第四十三話 : 別れの儀式 再会の誓い
光の門。時の扉。様々な呼び名はありますが、どれも用途は同じです。その扉をくぐった者を別の時代へと転送するもの。我々の時代では一般的に『ゲート』と呼ばれています。そのゲートが、ナツたちを未来へと導くためのゲートが、ついに開かれたのです。
「よ〜し、そろそろ転送が始まるぞ! みんなはぐれるんじゃないぞ!」
「あらあら。はぐれようなんかないでしょうに」
光り輝くゲートを前にして妙に楽しそうなパパさんと相変わらずほんわか雰囲気のママさん。その二人の声を無視するかのように、ナツはわたくしを睨みつけています。ゲートが開いている間も、まるで見張ってでもいるかのように、ナツは一瞬たりともわたくしから目を離しませんでした。
「答えろよフカちゃん。お前、何かとんでもないことしようとしてねぇか?」
はい、その通りですよ。ナツに負けないくらいの、一世一代の大バカを今からしようとしているところです。
一切のためらいのないわたくしの言葉に、ナツを眉をしかめます。
「……なんか、イヤな感じだ。うまく言えねぇけど、なんかフカちゃんが遠くに行っちまうみたいな、そんな感じがする」
ナツ、それは半分当たりで、半分は不正解です。
わたくしは確かに遠くへ行きます――が、常にあなたのそばにいますよ。心の中に、などと不確かなものではなく、わたくしをわたくしたらしめる確かなものを、あなたに委ねます。あなたに持っていてほしいのです。
「なんだよそれ、意味わかんねぇよ! はぐらかさねぇでちゃんと答えろっつってんだろ!」
ゲートに視線をやっていた皆がナツの大声で振り返ります。
ゲートから溢れ出るオレンジ色の光がリビングを明るく照らす中、ナツは不思議な表情を浮かべていました。怒っているような、悲しんでいるような、今にも泣き出してしまいそうな、そんな不思議な表情。ゲートから溢れ出る光が作り出す陰影のせいなのでしょうか。それとも、おそらくナツ自身もわかっていない葛藤の表れなのでしょうか。
以前のわたくしなら、ナツが今抱いている感情が何なのか、きっとわからなかったでしょう。そんな相反した表情から読み取れる感情など、わたくしの知識の中にはありませんでしたから。
しかし、今ならわかります。短い間とは言え、ずっと一緒に過ごしてきたのですから。共に笑い、共に悩み、共に走ってきたのですから。
「答えろよッ! フカちゃん!」
ええ、答えましょう。――わたくしは、元の時代へは戻りません。フゥと共に、ここに残ります。
「ッ! な、何言ってんだよ! お前正気か!?」
ええ、正気ですよ。これ以上ないほどに正気です。ナツの答えを聞いたあの日からずっと考えていたことです。ここに残ること、それこそがわたくしの出した答えです。
「フゥは、……なんだっけ、歴史の流れが違うからとかで一緒にゲートくぐれないってのはわかるけど、なんでフカちゃんまでここに残るんだよ!? 意味わかんねぇよ!」
わたくしからもナツに質問があります。未来へ還り、フライングマンの呪いを打ち破る方法を見つけたとして、どうやってまたフゥと再会するつもりなのですか? ナツが言った通り、ナツたちとフゥの歴史の流れは違います。ナツたちには一年でも、フゥにとってはそれは一瞬かもしれないし、数百年もの長い時間かもしれないのです。その間に、フゥを別の時代へ飛ばす『ゲート』がまた開かないとも限りません。そうではありませんか?
「あ……」
そうなってしまったら、フゥがどの時代にいるかなど探しようがありません。記録を残さないフライングマンの足取りを辿る方法など、そんなものまで探し出していたのでは永遠にフゥを救い出すことなど不可能です。
しかし、わたくしならばその負担を減らすことができます。『俯瞰の眼』であるわたくしならば、フゥを探し出すための道しるべになることができるのです。
「……どう、すんだよ?」
――『DNAの採取・保存』と『自律思考の停止』。『俯瞰の眼』に備え付けられた二つの機能です。
わたくしはこの時代で様々な人物や植物等のDNAを採取・保存してきました。元の時代に持ち帰り、様々な研究に役立てるためです。――つまり、わたくしの中にはナツのDNAも保存されているのです。ナツのDNAの情報を探し出せば、それはつまりわたくしの足取りやその瞬間にいる時代まで特定できると言うことなのです。
そして自律思考とは、今まで蓄えた情報を元に行動を自分自身で決定していくための機能です。『フカちゃん』という人格を形作るための記憶や考え方の元と言ってもいいでしょう。それを停止させることにより、わたくしはただの機械になります。未来から来た、歴史の止まったただの物質。それならばフゥの所有物として共に歴史の狭間へ行くことができるはずです。フゥを一人ぼっちにさせなくても済むのですよ。
「ちょっと待てよ! それって、フカちゃんがフカちゃんじゃなくなるってことじゃねぇのかよッ!」
ええ、そうですね。自律思考――人間にとっての言わば魂を捨てるわけですから、それはもうわたくしではありません。
ですから、ナツ。あなたに委ねたいのです。わたくしをわたくしたらしめるもの――わたくしの記憶を、あなたに持っていてほしいのです。
「なんだよコレ、……チップ?」
ええ、わたくしのメモリーチップです。それを差し込むことによって、わたくしは再び自律思考を取り戻すことができます。ただの機械から『フカちゃん』として再びこの世に『生』を受けることができます。
あなたと共に過ごした日々、あなたと共に悩んだ時間、あなたと共にふざけあったいくつもの瞬間がその中に詰まっています。わたくしのかけがえのない記憶、わたくしの魂なのです。――ナツ、それをあなたに託します。
「……お前、バカだな」
ええ、バカですね。とてつもない大バカです。傍観者であるべき『俯瞰の眼』にあるまじき大バカです。でも、これでようやくあなたと肩を並べたかもしれませんね、ナツ。
ただ『視る』こと。それのみがわたくしにできること、そう思っていました。しかしそれは、そばに居ることもできると言うことなのです。そうでしょう、ナツ。
「……そうだな。フカちゃんは、ずっと俺らのそばに居たもんな」
ええ、そばに居ました。ずっと『視て』いました。ずっと一緒に居ました。そして、これからはフゥのそばに居ます。フゥと共に、あなたを待ちます。
「…………」
わたくしの決心を聞いて黙り込むナツ。しかし、その表情は先ほどまでの複雑なものではなく、もっと単純なものに変わっていました。少しはにかんだその表情。それに台詞をつけるとするならば「やられたー!」と言うところでしょうか。
「くっそ〜! フカちゃんお前、ちょっとカッコ良すぎねぇか!」
ふふん、ナツにばかりいいカッコさせられませんよ。わたくしだって、やる時はやるんですよ。……だからナツ、ちゃんと迎えに来てくださいよ? あなたが来てくれなかったらわたくしもフゥもさまよったままなんですからね? そこんとこ本気でよろしくお願いしますよ、いやマジで。
「まかせとけって。俺はウソをつかない!」
それが結構自慢、なんですよね?
「ああ!」
最高の笑顔で、とても気持ちのいい返事で、ナツはゲートへと振り返りました。
◇
「サヤ、もう少ししたら転送始まっちゃうわよ。フゥちゃんと話すんだったら今のうちよ」
ナツと『俯瞰の眼』が二人だけで会話をしている最中に、ミオは小声でサヤにそう呟いた。
「……さっきも言った。話すことなんてない」
「へ〜、借りがあるまんまでいいの?」
「借り? そんなのない」
「両頬引っぱたいたんでしょ? しかもスタンガンまで押し付けたとか。フゥちゃんはアンタ自身には何もしてないってのに、アンタは随分したい放題してんじゃない」
「う。で、でも、アレは……」
「スタンガンはあの唄を止めるためだったとしても、頬を引っぱたいたのはどうかな〜? アレは完全にアンタの気持ち先行でしょ」
「……謝れって言いたいの?」
「さぁね。でも、一度ちゃんと話はするべきだと思うけど?」
「…………」
眉をしかめ、おもしろくないと言いたげな顔でミオを見つめるサヤ。
――破天荒。いいかげん。お調子者。人をからかうのが趣味のしょうがない人。それがサヤがミオに抱いていた思い。そして、兄とは違う意味で頼りにしている存在だった。
「……考えとく」
「考えるだけなら誰でもできる」
「厳しいなぁ」
「母親だからね」
否定の言葉はなかった。
◇
日高家の面々が、わたくしたちを見つめています。パパさんとママさんは相変わらず笑顔を浮かべていて、わたくしの決意を知っていたミオさんはウインクを送ってきて、サヤはなぜか眉をしかめて困った顔で、フゥは相変わらず無表情のままでした。
そんな皆の表情を見渡して、ナツは大声で叫びます。
「さぁみんな、還ろうぜ! ――俺たちの時代に!」
ナツの叫びに呼応するように、ゲートの光が増していきます。こちら側と向こう側が繋がったと言う合図です。
光が皆を包みます。ゲートの一番近くにいたパパさんママさんの姿が光で見えなくなります。二人の全身を包んでいた光は細かい粒子になり、ゲートへと運ばれていきます。
「……転送が始まったね」
「さて、次はあたしかな」
ゲートへ近づいたミオさんの全身に光の粒がまとわりつきます。ゲートから発せられるオレンジ色の暖かな光が、ミオさんを包み込みます。
「フゥちゃん、フカちゃんをよろしくね。あと、今度会った時にはナツをメロメロにしたって言う唄、ぜひ聴かせてね」
「だ、誰がメロメロにされてんだよッ!」
「さぁ、誰だろうね〜? フゥちゃん、あとでナツに訊いてごらん。じゃね〜」
軽い調子の口調のまま光に包まれていくミオさん。先に転送されたパパさんママさんと同じように、ミオさんを包んだ光は粒状に拡散し、ゲートへと吸い込まれていきます。
「ったく、ミオ姉ぇは」
『ナツ、メロメロッテ、ナニ?』
「訊くのそっちなんだ。――あ」
「しまった」と言いたげなサヤの表情。フゥのちょっとした天然ボケについつい突っ込んでしまったようですね。
サヤとフゥ。あの日以来、二人が会話をしたところを見たことがありません。フゥがあの時のことを謝ろうとしてもサヤの方が明らかにフゥを避けていましたし、フゥもそこまで人付き合いが達者な方ではないので(当然なんですが)どうやってサヤと接触していいのかわからないのでした。
そんな二人がこの最後の瞬間についつい交わしたこの会話。なんだか貴重な瞬間に感じるのはわたくしだけではないはずです。
「……ねぇ、一つだけ、いいかな」
『……ナニ?』
「わたしは、今でも自分が間違ったことをしたなんて思ってない。だから謝らない」
『……ン』
「だけど、あのことは借りにしとく。いつか返せる時が来たら、必ず借りは返す」
そう言い切って、サヤはゲートに向かっていきました。
振り向かず、立ち止まらず、よどみなく歩いていくその後ろ姿。……なんだか惚れ惚れしてしまうほど男っぽいんですけど。
暖かな光に包まれて消えていくサヤの姿をジッと見つめ、フゥはポツリと呟きます。
『ヤッパリ、ニテル』
「ん、何がだ?」
『アノコト、ナツ。フタリトモ、トテモマッスグデ、トテモ、ヤサシイ』
消え行くサヤに親愛の眼差しを向けながら、フゥは少しだけ微笑むのでした。
ゲートの中に光が吸い込まれて、この場に残るのは三人。ナツとフゥ、そしてわたくし。暖かなオレンジの光がナツに向かって伸びてきます。――そして、フゥの周りにも。
「ッ!? フゥ、なんだその光!? 青い、光……?」
ゲートから溢れ出るオレンジ色とは対象的な青白い光がフゥを包みます。
それは例えるなら太陽と月。暖かな優しい光と、静かに力強く輝く光。その光の正体を知っているフゥは、自らを包む光を見つめ懐かしそうに呟きます。
『ナツ、ワタシモ、ナガレルトキガ、キタミタイ』
「流れる……?」
『ワタシハ、フゥ。カゼノフゥ。カゼハナガレルモノ。ダカラ、ワタシモナガレル。トバサレル、ノデハ、ナク、ナガレルノ』
記録されない存在、フライングマン。そのフライングマンの記憶を残しかねない存在のナツの帰還にあわせて『世界の意思』はフゥを別の時代へと転送するつもりのようですね。
「マジかよ!? ってか、フカちゃんの周りにもオレンジの光が集まってるぞ!」
おお、ヤバイですね。このままではナツと一緒に元の時代に戻ってしまいますね。そろそろ自律思考排除のプログラムを起動することにしますよ。
それではナツ、どうかお元気で。
「言われなくても元気だっての。俺がどんだけ元気か、よく知ってるだろ?」
げひゃひゃ、そうですね。それでは――、
――自律思考停止プログラム、起動。
その瞬間、何かが消えていく感覚がしました。視界がどんどん狭まっていく感覚。人に例えて言うならば、手足が少しずつ消えていく感覚、とでも言うべきでしょうか。
まさかこのプログラムを起動する時が来ようとは思いもしませんでした。
なぜこんな機能がわたくしに備わっていたのか、まるで理由がわかりませんでした。意味のない機能だと思っていました。設計者のおふざけかとも思いました。……しかし、今は感謝しています。この機能を備え付けてくれた設計者に、深い感謝の念を抱いています。
まさかとは思いますが、このことさえも食中毒事件のように、誰かの意思によるものなのでしょうか? この選択をすることさえも、『世界の意思』によるものなのでしょうか?
……いいえ、違いますね。誰かの意思なんて関係ありません。――そうですよね、ナツ。
『そんなの関係ねぇ! フゥを救いたいって言うこの気持ちは俺が決めた俺だけの意志だ!』
薄れゆく記憶からあの時のナツの叫びが蘇ります。そうです、その通りです。この選択は、わたくしが決めたわたくしの意志です。『世界の意思』など、関係ありません。
ミオさん、お腹の中のお子さんに会えるのを楽しみにしてます。
サヤ、今度会う時は今以上に素晴らしい女性になっていることを期待していますよ。
……そしてナツ、わたくしが再び『眼』を開けるその時に、どうかキスだけはしないでくださいよ。
それデは、みなさ、ン、オ元気、デ。
――『視点』永久ロック。対象、フゥ――
――並びに、自律思考の停止、完了――
◇
『俯瞰の眼』から光が消えた。いまやそれは『フカちゃん』と呼ばれていたものではなく、ただの機械。ナツ曰く、フヨフヨ浮かぶただの丸いものだった。
しばらくキョロキョロと眼を泳がせ、『俯瞰の眼』は対象であるフゥを見つけ、フワフワと近寄っていく。
『イッショニ、イテ、クレルノ?』
その問いに返事を返すことなく、それはただ見つめ返してくるだけ。フゥの周りをフワフワと飛び回り、時にぼぅ…と仄かに光った。まるで、あの林の中で出会った一匹のホタルのように。
あの時と同じようにそっと手を伸ばすフゥ。その手に漂うように寄ってきて、『俯瞰の眼』はそっとその手に乗った。
フゥに触れた瞬間、『俯瞰の眼』を包んでいた光がオレンジ色のものから青白いものへと変わっていく。それは『俯瞰の眼』に流れる歴史が移り変わった証。フゥのいる世界へと渡った証だった。
「フゥ、フカちゃんをよろしく頼むな」
『ワカッテ、ル』
両親も、ミオも、サヤも、そして『俯瞰の眼』も、それぞれの向かうべき場所へと旅立った。残るは二人、ナツとフゥだけ。
色の違う二つの光がリビングを照らす。ナツとフゥの居る世界が違うことを示すように、光が二人を別っていた。
『……ナツ。モシ、アナタガ、ムカエニキテ、クレナクテモ』
「おいおい、縁起でもないこと言うなよな」
『ワタシガ、アナタニ、アイニイク。イツカ、アナタノジダイヘナガレタトキニ、アナタニ、アイニイク』
「ハハッ、もしそん時に俺がフゥのことを忘れてボケてるままだったら、耳元で思い切り歌ってくれな。きっと一瞬で思い出すから」
『ン、ソウスル。トナリデウタッテ、オドロカセテ、アゲル』
笑顔で向かい合う二人。その背後にはそれぞれのゲート、それぞれの旅立つ場所が待っていた。
向かい合う対照的な光の中、二人は互いの手を握った。
それは別れの儀式――そして、再会の誓い。
つながれた二人の手と反対側の手の中には、ぼぅ…と淡い光を放つ『俯瞰の眼』と、『フカちゃん』の記憶が詰まったメモリーチップ。
それは二人をつなぐ半分の見えない糸、それは絆。
『この絆を信じている限り、私たちはまた会える。それが私の望み。私が生きていくための希望なんだ』
ナツの脳裏に愛海の言葉が蘇る。
つないだ手に、力がこもった。
「フゥ、俺たちはまた会える。俺はそう信じてる」
『エエ、アナタハ、キットムカエニキテクレル。ワタシハ、ソウ、シンジテイル』
それぞれの光が完全に二人を包んだ。つないでいた手が光の粒子に変わった。二人が最後に見たお互いの顔は、満面の笑顔だった。
誰も居なくなったリビングでゲートが静かに閉じていく。まるで手をつないでいるように絡まりあっていた光が、次第に糸のように細くなっていく。
二つのゲートをつなぐ糸。――それはやがて、見えなくなった。