第三十二話 : 愛海の選択(2)
「男なら当然だって!」
それがあいつの口癖。
強がる時。照れ隠しの時。私を元気付けようとする時。そんな時いつもあいつはその言葉を口にしていた。
あいつがやけに『強い男』を意識しているのは、病気で亡くなった父親の最後の言葉が影響しているからだと、おばさんから――あいつのお母さんから聞いたことがあった。
『母さんを、頼むぞ。男のお前が母さんを支えるんだぞ――慎吾』
尊敬する父親の最後の言葉。まだ幼い慎吾の心に突き刺さった言葉。最後の最後まで好きな女のことを心配して亡くなった父親の姿。
慎吾が目指していたのはただの『頼りになる男』ではなくて、そんな父親の代わりに母親を支えられる『強い男』だったんだ。
強くなろうとする慎吾の後を、私はいつも必死に追いかけてた。
放っといたら一人で先に行ってしまいそうだったから。慎吾一人だけがどんどん大人になってしまうのがいやだったから。
――そう。私はこの時にはもうすでに、慎吾のことが好きだったんだ。
好きになったのがいつからかなんてわからない。それくらい小さな頃から、私は彼に恋焦がれていた。だから必死に彼を追いかけた。強くなろうとする彼の隣に居られることを、ずっと望んでいたんだ。
ただの幼なじみ。それが私と慎吾の関係。
同じ小学校に通って、同じ中学に通って、同じ高校に入学してもその関係は変わらなかった。
変わったものはひとつだけ。必死に慎吾を追いかけ続けているうちに、私が欲張りになっていたこと。
――慎吾の隣じゃなくて、慎吾の心の中に居たい。
いつしか私は、そう思うようになっていたんだ。
「私……、慎吾の近くに居たいよ。『幼なじみ』って関係よりも、もっと近くに」
勇気を出してそう告白した後の慎吾の顔――思わず笑っちゃいそうだったなぁ。
だってあいつ、口も目も大きく開けたまま唖然としてるんだよ。人がありったけの勇気を出したって言うのに普通そんな顔する? ホントしょうがないヤツ。
……そんなしょうがないヤツを好きになっちゃったんだから、しょうがないんだけど。
「……愛海。ちょっとだけ時間くれないか? 男らしくないかもしれないけど、こればっかりは簡単に返事できない」
意外だった。何事も即断即決の慎吾がそんなことを言うなんて。
それからしばらくは慎吾と目を合わせることすらなかった。慎吾は明らかに私を避けていたし、私だってきちんと返事をもらえるまでどんな態度を取ればいいのかわからなかったから。
そんな生殺しのような時間もすぐに終わる。『女を待たせる』なんてこと、慎吾からすれば有り得ないこと。きっとすぐに返事をくれる。それがどんな答えだろうときちんと受け止めよう。……そう、思っていたんだ。
――あれから二年。慎吾からの返事は、まだもらっていない。
告白してから二日が経ぎた、やけに日差しの強い日のことだった。
おばさんからの電話をもらって、そこからの記憶は今もあまり思い出せない。
気がついたら私は病院に居た。視界が歪んで見えるのが乱れた呼吸のせいだと気付くのにしばらくかかった。それほどまでに動転していた。気が気じゃなかった。
『愛海ちゃん! 慎吾が、慎吾が……、車の衝突事故に巻き込まれて――!』
受話器ごしのおばさんの言葉を思い出して、また視界が乱れた。
世界がいびつに見える。この場に居るという実感がない。何もかもが夢の中の出来事みたいにふわふわしていた。
「愛海ちゃん! 愛海ちゃん……!」
遠くから聴き慣れた声が聴こえる。慎吾のお母さん――おばさんの声が聴こえる。
それからもふわふわした感覚は無くならなかった。
私に抱きついて泣くおばさんの声も。
連れていかれた部屋で包帯だらけの慎吾を見たことも。
自分の頬に流れている涙も。……何もかもがふわふわしていた。
私が現実に戻ってこれたのはそれから数分後。慎吾のポケットに入っていた荷物を看護師さんから渡された時だった。
壊れた携帯、擦り切れたサイフと一緒に渡された小箱。他の物が全てぐちゃぐちゃな中で、それだけはなぜだかキレイなままだった。
箱の中にあったのはブレスレットだった。緑色に光るきれいな石を黒いヒモでくくっただけのブレスレット。
――慎吾の手作りのブレスレット。
なぜ慎吾がブレスレットを作っていたのかはわからない。誰にあげるつもりだったのかも、いつから作り始めたのかも、おばさんにもわからなかった。
そのブレスレットがキレイだったから。
慎吾の気持ちが詰まっているように感じたから。
そのブレスレットに触れた瞬間――、その時初めて、私は声をあげて泣いた。
慎吾の返事を待っていたあの時のことを思い返して、腹が立った。
一体いつ慎吾から返事を聞かされるのか、どんな返事なのかを想像して、一日中ドキドキしていた。
『生殺しだ』なんて思っていた自分が許せなかった。――その時の自分がどれほど恵まれていただろうか、どれほど幸せだっただろうか。
事故から一ヶ月が経っても慎吾の意識が回復することはなかった。
包帯が取れてケガも目立たなくなってきても、その目は私を見つめてくれない。その口は開くことは無かった。
ふいにあの話を思い出した。小さな頃によく読んだおとぎ話、『眠り姫』。
――たしかあの話のお姫様は王子様のキスで目が覚めたんだっけ。
慎吾の唇にそっと触れてみる。水気がなくてカサカサしたその感覚に、思わず泣きそうになる。
「……起きてよ。ねぇ、慎吾……」
涙を浮かべたまま、慎吾にキスをした。――それでもやっぱり、慎吾は目覚めなかった。
辛かった。寂しかった。耐え切れなかった。
目覚めることのない慎吾に会いにいくことも、痩せたおばさんの顔を見るのも、泣き虫になった自分にも、全てに嫌気がさしていた。
せめて返事が欲しかった。
行き所もなく宙ぶらりんのままの私の気持ちはどうすればいいの? 返ってくることのない返事を、ずっと待ち続けなければならないの?
――いっそのこと、私も眠ってしまいたい。
目が覚めたらそこに慎吾がいて、いつもみたいに挨拶して、いつものあの口グセを聞いて、いつものように笑いあって、いつものように、いつものように――。
「……慎吾。私もそっちに行っていいかな? あなたのそばに行ってもいいかな?」
返事は、やっぱりなかった。