第三十七話 : 最期の音
少女は歌った。自らが奏でている唄がどういう事態を引き起こすか、それを知っていながら。
少女は待っていた。もうすぐこの場に現れるであろう、願いを叶えてくれるその人物を。
――果たして、ここに来るのは彼か彼女か、どちらだろうか。
絶望を撒き散らしながら、少女は思う。
心に浮かぶのは、人としての幸せを思い出させてくれた人と、その妹。彼らのうちどちらがこの場に来たとしても、その時のために用意してある言葉は変わらない。
少女は人であることを捨てた。人として死を遂げることを諦めた。
――ならば私は、『人の道を踏み外した者』として、死を遂げよう。
それこそが少女の願い。絶望と孤独を背負い続けた少女の最後の願い。
あたり構わず『絶望』を撒き散らしているかのような見えるが、少女はソレを二人の人物にだけは届かないように制御していた。
――叶うものなら、願いたい。私の望みを叶えてくれるのが、彼であることを。
少女がそんな小さな願いをかけた、その刹那。
『――――、……ア、エ?』
『絶望』を振り撒いていた少女の唄は、突然の終焉を迎えた。
少女の声は少女の意思と関係なくその響きを止めてしまった。そればかりか視界までもがグラグラと揺らいでいる。自らの身体が思いの通りに動かなくなったことを不思議に思いながら、少女は後ろを振り返った。
そこにいたのは、少女が待ち望んでいた者。そして、少女の願った者ではなかった。
「はぁ…はぁ…!」
そこにいたのは、今朝初めて会ったばかりの小さな女の子――ナツの妹、サヤだった。
全速力で走ってきたのか、やけに息を荒げるサヤ。溢れる敵意をむき出しにしたまま、少女を睨みつけたまま、サヤは叫んだ。
「どうして! どうしてこんなことを!」
バチバチと青い光を先端に走らせた棒を突き出しながら、サヤは少女の答えを待った。
痛みを感じることのない少女は、それこそが自らの唄を止めたものだとようやく認識し、思わず笑みを漏らす。その笑みが、サヤの表情をさらに険しくさせる。
『……ネガイヲ、カナエルタメ』
笑みを浮かべたまま、少女はサヤの質問に答えた。
「願い? あなたの願いって、まさか……!」
『ソレガ、カナワナイカギリ、ワタシハ、ゼツボウヲ、ウタイツヅケル』
それは少女が用意していた言葉。少女がこの世で告げる、最期の言葉。
『ドウカワタシニ、シヲクレナイカ。コノゼツボウヲ、オワラセテクレナイカ――、』
言葉の終わりと共に、少女は歌い始める。少女の言葉に絶句していたサヤは、少女が歌いだそうとする様子に気付くのに一瞬タイミングが遅れた。
少女の声が再び唄を奏で始める。
それは先ほどまでの『絶望』のこもった唄ではなく、周りにいる者全てに向けたものでもなく、目の前にいる一人の女の子だけに向けられた唄――『憎しみ』の唄だった。
――さぁ武器を手に取れ――
――苦しみの元凶 標的は目の前――
――さぁ武器を振り上げろ――
――絶望を断つために 大切な人を守るために――
――そこには罪はない 後悔も慙愧もない――
――あるのは憎しみ 燃えたぎる憎悪――
――さぁ武器を振り下ろせ――
――その憎しみを解き放て 胸に宿る殺意を解き放て――
――さぁ解き放て 解き放て――
その唄に込められた『憎しみ』。それは、サヤの中の『憎しみ』の感情を肥大させていく。
大切な家族を傷つけたことへの怒り。
他人の気持ちを推し量れない少女への憤り。
――そして、兄の心を奪ったことへの嫉妬。
「あ、……うぁ、ぁ……」
サヤだけに向けられた唄。一人だけに思いを集約させたその唄に、サヤの心は簡単に染められた。
スタンガンを持つ手に力がこもる。電力の出力が最大にまで引き上げられる。青い光はバチバチと音を荒げる。――まるで、触れる者全てを排除するかのように。サヤの『憎しみ』が具現化したかのように。
その青い光とサヤの虚ろな目を見て、少女は満足そうに微笑えんだ。
――ああ、もうすぐだ。もうすぐ私の願いは叶う。
『憎しみ』の唄を奏でながら、まるで祈りを捧げるように、少女は両手を胸の前で組んだ。見つめる先にあるのは、何度も何度も見上げた空だった。
いくつもの時代をさまよい、いくつもの土地を流れ――。それでも、空だけは同じだった。空だけはいつも一緒だった。
長年連れ添った友の姿を存分に焼き付け、少女はゆっくりと瞳を閉じた。
「ゆ、るさない……。ゆるさない……」
『憎しみ』のこもった声が聴こえる。少女を望みの地へと連れていってくれる担い手の声。
バチバチと鳴り響く青い光。そして、何かを振りかぶる音。
それが少女が最期に聴く音になる、――はずだった。
『うひょおぉお〜〜〜〜〜!』
それまでの場の雰囲気を壊すような間抜けな叫びが、少女の耳に響いた。
◇
「うおーーッ!」
土煙をあげながら、雄叫びをあげながら、相変わらず猛突進中のナツ。そんなナツの耳にソレが届いたのは、学園の正門がようやく見え始めた、その時でした。
「――ッ!? フカちゃん、なんか聴こえねぇか!?」
?? そうですか? 特には何も……、
――さぁ武器を手に取れ――
――苦しみの元凶 標的は目の前――
――さぁ武器を振り上げろ――
――絶望を断つために 大切な人を守るために――
――そこには罪はない 後悔も慙愧もない――
――あるのは憎しみ 燃えたぎる憎悪――
――さぁ武器を振り下ろせ――
――その憎しみを解き放て 胸に宿る殺意を解き放て――
――さぁ解き放て 解き放て――
ああ! き、聴こえました! 聴こえましたよ、ナツ!
心の中にまで透き通るようなこの声は……、間違いありません、フゥの声ですね。
「……なんだ? なんでフゥの唄がこんなとこで聴こえてるんだ?」
ナツの疑問は当然のものでした。普段なら、フゥの唄はあの平原か林の中でしか聴こえないはずなのです。音が響きやすい夜ならば、稀に校舎の方にまで唄が届くことはありますが、まだ正午をまわったばかりの、しかもあの平原から結構な距離のあるこの正門前まで聴こえてくるはずがないのです。
と言うことは、つまり……!
「まさか、フゥが学園の中で歌ってるってことか!?」
――ッ! ナツ! 中央広場を見て下さい! あそこにフゥがいます! 一緒にスタンガンを持ったサヤもいますよ!
「マジかよ! 何してんだよあんなトコで!?」
一見したところ、穏やかな様子ではないようですよ! サヤの目の焦点が合っていません! もしや、あの唄の仕業かもしれません! まるで操り人形のようにフラフラしてます!
ナツ! もっとスピード出ないんですか!? このままじゃあのスタンガンで、フゥが――!!
「ぐ……、これ以上は、無理だ! フカちゃんこそズバーッと飛んでいけねぇのかよ!」
今のわたくしはナツに『視点』を合わせてるだけですから、それを解いたらいつものスピードに戻ってしまいます! わたくしにも無理です!
「じゃあ、……これしかねぇよな!!」
――がしっ!
あれ? ナツ? なんでわたくしを鷲掴みにしてるんですか? 確かにわたくし、野球ボール並みの大きさですからちょうど手の中にジャストフィットですが、なぜ今? なぜこんな状況で? なぜそんなに大きく振りかぶってるんですか、ねぇ、――ナツゥウゥ〜〜ッ!?
「フカちゃん、ちゃんと『視点』解除しろよ! 飛んでけ〜〜!!」
――ブォン!
その瞬間、フカちゃん、光の速度を初体験。
初めての光の速度の世界は、やけにしょっぱい涙味でした。
後付けですが、補足です。
『視点』を合わせる。つまり『視点』をロックオンすると、その対象がどこへ行こうがどんなスピードで動こうが常にその姿を捉えることができます(フカちゃんが自力で動いているわけではありません)。ナツが「ちゃんと解除しろよ!」と言ったのもそういった理由からです。ロックオンしたままだとブン投げたフカちゃんがまた戻ってきちゃいますから。
以上、蛇足でした。