第二十話 : 偽りなき決意
『唄は心で歌う』――フゥは確かにそう言いました。
フゥの歌声が聴く者の心を揺さぶるのは、そのせいなのでしょうか。――心より生じたものは心に還る。そういうことなのかもしれません。
少女の奏でる癒し唄は、平原を包み、わたくしたちを包み、歌声の届く範囲の全てのものを包み、ある一つの感情で充たします。
――それは『安らぎ』。
草木や花々、大気や大地までもが例に漏れず、わたくしたちのいるこの空間全てが安らぎに充たされた優しい雰囲気をかもし出します。
全てを安らぎに充たされたこの空間で、ナツはただただ、歌い続けるフゥの姿をジッと見つめていました。
自らの一番好む唄を歌い続けるその姿は、とても嬉しそうでした。
そんなフゥの姿に満足したのか、ナツは静かに微笑みを浮かべるのでした。
「……いい唄だよな、フカちゃん」
……ええ、そうですね。いい唄です。そして、フゥもとてもいい顔で歌っていますね。
「相変わらず無表情だけどな。でも、それでもやっぱ伝わってくるよな」
フゥの心をのせた歌声は相も変わらずわたくしたちを包みます。
その心地よさを堪能するように。安らぎの海に漂うように、わたくしもナツもただジッとフゥの唄とその声に身をゆだねるのでした。
◇
ナツ。少し真剣な話をしてもよいですか。
「ん? なんだよフカちゃん?」
辺りが夕闇に染まり、校舎へと続く帰り道を黄昏が支配します。
結局、昼休みが終わってもわたくしたちはあの平原でフゥと一緒に過ごしていました。午後の授業は全てサボリになってしまったわけですが、ナツの表情には後悔など微塵も感じられません。それどころか清々しい笑みまで浮かべています。ナツにとって、あの白い少女と親しくなれたこの時間と午後の授業なんて、天秤にかけるまでもないことなのでしょう。
そんなナツだからこそ、気付いていないのでしょうね。――先ほどのフゥと過ごした時間における不自然な点を。
「不自然な点……?」
まず一つ。ナツは以前にもあの少女、……フゥに話しかけたことはあるんですよね? そして、その時は無視されたりぞんざいな対応をされてりしていたんですよね?
それがなぜ、今回に限っては百八十度まったく違う態度なのでしょう?
「えと……、俺にだってわかんねぇよ。あの時肩を掴んだらいきなり叫ばれて、その後フカちゃんを見つけてさらに取り乱して、それが落ち着いたらもうあんな感じになってたし」
そう、その点も変なんですよ。
――なぜフゥにはわたくしの姿が見えるのか?
――なぜ肩を掴まれただけでそんなにも取り乱したのか?
そして極めつけはあの言葉……『私を殺して』です。
「……そう言われてみれば変だな。あの後いろいろと話を聞いたけど、それに対する答えっぽい話は聞いてないし」
あの唄にしたって変ですよ。ただ歌うだけで人の心にあれだけ影響を及ぼすものなど、わたくしの知る限り存在しませんよ。
あれではまるで、――洗脳ではないですか。
「……っ! おい、フカちゃん!」
……ナツ。わたくしはいまだ彼女がフライングマンであると言う確証を得てはいません。だからこそ、ナツが彼女と会うことを止める権利はありません。
ですが、彼女が危険な存在であると言うことは今回のことでハッキリわかりました。
「フゥが……、危険な存在だって!? 一体どこがだよ! フカちゃんだってあの唄を歌ってる時のフゥの表情見ただろ!? あんなに嬉しそうに歌うフゥのどこが危険だって言うんだよ!」
フゥ自体が危険だと言ってるワケではないんです。あの唄が危険だと言ってるのですよ。
彼女の唄は、聴く者の心に多大な影響を及ぼします。現にナツだってあの唄で号泣したり安堵を得たりと、すでに感情をコントロールされているではありませんか!
もしも、……もしもですよ。『絶望』の感情を込めた唄をフゥが学園の中央広場や人通りの多い街中で歌ったなら、……どうなると思いますか?
「……ッ!!」
……パニックどころではないでしょうね。下手をすると自殺しようとする者だって出てくるかもしれません。
それはこの学園や街の者だけではなく、わたくしたちにだって、本来死ぬはずではなかった者を自殺させた、と言う『歴史改変』の大きなツケが回ってくるかもしれないのです!
「そんな……、そんなこと、フゥがするわけないだろっ! もししようとしてたって、俺が絶対に止める! 止めてみせる!」
感情をコントロールされてしまったら、そんな決意には何の意味もないんですよ!?
「そんなの関係ねぇよ! 俺の意志は俺だけのもんだ! フゥを救いたいって言うこの気持ちは俺が決めた俺の意志だ! もしフカちゃんが言ったその最悪な事態に陥ったって、俺が絶対にフゥを止める! フゥを救ってみせる! フゥに、そんな絶望だらけの悲しい唄なんて絶対に歌わせてたまるもんかよ!」
……その言葉に嘘偽りはありませんか、ナツ?
「――ないっ!!」
一切のためらいもなく、ナツは言い切りました。
その瞳は夕焼けの光を反射して、赤々と、まるで燃えるように輝いていました。
『フゥを救いたいって言うこの気持ちは俺が決めた俺の意志だ!』
フゥがとんでもない事態を引き起こしかねないと言う話をしたのにも関わらず、ナツはそう言いました。
『救う』という言葉を、ナツは口にしたのです。
「…………」
……ナツ、どうもすいませんでした。今の話は忘れてください。
今わたくしが言ったことは全て、その可能性がなくはない、と言ったもしもの話に過ぎません。もしフゥのことを知らなかったなら、もしもではなく、実際に起こりうる事態としてわたくしも相当に警戒していたことでしょう。
しかし、わたくしはフゥに会いました。フゥを知りました。
あの娘がそんなことをしでかすなんて、自分で言っててバカバカしい話だと思います。本当に申し訳ありませんでした。この通りです。
「…………ったく」
見るからに不満げな顔と声でわたくしを睨むナツ。……どうやら、相当ご立腹のようですね。
「あたりめーだろ! そんなお目々パッチリの状態で『この通りです』とか言われてもちっとも謝る気持ちが伝わってこないっつーの!」
なんですと〜〜!! お目々パッチリはわたくしの大事なアイデンティティの一つなんですよぉぉっ!!
「逆ギレかよっ! ってか、アイデンティティってどんな意味なんだよぉォっ!」
いつものおふざけ。逆ギレの応酬。
そんなことを繰り広げている間に、もうすっかり辺りは夜の帳を下ろしているのでした。
◇
「……ああ、やっばいなぁ〜、……どうしよう、おじさんおばさん?」
日高家のリビング。食卓の上で頭を抱えながら、ミオはナツとサヤの両親に問いかけた。
「ミオちゃん。その『やばい』ってのはどういう意味の『やばい』なのかしら?」
「……もちろん、ナツたちにどう話すのかって言う意味でよ。あたしにとってはもちろん喜ばしいことなんだけど、ナツとサヤにとっては……、ねぇ?」
「まぁ、こればっかりはしょうがない問題だからなぁ。ミオちゃんが言いにくいなら、おじさんたちからナツとサヤに言ってもいいんだけど」
その提案を、ミオは首を振って否定した。
「いや、それは遠慮しとく。これはあたしの責任だから、あたしからナツたちに話さなきゃいけないと思うし」
「そうかい?」
「うあ〜、でもやっぱ気が滅入るなぁ……。どう伝えたらいいんだろ……」
頭を抱えながら食卓に突っ伏すミオ。
普段の破天荒な様子からとても想像できない弱々しい口調で、その言葉はミオの口から漏れ出した。
「あたしのせいで、あと一週間後には未来に帰らなきゃいけないなんて……」