第三十話 : 彼女と彼の目的(1)
「――ってわけだから、大至急フライングマンが時空間移動した時期の磁場データをまとめて送ってほしいんだよね」
『…………』
「もしもーし、ちゃんと聞いてる、おじさん?」
言いながら、モニターをコツコツと叩く。
まるで本当に叩かれたみたいに、モニターの向こうにいる面長の顔を嫌そうにしかめるおじさん。
はっきり言って血色悪いよね、このおじさん。
こんな血色の悪そうなおじさんが管制塔の中でのほぼトップの責任者って言うんだから、管制塔で働いてる人たちはもっと具合悪そうな顔してるんだろうな。イメージだけど。
『お嬢ちゃん、君は僕が誰だか知っててそんな口を利いているのかい?』
「知ってるよ。仙堂のおじさんの子分の柳って言う人でしょ」
『こぶ……! ん、ゴホン。お嬢ちゃん、僕と仙堂さんはあくまでも協力者の関係だ。どっちが上だとか下だとか、そういう関係じゃないんだよ。ちゃんと覚えておくんだね』
「別にどっちでもいいけど。とにかく、ちゃんとデータ送ってよね、おじさん」
『……お嬢ちゃん、僕は仙堂さんと対等の立場だと言ってるんだ。つまり、君なんかがそんな軽々しく話しかけていいような人間じゃないんだよ。君は、柳ヒロムを――、』
「おじさん。わたしは、データを送ってって、さっきから言ってるの。聞こえなかった?」
長くなりそうな話を遮るように、一言一言に重みを込める。モニターの中のおじさんは明らかに不機嫌な表情でこっちを睨んできた。
……なにこいつ。ナツ兄ぃがおもしろい奴だって言うから期待してたのに、なんか変に威張っちゃって感じ悪い。
見た目も気持ち悪いし、こんなののどこがおもしろいんだろ、ナツ兄ぃは。
でも、これがナツ兄ぃの助手としての初仕事。
どんなにイヤな相手でも、きっちりこなしてこそパートナーってもんだよね。
相手がどんなにイヤな奴でも途中で投げ出したりなんかしたらダメだ。
何が何でもこっちの申し出を呑んでもらわなきゃね。
そのためにも、この勝負できっちり上下関係をハッキリさせてやるんだから。
『……フライングマン関連の磁場データならかなり前に仙堂さんに渡してあるよ。仙堂さんから君たちに渡ってると思うけど、もしかしてデータ破損でもしたのかい? もしそうなら、この申し出は単なる君たちの不祥事の後始末ってわけだ』
「そうなるね。……で、何が言いたいの、おじさん」
『つまり、君たちは僕に貸しができるわけだ。ナツくんは貸しがある相手に不遜な態度を取る失礼な助手をそばに置いてることになるねぇ。そのことについて、君はどう思う?』
「そんな失礼な助手は辞めさせればいいと思うよ」
『……よ、よくわかってるじゃないか。じゃあ、これからは僕に対してどういう態度を取ればいいのか、わかるよねぇ』
舌なめずりしながら、おじさんは口の端をニヤリとさせながら得意気な顔を浮かべた。
こんな、いかにも芝居がかった悪人ぽい行動が似合う人も珍しい。
昔、パパをよくいじめていたハゲ頭の大学教授にそういう人がいたことを思い出した。
そしてその人が、何の毒にも薬にもならない、単なる小悪党だったことも。
「うん、わかってるよ。そんなどうでもいい話してるヒマあったら、さっさとデータ送ってよおっさん」
『な……!』
大きな目がギョロっと見開いた。
気持ち悪い。でも、少し爽快。
このおじさん、やっぱりあのハゲ頭と同じタイプの人間だ。
『君には話が通じないな。このことは後でナツくんや仙堂さんに報告させてもらうけど、もちろんいいんだよねぇ?』
「どうぞご勝手に。それと、おじさん勘違いしてるみたいだけど、わたしがお願いしてるのは『異様な磁場が発生した時期』のデータだからね。磁場のデータはちゃんと残ってるから、ご心配なく」
『……はぁ?』
うわ、すごい間抜けヅラ。
細長い顔がさらに細くなってる。なるほどね、この顔は確かにおもしろいよ、ナツ兄ぃ。
今回のこの依頼は、異様な磁場が発生する前、もしくは後に、地震の前震や余震のような前触れや名残がないかどうかを調べるため。
確かに誤解を招いてもしょうがない、ちょっとまぎらわしいお願いだけど、それで勝手に自滅したのは向こうの方。わたしは悪くない。ちょっと悪ノリしただけ。
さて、そんな小悪党ぶりを見事に発揮してくれたおじさんは、悔しそうに歪む顔を必死に取りつくろって「ふん、まぎらわしい」と冷静な大人の演技をするけど、やっぱりちっとも似合わない。
「あ、このことは別に貸しにするつもりないから、変に遠慮しなくていいからね〜、おじさん」
『……覚えておけよ、ガキが』
その言葉を最後に、向こうからの通信は途絶えた。
――サイコーじゃん、このおっさん!
最後の最後まで見事に小悪党! なに最後のセリフ! あんなセリフ三流ドラマでしか聴いたことないよ!
ナツ兄ぃ、わたしちょっとこのおっさんのこと気にいったかも。
今回のことで上下関係もハッキリしたことだし、今度会う機会があったら遊んでやろうかな。
「おーいサン、ヌエの奴了解してくれたか〜?」
そんなことを言いながら、隣の部屋からナツ兄ぃが現れた。
ヌエ? あのおじさんヌエって名前なの? 興味なかったから訊かなかったけど、多分そうなんだろうな。
ふふふ、今度から「ちゃん」付けで呼んでやろっと。
「うん、オッケーだって。多分すぐ送ってくると思うよ、あの人」
「へえ、あいつ結構気難しいトコあんのに。よく了解取れたな」
「ナツ兄ぃがおもしろい奴って言うだけあるね。わたし、あのおじさんのこと少し気に入ったかも」
オモチャ的な意味で、だけど。
「気に入ったなら良かったよ。あいつ、ああいう性格だから友達少ないだろうし、これからも仲良くしてやってくれな」
「らじゃー! まかせといてよ!」
「うんうん、サンは素直だよな。それに比べて、サヤの奴なんかヌエのこと『どこがいい奴なのか全然わからない』なんて言うんだぜ? やっぱどこかひねくれてんだよな、あいつは。サンもそう思わねぇか?」
眉をしかめながら、わたしに同意を求めるようにそう訊ねてくるナツ兄ぃ。
だけどわたしの頭にはハテナマークがいっぱいで、ナツ兄ぃに同意している余裕なんてどこにもなかった。
……えっと、え? どういうこと? 今わたし、とんでもないこと聞いちゃった?
ナツ兄ぃの顔をジッと見つめる。主に口の辺りを重点的に。
たった今聞いたばかりの言葉を、もう一度確かめるために。
「……ナツ兄ぃ、今なんて言った?」
「だから、サヤの奴が――あ、」
「ナツ兄ぃ、サヤ姉ぇと連絡取り合ってたの!? わたしやママやパパには一切連絡してこなかったのに!? なんでサヤ姉ぇにだけ!? 何それ、信じらんないんだけどーーッ!」
「あ、いや、あのなサン、それにはワケがあってな……」
「問答無用ッ! 俺だけで約束を果たすとかカッコ良いこと言っといて、サヤ姉ぇは思い切り巻き込んでんじゃん! お仕置きだーッ!」
「おわ、やめろって、うが、……ぎゃはははッ! やめ、ぐは! くすぐんなってサン、ぶわははははッ!」
「うりうりうりーッ!」
ナツ兄ぃの脇を後ろからガッチリとっ捕まえて、くすぐり地獄の刑に処す。
どんなワケかは後で問い詰めるとして、とりあえず今はナツ兄ぃにお仕置きしなきゃね。
どんな深刻な理由だろうと、ナツ兄ぃのパートナーは、わたしなんだ。
サヤ姉ぇにだって、フゥっていうフライングマンの娘にだって、絶対に譲る気なんかないんだから。
「ぶはは、し、死ぬ! おいサン、マジ、死ぬ、っふ、あひゃひゃひゃッ!」
ナツ兄ぃの悶絶の表情。
この表情を見ることのできない二人のライバルに優越感を感じながら、わたしは至福の表情でお仕置きを続けた。
「うりうりうり〜〜♪」
「だ、だからマジで、――死ぬ〜〜ッ!」
◆ ◆ ◆
「……くそ、くそ! あのガキ、いつか殺してやる……!」
薄暗い部屋の中、そう呟く長髪の男性。
吊り上った目、眉間に寄せられた深いシワ。
怒りと殺意を臆面もなく表情に出しながら、柳はそう呟いた。
日高ナツの助手、夕凪サン。
あの男の助手になる娘だ、どうせ主人と同じように能天気なんだろう。
そうたかを括って相手をしたのが、何よりの間違いだった。
「くっそぅ、小娘のくせにいきがりやがってぇ……! 僕を誰だと思ってるんだ、柳ヌエだぞ! あの柳ヒロムの孫、柳ヌエだぁッ!」
『それを取り上げられたらあなたには何も残らない』
柳の脳裏に、あの時のサヤの言葉が蘇る。
誰からも言われたくなかった言葉。
誰も言うことのなかった言葉。
柳のコンプレックスの大元であり、誰にも打ち明けることの出来ない苦悩の源。
悩みを打ち明けることは弱みを見せること。弱みを見せれば、その瞬間に自分と相手との間には超えることのできない上下関係が生じてしまう。
誰かの下になることなど、耐えられるはずがない。
だからこそ柳は不遜な態度を取り続ける。故に、己に与えられた姓にすがり、その恩恵にあやか続ける。
――例えそれが悩みの根源であろうとも。
そして彼は深みにはまり続ける。それを見ないよう、それに触れないように生きてきた。
サヤのあの言葉は、その封印をあっさりと解き放つ言葉だった。
「くそ、くそ、くそぉーーッ! どいつもこいつも、なんでこうも僕を不愉快にさせるんだ!」
醜く歪んだその表情が苦悶の叫びをあげたその時、部屋の中へ来客を知らせるブザーが響いた。
音の発信源を睨みつける柳。だが、すぐにそれが己が呼びつけた職員であることに気付く。
つい先ほど夕凪サンから依頼されたデータの件。
それをまとめたディスクと資料をすぐにもってくるようにと、苛立ちを隠すこともなく部下に申し付けたのだ。到着が早いのは、当然のことだ。
「……いいよ、入って」
自らの要求に素早く応える部下の存在。それが柳の苛立ちをほんの少し和らげた。
部屋に入ってきたその人物の顔を見るまでは。
「失礼します」
「ッ! お、お前!」
部屋に入ってきたのは、長い黒髪を携えた小柄な女性。
柳の触れられたくない部分をあっさりとかき乱した女性、――日高サヤが、そこにいた。
「……何をしに来た」
「ごあいさつですね。室長が頼まれたデータをお持ちしただけですが」
言いながら、サヤはつかつかと柳のそばまで立ち寄り、持っていた資料を机の上に置いた。
そのまま部屋を去ろうとするサヤに、柳が声をかける。
「……君にいくつか訊きたいことがある、――日高サヤ」
己の名をフルネームで呼ばれたことに、サヤは何かを感じ取った。
――ああ、ようやく気付いたのか、この人は。
サヤは表情を崩さぬまま振り返り、机を挟んで柳と対峙する。
以前対峙した時とは違う緊張感が部屋の中を漂った。
「なぜ、ウソをついた?」
「なんのことですか」
「とぼけるな! 僕は君に訊ねたはずだ、『日高ナツという名に心当たりはあるか』って!」
「ああ、それですか。はい、ウソをつきましたが、それが何か?」
「後で調べてわかったよ、君があいつの実の妹だってことがね。そんな奴がなぜこの管制塔に居る!? 君は一体何が狙いなんだ! ここで何をしようとしてるんだ!?」
息を荒げながら、目を充血させながら、柳はサヤを問い詰める。
興奮する柳と対照的に、サヤは表情を崩すことなく、冷静にその問いに答えた。
「一つずつお答えします、柳室長」
その落ち着いた口調に柳はさらに顔を歪める。
だが余計な口は挟まない。ここで怒りを表せば自分の愚かさを露呈するだけだと、柳にもわかっていたからだ。
柳が少し冷静さを取り戻した様子をみとめて、サヤは淡々と言葉を続ける。
「まず、ウソをついた理由。あなたの人となりを見定めるためです。日高ナツの妹だとわかっていたら、あなたはあんな失態をさらさなかったでしょうから」
「……ぐ」
「二つ目。私がここに勤めているのは、あなたたちとは関係ありません。私は私の事情でここに居ます。あなたや仙堂氏と関わることになったのは、ただの偶然です」
「信じられないな」
「疑うのは当然です。うちの兄のように、本当のことしか口にしないのはただのバカですから」
「……次で最後だな。君の狙いは、目的はなんだ?」
その瞬間、ニヤリと微笑むサヤ。
その微笑みはまるで、その問い自身が目的だとでも言いたげであった。
「私の目的は、――あなたと仙堂氏の目的を調べることですよ、柳室長」