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第十五話 : 言葉まで

 少女は白が好きだった。

 何者にも染まらずに存在し、そのくせ簡単に別の色に染まって消えてしまう、そのあまりにも純粋で儚い色が好きだった。

 少女は緑が好きだった。

 生い茂った草原。立ち並ぶ木々の群れ。花々が作り出す優しい香り。自然が作り出す壮大でまっとうな緑は、彼女の生まれ故郷にはないものだった。


『…………』


 夜明けの薄暗さに草花の瑞々しい緑は色鮮やかに映えて、その彩りを精一杯に周りに知らしめるかのように太陽は緑を輝かせ、夕焼けは一日の終わりを悲しむかのように緑を赤く染め、月はその日を精一杯に生きた草花に休息を与えるかのように、緑を純粋で儚い色に染めあげた。


 その一連の過程には、溢れんばかりに『生』が充ちていた。


 慈しむように、そして、恨めしそうにそれを見つめる少女。

 そのあまりにもまっとうな『生』は、少女に耐えようのない孤独を思い出させる。『絶対孤独』と言う名の呪い。それを少女に思い出させる。


『…………』


 寂しさが胸に込み上げる。切なさが身体の全てを侵食してくる。

 孤独に蝕まれないように、寂しさを紛らわすように、少女は歌った。心の内から込み上げてくる思いの全てを、少女は歌った。

 平原に少女の歌声が響き渡る。透き通るようなその歌声には、残酷なまでに圧倒的で、深い悲しみが込められていた。




  ◇




「――あの唄を初めて聴いた時ね、とっても哀しかったんだけど……それと同時に、とっても優しい気持ちになれたの」


 学園からの帰り道の途中、なぜか道端に転がっていたナツを背負いながら、愛海さんは呟きます。

 中学生とは言え、男の子であるナツを背負っているにも関わらず、背筋が曲がることもなくスラッとした整然とした格好で歩く愛海さん。サヤを散々怯えさせた部員たちを一喝した時と同じように、その瞳は凛とした輝きを放つのでした。


「ほら、最近学園内で『歌う幽霊』って言う噂が騒がれてるじゃない? その幽霊が私のところに来ちゃったんだ、って思ったのね。だけど――」

「だけど……?」

「……なんて言ったらいいのかな。とにかく、悪い感じは全然しなかったよ。むしろ、もっとあの唄を聴いていたかったくらいだったし」


 そう言って、背中で眠るナツを懐かしそうに見つめる愛海さん。

 サヤが愛海さんにあの白い少女の唄のことを尋ねる前から、もう何度も見せているあの視線。とても意味ありげなその視線が意味するものとは、――もしや、恋?


「フカちゃん……!」


 ――違うから。絶対違うから。愛海先輩がお兄ちゃんなんかに一目惚れとかするはずないから。


 そんな思い(怨念?)がこもった視線をバシバシ放ってくるサヤ。いや、そこまで否定しなくても、一応可能性としてはあるかもしれないじゃないですか。ナツは最近結構モテてるんですよ?


 ――そんな連中と愛海先輩を一緒にしないで。そんなことあるわけないから。もしそうだったらわたし、舌噛んで死ぬから。マジだから。


 目が大マジなサヤなのでした。

 それにしてもサヤがここまで必死になるなんて。愛海さん、相当サヤに懐かれたようですね。アイコンタクトだけでここまで意思疎通できるわたくしも相当なものですが。


「そういうわけだから、私もあの唄のことをよく知ってるわけじゃないんだ。ごめんねサヤちゃん、全然頼りにならなくて」

「いえ、そんな。愛海先輩が謝ることなんて何もないです。むしろこっちが謝りたいくらいなのに」

「謝るって、何を?」

「うちのバカ兄貴がご迷惑をおかけしてる真っ最中なので」

「あ〜、いいのいいの。私、昔っから男の子を背負うのは慣れてるし。――よっと」

「う、うぅ、…………あれ?」

「あ。ごめんね、起こしちゃったかな?」


 ナツを背負いなおした愛海さん。その衝撃で、どこぞのおバカさんもようやく目を覚ましたようです。


「……あれぇ? なんでおんぶされてんだ俺?」

「帰り道の途中で偶然君を拾っちゃってね。今からお持ち帰りするとこなんだ」

「あ、愛海先輩!」

「??」


 愛海さんの言葉の意味がわからずに首をかしげるナツ&紀子ちゃん。サヤだけは一人、顔を真っ赤にして慌てるのでした。……サヤって案外、耳年増?


「まぁ冗談は置いといて、もうすぐ君の家だからそれまでおぶってってあげるよ。お姉さんに任せときなさい」

「ちょ、ちょっと待てよ。いいってそんなこと」

「なんで? 別に全然重くないし気にすることないのに」

「いいから下ろせよ!」

「なに、その言い草? いちおう私、君の先輩なんだけど。ちゃんとした理由がないならこっちも譲れないな〜」

「ぐっ……、その、なんて言うか」

「なに?」

「女に背負われるなんて、その、恥ずかしいだろ! 男として!」


 その言葉に足を止める愛海さん。そして、


「……あは、あはははっ!」


 大声で笑い出しました。その目には笑いすぎて涙まで浮かんでます。……そこまでおかしなことは言ってないと思うんですが?


「なんだよ、そこまで笑うことないじゃん」

「あははは、ははっ、――はぁ、ごめんごめん。うん、そうだよね! 男の子が女に背負われるなんて、カッコ悪いもんね」


 愛海さんの背中から地面へと下ろされ、ナツはようやく自分の足で立てることに満足そうな顔です。そんなナツの顔を愛海さんはジッと見つめます。さっきからたまに見せる、あの意味ありげな視線で。


「……まったく。君は顔だけじゃなくて、その言葉まで誰かさんにそっくりなんだね」

「誰かさんって? って言うか、あんた誰?」

「――お兄ちゃん」


 ナツがその言葉に振り向くと、そこには雪女ばりに冷徹な目をしたサヤの姿が。うわぁ、怖っ。


「さっきから誰に対してそんな口きいてるの? ずっとおぶっててくれたのに、それに対するお礼くらい言えないの?」

「サ、サヤ、落ち着けって。目、怖いから。瞳孔すっげ小さくなってっから。マジ怖いから」

「うるさい! だいたいなんで道端なんかに寝っ転がってるのよ! 恥ずかしい!」

「うっ、それは」


 そういえばそうです。なんであんなところでベタッとはいつくばってたんですか、ナツ? あの林の中であの少女を待っていたのではなかったのですか?


「それが、その……、あの娘に会えたことは会えたんだけど、ろくに会話もしないうちに帰っちゃったから慌てて追っかけたんだよ。ず〜っとまっすぐ追っかけてたら、なんかガケみたいなトコから落っこちて」

「ガケみたいなトコって、まさかナツ先輩、雑木林の奥にある高台から落ちたんですか!?」

「おお、そっからなんか記憶がトんでんだよなぁ」

「あの高台って、下に通ってる道まで結構高さあるよ。危ないからフェンスが張ってあるはずだけど」

「あ、そういえばそんなのあったなぁ。ジャンプして飛び越えたけど」

「と、飛び越えたって……、それでそのまま落ちたんですかぁ? よく無事でしたね〜、ナツ先輩」


 紀子ちゃん、ナツの頑丈さに口をあんぐり開いて感心してます。いや、呆れてるんでしょうか?


「それでそのままあの道までゴロゴロと転がってきたんだ。すごいねお兄ちゃん。神業だね」

「ふふん。まぁな」

「そのまま死んでもよかったのに」

「うぉい! そりゃねーだろサヤ!」

「うるさい! なんでよりにもよって帰り道に落ちるのよ! どうせなら別の道に落っこちてよね、恥ずかしい! そうすれば愛海先輩にこんな恥ずかしいトコ見られずに済んだのに!」

「うぅ……、なんで俺、奇跡の生存で実の妹からこんなバッシングされなきゃいけねんだよ……」

「知るか、バカ!」

「あっははは、二人とも仲いいのね〜」

「そうですよね〜、いつもああなんですよ、あの二人♪」


 日高兄妹のいつも通りの光景に微笑む愛海さんと紀子ちゃんなのでした。




  ◇




「それじゃ、二人ともおやすみなさい。紀ちゃん、今日はありがとね。愛海先輩もお兄ちゃんが面倒かけてすいませんでした」

「そうだね〜。それじゃあ今度サヤちゃんにお昼でもおごってもらおうかな?」

「そんなのでよければ、いくらでも」

「あは、冗談だって。でもお昼に一緒に食べようってのは冗談じゃないからね」

「……はい」


 サヤの頬がほんのりと赤く染まる。元々色素の薄いその肌に、その赤みは大層目立った。

 家のドアを開きながら、サヤの頬を見て何か一言呟くナツ。ドアをくぐりながら、ナツの顔も見ずにサヤが一言。その言葉を聞いて、ナツは玄関の靴箱によよよと崩れ落ちる。


「ほんと、仲のいい兄妹だよね」

「そうですよね〜」


 閉まりきったドアを見つめながら、二人は同じ感想を口にした。

 ふと何かを思い出したかのように腕時計を見つめ、愛海はポツリと言葉を漏らす。


「病院の面会時間、まだギリギリ大丈夫かな」

「慎吾先輩、ですか?」


 紀子のその言葉に頷いて、愛海は月を見上げた。

 ゆっくりと目を閉じて、まるで何かの唄に耳を澄ましているかのように。


「またあの唄、聴きたいなぁ」

「あの唄って、幽霊が歌ってたって言うあの唄ですか?」

「うん、あの唄。――あの子、ナツくんって言ったっけ? あの子の顔見てたら慎吾のこと思い出しちゃったから」

「……そんなに似てますか? ナツ先輩と慎吾先輩って」

「似てる。とっても似てる。ノンちゃんは知らないだろうけどね、慎吾も小さい頃はああだったんだよ。友達みんなで遊んでる最中に足を怪我してね、歩きにくそうだったから私が肩を支えようとしたら思い切り嫌がるの。『男が女にもたれながら歩くなんてカッコ悪いだろ!』ってね」

「あ、ナツ先輩と同じこと言ってる」

「ね、似てるでしょ?」

「似てますね〜」

「――あ、ごめんノンちゃん、時間ギリギリだから急いで病院行って来るね。一人でうちまで帰れる?」


 再び時計を見つめ、愛海はすまなそうな顔をして紀子へと告げた。紀子の屈託のない笑顔の「はい♪」という返事を聞いて、愛海は軽く両手を合わせ、そのまま病院のある方へ走っていく。長い黒髪が、夜の闇に揺れて消えていく。

 残された紀子は一人呟く。


「……慎吾先輩、早く目覚めないかな。愛海先輩はず〜っと待ってるのに」


 呟きは静かに、夜風に消えた。


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