第二十五話 : 少女の望み(1)
「……き、聞き間違いかな。フゥ、今なんて言った?」
『ワタシヲ、コロシテト、イッタ』
「…………」
『ナツ、ドウシタノ?』
絶句しているナツに、フゥは笑顔のまま小首をかしげて尋ねます。
その無垢なしぐさとは裏腹なその残酷な願いに、ナツは言葉を失うのでした。
「……な、なんでだよ? なんでそんなこと言うんだよ!」
『ナツ、ナニヲ、オコッテ、イル、ノ?』
「なんでわかんねぇんだよ! ――いや、わかんねぇよ! なんでフゥがそんなことを言い出すのか、俺には全然わかんねぇよ!」
『…………』
「なぁフゥ、教えてくれよ。何か理由があるんだろ? ホントに死にたいって思ってるワケじゃないんだろ? なぁ?」
『…………』
フゥは何も答えようとせず、ただ驚いていました。その表情だけが、なぜナツが怒っているのか本当にわからないとありありと語っていました。
黙り込む二人を見ていられなくなったのか、夕陽が顔を隠します。辺りは次第に薄暗くなり、夜の闇が二人を包みます。
一匹の小さなホタルの灯り火が、ぼぅ…ぼぅ…と点滅しながら飛び回る様子を見つめながら、フゥはようやく口を開きました。
『――ナツ。ワタシハ、イキタイ。ヒトトシテ、イキテイタイ』
長い長い沈黙の後、フゥがようやく口にした言葉。
その先を促すように、ナツは何も言わずに黙っていました。
『アナタハ、イッテクレ、タ。ワタシヲ、ヒト、ダト。……ソウ、イッテ、クレタ。ダカラ、ワタシハモウ、オモイノコスコト、ハ、……ナイ』
「だから、なんなんだよそれ! 生きたいんなら生きればいいじゃねぇか! なんで『殺してくれ』だなんて言うんだよ! なんでそれを俺に言うんだよ! よりによって……、なんで俺に……!」
『ソレハ、アナタガ、コタエルモノダカラ』
ゆっくりと、フゥの手がナツに向かって伸びていきます。
その手は、まるで触れれば壊れてしまいそうに儚くて、ナツに触れることを怖がっているようにぶるぶると震えていました。
『……ウ、ウゥ……』
何度もためらいながら、震えに耐えながら。
ようやくその手は、その先にあるものを、ナツの手を掴みました。
その瞬間――、フゥは泣きだしてしまいました。
その白い眼からボロボロと色のない涙を流しながら、眉をひそめて困ったような笑顔のままで、泣き出しました。
『ウアァ……、ウゥ、……ッグ……』
「フゥ? なんで泣いてんだよ? 何が悲しいんだよ?」
『カナシク、ナイ……。タダ、ウレシクテ、ウレシクテ……』
「嬉しくて?」
『アナタニ、フレラレルコトガ、ウレシクテ、……ウレ、シクテ……』
「……どういうことだよ? さっぱりわかんねぇ」
『ハナスカラ。スベテ、ハナスカラ。ワタシノ、スベテヲ。ノロワレシ、フライングマンノ、ウンメイヲ』
どこか遠くから聴こえるような、耳元でささやかれているような、そんな不思議な響きのする声で、フゥは語りだしました。
自らがフライングマンとなったいきさつを。
フライングマンのあまりにも重すぎる運命を。
悲しい唄の正体を。
そして、あの残酷な願いの理由を。
◇
あるところに一人の女の子がいました。
女の子には大好きな家族と、大好きな友達と、大好きな唄がありました。
その歌声は家族の安らぎ。その歌声は家族の礎。その歌声は、聴く者に幸せを届けました。
「君の声には《言霊》が含まれているのかもしれないな」
ある日、女の子の通う学校の先生がそう言いました。
まだ幼い女の子には先生のその言葉の意味がよくわかりませんでした。
ただ理解できたのは、自分の歌声が褒められているんだと言う事だけ。
女の子は嬉しくて、皆に褒めてほしくて、聴いている人に笑顔になってほしくて、歌い続けました。
朝がきて、陽が昇って、暮れて、夜が来て、また朝になって――、
女の子はいつも、唄を歌い続けていました。
時が経ち、その女の子も歳相応に可憐な少女へと成長しました。
ある日、少女の唄はとても偉い人に褒められました。とても偉いコンクールで一番に褒められました。
少女に与えられたのは、選ばれた者にしか与えられない特権。
まだ世に広まり始めたばかりの『時空間移動』という技術。その栄誉ある特権を授受されたのです。
少女の家族は喜びました。
『過去の世界への旅』を誰よりも先に経験できるその栄誉を、少女の家族はとても喜びました。
少女も喜びました。
家族の喜びは、少女のこの上ない喜びだったから。
少女とその家族は過去へとやってきました。
過去には見たことのない物や、聴いたことのない唄や、食べたことのない食べ物がたくさんありました。
少女も、少女の家族も、皆とても楽しんでいました。
その姿を『俯瞰の眼』と呼ばれる黒い球状の物体が見つめます。
過去の貴重なデータを未来へと持ち帰るために作られた自律型ロボット。
ただの記録用に作られたそれは物言うこともなく、ただただ少女たちや過去の世界を見つめつづけていました。
「あなたはどうして何も言わないの?」
ある日少女は『俯瞰の眼』にそう質問しました。
みんなは自分の唄を聴くと微笑んでくれるのに、『俯瞰の眼』は感情を表すこともなくただ宙に浮いて自分を見つめているだけ。
そのことを少女は不思議に思っていたのです。
「あなたもきっと笑えるのに。みんなと一緒に笑い合えるのに」
少女は歌いました。『俯瞰の眼』のために歌いました。
『俯瞰の眼』にも、少女は笑ってほしかったのです。
しかし、ただの記録用としてしか作られていなかった『俯瞰の眼』には話す機能など、まして笑う機能など備え付けられていません。
少女がどんなに心を込めて歌っても、『俯瞰の眼』は笑いません。
そんな『俯瞰の眼』が、少女には昔どこかで聞いたおとぎ話の登場人物と重なります。
誰と話すこともなく、笑いあうこともなく、ただ一人でプカプカと浮いている。
その姿と、昔どこかで聞いたおとぎ話――フライングダッチマン号の船長が重なります。
「あなたも、さまよっているの?」
途端に悲しくなって、少女はその思いを唄にしました。
『フライングマン』と名付けられたその唄が、少女の悲しい思いをのせて、辺りに響き渡ります。
その唄が、あまりにも悲しくて。あまりにも切なくて。あまりにも辛かったから。
その唄をたまたま聴いていた、その時代の人間が、
――悲しみのあまり、自らの命を絶ってしまいました。
『過去旅行』の最中に起きた不運な事故はまだまだ続きます。
その事件のせいで歴史の流れが狂ってしまい、未来に還るためのゲートが開かなくなってしまったのです。
どういう理由なのかも、これからどうすればいいのかもわからず、少女の家族は途方に暮れて、次第に険悪になってしまいます。
少女は家族を和ませようと、みんなが大好きな唄を歌いました。
しかし、その唄を聴いても少女の家族が笑うことはありませんでした。
「お前のその唄のせいで俺たちは還れなくなってしまったんだぞ!」
少女の唄が初めて否定された、その瞬間でした。
その姿を見ていた『俯瞰の眼』が、バチバチと火花をあげながら、ぐにゃりといびつに歪んだ異様な空間を作り出しました。
――あなたまで、私を否定するの?
少女はそう思いました。そして、それが違うことに気付きました。
それは、歪んでしまった未来からの救いの手、――『到着ゲート』でした。
『管制塔』が少女やその家族を救おうと、狂ってしまった歴史の流れの中で唯一コンタクトの取れる『俯瞰の眼』を使った最後の手段でした。
しかし、まるで爆弾が爆発でもするかのようなその光景に、少女を含め、誰もそれが未来へ還るためのゲートであることに気付きません。
『還ロウ。僕タチノ、時代ニ』
少女には『俯瞰の眼』がそう言ったように感じました。
火花が弱まり、『俯瞰の眼』を包む異様な空間もだんだんと小さくなっていきます。
「みんな、還ろう! 私たちの時代に! 私たちの家に!」
『俯瞰の眼』の言葉を信じて、少女は家族と一緒にその空間に飛び込もうとしました。
しかし、少女が掴もうとしたその手は、無残にも振り払われてしまいました。
「今度は何をしたんだ、この厄病神が! これ以上俺たちを面倒ごとに巻き込むな!」
その言葉と、突き放された手によって、少女の身体は突き飛ばされました。
閉じていく空間の中に少女の身体が飲み込まれます。
未来へと続くゲートを少女だけがくぐることができたのです。
しかし――、
「―――いやあああぁぁあぁああ!!!」
大好きだった家族から拒絶され、大好きだった唄を否定され、少女は絶望に包まれました。
その絶望は《言霊》となり、少女の心の叫びとなって荒れ狂うように辺りに響きます。
荒れ狂う絶望。その猛威は相当なものでした。
このままではさらに歴史が狂ってしまうと、『管制塔』はその原因をゲートから取り払いました。
取り払われたのは。見捨てられたのは。――絶望を歌う少女でした。
――私はただ、みんなに笑っていてほしかっただけなのに。
少女の身体がゲートからはじき飛ばされます。
『俯瞰の眼』はその全てを視ていました。
絶望に暮れる少女と、その悲しい唄の全てを記録していました。
はじき飛ばされる少女に『俯瞰の眼』は語りかけます。
『イツカ必ズ、迎エニ行クカラ。君ノソノ願イニ応エル者ヲ連レテイクカラ』
ゲートからはじき飛ばされた少女。
狂った歴史の流れに飲み込まれてしまった少女。
そして少女は、歴史の狭間に閉じ込められてしまいました。