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幕間 : 管制塔の攻防劇

 

  ◆ ◆ ◆




「……くそ、くそ! なんで、あんな奴が……!」


 薄暗い部屋の中に、長髪の男性の声が響いた。

 部屋の中には彼以外には誰もいない。彼の声に応える者ももちろんいない。

 憎しみに顔を歪ませ、男はさらに愚痴を洩らした。


「なんであんな元気しか取り柄のないような奴が仙堂さんに気に入られるんだ……、仙堂さんに認められるのは、僕一人のはずだったのに……! くそ、くそ!」


 壁面のモニターから漏れる光が彼の顔を照らす。いくつものモニターからこぼれる光は、男の顔に奇妙な陰影を付け、その表情をさらに歪ませて見せた。

 男の胸元に下がる『PV管理制御室長 柳ヌエ』のプレート。それが彼の名前と役職。

 PVとはPast Voyage――過去旅行のことを差す。彼の役職は過去旅行の運営や制御を執り行う機関の長であり、この部屋は室長である彼に与えられたものだった。

 モニターからの奇妙な陰影が、反対側の壁に不思議な模様を作る。

 それは偶然にも、まるで柳の心の内面を映し出しているかのように、おぞましい造形を作り出していた。


「僕が何度出向いたって全然会おうともしないくせに、アイツのところには自ら足を運ぶなんて……。それはそれは、相当アイツがお気に召したようですねぇ、――仙堂さぁん!」


 デスクの上に並んでいた書類が四方に舞い散る。

 憤怒の表情を浮かべながら、柳はそこらかしこにあるものを蹴り飛ばし、払い投げ、押し倒した。

 しばらくの間、部屋の中に騒音が鳴り響く。

 ようやくその音が止んだ頃、別の音が部屋に響いた。部屋の所有者、柳への内線電話のなる音。


「……なんだ?」

『柳室長、新任のオペレーター五名の入社式がただいま終了しました。これより室長のもとへ挨拶に伺ってもよろしいでしょうか?』

「そういえばそんなのがあったね。いいよ、連れてきて。――それといつも通り、護衛もね」

『……はい、わかりました』


 スピーカーから聴こえる声が少しよどんだ。

 数分後、柳の部屋にノックの音が響く。開かれた扉の向こうには柳の部下と、初めて見る新しい部下が数人、荒れた部屋の様子を見て驚いていた。


「あ、あの、室長。なにかあったのですか?」

「気にしないで。ちょっとムシャクシャしてただけだから。それより早くしてよ。挨拶しに来たんでしょ?」

「は、はい」


 壁面モニターからの光のせいで、柳の表情は部屋の入り口からは見えない。荒れた部屋と怒りのこもった静かな口調に、初めて彼を見た者たちは皆表情に緊張を走らせた。

 ただ一人、冷ややかな視線で柳を見つめる、彼女を除いては。


「…………」


 新任の挨拶が始まる。

 名前、出身校、配属される部署、簡単な抱負。緊張に身を強張らせながらの新人の挨拶を、柳は一切聞いていなかった。

 柳が気にしているのはそれぞれの顔と体型。そして性別。

 一人一人の顔を舐めるように見つめては、次の者へと視線を移していく。

 そしてその視線は、彼女に向けられた。


「――ッ」


 そこに居たのは、流れるような黒い長髪を一つに束ね、鋭くも力強く印象を与える瞳を携えた、少し背の低い美しい女性だった。

 視線と呼吸が止まる。数秒の後、柳は見開いた目を細めて表情を歪める。

 その顔に浮かんだものは、醜悪な笑顔だった。


「挨拶はもういい」

「は? ま、まだ一人目ですが」

「もういいって言ったんだ。聴こえなかったかい?」

「……わかりました」


 怪訝な表情の新人たちを連れて、部下が部屋を出て行く。

 列の最後に位置していた彼女が部屋を出ようとしたその時、青い制服を着た背の高い男たちが道を塞いだ。

 PV管理制御室、通称『管制塔』の護衛官の制服だった。


「ああ、君は残って。個人的に話があるんだ。付いてきてよ」


 弾む声で、柳はさらに奥の部屋へと進んでいく。

 出口を悲しげな表情の護衛官たちに阻まれ、女性は冷たい視線を投げかけつつも柳の後を付いていく。

 ――その瞬間、女性は懐から何かを取り出し、すぐにしまった。音もなく終わったその作業は、前を歩く柳にも、部屋の外にいる護衛官にも気付かれない。

 奥の部屋には簡易的ながらも豪華な造りの生活スペースが設けられていた。

 部屋の中央に位置するソファにふんぞり返りながら、柳は部屋の入り口で立ち尽くす女性を見つめる。

 釣りあがった口角が、その表情をより醜く演出していた。


「僕のことはもちろん知ってるよねぇ。管制塔の幹部、君たちの上司、管理制御室の室長、柳ヌエ。君は?」

「…………」

「耳は付いてるよねぇ? 名前を訊いているんだ、答えろよ」

「……日高、サヤです」

「日高? 日高だって!?」


 その名に、柳は大きく目を見開いた。

 一瞬前までの醜悪な表情は薄れ、憤怒の感情が浮かび上がる。


「……君、日高ナツって名前に心当たりとかある?」

「いえ、ありません」

「ふ、そっかそっか。考えすぎだね。よくある性だし」


 うんうんと頷きながら、柳はソファから立つ。入り口に立ち尽くしたままのサヤを部屋の中へと招きいれ、そのまま後ろ手に鍵をかけた。

 鍵の閉まる音を柳は隠そうとしない。むしろわざと聴こえるようにしていた。

 そうすることでこれからこの部屋の中で何をするつもりなのかを示唆し、檻の中に入れられた獲物がどう反応するのかを楽しむのが柳の趣味だった。

 果たしてその音を聴いたサヤの反応は、――普通だった。振り返りすらせずに、ソファの脇へと向かい、「座っていいですか?」と涼しい顔で訊いてくる。

 ちっ、と柳の小さな舌打ち。それすら聴こえていたサヤは、あえて聴こえていない振りをし続けた。


「君、つまらない女だってよく言われない?」

「わかりません。人を『つまらない』なんて基準で見るような人とは普段付き合わないので」

「……ふん、強気だねぇ。でも、あまりそういう態度をとらない方がいいよ。特に、僕の前ではね」

「どうしてですか?」


 サヤのその問いに、柳は意味ありげに微笑みながら、数秒の間を置いて答える。


「柳ヒロムって知ってるかな。まぁ今は政界を引退して特別顧問ってことになってるけど、今もその『力』は健在だよ。僕は、その柳ヒロムの孫だ」

「…………」

「ん? 驚いて声も出ないか? ハハッ、理解したかい、サヤちゃん。僕には逆らわないこと。いいね?」


 歪んだ笑顔を浮かべたまま、柳はサヤの隣に腰を下ろし、そのまま肩を抱き寄せた。

 それでもサヤは表情をくずさない。目を細め、隣に座る柳をただ見た。その目には、柳に対する恐怖も、興味も、怒りすら浮かんではいない。

 まったく反応のないサヤに、柳の方が先に動揺の色を見せた。今まで何人もこの部屋で辱めてきたが、こんな反応をされるのは初めてだった。

 柳の嘲笑が消える。その瞬間、サヤは初めて自分から柳に発言した。


「理解できました、柳さん」

「は? ……ああ、さっきのことか。そうそう、長いものには巻かれろって昔から言うじゃない。大人の世界ではよくあること――、」

「あなたが、とてもくだらない人間だという事が、よくわかりました」


 ――そして、兄がとてつもないお人よしだということも。

 心の中でそう呟いて、サヤは唖然とする柳の手を払いのけ、スッと立ち上がった。

 そのまま部屋から出て行こうとするサヤの手を掴み、柳は大きな瞳でサヤを睨みつける。


「……待てよ。たった今、この僕になんて言ったか、もう一度言ってみろッ!」

「くだらない人間。そう言いました。耳は付いてますよね?」

「――この、クソ女ッ!」


 激昂の言葉と共に柳の拳が飛ぶ。

 躊躇なく自らの顔面に向かってくるそれを、サヤは避けなかった。避けようともしなかった。

 サヤの白い頬に、柳の拳が命中する。

 倒れる素振りも、痛みを感じる素振りさえも、サヤは微塵も見せなかった。


「……なんだよ、なんだよお前は……。なんで僕を恐れない! なんでそんな態度に出れるんだよ!」


 取り乱したのは、殴ったはずの柳の方だった。

 白かったはずの頬はゆっくりと紫色に変色し、口内にただよう血の味を噛み締めながら、サヤは狼狽する柳に向けて、言い放つ。

 その目と言葉には、やはり怒りはなく、ただただ哀れみしかこもっていない。


「あなたには、何も誇れるものがない。何も背負うものがない。そんな人間の、何を恐れろと言うんですか?」

「なん、だと……!」

「肩書きや家のことを免罪符代わりにしてるようですけど、それを取り上げられたらあなたには何も残らない。それをわかっているから、あなたは最初からそれを口にした。その免罪符に何よりすがっていることの証明。だから言ったんです。くだらない、って」

「…………」


 サヤの言葉は真実だった。そしてそれは、柳にとって何より言われたくなかった言葉だった。

 柳の顔から怒りが消え、別の感情が姿を見せる。

 胸ポケットから取り出した銃と共に、柳は殺意の感情をあらわにした。


「脱げ」


 先程までの余裕の態度とはまったく違う、重々しい一言。

 柳は権力での蹂躙を好む。故に相手をバカにしたような口調を崩すことはない。たとえそれが立場が上の者だろうと、彼はそれを守ってきた。

 しかし、彼はその自分に課した規律を放棄した。暴力で人を屈服させ、荒々しい言葉で支配する。それは、彼が最も忌み嫌ってきた、父親がかつて自分にしたことと同じ行為だった。


「拒否は許さない。舐めた態度も許さない。僕がその気になれば、死体くらい簡単に処理できる」

「……それは、脅迫ですか?」

「いや、違うね。この銃は君が隠し持ってきた銃だ。君が僕を脅迫するために懐に忍ばせてきた銃だ、ということにしておこうか」

「正当防衛だとでも?」

「そうだ。以後は質問も発言も許さない。僕が言った通りの行動を取れ。逆らったら、撃つ」

「…………」


 銃口をサヤに向けたまま、柳は静かに距離を取る。

 いくら相手が女性と言っても、至近距離では何かが起こる可能性がある。それに、少し離れたところからこの余興を見物するのも悪くない。

 柳の口元が再び釣り上がる。威嚇するかのようにわざと装弾の音を鳴らし、再度「脱げ」と命令した。

 それでもサヤは表情を変えなかった。

 小さなため息と共に、サヤは管制塔の制服の前ボタンをはずし始めた。

 一つ、また一つ。

 全てのボタンが外された頃、柳の顔にはまたも醜悪な笑顔が浮かんでいた。


「遅いぞ、モタモタするな。時間を稼いでもムダなことくらいわかってるだろ」

「…………」

「フッ、ヒャハハハッ! そうそう、ムダな発言はするなよ。言いつけを守るんだ、わかってるねぇサヤちゃん。ヒャハハハハッ!」


 部屋に響く、柳の高らかな笑い声。サヤはその笑い声を、まったく聞いていなかった。

 サヤが考えているのはたった一つだけ。それは、この場を切り抜ける方法でも、許しを請うことでも、柳への怒りでもなく、どの言葉を選ぼうか。それだけだった。

 右腕を制服から外す。白い肩があらわになる。

 そして左腕を抜く時になって、サヤは考えていた言葉と行動を実行した。


「家にすがって、立場にすがって、今度はその銃にすがるんだ。……本当に、くだらない男」


 その瞬間、部屋の中に銃声が響いた。







「あの娘、かわいそうになぁ。室長の悪癖にも困ったもんだよ」

「今までも何人も犠牲になって、すぐにこの職場を辞めるか、辞めなくてもずっと脅されるんだもんなぁ。……くそ、あのサヤって娘、結構タイプだったのに」

「あの娘、ヘタに抵抗してないよな。死体の処理なんてオレはイヤだぞ」

「オレだって――」


 ――パン。


 何かが炸裂する音が、部屋の入り口に立つ二人の護衛官の耳に響いた。

 瞬間、二人は顔を見合わせる。

 二人の脳裏を過ぎったものは、先程言葉にしたばかりの最悪の光景だった。


「クソッ! やりやがった!」


 青い制服が暗い室内を駆け抜ける。

 銃声が響いただろう奥の部屋のドアの前にたどり着き、二人は一度だけ深呼吸をする。

 この先の部屋の空気は、おそらくよどんでいるだろうから。


「……柳さん、失礼します」


 惨劇を想像しながら、一人がゆっくりとドアを開く。

 ドアの先にあったのは、想像通り、一人の人間が横たわる光景だった。横たわる人間の傍らで、もう一人の人間が立ち尽くしているところまで想像した通り。

 しかしその光景は、二人が想像したものとは、肝心な部分がまるで違っていた。

 立ち尽くす一人に、青い制服を着た護衛官が声をかける。


「……あ、あの、銃声が聞こえたんですが、無事なんですか? ――日高さん」


 そこにあったのは、泡を吹いたまま横たわる柳を見下ろすサヤの姿。

 護衛官の言葉に、サヤは弾痕を残した天井を指差し、自らの無事を知らせる。


「ええ、私は大丈夫です。室長もただ気絶してるだけです。医務室に運んであげてくれますか」

「……わ、わかりました」


 護衛官に抱えられて部屋を出て行く柳の顔を、相変わらず哀れみの視線で見つめるサヤ。

 その手の中には小さなスイッチ。『スタン・ボム』と呼ばれる、遠隔操作で電気ショックをあたえるためのスイッチが、そこにあった。

 対となるべき電極は、服の中に隠されていた小さな筒の中にいくつも込められている。筒の先端はカタパルトのようになっており、電極を遠くまで撃ち出せる仕組みになっていた。その電極の一つは、今も柳の襟元に張り付いたままだ。

 誰もいなくなった部屋の中で、サヤは一人呟く。


「あれのどこが『まあまあいい奴』なんだか。相変わらずお人よしだね、お兄ちゃん」


 スタン・ボムの入った筒を回しながら、サヤは軽快な足取りで部屋を出て行った。




  ◆ ◆ ◆




 『まあまあいい奴』――それが、日高ナツから見た柳の印象だ。

 まったくもって興味深い。

 柳ほどコンプレックスにまみれて歪んだ人間も珍しいが、それを「いい奴」だと言い切ってしまうあの若者に、興味を引かれる。


 ――日高ナツ。

 彼の持つあの不思議な魅力は、一体なんなのだろう。


 間違っても知的なタイプの人間とは言えない。しかし、頭が鈍いというわけでもない。

 優秀な科学者というわけではないが、集中力と閃きは目を見張るものがある。

 何も考えていないように見えて、予想以上に頭が回るところもある。

 わからない。彼のようなタイプの人間と接するのは、初めてだ。

 それなのに。

 どうして、私は、こんなにも、彼に興味を抱いているのだろう。

 あれ以来、誰も信頼しないと思っていたのに。

 オズとイオの兄妹がこの世を去ってから、誰かに興味を抱くことなどないと思っていたのに。

 聡明で、紳士的で、思慮深かったオズとは、似ても似つかない。

 純粋で、天真爛漫で、誇り高かったイオとは、少し似ているのかもしれない。


「……彼のような人間が、まだ居たのだな」


 それでも、私はもうこの道を選んでしまった。

 彼をそのための駒として、パズルの枠組みに入れてしまった。

 私にはもう、止まることなどできない。できるわけがない。

 そんなことをしてしまったら、彼女の犠牲はどうなる?

 私の野望のために、この手で殺してしまった、彼女の望みはどうなる?

 私にはもう、選択肢はない。

 進め。進め。

 進むことしか、私にはできない。

 そのために、彼を、日高ナツを利用する。

 彼の目的は知らない。彼にも何か、成し遂げたい『何か』があるのだろう。そうでなければ、あんなにも研究にのめり込むことなどできない。

 権威や物欲に固執するようなタイプには見えない。そんな彼が執着する『何か』とは、一体なんなのだろう?

 今週は仕事や会合の予定は少ない。『管制塔』からも『G&B製薬』からも定期連絡の予定もない。彼のもとへ出向いてみるのもいいかもしれない。

 ……何をバカなことを考えているのだろう。

 そんなことをしても彼の研究を遅らせるだけで、私に利など一切ない。

 ……一切ないというのに。

 私の手は嬉々として彼へ『近いうちにそちらへ伺います』と電文を送っていた。


「まったく、どうしてしまったのだろうな、私は……」


 オズとは正反対の人間にここまで興味を抱くことなど、少し前の私なら考えられないことだ。

 なぜ私は彼に興味を抱くのか。私を惹きつける彼の魅力とは、一体なんなのか。


 ――日高ナツ。

 まったく、興味深い男だ。




  ◆ ◆ ◆

 



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