第七話 : さまよえる者
悲しい唄がようやく止み、辺りを静寂が包みます。
サヤ、健介くん、紀子ちゃんも白の平原にようやくたどり着きました。三人はナツの背中に声をかけようとして、できませんでした。
ナツは泣いていました。込み上げる嗚咽を止めることもできず、その目からもとめどなく涙がこぼれているのでした。
「お、おいナツ、どうしたんだ? なんで泣いてんだよ?」
「あぁ……、スケ……」
「お兄ちゃん? どうしたの?」
「サヤ……俺、俺、なんで泣いてんだろうな? わかんねぇんだよ、なんでかわかんねぇけど、すっげぇ悲しくて、すっげぇ寂しくて、……っく、き、気がついたら、涙が勝手に出てぎで、ひっぐ……」
「お兄ちゃん、落ち着いて。しゃべらなくていいから、ね?」
「う、うあ、あ……」
ナツの頭を抱きよせるサヤ。ナツがこんなにも泣きじゃくる姿をサヤは見たことがありませんでした。
『元気』という言葉の化身であるかのような、いつも跳ね回って、いつも走り回って、いつもバカな行動ばかりしているナツがこんなにも涙にくれる姿など、誰が想像できるでしょうか?
サヤはナツを抱きしめながら、ナツが泣いている原因であろう歌声の主を睨みつけました。
月の光によって青白く染まった平原の中央に立つ、真っ白な少女。彼女は歌い終わった後も月から視線を逸らすことなく、感情を表情に出すこともなく、ただただ立ち尽くしているのでした。
「あれが……幽霊?」
「幽霊? サヤちゃん、な、何か、見えるの?」
紀子ちゃんのその言葉にサヤは首をひねります。平原の中央にあんなにも真っ白な少女が立っているのです。かなり目立つはずなのに、紀子ちゃんはまるであの少女が見えていないかのように、キョロキョロと辺りを見回すのでした。
「紀ちゃん、あの人が見えないの?」
「あの人って……だ、誰のこと?」
「健介さんは? 健介さんはあの白い女の人、見えるでしょ?」
「白い女? ……そ、それって、もしかして、マジで幽霊……?」
健介くんの顔がサーッと蒼白く染まっていきます。もちろんそれは月の光のせいではなく、恐怖からくるものでした。
二人の顔と白い少女を交互に見つめるサヤ。
――なんで二人にはあの人が見えないの? なんでお兄ちゃんはこんなにも泣いているの?
サヤは混乱していました。どうすればいいのかわからない様子で、号泣するナツを強く抱きしめていました。
次の瞬間、『悲しみ』がサヤたちを襲ってきました。
あの白い少女が再び歌い始めたのです。――ナツが心を奪われ、心を締め付けられた、あの悲しい唄を。
――ああ 私はフライングマン――
――哀れで滑稽なフライングマン――
――どうか笑ってくれないか どうか応えてくれないか――
――哀れで滑稽なこの運命を――
――笑ってしまう程のこの孤地獄を――
――ああ 私はフライングマン――
――歴史の狭間でさまよえる者――
――さまよい続けてどこへ行く 孤独を携えどこへ行く――
――行き場などない 永遠に――
――たどり着くことなどない 永遠に――
「うわ、うわ! 唄だ! 女の歌声だ!」
「いやぁ、もうやだぁ! 私、帰るぅ!」
「ちょ、ちょっと、二人とも待ってよ!」
恐怖に駆られた健介くんと紀子ちゃんは一目散に駆け出しました。サヤもナツを支えながら二人の後を追いかけます。チラリと振り返り、歌声の主を見つめるサヤ。白い少女は先ほどまでと何ら変わりなく、月を見上げて歌い続けているのでした。
◇
サヤたちがその場を去った後、白い少女をジッと見つめている一人の女性の姿がありました。……ミオさんです。おそらくわたくしだけしか気付いていなかったのでしょうが、ナツたちがいた場所から平原を挟んで反対側の林の中に、カメラを抱えたミオさんが少女を見つめていました。
「やっほ、フカちゃん。さすがにフカちゃんには気付かれちゃったか」
ミオさん、なんでここにいるんですか? 何か他に用事があったのではなかったのですか?
「画一的な視点からでは物事の本質は見えないことってあるじゃない? まして、自分がその流れの中にいたんじゃ気付かないことの方が多いからね」
??
「あたし的に、幽霊捕りよりも楽しめる視点を選んだってだけの話。……それにしても『フライングマン』か。まさかこの目で実物を見られるなんてね」
ミオさん、彼女が本物のフライングマンだと思いますか?
「本物かどうかなんてあたしにわかるわけないじゃない。……ただ、彼女が幽霊ではないことだけはわかるけど」
はっきりとそう断言するミオさん。まさかミオさん、幽霊かどうか見分けられる能力をお持ちなのですか!? さすがミオさん!
「だって彼女、足あるし。幽霊って足がないんでしょ? ――って、あれ? いなくなってる!」
わたくしたちが会話を交わしているうちに、白い少女はいつの間にかいなくなっていました。わたくしの『俯瞰の眼』を使っても彼女の居場所がつかめないところからも、あの少女がただの女の子ではないことは明らかです。足のあるなしはともかく、彼女が幽霊とは異質な存在であることはわたくしも同感です。
「フライングマン……『さまよえる者』か……」
少女が消えた後も、ミオさんはしばらく少女が月を見上げていたその場所を見つめ続けていたのでした。
◇
幽霊捕りの翌朝。
ナツは食卓で朝食を食べていました。静かに黙々と焼きたてのトーストをほおばっていました。
……はい、皆さん、お気づきですね? そう、変です。おかしいんです。ナツが静かに食事をとるなんて、空から大魔王が降ってくるなんて予言が本気で信じられていた時代くらい異常です。昨夜幽霊捕りから帰ってきて以来ずっとこの調子です。一体彼はどうしてしまったのでしょうか?
「お兄ちゃんが静かだと朝が快適に過ごせていいね」
「…………」
「……はぁ、ホント調子狂うなぁ」
てっきりナツが言い返してくると思っていたサヤは、悪口にも無反応のナツに少々不満顔です。やはり、昨夜のあの白い少女のことをまだ引きずっているのでしょうか?
「ナツ、どうしたの? 具合悪いの? お薬飲む?」
「おいナツどうした? トーストをちまちまかじってばかりじゃないか。母さんが朝から丹精こめて作ったシーフードサラダを食えないってのか!」
「パパ、うるさい」
「……最近のサヤちゃんはナツだけでなくパパにも厳しいよなぁ」
よよよ、と泣き崩れる日高家の大黒柱であるパパさん。さすが、この父親ありきのこの息子です。ということは、日高家のママさんはサヤ似の超ドSな人? とお思いの皆様。それがまた違うんですよ! 日高家のママさんは超がつくほどのんびり屋のほんわかママさんなのです。この両親ありきのあの天然おバカさんなのでした。……サヤは誰に似たんでしょうね?
「おっはよん! ……あら? やけにシケた顔してんじゃないナツ〜、このっ、このっ♪」
「…………」
いきなり食卓にやってきてナツの頭をグリグリするミオさん。しかし、それでもナツは無反応です。相変わらずトーストをちまちまとカジカジしているのでした。
「あら? なによ〜、つまんない。……ふっ、じゃあ、これは?」
ぽよん。
そんな擬音がしたかどうかは定かではありませんが、ミオさんはそのたわわなお胸(推定Eカップ:byフカちゃん調査)をナツの頭にこれでもかと言うくらいに乗っけるのでした。すごいです、マジすごい画です。
ミオさんのその行動に、サヤは思わず飲んでいた牛乳をパパさんにぶちまけてしまいました。パパさんは瞳孔を見開いてナツの頭を(その上に乗っているたわわを)凝視していたため、思い切り牛乳 in お目々です。ママさんは「あらあら」とミオさんの分のサラダをのんびりと準備するのでした。さすがほんわかママさん。気にもしちゃいねぇ。
しかし、そんなめっさ羨ましい状態のナツは、そんなすんばらしい状態であるにも関わらず、相変わらずちまちまとカジカジしているのでした。
「…………(ぽっ)」
赤くなった! こいつ、『ぽっ』て赤くなりやがりました!
「う、うっせーな! なんだよみんなして! いいからほっといてくれよ!」
頭の上にあるたわわを振り払ってナツが席を立ちます。そのままソファに置いてあったバッグを取って鼻息荒く一人玄関へと向かうのでした。……歩き方が少し内股なのは勘弁してあげてください。彼だって男の子なんです。このスケベ。
「スケベ言うなっ!」
失礼しました。
まぁ何にせよ、ミオさんの行動によってナツは少しだけ元気になったのでした。このスケベ。
「二度も言うなっ!」