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幕間 : 蜘蛛の糸

 

 ◆ ◆ ◆




 全身を駆け抜ける衝撃が、ナツを眠りから呼び覚ました。

 ぐにゃりと歪んだ視界。身体は何かに押さえつけられてるかのように動かない。

 まるで水の中にいるようだとナツは感じていた。そうであれば、目の前がぐにゃぐにゃと歪んだ世界なのも頷ける。

 再度、衝撃が突き抜ける。

 歪んだ視界に色の認識が戻ってくる。まず見えたのは黒。まるで影法師のような人型の黒が、ぐにゃぐにゃと動いている。


「ようやくお目覚めですかい、ナイト様」


 影法師が口を利いた。

 影の中でも人の顔に当たる部分に、かすかに違う色が見えてくる。その色がはっきりと見える前に、ナツの身体にまたも衝撃が走った。

 この衝撃は何だろう。そう思った矢先、正体は判明した。

 影法師の、人で言えば足に当たる部分が、ナツの顔を踏みつけたのだ。


 ――なんだ、ボコられてたのか、俺。


 普通ならば怒りを覚えてもおかしくない状況だったが、今のナツは普通の状況ではなかった。何本もの筋肉弛緩針を打たれ、さらには麻酔弾を直撃されていた。言うことを聞かない身体は、自由と共に痛覚をも奪っていたのだ。

 意識のあるまま、ナツは何度も殴られ、蹴られ、唾を吐きかけられた。

 水面に漂うように、ナツの身体は揺れ続ける。殴られる度に倒れる身体を、影法師はご丁寧にも元の体勢にまで直し、さらに殴打を重ねる。

 視界はさらに歪み、身体はさらに重みを増してゆく。

 吸った息でさえ、泥水のような粘りを感じる。その粘りに耐え切れず咳き込むと、そこにはまさしく泥水を連想させる赤黒いものが混じっていた。

 サンドバッグのように無抵抗のナツを、影法師は殴打し続ける。

 終わりの見えないその行為が止んだ頃には、元々その色で染められていたかのように、床には赤が広がっていた。


「……さて、そろそろ止めておくか。これ以上はさすがに生死に関わるしねぇ」


 そう言い残し、影法師はランプの光の届かない闇の中へと消えていく。

 その光がナツの消え行く意識に歯止めをかける。この光は誰が灯した光だったか。誰が残していった光だったか。


『きっと迎えに来るから! 絶対、迎えに行くからね!』


 ああ、そうだ。俺の相棒が残した光だ。……ってことは、ここはまだあの地下室か。

 ナツがようやくそこまで把握した頃、影法師は戻ってきた。手には携帯電話が握りしめられている。どうやら誰かと連絡を取り合っていたようだ。


「セン……ド、ウ、さん……か?」

「おお? まだ意識があったか。思ったよりも平気そうだな」


 影法師が近づいてくる。顔ははっきりとは見えないが、声と雰囲気でわかる。ナツの意識がなくなる数分前まで、サンをまるで子ども扱いしていた、あの黒スーツの男だと。

 地下室の中に無造作に置かれた箱に腰掛け、男は何かを口に放り込んだ。カプセルのようなそれを一呑みした後、数秒後に男は「クハアッ!」と満足そうな息を吐いた。

 何かの薬物か何かとナツが推測したその時、男は口を開く。


「あと数分後に迎えが来る。治療を挟んで数時間後には、我らが城主とご対面だ、ナイト様」

「……お、俺を、どうする、つもり、だ……?」

「さあねぇ? それこそ主に直接聞いてくれ。あの人のすることや考えることは複雑すぎてね、こっちもついてくのにやっとさ。ま、金払いはいいし待遇もいいのは願ってもない就職先さ。たまにはさっきみたいな胸のスカッとするような戦闘にも立ち会うこともできるしな。……どっかの誰かさんに見事に邪魔されたがねぇ、クソが」


 その言葉にナツは安堵した。サンは見事に逃げ切ったのだ。

 麻酔弾は被弾しなかったとしても、弛緩針は何本も撃たれたはずだった。それでもサンは黒スーツの男に見つかることなく、この場から逃げ出せたのだ。

 思わず笑いが込み上げてくる。笑いと一緒に吐き気まで込み上げたが、構うことはない。すでに床はナツの吐しゃ物と血でまみれているのだ。今さら何を気にすることがある。

 血を吐きながら笑う姿に、男は眉をひそめる。


「やれやれ、お嬢ちゃんをここから逃がせたことがそんなに満足かい? まだ何も事態は変わってないってのに」


 その言葉に、ぴたりと笑いは止んだ。


「どういう、意味だ……!」

「主の野望はもうすぐ達成する。だからこそ、主はお前をもう切り捨てることを決心したのさ。《if》に関連した人間や施設も、主はそのうち切り捨てるだろう。お前の妹のいる管制塔も、例外じゃないだろうなぁ」


 地獄の底から響くようなナツの叫び。その叫びをもあざ笑うかのように、男は冷え切った目でナツを見つめる。


「日高ナツ。お前は何も巻き込まないようにしてたつもりでもなぁ、人の繋がりってのは断ち切ることの出来ない蜘蛛の糸さ。糸は縦横無尽に絡まって、意外なところでまた繋がるのさ。そこが地獄への入り口だとしてもな」

「サヤは、関係ないだろォ……ッ!」

「違うな。お前の妹と言うだけで主にとっては脅威になる。まして、管制塔に勤めている時点でもう何らかの関わりはあって然るべきだ。無視するにはリスクがでかい。主にとってはほんの小指ほどのリスクだろうがねぇ」


 ナツの顔が怒りに歪んだ。

 その怒りが仙堂に対するものか、目の前の男に対するものか、己に対するものなのか。果たしてそれは、その全てであっただろう。

 怒りは身体に自由を取り戻す。糸人形の手に力がこもる。やがてそれは身体を支え、ナツの身体を緩やかに、だが確実に、男のもとへと突き動かした。


「ふざけん、な……、ふざ、けんなよォ……ッ!」


 完全に身体の自由を奪う麻酔弾をくらったはずなのに、こんなにもボロボロになっているというのに、目の前のその男は自らの力で立ち上がり、こちらに向かってくる。

 その姿に男は身震いした。その理由は恐怖ではなく、愉悦であった。


「ふ、ふひゃ、うはははっ! なんだよ、お前も割りとイケる口か? お嬢ちゃんだけがそうだと思ってたが、お前もいたぶりがいがありそうだなぁ! うははははッ!」


 その言葉と共に繰り出された蹴りは、ナツの身体を簡単に吹き飛ばした。

 壁に跳ね返り、床に叩きつけられ。それでもナツは唸り声を発しながら血に染まった床を這って来る。

 男の目が異常な色に染まる。口からはよだれがだらだらと垂れ落ち、股間は高く盛り上がっていた。

 男が右手にナイフを構えた。ランプの光が、鋭さを見せ付けるかのように煌々を刃を照らす。


「なぁ、今のお前、痛み感じないんだろ? 虫ってそうなんだってなぁ。ピンで体中留められてもピクピク動くんだってなぁ? 俺、一度見てみたかったんだよ。……なに、殺しはしないさ。ちょっとだけ、ちょっとだけ串刺しにするだけだから。……なぁ? うははははぁ!」

「こ、の……クソ野郎がああァァッ!」


 男が右手を振り上げる。その顔に狂気を浮かべたまま。

 ナツが吠えるように叫んだ。その顔に怒りを浮かべたまま。

 そして二人の間に、天から強烈な光が差し込んだ。

 

「――何をしているのですか? 私は『可能な限り無傷で捕らえろ』と命じたはずですが」

「あ、い、いえ……暴れ出したので、おとなしくしようと思いましてね」

「言い訳は結構です」


 閃光弾のような強烈な光。そして厳粛な重みがこもった言葉。

 まるで神が君臨してきたかのように、その人物は現れた。


「せんどう、さん……?」

「ずいぶんひどい格好ですね、日高さん。まずは治療に専念しましょうか。あなたにはまだ、やってもらわねばならない大事な仕事があるのですから」


 『影』の主。ナツの研究の出資者。――仙堂ジン、その人だった。




 ◆ ◆ ◆




 サヤは焦っていた。

 兄から最後の連絡があったのが一週間前。しかもその内容が「仙堂さんにバレた。しばらく姿を消す。サンを頼む」と、たった三文で構成された電子メール。その簡素な文章が、いかにも性急な事態を連想させた。

 それでもサヤから動くわけにはいかない。今動けば、それは自分を見張っているはずの仙堂の手の者にも伝わり、そのまま仙堂の耳に入ることになる。そうなれば、サンを匿うことなど出来るはずもない。

 サヤがすべきことは、ただただ焦りをひた隠して通常通りに振る舞い、監視の目を出来る限り緩ませること。そうでなければ、サンを匿うことすら出来なくなってしまう。

 周りからは冷静だと認識されているサヤだが、その内にあるものは誰よりも熱い。大事な人を守るためにこそ、十年以上も動いてきた。兄と妹が窮地に立たされていると言うのに平然を装うという行動は、サヤにとっては何よりも辛いことだった。


 ――柳に仙堂の動向を探らせるか?


 一笑と共にその考えは霧散した。あの柳に、あの仙堂だ。成功するわけがない。

 だがしかし、このままでは二人が危険すぎる。何か手はないのか。何か――

 兄から連絡があって一週間、サヤは「動いてはいけない」「何か手を打たなくては」という二律背反のような思考に悩まされ続けていた。

 そして今日も一日が終わる。管制塔の業務は滞りなく終了した。

 エレベーターから降りて、地下駐車場へと足を踏み入れ、サヤは何かの気配を察した。仙堂の手下かとも思ったが、それにしては異様な気配だった。

 殺意が塊になって降り注ぐような、禍々しい気配。

 サヤは視線だけを動かし辺りを探った。誰もいない。いつもはすぐに見つかる仙堂の手下の姿も、今夜に限っては見当たらない。それなら、この気配の主は誰なのか?

 サヤの身体に緊張が走る。

 服に忍ばせているスタンボムに手を伸ばした、その時だった。


「……サヤ姉ぇ……」


 サヤの身体に衝撃が走る。

 声の聴こえた場所へ振り向くと、そこには待ち望んでいた少女の姿があった。

 しかし、すぐにでも抱きかかえたい気持ちをサヤは制止させた。

 そこに居た少女は、まるで手負いの獣のような、迂闊には近づきがたい空気をまとっていた。


「サン……?」


 サヤは思わずそう訊ねた。多少薄汚れているとは言え以前と同じ外見なのに、まとう空気が明らかに違っていたからだ。

 そして、サンと呼ばれたその少女は。

 霧散する殺気と共に、その場に崩れ落ちた。


「サンッ!」


 今度こそ、サヤはためらうことなく少女を抱きかかえた。

 日高ナツが拘束されてから、三日後のことだった。




 ◆ ◆ ◆

  

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