表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/96

第二十六話 : 少女の望み(2)

 目を覚ました少女がいたのは、知らない時代の知らない場所でした。

 近くを通りかかった人に話を聞こうと、少女は話しかけます。

 しかし、誰も返事をしません。誰も答えようとしません。

 少女の声は、誰にも届いていませんでした。


『ドウシテ? ドウシテダレモヘンジヲシテクレナイノ?』


 自分の声がどこか遠くから響いてくるように感じて、少女は驚きました。

 それどころか、自分の存在さえ少女には感じられません。

 少女は怖くなって、自分の右手を見つめました。――そしてそこには、何もありませんでした。

 

『――ッ!? ウワアアアァアアァア!!』


 右手どころか足や身体、手触りや痛みや感覚でさえ、少女は認識することができなくなっていました。

 『さまよえる者』――少女の頭にその言葉が浮かびました。

 『俯瞰の眼』の悲しみを歌ったあの唄。『フライングマン』と名付けたあの唄。

 自らがそうなってしまったことに、少女はおかしくもないのに笑いました。

 自分がどんな表情をしているのかも少女にはわかりません。しかし、これだけはわかりました。


 ――私はきっと、泣いているんだ。


 唯一、少女が感じられるのは自らの歌声だけでした。

 《言霊》を含んでいると言われた声。いつもみんなを笑顔にしてくれた歌声。

 少女は歌いました。

 自らの存在を示すために。自らの存在を感じるために。

 私は生きているんだと。ここに私はいるんだと。――少女は歌い続けました。



 不思議なことに、その歌声だけは他の人にも届いているようでした。

 どこかから聴こえてくるその唄に、ある者は驚き、ある者は恐怖し、ある者は聴き惚れました。

 やがて、その歌声の主に話しかけようとする者が現れました。

 姿の見えない歌声の主を、まるで神様をあがめるように、何人もの人々が敬い始めました。


 ――私に気付いて。私はここにいる。ここにいるの!


 少女の唄に希望が宿ります。

 希望の宿った歌声は、聴く者の心にも希望を宿らせました。

 多くの民衆が少女の存在に気付きました。たとえ姿は見えずとも、確かにそこには誰かがいる。大勢の人がそう認識しました。


 しかし、それを運命は許しませんでした。


 いつものように歌い続ける少女の前に、光輝く空間が浮かび上がります。

 それは、時空間を移動するためのゲートでした。

 遠い昔、家族で過去の時代へと旅行に出かける時にくぐった、あのゲートでした。


 ――迎えに来てくれたんだ。『俯瞰の眼』は約束を守ってくれたんだ!


 光に吸い込まれる少女。これで未来へ還れるんだと。家族の元に帰れるんだと。またあの頃の幸せな生活に戻れるんだと。そう思っていました。

 たしかにそれはゲートでした。

 しかし、少女の思っていたゲートとは、まったく違うものでした。



 ゲートをくぐったその先にあったのは、知らない時代の知らない場所でした。

 少女の望みは何一つ叶えられることはなかったのです。

 そして少女は知りました。自らに課せられた運命を知りました。



 ――あなたの前にあるものは 広くて狭い孤独の海――

 ――孤独の海にあるものは しじまの空と永遠のとき――

 ――ああ 孤独なフライングマン――

 ――哀れで滑稽こっけいなフライングマン――

 ――迷い彷徨いその先で あなたがたどり着く場所は――

 ――孤独の果ての弧地獄か それとも久遠のふるさとか――



 それは、少女が『俯瞰の眼』に歌ったあの悲しい唄でした。

 絶対孤独と言う名の呪い。

 それが意味するものは、確かな存在を認識されてはいけないということでした。

 そんな理不尽な運命をその身に背負ってしまったことを、少女は知りました。

 そして少女は、おかしくもないのに笑いました。

 笑い続けるしかありませんでした。


 ――これでは、死んでいるのと何も変わらないじゃないか。


 少女はいつしか、死を望むようになりました。

 自分が生きている証を得るために、死を望むようになりました。

 しかし、どうすればそれが成しえるというのでしょう。

 少女は自らの手で自らの命を終わらせることすらできません。

 少女の身体は傷つくことがありません。物に触れることすらできません。

 その身は歳を重ねることもなく、老衰で亡くなることすら叶わないのです。

 生けるしかばね。――まるで、あのおとぎ話の船長と同じように。



 少女は歌い続けました。

 望みを叶えてくれる者を探して。願いに応えてくれる者を探して。

 たとえ歴史にジャマされようと、何度も別の時代に飛ばされようと。

 少女は歌い続けました。



 どれほどの月日が流れたのでしょう。

 眠ることすら欲しない少女の身体には、月日や時間の流れもわからなくなっていました。

 少女が望むのはただ一つだけ。自らに死をくれる『応える者』が現れることだけ。

 「いつか迎えにくる」と言った『俯瞰の眼』の言葉をもう少女が忘れかけた、そんな時でした。

 少女の前に一人の男の子が現れました。

 男の子には少女の歌声だけでなく、少女の普段の声まで聴こえていました。


 ――もしや、この子が『応える者』なのか?


 その男の子は、何度も何度も病院に入退院を繰り返しているような、病弱な子でした。

 ちょっとした発作で意識不明に陥ったり、年に何度か手術が必要になったりと、とても身体が弱い子でした。

 そんな子に「私を殺してくれ」と頼んだところで、実行するのは無理だろう。

 少女はそう思いました。

 それと同時に、この男の子に元気になってほしいと、そうも思っていました。



 少女は男の子のために唄を歌いました。

 男の子の身体がよくなるようにと。元気に走り回れるような身体になるようにと。

 そんな願いを込めながら、唄を歌いました。

 男の子はその唄のせいなのか、どんどん元気になっていきました。


「すてきなおうた、ありがとう、おねえちゃん」


 姿は見えずともそこに少女がいることを、男の子はわかっていました。

 やがて、その男の子以外にも、病院関係者の多くにその存在が知られてしまいます。

 少女の前に、またも歴史が立ちはだかります。

 せっかく仲良くなった男の子とも別れなければならなくなりました。


 ――いつかまたあの子に会えたら、その時こそ。……私の、望みを。


 そんな思いを抱えながら、少女はまた、別の時代へと飛ばされていきました。



 どれほどの年月が過ぎたのでしょう。

 いくつもの時代を通り過ぎて、いくつもの季節を過ごして、いくつもの人生を垣間見て。

 ついに少女は自分の名も思い出せなくなりました。言葉すら忘れかけていました。

 そんな時、少女はある青年を見て、とても驚きました。

 自分の感情すら感じ取れない少女。しかし、その時だけは自分の驚きをはっきりと感じ取りました。


 その青年は、かつて少女と心を通わせた、あの男の子でした。


 何人かの友達と親しげに話しながら、青年は少女のそばを通り過ぎます。

 驚きのあまり思考が止まっていた少女がようやく気付きます。


 ――そうだ、唄だ。私の唄を聴けば、あの子はすぐにわかるはず。


 そして少女は歌いました。

 青年が小さかった頃、まだ病弱だった頃、とてもお気に入りだった唄。

 『風が奏でる癒し唄』――その唄を、少女は歌いました。

 突然聴こえてきた歌声に、青年とその友達が振り返ります。

 どこからか聴こえてくるその歌声に眉をひそめながら、そして、聞きほれながら。


「なんだ、この唄?」

「誰が歌ってんだ? うわ、なんか気味悪い」

「でも……、いい唄だな」

「なぁ、誰かこの唄知ってる奴いるか?」


 青年の友達が、かつての男の子にそう尋ねます。

 少女は祈りました。

 どうか知っていると言って。あの時、あなたのそばにいた私を思い出して。

 しかし、少女の祈りは届きませんでした。


「……いや、聴いたことないな。なんなんだろう、この唄?」


 青年は、少女の唄を忘れていました。それどころか、少女の存在すら忘れていたのです。

 ああ、これもフライングマンの運命と言うのでしょうか。

 姿も見えず、触れることも出来ず、そこに存在したと言う記憶すら、歴史は許さなかったのです。

 その瞬間、少女は唄をとめました。

 そのまま歌ってしまったらどうなるか、少女にはわかっていたからです。

 少女の唄は思いを届けてしまいます。相手の心に深く刻み込んでしまいます。

 期待していた分だけ、青年のその答えによって生まれてしまった絶望をも。

 だから、少女は唄をとめました。

 そして、期待することをやめました。希望を持つことを、やめました。



 ――ああ 私はフライングマン――

 ――哀れで滑稽こっけいなフライングマン――

 ――誰か応えてくれないか どうか応えてくれないか――



 いつからか少女の唄には、悲しみしか存在しなくなりました。

 かつて聴く者に安らぎと微笑みを届けたその歌声は、寂しさと切なさのみを伝えるとても悲しい唄しか、歌えなくなっていました。

  

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ