第十三話 : 出会い
皆さん、一時間という時間でどんなことができると思いますか?
いろんなことが出来ますよね〜。恋人と電話で話し合ったり〜、少し凝った料理を作ってみたり〜、ちょこっと体のサビ付いた部分をメンテナンスしてみたり〜。そんないろんなことが出来る一時間をムダに過ごすのってなんて言うの、罪って言うか? なんか不毛って感じ? そう思わな〜い?
「……フカちゃん、文句言うんなら帰れよ! それとまたキャラ変わってるぞ! なんだよそのキャラ!」
コギャルっぽくなくなくな〜い?
「なんだよコギャルって? あとその口調、変にムカつくからやめろ!」
まったく。いいじゃないですか、ちょっとキャラ変えるくらい。もう一時間も何もせずにただ待ってるだけなんですから。チョー退屈って感じ。
「だからその口調やめろって感じ〜」
ナツも何気に気に入ってる系だし〜。
さて、そんなコギャル遊びにふけってしまうほど暇な状態のナツとわたくしフカちゃん。この平原であの真っ白な少女が現れるのを待ち続けてもう一時間も経つのです。確かに長期戦を覚悟していましたが、こうも見事に誰も来ないと暇で暇でしょうがないです。幽霊でも出てきてくれれば暇つぶしにもなりそうですが、どうもそれも望めない様子です。あ〜、退屈です。あ〜暇です。
「ったく、うっせぇなぁ。そんな文句言うんならサヤんとこにでも行ってりゃいいだろ」
おお、そうですね! ナツ、グッアイデアです、グッ!
「あ、ついでにあの娘が来るまで俺はここにいるからってサヤにそう伝えといて。あいつ、ああ見えて結構寂しがり屋だからさ」
…………。
「……? なんだよ、急に黙り込んで」
いえ、やっぱりナツは『お兄ちゃん』なんだなって思って。
「はぁ? なんだよフカちゃん、もしかしてサヤの方が姉ちゃんだとか思ってたのか? バカじゃねーの、アホなんじゃねーの、バカ以上アホ未満なんじゃねーの?」
……前言撤回。おバカに調子に乗る一言を言ってはいけないということを学んだフカちゃんなのでした。
◇
そんなこんなでまたもやサヤのところへと視点をうつしたわけなんですが、……何だかすごいことになってるんですけど。
えと、何て言うか、何してんですかサヤ?
「…………(ギロッ)」
――お願いだから何も聞かないで。それと、よくもさっきは逃げやがったなこんちくしょう。
そんな非難の視線をビシバシと振りまいて、サヤは大きな鏡の前で女子生徒たちの視線の的にされているのでした。
先ほどまでは小等部の制服に身を包んでいたはずのサヤ。それが今はなぜか髪は全て後ろでまとめられ、タイツの上からTシャツと言うかなりスポーティな格好に。紀子ちゃんを含めた女子生徒たちは、サヤのその姿を見ながら目を細めて微笑んでいるのでした。
サヤ、新体操部に入部することにしたんですか?
「…………(ブンブンブンブン!)」
皆の見ている前でおおっぴらに返事できないので首を横に高速で振るサヤ。そんなサヤの様子がさらに先輩たちの母性(?)をくすぐったのか、部室には「きゃ〜!」という奇声が響き渡るのでした。
「うわ〜! 練習着でこんなかわいくなるんだったら試合用のレオタード着せたらかなりやばいんじゃない!?」
「うっきゃ〜! やばい、やばいよ〜! ねぇねぇ、この娘持って帰っちゃダメかな!?」
「ダメよ〜、みんなで部室で飼うんだから!」
……なんだかすごいことになってますね。思い切りマスコットみたいな感じにされてます。むしろペットです。いきなり練習着に着替えさせられたあげく、まだまだ勢いの衰えることのない先輩たちを前に、小動物のようにプルプルと小刻みに怯えまくるサヤなのでした。
「あ、あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
「え、聞きたいこと!? なになになに!? お姉さんたちが教えてあげるから!」
「ひっ! ……あ、あの、探してる人がいるんですけど」
「探してる人? 誰? なんて名前の人?」
――ガラッ
「あら? みんなして何してるの?」
愛海、とサヤがその名を口に出そうとしたその瞬間でした。開かれた扉の向こう側、長い髪を背中で一つにまとめ、強い意志を示すかのような凛とした瞳を持つ、高等部の制服を着た少女がそこに立っていました。
彼女が現れた瞬間、さっきまで大騒ぎだった部室はシンと静まり返ります。鏡の前で練習着を着ているサヤと、それを取り囲むようにして見つめている女子部員を見渡して頭を抱える少女。どうやら一瞥しただけでだいたいの事情を飲み込めたようです。
「……あなたたち、また新入部員の子に変なことしてたんじゃないでしょうね?」
「い、いやいや、してないしてない! ちょっと熱烈的な歓迎会してただけで」
「ただの歓迎会であんなに怯えるわけないじゃない! ウソつくと本気で怒るわよ!」
凛とした眼差し、強い語気、その場にいる全員を飲み込むほどの威圧感。そのあまりの威圧感に、怒られている女子部員だけでなくサヤまでもが泣きそうです。その様子に気付いた少女は、取り囲む女子部員たちを押しのけてサヤの元に駆けつけます。
「あぁ、ごめんね〜。私、興奮するとついつい声大きくなっちゃうんだ。びっくりさせちゃったよね〜、ごめんごめん。もう変なことさせないから安心して、ね?」
よしよしと頭を撫でられながらぎゅっと抱きしめられるサヤ。背中に手をポンポンされて、まるきり子供扱いです。周りにいる女子部員たちはその光景をとても羨ましそうに見つめるのでした。『あ〜、私もあんな風によしよししたい〜』って感じで。
彼女の長い髪から香る甘さ。優しい声色。身体全てを包み込むような安心感。それはサヤの警戒心を溶かせ、さらに確信に近い直感を働かせるのでした。
「……あの、もしかしてあなたが愛海先輩、ですか?」
「うん、そうだよ。――あれ、私もう自己紹介したっけ?」
全てを包み込むようなその優しい笑みを、サヤはまるで天使を見るような目で見つめるのでした。
◇
その歌声は、まるで天使の歌声のように透き通っていた。
『俯瞰の眼』が去ってから数十分後、ナツの待ち望んでいた白い少女は静かに姿を現した。いつもの定位置に先客がいるのに遠慮したのか、平原の端の方で佇む少女。ナツは待ち人が現れたのに気付く様子もなく寝転がりながら空を見上げていた。ナツのその様子を、真剣な表情でジッと見つめ、少女は思う。
――違う。彼じゃない。
望みの人物でないことに失望したのか、少女の白い眼はほんの少しだけ細められ、そして、大きく開かれた。
――まだ私は、望んでいるの?
自らの落胆に驚きを隠せない少女。まだ希望を捨てきれていないことを、少女は嬉しそうに、そして哀しそうにうつむいた。希望は絶望を生んでしまう。絶望は更なる哀しみを呼び込んでしまう。少女はそれを知っていた。それを幾度も味わってきた。だからこそ自らに『望み』を戒めた。もうこの身に哀しみを背負いこむのは辛すぎるから、と。
それでも哀しみは押し寄せる。身体中を寂しさが蝕んでいく。押しつぶされないように、染まってしまわないように、少女は歌った。哀しみに充ちた唄を、寂しさに染まった唄を。
――思い出すのは後悔か それとも己の愚かさか――
――それとも故郷の思い出か 還ることなど叶わぬものを――
――応える者は何処にいるや――
――俯瞰の眼は何処を見るや――
――私はいまだ夢を見る 望みを捨てず 捨てきれず――
――誰か応えてくれないか 誰か示してくれないか――
――ああ 私はフライングマン――
――哀れで滑稽なフライングマン――
――叶わぬ夢を見続ける者 哀れな望みを捨てきれぬ者――
「……来たか」
透き通るような歌声に、ようやく待ち人が現れたことを察したナツ。平原の端で歌う少女の元へまっすぐに進んでいく。その瞳には迷いも恐れも気負いも存在しなかった。
少女の横に座るナツ。それにも構わずに、少女は空に向かって歌い続ける。
「何度か聴かせてもらってたんだけど、きれいな歌声だよな」
少女は歌い続ける。
「なぁ、なんでそんなに悲し気な唄しか歌わねぇの? せっかくそんなにきれいな声なのに、もったいない」
少女は歌い続ける。
「……君は本当に、フライングマンなのか? それとも、幽霊?」
――その言葉に少女の唄はやんだ。白い少女はナツをジッと見つめ、一言だけ言い放った。
ナツはその時初めて歌声ではない、少女自身の声を耳にした。
『アナ、タ、ハ、コタエル、モノ?』
その声はどこか遠くから聴こえるかのようでもあり、耳元でささやいているように近くで聴こえているかのような、とても不思議な声だった。