第十八話 : 残酷な願い
青く、碧い光を反射する草木。
夏の風に揺られ静かにしなる枝。
周りに流れる、おのれの肺を充たす空気を心地よく感じながら、ナツは先を急いでいた。早くしないとお昼休みが終わってしまう。それまでに、ナツにはたどり着きたい場所と、会いたい人物がいた。
「う〜ん、ついつい来ちゃったのはいいけど、あの娘、こんな真昼間にいんのかな?」
学園裏の雑木林。あの少女がいつもいるあの平原。ナツはお昼休みの時間を利用して、あの少女に会いに行こうとしているところだった。
空を見上げるとそこにはカンカンと地上を照らす太陽の姿。ナツがここに来る時はいつも、その場には月があった。だからこそナツは心配する。――あの白い少女は、夜にしかあの場所に現れないのではないか、と。
「……あの娘が俺と同じ未来人……(にへら〜)」
それを思いだすと、思わず顔がゆるんでしまう。サヤからさんざん気持ち悪いと罵られ、ミオには爆笑され、両親には暖かい笑顔で送り出され、たそがれナツ観測隊はそのあまりにも衝撃な表情を目の当たりにして解散を決意してしまったその顔。『俯瞰の眼』がニヘラ顔と命名したその表情を惜しげもなく披露しながら、ナツはあの平原へとようやくたどり着いた。
ナツの心配を吹き飛ばすように、あの少女はいつものように佇んでいた。
夜の空に浮かぶ月。黒と白の世界の創造者。その姿が太陽によって隠されているこの真昼においても、あの少女はあまりにも白かった。
少しも眩しそうな様子もなく太陽を直視する少女。その瞳はやはりどこか儚げで、どこか寂しさを含んでいた。
「こんちわ」
つかつかと遠慮することもなく少女に近寄っていくナツ。少女もナツに気がついたようで、身体ごとこちらに向き直る。
「あれ、珍しいね。今日は歌ってないんだ?」
『…………』
陽気に話しかけるナツ。無表情でジッとナツを凝視する少女。
この夏、すっかり遊びまくったせいですっかり日に焼けたナツと、まだ色が描かれていないキャンバスの絵がそのまま風景に浮かび上がったような白い少女。そんな正反対な二人が、平原の中央で向かい合っていた。
林の奥から風が吹く。夏の香りがした。
長い沈黙に耐えかねたのか、その香りを目一杯吸い込みながら、ナツは言う。
「すぅーーー…………っ、ぷはあぁぁ! やっぱここの空気ってうまいよなぁ! 『空気がうまい』って言葉、全然意味わかんなかったけど、ここに来てようやくわかったよ。自然ってやっぱすげぇよなぁ」
『…………』
「ほら、君もやってみろよ。絶対気持ちいいから! すぅーーー…………っ、ぷはあぁぁ!」
『…………』
鼻の穴が広がるほど大きく吸い込み、口を思い切り広げながら空気を吐き出すナツ。たしかにその様子はとても気持ちよさそうだと、少女は感じた。
『……スゥ……ハァ……』
「違うって、もっとおもっきり! すぅーーー……っ、ぷはあぁぁ!」
『……スゥゥ……ハアァ……』
「まぁよくなってきたかな? どう、気持ちいいだろ?」
『…………』
フルフルと小さく横に振った首が、答えだった。
「あれぇ? めちゃくちゃ気持ちいいはずなのになぁ」
『……ワ、タシ、ハ、――サレナイ、カラ』
「え? 今、なんて言った?」
『…………』
寂しそうな表情を浮かべて、少女がくるりと踵を返す。
そのままあの時と同じように、平原を去ろうとしていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
帰ろうとする少女の肩を慌ててナツが掴んだ、――その刹那。
『――――ウワアアアァァアアァァアァァ!!』
「おわあっ!」
突然に響き渡る少女の叫び。
それは絶叫と呼んでも差し支えないほどの大声で、断末魔の叫びのような危機迫るものだった。
肩に触れた途端のその叫びに、ナツは思わず後ずさった。自分の手に、例えば刃物のような、何か鋭利な痛みを発生させる何かがあったのかを確認する。しかし、当然のようにそんな物は存在しなかった。
ひとしきり叫んだ後、全ての力が抜けてしまったかのように地べたに座り込んでしまった少女に、ナツはおそるおそる声をかける。
「……だ、大丈夫か?」
ナツの問いかけに少女は答えない。ただ呆然と、自身に起こったその出来事を頭の中で思い返していた。
まるで、信じられないものでも見たかのように目を見開きながら、少女は思う。
――まさか、まさか、まさか……! この人が、そうなの?
動揺を隠すこともなく、少女は狼狽した様子でナツへと振り返る。
そして、少女はそれを見つけた。
突如ナツの背後に現れた黒い球状の物体――『俯瞰の眼』を、少女は見つけた。
◇
『視点変更』。対象、日高ナツ。
対象者の元への視点の移動。つまり、対象者のいる場所への瞬間移動。それがわたくしたち『俯瞰の眼』の特殊能力です。監視対象者が複数いる際の対応、または歴史改変の可能性がある事故等を未然に防ぐために備え付けられた標準機能の一つです。他にもいくつか備え付けられた機能はあるのですが、どういう事態で使うのかよくわからない機能ばっかりなんですよね。『記録消去』や『DNAの採取』なんかはまだわかりますが……『自爆』とか『自律思考の停止』なんかもあるんですよ? 一体どんな状況で使うんだか。
さて、そろそろ『視点変更』完了です。わたくしの眼が文字通り『まばたきをする間に』周りの景色はナツのいる場所のそれへと変わります。『視点』はナツの背後へと移動したようです。そして、ナツの目の前には地べたに座り込んだ少女の姿が。
――おや? その少女は、例の白い少女ではないですか!?
ナツ……、お昼休みなのになかなか食堂に来ないと思ったら、逢い引きの真っ最中だったんですね。どうも失礼しました。
「あ、フカちゃん。今それどころじゃなくて――」
『ア、ウアアァアァァアァァァア!!』
わたくしを指差しながら、少女がまるで化け物でも見るような目でこちらを見ながら叫びます。
……こちらを見つめながら? まさか、この少女にはわたくしの姿が見えているのでしょうか? 日高家以外にはわたくしの姿が見えるはずはありません。そう設定してあるはずなのに、少女はその白い瞳をカッと大きく見開きながら、ボソッと呟きます。
『フカンノ、メ……!』
一粒の涙が少女の頬を流れます。少女の白い瞳からはその最初の涙を追うように次々と涙がこぼれ落ちるのでした。
突然泣き始めた少女にどう声をかけていいのか戸惑いながら、ナツはただ立ち尽くします。もちろんわたくしだってこの場に来たばっかりで、なぜこんなことになってるのかてんで状況がわかりません。目を見開いたまま涙を流す少女の姿を、二人して眺めているだけでした。
やがて、こぼれ落ちる涙など意にも介さない様子で、少女が立ち上がります。今にも足をもつれさせそうな、そんな危なっかしい足取りで、ゆっくりとゆっくりとナツの元へ。
ようやくナツの目の前にたどり着いて、少女は叫びました。
『オネガイ、オネガイ、ダカラ……!!』
その声はとても痛々しくて、とても必死で。
まるで、迷子になった子供が必死に母親を呼ぶ時のような、そんな様子で。
少女は、ナツに向かって叫びました。
『ワタシヲ、……コロ、シテ! ――ワタシヲ、コロシテ!!』
あまりにも残酷なその願いの真意を、ナツもわたくしも、この時は想像することすらできませんでした。