを整理しておこうか。今は一刻の余地もなさそうだしね」
わたしとヌエちゃんが頷くのを見て、サヤ姉ぇは言葉を続ける。
「お兄ちゃんのHPCで行われている、フゥの居る歴史とこちら側の歴史との交点を見つける作業。それが終わるまでに、今現在フゥの居る時代の検索をかける。これは私の担当ね」
「ちょ、ちょっと待て! フライングマンの居場所を探る方法があるって言うのか!?」
「あります。が、その方法は私たちが探しているフライングマン、フゥに限り有効です。残念でしたね」
「くっ……」
……なんだろ? ヌエちゃんとサヤ姉ぇの会話がよくわかんない。
でも今はそれどころじゃない。二人にしか通じないことになんか気をやってる程、わたしにだって余裕はないんだから。
「フゥの居る時代の検索とHPCの実験。この二つの結果が出次第、すぐに時空間移動の準備に入る。これはサン、あなたの担当」
サヤ姉ぇの言葉に力強く頷く。
サヤ姉ぇは時空間移動のサポートに回らないといけないし、ヌエちゃんはこういった担当には向いてなさそうだし。消去法で言っても、この担当はわたし以外にはいない。
それに何より、ナツ兄ぃとの約束がある。フゥを迎えに行くのは、ナツ兄ぃのパートナーであるわたしの仕事。誰にも譲る気はない。
……そしてもう一つ、フゥに直接会って言いたいこともあるしね。
「室長は管制塔に入ってくる情報の管理をお願いします。仙堂が直接出向く可能性はないでしょうが、何かしら手を打ってくるのはまず間違いないですから」
「……ああ。僕だってみすみす自分の城を手放す気はないさ。……時間の問題だろうけどね」
「フゥをサルベージするまでもてば問題なしです。その後はHPCの実験結果で出た地点まで二人を時空間移動させる。お兄ちゃんの仮説通りなら、白の波長を用いたゲートでならフゥも一緒に移動できるはずだから」
これが第一関門。仙堂の提供した『向こう側の物質』とやらはこれで移動することは出来たけど、フライングマンであるフゥも同様に移動できるかはまだ可能かどうかはわかっていない。はっきり言って賭けだ。
それに、これ以外にも問題はあるしね。
「歴史の交流地点へと二人を移動させた後だけど。仮説通りならこの時点でフゥはこちら側の歴史へと戻ってきているはず。もし何の変化も見られないようなら……残念だけれど……」
「失敗なんてするはずない」
きっぱりと言い放つ。わたしの言葉に、サヤ姉ぇは少し驚いた顔をしていた。
ナツ兄ぃに託されたんだ。失敗なんて絶対にしない。どんな反則技を使ったっていい、絶対にこちら側に連れ戻してみせる。
それよりも問題は仙堂のことだ。
わたしが時空間移動している間、サヤ姉ぇとヌエちゃんは二人きり。管制塔の職員がいるにしても、仙堂の名を出されたら簡単に通してしまうだろう。それくらい、仙堂の名には力があるんだ。
サヤ姉ぇは自分の身は守れるにしても、ヌエちゃんまで守れる余裕なんてとてもないはず。
わたしがフゥを探し出して、一緒に歴史の交流地点まで移動、さらにそこから元の時代へ移動。これだけの作業をサヤ姉ぇ一人でこなさなきゃならない。その間に仙堂に押し入られたら、はっきり言っておしまいだよ。
「わたしが向こうに言ってる間の防衛策ってどうなってんの?」
「その時は私と室長でどうにかするよ」
「……大丈夫?」
「そうだね。失敗なんてするはずない、って言えるくらいには自信あるよ」
サヤ姉ぇがいたずらっぽく微笑む。今度はわたしが驚く番だった。
……サヤ姉ぇってこんな顔もできるんだ……。ヌエちゃんもそう思ったのか、大きな目をさらに見開いていた。
「さて、やることはそれぞれ理解できたようだし、私は今からフゥの居場所を検索するから」
「う、うん」
「室長もご自分の役目に戻ってください。不審な情報が入り次第、すぐにこちらに知らせてください」
「わ、わかった」
机の上にホログラムのキーボードを浮かび上がらせ、ディスプレイグラスを装着したサヤ姉ぇはもうすっかりいつもの表情に戻っていた。……なんか、すっごい仕事ができる女って感じ。指示を与えられて自室へと駆けて行くヌエちゃんの方が下っ端に見えてきたし。
そう思いながらサヤ姉ぇの作業を眺めていると、振り向きもせずに、サヤ姉ぇが何かをこっちに放り投げてきた。
きれいな放物線を描いてこっちに飛んで来たのは、ナツ兄ぃのペンダント。
フカちゃんのメモリーチップが入っていた、あのペンダントだった。
「以前は早く手放してほしいって思ってたけど、最悪なタイミングでやってくれるよね、あのバカ兄貴。それに十年以上も付き合ってきたんだから、私も晴れてバカの仲間入りかな」
「…………」
「バカに付き合うのもそろそろ飽きてきたよ。早いところフゥを救い出して、さっさと終わらせよう、サン」
「――うん!」
頼りになる背中に向けて、大きな声で返事を返した。その背中を見ながら、思う。
サヤ姉ぇは、いつからフゥのことを思い出していたんだろう。いつからナツ兄ぃをサポートすることを決心していたんだろう。
ナツ兄ぃがフゥのことを思い出すかなり前から、サヤ姉ぇは管制塔に勤めるための準備をしていた。それはきっと、ナツ兄ぃがフゥを救うために動くことを想定してのこと。時空間移動を自由に行える者が居るのと居ないのとじゃ天地の差だ。
サヤ姉ぇは、ずっと前から、ずっとそばで、ナツ兄ぃを影から支えていたんだ。
「……やっぱりサヤ姉ぇ、強敵だよね」
「ん? なにか言った?」
いつかと同じ会話。べつに、と返事をしてサヤ姉ぇに背を向ける。
わたしだって、負けてられない。
わたしにしかできないことと、サヤ姉ぇにしかできないことは違う。わたしはわたしがやるべきことをやるだけだ。
そう思えた瞬間、ほんのちょっとだけ、自分が少し大人になった気がした。