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第十二話 : 『おかえり』の行方

 

「……ただいま」

「は〜い、おかえりなさい、サン」


 一週間ぶりの登校日。そして帰宅。

 いつもと同じママの迎えの言葉。いつもと同じ、ママ一人だけの『おかえり』。


「ほら、ボ〜っとしてないで手、洗ってらっしゃい」

「……うん」


 わたしの視線の先にある部屋。不自然な四角い模様の跡が付いているドア。

 『研究室』って書かれたプレートが一瞬見えた気がした。

 気のせいだってわかってるのに、もうこの部屋が物置に変わってから二年も経つのに、それでも見ずにはいられない。

 学校から帰ってきて大きな声で『ただいま!』って言えば、あのドアの向こうからナツ兄ぃとパパの『おかえり』が聴こえてくる。――それが当たり前だった日常は、今はもうないっていうのに。


「……ただいま」


 小さな声でその部屋に向けて呼びかける。

 二人の声が、頭の中だけで響いた。




 ◇ ◇ ◇




「……今日もパパ、帰ってこないの?」


 夕飯時、ママとわたしの二人だけの食卓。

 いつも向かいに居たはずのパパの席が空いているのにも、もう慣れた。

 主の居ない席にせめてもの温もりをわけてあげようと足を伸ばす。

 ちょっと前までは床にも届かなかったけど、今はもう向かいの席にまで軽々と足が届いてしまう。

 自分の身体の成長に時間の流れを実感して、急に寂しくなる。

 もうわたしは、前みたいにナツ兄ぃの腕や肩に抱きついてぶら下がることもできないんだ。……って言うか、最近はナツ兄ぃもほとんど家に来ないから、成長とか関係なしになかなかする機会もないんだけど。


「そうねぇ。クマさんもナツも最近は相当忙しいみたい。二年でひとまずの結果を出さないといけないとか言ってたし、研究の集大成みたいな実験してる最中みたいよ」

「集大成? どんなことしてるの?」

「え〜っとたしか、まったく栄養のない土地に花を咲かせる実験とかなんとか言ってたわね。結構長丁場の実験になるから、しばらくは帰れないんだって」

「へ〜、すごいね。……もしかして、それが終わったら二人ともしばらくは休みもらえたりする?」

「さすがにもらえるんじゃない? クマさんももう一ヶ月近く休みなしだし。ナツに至ってはずっと通い詰めでしょ。……この間久しぶりに見たけど、ちょっとやつれてたわよ」


 それはわたしも知ってる。何度かこそっと研究所まで様子を見にいったことあるし。

 二年前から変に思ってたけど、ナツ兄ぃは今もずっと休みなしで研究に没頭したままだ。それを二年も続けてきたんだし、やつれて当たり前だよね。

 一度サヤ姉ぇからもナツ兄ぃに身体を休めるように言ってもらったんだけど、それでもナツ兄ぃは態度を変えなかった。結局『あのバカが納得いくまでやらせてあげたら?』ってことになっちゃったけど……。


「サヤ姉ぇ、冷たいよね。あんなにやつれたナツ兄ぃと毎日顔合わせてるはずなのに、どうしてあんなこと言えるかなぁ」

「サヤはサヤで忙しいのもあるんだろうけど、それでもやっぱり心配はしてるはずよ。なんだかんだ言ってもあの娘、重度のブラコンだしね」

「そ、そうだね」


 『ブラコン』って言葉にしちゃうとなんだか少し恥ずかしくなっちゃうんだよね。……なんでだろ?

 とにかく、サヤ姉ぇでもナツ兄ぃをとめることはできなかった。日高のおじさんおばさんたちでも無理だったそうだし、うちのパパにも無理だったし、結局ナツ兄ぃが納得いくまで待つしかないのかなぁ。その前に倒れちゃうと思うんだけど。


「今度の実験がうまくいけば、さすがのナツも少しは納得するんじゃない? だから、あたしたちは実験が成功するようにきちんとサポートするしかないのよ」

「……うん」

「だからそんなしけた顔してんじゃないの! もし仮に失敗でもした時、あたしたちまでしょげた顔してたら二人がもっとガッカリするんだから」

「……そうだね。多少バカっぽくてもニンマリ笑ってるだけで空気を柔らかくさせる人もいるもんね」

「お、わかってきたわね。笑顔がかわいい女はそれだけでもう有利なのよ、たとえ普段の顔がブサイクでもね。それに、笑顔には別になんの意味を込めてなくても相手が勝手に自分に都合のいいように意味を汲んでくれたりするっていうハイクオリティな特典があってね!」


 あ〜、また始まったよ、ママの男心掌握レッスン。

 いつものように聞き流しながら、ナツ兄ぃのことを考える。


 ――ナツ兄ぃはいつからあんなになっちゃったんだろう。


 少なくとも、パパの助手になり始めた当初はあんなんじゃなかった。

 研究の最中にこっそり研究室から抜け出してわたしと遊んでくれたこともあったし、『めちゃくちゃ変な形の飛行機雲が見つかったから』とかのヘンテコな理由で研究を休んだこともあったし。

 悪く言えばサボリぐせ、良く言えば好奇心旺盛。そんなナツ兄ぃが、他の誰よりも研究に没頭してるなんて、あの頃のナツ兄ぃの姿からは考えられない。

 いつからだろう。いつからナツ兄ぃの様子はおかしくなったんだろう。

 わたしが小学生になってから?

 パパの研究の発表が決まってから?

 それとも、わたしがフカちゃんのことを訊ねてから?

 ……わかんない。わかんないよ。

 ナツ兄ぃが変になったきっかけがわかれば、元のナツ兄ぃに戻す方法がわかるかもしれないのに。元に戻すことが出来なくても、何か力になれるかもしれないのに。

 ずっとナツ兄ぃのこと見てたくせに。なんでわかんないの? なんで、なんで?

 ……バカ。バカだよわたし。


「……大バカだよ」

「そう、バカな女って言われるのはね、実は賢いやり方なのよ! 脳あるタカは爪を隠すけど、賢い女も爪を隠すの! 恋愛ってのはね、その隠した爪でいつ相手にトドメを刺すかを見極める生き残りゲームなのよ!」


 あ、まだレッスン続いてたんだ。




  ◇ ◇ ◇




 それから数日後。パパの研究の集大成である実験が、ついに成功した。

 砂漠化された栄養のまったくない土地に、一輪の花を咲かせたんだ。

 その報せを聞いた時は、わたしもママも抱き合って喜んだ。だってそうでしょ? わたしが産まれる前からパパが取り組んでいた研究が、文字通り開花したんだから。喜ばないはずがないよ。

 そしてもう一つ、わたしにとって何よりも嬉しい報告がもう一つあった。


「俺、しばらくこの研究から離れようと思うんだ」


 ナツ兄ぃのまさかの一言。わたしが長い間、待ち望んでいた一言だった。

 これでナツ兄ぃの生活は元に戻るんだ。

 もうナツ兄ぃの体調を心配しなくてもいいんだ。

 毎日毎日、ナツ兄ぃの家に遊びに行こう。ナツ兄ぃが帰ってきた時、今度はわたしの方から『おかえり』って言ってあげるんだ。

 前みたいにナツ兄ぃをいっぱい困らせて、わたしの大好きなあの表情をいっぱい見るんだ。

 それでミイちゃんに報告するんだ。ナツ兄ぃのこと、いっぱいいっぱい話すんだ。

 嬉しすぎて、夢みたいで、何もかもがうまくいってるような気になっていた。

 二年前、不幸はどっと押し寄せてきたけど、それは今回の幸せのためのちょっとしたおあずけみたいなもので、楽しいことや嬉しいことがきっと二年分、もしかしたらそれ以上にこれから返ってくるんだって、本気で信じていたんだ。


 ――本気で信じていたのに。


 期待に胸を膨らませていたわたしを待っていたのは、この二年に起きたイヤなことなんか目じゃないくらい最悪なこと。まるで悪い夢でも見ているかのような、最低の現実だった。


 

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