表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/96

第三十話 : 衝突

 

 ――ここでの月を見上げるのも、もう何度目になるのだろうか。


 月を見上げながら、フゥはそんなことを考えていた。

 この場所に『飛ばされて』以来、もう幾度も見上げた月。それとももうすぐお別れかと思うと妙に感慨深く、寂しい気持ちになる。


『ナガイナガイ、ツキアイダッタネ。ウマレカワッテモ、マタコウシテ、アナタヲ、ミアゲルノカナ』


 返事を期待することもなく、一方的に投げかけられた言葉。とても穏やかな顔で、フゥはその言葉を紡いだ。

 少し前の彼女なら、こうして何かに話しかけることなど、想像すらできないことだった。

 彼と出会う前の彼女なら――。


『ナツ……』


 ポツリと待ち人の名を呼んだその時――、遠く林の向こうから小さな人影がこちらに向かってきていることに、フゥは気付いた。


『ナツ? ……イヤ、チガウ』


 まっすぐにこちらに向かってくるその人影の主は、フゥよりもずいぶんと幼い女の子だった。

 女の子はまっすぐにフゥの元へとやってくる。少しも道をよれることなく、貫くような視線を一瞬たりともはずすこともなく、まっすぐにフゥの元へ向かってくる。


 ――『まっすぐに』? ……まさかあの娘には、私が見えている?


 その考えが正しいことを示すように、女の子はフゥに向かって叫んできた。

 返事など最初から期待してもいない、一方的に投げかけられた言葉。その表情は、けして穏やかではなかった。


「あなたのことは『俯瞰の眼』から聞いた! フライングマンになったいきさつも、お兄ちゃんから名前をもらったことも!」

『オニイ、チャン……? マサカ、アナタハ、ナツノ――、』

「私は日高ナツの妹、日高サヤ! あなたが捜し求めていた、未来人の一人!」


 さらに鋭くなるサヤの視線。そこに込められたものは――怒りだった。


「……同情はする。あなたを助けたいと思うお兄ちゃんの気持ちもわかる。――でも! わたしはあなたを許せない! わたしのお兄ちゃんを、わたしの大切な家族を傷つけたあなたを、わたしは許せない!」

『キズ、ツケタ?』

「知らないとは言わせない。あなたがお兄ちゃんに望んだこと。……そのせいで今、お兄ちゃんは苦しんでる!」

『ナツガ、クルシンデ、ル? ナゼ?』

「……何、言ってるの? 『なぜ』って、今そう言ったの!?」


 その瞬間、渇いた音が平原に響いた。

 フゥには何が起こったのかわからなかった。ただ、先ほどまで女の子を捉えていた視線が、いつの間にか左の方向を向いていた。いや、向かされていた。

 色を変えることなく、相変わらず白いままの頬を睨みつけたまま、サヤは口を開いた。


「なんで、お兄ちゃんが苦しんでいるのか、本当にわからないの?」

『…………』

「もし、本当にわからないと言うのなら、……あなたはもう、『人』じゃない」

『……ッ!!』


 サヤは『俯瞰の眼』から全てを聞いていた。フゥのもう一つの望み――『人であること』。それを知っていながら、サヤはその言葉を口にした。


 『フゥはどこにでもいるような、普通の女の子だよ』


 ナツのその言葉は、これ以上ない程にフゥの心を至福に充たした。

 そしてサヤの言葉は、これ以上ない程にフゥの心を落胆させた。


「わたしたちは四日後、未来に還る。だからもうお兄ちゃんはここには来ない。――来させない」

『ヨッカゴ!? ソンナコト、ナツハ、イッテナカッタ!』

「そうでしょうね。もし言っていたら、あなたはその場でお兄ちゃんに選択を迫ったはずだから。だからお兄ちゃんも『俯瞰の眼』もそのことを言わなかった」

『…………』


 次の言葉を発することすらできずに、フゥはその白い瞳を右へ左へ泳がせながらうろたえた。

 その瞳に時折映る、小さな身体に似合わない威圧的な視線を送るサヤの姿。その姿を捉えて、フゥの口がようやく開いた。


『ナゼ? ワタシハ、ソンナニヒドイコトヲ、イッタ? ソンナニ、ムリナコトヲ、タノンダ?』

「…………」

『ナゼ、ナツガ、キズツクノ? ワタシヲコロスコトデ、キヲ、ワルクシタトシテモ、ドウセスグニ、ワスレテシマウノニ――、』

「――ッ!」


 もう一度、平原にかわいた音が響いた。

 先ほどと逆の方向を向かされたフゥは、頬を押さえることもなくゆっくりとサヤに視線を戻した。

 サヤは、泣いていた。


「やっぱりわたしは、あなたを許せない!」

『…………』

「あなたのその言葉でどれだけお兄ちゃんが傷ついたか、どれだけ苦しんでるか……、考えただけで胸が張り裂けそうになる……! ――それなのに! あなたは望みが叶うことを楽しみにしているだけで、お兄ちゃんのことなんて少しも考えていない!」

『…………』

「許せない、許せない! いっそ、わたしの手であなたを殺してやりたいくらい!」



 ――あなたに、何がわかる――



 それまで、遠くからか近くからか聴こえてくるかのようだったフゥの声が、周りの音を一切遮断するかのような重々しい響きへと一変した。

 サヤは思わず後ずさった。目の前にいる少女の言葉にとてつもない迫力を感じて、後ずさった。

 フゥの言葉には重圧な思いが込められていた。

 これこそが《言霊》と呼ばれるもの。フゥが生まれた時より身に付けていた才能。――そして、自らを孤独の運命へと導いた要因。

 《言霊》をのせて、言葉は出ずる。



 ――死を得ることがどれほど幸せか 考えたことがあるか――

 ――生きることがどれほど幸せか 感じたことがあるか――

 ――私は生きたい だから 死にたい――

 ――それを望むことは罪なのか それを欲すことはエゴなのか――

 ――孤独の海の冷たさを あなたは想像できるのか――

 ――フライングマンの運命を あなたは理解できるのか――

 ――あなたに何がわかる いや わかるはずがない――

 ――この呪いから抜け出すこと それだけが私の望み――



「あなたの望みなんてわたしたちにはどうでもいい! 死にたいのなら勝手に死ねばいい!」


 《言霊》が込められた重々しい言葉。それをはねのけるようにサヤは叫んだ。


「だけど……、だけど! お兄ちゃんを巻き添えにしないで! あなたの身勝手な願いに、お兄ちゃんまで巻き込まないで!」

『――ッ!!』


 『巻き込まないで』――その言葉を最後に、サヤは平原を走り去った。

 それは、もう顔も思い出せない家族がかつてフゥに言ったのと同じ言葉だった。


『マッテ、……マッテェ!』


 林の中に消えていくサヤの姿。その後ろ姿に向かってフゥは叫んだ。

 返事はなかった。


『ナゼ……、ナゼミンナ、オイテイクノ? ナゼ、ワタシヲ、ヒトリニスルノ?』


 大好きな家族に拒絶され、歴史から排除され、心を交わした男の子にも忘れ去られ――。

 皆が彼女を置いていった。皆が彼女を忘れていった。

 待ち望んでいた『応える者』さえ、望みを叶えてくれることなく私を置いていくのか。

 フゥの心を絶望が包んだ。家族に拒絶された時と、同じように。


『ウワアアァァアァアア―――!!!』


 月はすでに沈み、太陽が顔を出し始めていた。

 一人の少女の絶望の叫びと共に、運命の日はこうして幕を開けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ