第十九話 : 風の少女
『ワ、タシ…ハ、ズット、ココニィタ。ヒ、トリデ、ウ、ウタッタ、タ』
「え〜っと、……私はずっとここにいた。一人で『売った』? ……違うな、『歌ってた』かな?」
『ドンナ、ニ、タッタカ、ワカ、ラナイ。ズット、ヒトリキリ。ソコニ、アナタガ、コタエルモノガ、キタ』
「どんなに『たった』? 時間が『経った』か? ずっと一人きり……。そこに俺がやって来た、と。……『応える者』って俺のことで合ってるよね?」
平原にペタンと座り込んだまま、コクンとうなづく少女。その無垢な姿からは、先ほどまで「コロシテェ!!」など物騒な言葉を叫んでいたことなど微塵も感じさせません。
少女に落ち着きを取り戻させたのは、他ならぬナツでした。
普段は落ち着きなどどこかに置き忘れてきたかのように走り回っているナツ。そのナツが、取り乱す少女をなだめる姿など、一体誰が想像できたと言うのでしょうか。
◇
白い瞳を涙でぼろぼろに濡らしたまま、少女はナツに詰め寄ります。
「コロシテ、コロシテェ!」と叫び寄るその姿は、まるで気が狂ってしまったのかと疑ってしまうほどに、尋常ではない光景でした。
そんな光景に怯むわたくしとは真逆に、ナツはとても落ち着いていました。
取り乱す少女の両肩をしっかり支え、狂気に充ちた叫びを真正面から受け止めて、ナツは微笑んだのです。
普段は絶対にしないような、とても優しく、とても力強いまっすぐな笑顔で、少女に向かって微笑んだのです。
『コロシテェ!! コロ、……シ……』
「何も怖がることなんかない。何も悲しいことなんてないから」
その微笑みは、少女の叫びを打ち消しました。
その言葉は、少女の涙をとめました。
そして、
『アナ、タ、ハ……、コタエル、モノ?』
「…………ああ、そうだ。俺は――、君の願いに『応える者』だよ」
その答えは、少女の心を取り戻しました。
◇
ナツの答えを聞いた後、まるで堰を切ったように少女は泣き崩れました。
嗚咽を抑えることもなく、子供のように泣きじゃくる少女の身体を、ナツはずっと何も言わずにそばで支えるのでした。
正直、ナツのことを見直しましたよ。
以前サヤがナツのことを頼りにしてると言っていたことがありましたが、それも納得です。いざと言う時に頼りになるという物語の主人公にはかかせない要素をきちんとナツは持ちえていたのですね。さすがですねナツ! ただのバカじゃなかったんですね!
そんなわたくしの声などまるきり無視して、ナツは放心している少女に再び呼びかけるのでした。
「……落ち着いた?」
『……ン』
地面にペタリと座り込み、ぼーっとした表情で、ようやく少女は何度目かの呼びかけにコクンと頷きました。
そして少女は語り始めました。
今までに自分がここで何をしていたのか。どんなことを考えていたのか。どんなに寂しかったのかを。
今までの無口な様子からは一変して、進んでいろいろ話し出す少女。
どうやらしゃべることが苦手らしく、ところどころつまりながらも少女は必死に言葉を紡ぎます。
「歌っているときはあんなになめらかなのに。歌ってる時みたいに話せないの?」
『ウタハ、ココデ……、ココロ、デ、ウタウ。ハナスノ、ト、ハ、チガウ』
「そんなもんかなぁ? ……ああ、でも少しわかる気がする」
少し照れた顔になるナツ。きっとあの時のことを思い出してるんでしょうね。初めて少女の唄を聴いた時、ぼろぼろと泣き崩れてしまったあの時のことを。
『……ナキ、クズレタ、ノ?』
「なっ、泣いてないから! 男がそんな簡単に泣くワケないし! フ、フカちゃん余計なこと言うなよな!」
余計なことも何も。本当のことじゃないですか。なんならあの時わたくしが視ていた光景をこの場で投影して映像化してもかまいませんが。
「すいませんっしたぁ! お願いだからそれだけはマジ勘弁っす!」
――『投影』開始。それではご覧くださいませ。タイトル、『お前の涙は何色だ』。
「だからマジでやめてくれって! ってか、なんだよそのタイトル!」
『…………』
「ん? あれ、どうしたの?」
ついついいつもの調子でふざけるわたくしたちを戸惑いの目で見つめながら、少女はクイ、クイとナツの服のすそをひっぱります。
『コタエルモノ、ハ、ワタシノ、ハナシ、タイクツ?』
「あ、ごめんごめん。退屈だったわけじゃなくてさ。……あ、そういえば自己紹介とかしてなかったっけ? 俺の名前はナツ。『日高ナツ』って言うんだ」
『ナツ、ナツ。コタエルモノノ、ナマエ、……ナツ』
「そう、俺の名前はナツ! 君の名前は何て言うの?」
『…………』
「……?」
ナツのその質問を受けて、少女は無表情で黙り込みました。
その突然の変わりように、何かいけないことを訊いてしまったのかとナツが少し慌てた、その時でした。
『ナイ』
「えっ?」
『……ナイ』
少女は無表情で同じ言葉を繰り返しました。
その言葉の意味がわからず、頭の上に『?』が何個も浮かぶナツ。少女はスゥっと息を吸い、唄でその意味を答えました。
――名前などない 私はただのフライングマン――
――歴史の狭間でさまよえる者――
――永遠の孤独を背負いし者――
――呼びかける者も 応える者もなく――
――名前は意味を無くし その存在さえ忘れ去られた――
――私はただのフライングマン――
――それ以上でも以下でもない――
少女の唄が静かに止みます。その唄の中に込められた『悲しみ』が、平原を覆いました。
無表情のまま歌い終えた少女の隣で、ナツは泣いていました。初めて少女の唄を聴いた時と同じように、ぼろぼろと涙を流していました。
少女にそのことを気取られないように溢れる涙を必死に袖で拭いながら、ナツは明るい声で少女に向かって叫びました。
「じゃ、じゃあさ、俺が君の名前をつけてあげるよ!」
『……ナツガ、ワタシ、ノ、ナマエヲ?』
「ああ! 任せとけ!」
任せとけって、ナツ、何かいい名前でも思いついているですか?
「今から考える! ……う〜〜〜〜ん……」
両腕を組んで考え始めるナツ。首を傾け、眉間にシワまで寄せて、明らかに「めちゃくちゃ考えてますよ僕」的なポージングです。
ナツの口からかすかに聴こえる「白いからシロ? いや、それじゃ犬っぽいし」と言う呟き声にはかなり不安を掻き立たせられますが、少女は無言でナツの思考が終わるのを待っていました。その表情がかすかに微笑んでいるように見えるのは、わたくしの気のせいでしょうか?
その時、平原に突風が吹き荒れました。
ナツの前髪が大きく揺れ、制服の袖はバタバタと煽られます。わたくしなんてモロに突風を受けて空中で転がるように飛ばされまくってます。うおぉ、フカちゃん、ピンチ。
しかし、少女だけは違いました。強風にも関わらず、少女の身にまとっている服もその白い髪も、ピクリとも煽りを受けることなく整然としています。
……あの娘だけは風の影響をまったく受けていない? これは一体どういうことなんでしょうか……?
「――わかったぁ!」
えぇっ!? ナツ、わかったんですか? 一体どういうことなんですか!?
「ふっふっふ。俺なりに真剣に考えた結果、これしか思いつかなかったぜ。フカちゃん、聞いて驚け。……『フゥ』って言うのはどうだ?」
……わたくしが聞きたかったのとは全然違うことだったんですけど。でも、想像していたよりはずっと女の子らしい名前で安心しましたよ。
『……フゥ?』
「そう、フゥ! 風のフゥ! 何かパッと思いついてさ、結構いい名前だと思うんだけど、どうかな?」
『…………』
少女は無表情でした。その表情から、わたくしは少女がその名をあまり気に入っていないのかと思いました――が、それはまったくの見当違いだったようですね。
少女はぶつぶつと、ともすれば誰にも気付かれないくらい小さな声で、ナツの名付けてくれたその名を呟いていたのです。
『フゥ、フゥ。……カゼノ、フゥ。フライングマンノ、フゥ……』
終始無表情だったのにも関わらず、少女はとても嬉しそうでした。
ナツが付けてくれた名前を呟き続ける少女――フゥ。
片手を胸に押し付け、まるで自らの胸に刻み込むように何度も何度も呟くのでした。
「よかった。その名前、気に入ってくれたんだ?」
『アリガ、トウ、ナツ。トテモ、トテモ、イイナマエ。アリガトウ、ナツ』
「い、いや〜、なんてことないって、ハハ」
『フゥ。フゥ。ワタシ、ハ、フゥ』
何度も何度も新しい名前を呟くフゥ。どうやら本当に気に入ったようですね。心なしか、ほんのり笑っているようにも見えますよ。ナツ、やりましたね。
「ああ、ホントよかった。……でも、できればあんな無表情じゃなくてちゃんとした笑顔を見たいんだけどな」
……ナツ。顔、赤いですよ。
「う、うっせ! ……あれ?」
顔を赤くしているナツの前に、呟きを終えたフゥがちょこんとお辞儀していました。あら、サヤに負けじ劣らずかわいらしいじゃないですか。
顔をさらに真っ赤っかにしているナツの顔を見ながら、フゥが口を開きます。
『ステキナ、ナマエ、アリガ、トウ、ナツ。オレイニ、ナニカ、シタイ』
「お、お礼? い、いいってそんなの。そんな大したことしてないし」
『ワタシハ、ナツニ、オレイガシタイ。デモ、ワタシ、ニ、ハ、ウタシカ、ナイ。ナツハ、ド、ナ、ウタガ、スキ?』
いいじゃないですか、ナツ。せっかくのご好意なんですから受け取ってはいかがですか?
「……じゃ、じゃあせっかくだからお言葉に甘えて……、何がいいかな? ――そうだ! フゥが好きな唄がいい! フゥが一番好きな唄を聴いてみたい!」
『ワタシノ、スキナ、ウタ?』
「そう、フゥの好きな唄! 俺はその唄が聴きたい!」
『…………』
無言のまま、何かを思い出すように、遠い記憶を思い起こすように、ゆっくりと目を閉じます。 その状態のまま、フゥはピクリとも動きません。
ナツは何も言わずにその様子をジッと見つめます。平原に腰を下ろして、フーが歌い出すまで、ゆっくりと彼女を見守るのでした。
やがて、フゥは目を閉じたまま、両手を胸の前で組み始めました。
まるで神に祈りをささげるような格好で、フゥは歌い出しました。
『風が奏でる癒し唄』を。
――悲しい時は歌いましょう 風が奏でる癒し唄――
――明けない夜がないように 悲しみもいつか終わるから――
――きっと誰かがあなたのことを想って歌っているでしょう――
――風に吹かれているうちに あなたの涙も乾くでしょう――
――星が流れていくうちに あなたの悲しみ癒えるでしょう――
――誰かが泣いているならば 癒しの歌を歌いましょう――
――誰より想いを込めた歌 風が奏でる癒し唄――
平原に少女の歌声が響き渡ります。ナツの心にも、そしてわたくしの心にも。
その唄には『悲しみ』など、一切存在しませんでした。
湧き上がってくるのは『安らぎ』。まるで子守唄のような、母に抱かれて眠る赤子のような、そんな安らぎがわたくしたちを包みこむのでした。