第十ニ話 : サヤが飛んだ日
小等部、中等部、高等部の校舎とは別に存在する部活棟。主に運動部の部室や文化部の活動の場となっていて、グラウンドとは高等部を挟んで真逆の位置に存在しています。その一部室に、リーゼントっぽい髪形の紀子ちゃんと、エアリーな髪形(どんな髪形かって? そりゃエアリー以外で表現できねぇなぁ:フカちゃん談)のサヤが入っていきます。
「さ〜、ここが我が新体操部の部室で〜す。ようこそサヤちゃん。そしてウェルカム新体操の世界へ〜♪」
「誰もいないね」
「まだ学校終わったばっかりだしね〜。中等部や高等部の先輩たちが来るのはもうちょっと後かな。サヤちゃんに新体操の魅力をわからせるには充分すぎる時間だね〜」
そう言ってキラン−☆と目から星を飛び出させる紀子ちゃん。いつもの紀子ちゃんとは違う、まるで獲物を狙う獣の目です。背後からはネコのオーラが浮かんだりするのでした。トラじゃねぇんだ。
「……まさか紀ちゃん、わたしを部に入れようとしてる?」
「いやいやそんな強制とかじゃなくてね〜。でもでも、初心者でも全然入部は大丈夫なんだよ! むしろ大歓迎! 誰だって最初は初心者なんだから! いざ始めてしまえばあら不思議! 三ヵ月後にはサヤちゃんも360度開脚できるくらいに見事な新体操チックなボディになっちゃうから!」
息をも付かせぬ勢いの紀子ちゃん。『360度開脚って閉じてる状態と同じじゃないの?』と首をかしげるサヤ。しかし、ここで突っ込んだら紀ちゃんのトークに合いの手を入れてしまうことに。でもどうしても突っ込みたいのか、手を少しプルプルさせているサヤなのでした。
「ちなみに360度開脚ってのはね〜〜!」
合いの手なんかなくても勝手に盛り上がれる紀子ちゃんなのでした。
「……紀ちゃん。その愛海って言う先輩が来る前にちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「話? なになに? 基本的な柔軟体操の話? それとも手具について? あ、手具って言うのはね〜」
「新体操の話はどうでもい、……また今度でいいかな。それとは別の話なんだけど」
「え〜、おもしろい話なのに〜」
『どうでもいい』と言おうとしてかろうじてストップ。サヤが大人の階段を一つのぼった瞬間です。フカちゃん、ちょっぴり涙。
「幽霊捕りの時、紀ちゃんもあの唄が聴こえたんだよね?」
「フライングマン〜♪とか言う唄だよね。うん、聴こえたよ〜。女の人の声だったよね」
「じゃあ、その唄を歌っていた人の姿は見た?」
「歌ってた人? ……あの時も言ったけど、歌ってる人の姿なんてどこにも見えなかったけど……うわ、思い出しただけで鳥肌立ってきた」
「あ、ごめん。ヤなこと思い出させちゃったね」
紀子ちゃんに謝りつつ、わたくしに何かを訴えるように見つめてくるサヤ。この紀子ちゃんの証言は、夕べのサヤの推論をさらに確信に近づけるものでした。ナツやサヤに姿が確認できただけではなく、紀子ちゃんにまで歌声だけですが認識されているのです。『記録されぬ者』にあるまじき事実です。この事実から示しだされるのは――
「……やっぱりあの人は、フライングマンじゃない」
そう言うことになりますね。しかし、そうするとなぜあの少女は――、
「――あら? 紀ちゃん、もしかして……新入部員の子連れてきたの!?」
「うきゃ〜〜! なんですって、新入部員〜!?」
「でかした紀ちゃん! 勲章ものよ〜!」
「わぁ、かわいい! なにこの子、ハーフ!?」
部室のドアがガラッと開かれ、中等部や高等部の制服を着た複数の女子生徒が入ってくるなり奇声、喜声、黄声のオンパレード。突然の大声にビクッとするサヤをあっという間に取り囲んでワッショイワッショイと胴上げです。
こういう突然の出来事にはめっぽう弱いサヤ。空中でワタワタとうろたえながら、そばで見ている紀子ちゃんに涙目で助けを訴えるのでした。
「あはは〜、よかったねサヤちゃん。もう先輩たちに気に入られちゃって♪」
――よくない、全然よくない。って言うか『もう』って何? なんですでに入部した感じになってるの? ねぇ紀ちゃん?
サヤの無言の叫びは誰にも届くことなく、部室内には新入部員の獲得に喜ぶ女子たちのワッショイワッショイという景気のよい歓声だけが響き渡るのでした――。
「フェードアウトで終わらせないで助けてよ〜〜!!」
物語内ではとても珍しい、サヤの叫び声も響き渡ったのでした――。
◇
サヤが陽気にワッショイされてるうちに、中等部の方も本日の授業が全て終了したようです。そろそろあのヘタレさんもあの少女に会いに行くことにしたんでしょうか? そう思って『視点』をナツに移してみたところ、そこにはまだたそがれ続行中のヘタレの姿が。
ナツ、そろそろ準備の方は済みましたか?
「……準備って、なんの準備だよ?」
あの真っ白な女の子に会う覚悟が出来たかどうか、ですよ。
「……な、なぁフカちゃん、やっぱ今日会わなきゃダメかな?」
昨夜あんなカッコいいこと言っといて今さら何ぬかしてんですか? わたくしもあの娘のことで確認しておきたいことがあるんですよ。ナツが行かないならわたくしだけであの娘を探しに行きますが、どうするんですか?
「う〜ん」
わ〜〜もう! はっきりしない人ですね〜! サヤやミオさんにまでヘタレと言われたいんですか!? ナツは男の子でしょう! しっかりせんかいワレ! タマついてんとちゃうんかい!
「フ、フカちゃん、キャラ変わってんだけど」
フカちゃんちゃう! アニキと呼ばんかい! これからお前に男っちゅーのがどういうもんか仕込んだるさかい、ついてこんかい!
「……ア、アニキ〜! ついていきます!」
アニキ? アニキって誰? もしかしてナツくん、たそがれすぎて壊れちゃった?
そんなハテナだらけのたそがれナツ観測隊の人波を押しのけ、わたくしアニキと舎弟のナツは男への旅路に出かけるのでした。まったく、世話がやけるやっちゃのう。
◇
ナツたちが通う学園の基本理念の一つに『自然の大切さがわかる青少年の育成』という項目があります。学園裏のムダに広い雑木林はその理念に基づいた『施設』らしいのですが、そのクセ特に授業や部活などでこの林が利用されているわけでもないので、おそらく税金対策とか私有地がなんたらかんたらなどの大人の事情が働いてるのは間違いなさそうです。まぁそこらへんは未来人であるわたくしたちの知ったこっちゃないのでどうでもいいんですが。
そんなこんなでわたくしたち男二匹がやってきたのは林の中の平原。あの白い少女が月を見上げて歌っていた、まさにその場所です。彼女がいつもこの場所に来るとは限りませんが、ここで張っていればそのうちあの少女が現れるかもしれません。……長期戦になるかもしれませんが。
「アニキ、メロンパンとコーラ買ってきやした!」
バカヤロウッ! 張り込みにはアンパンとコーヒーって相場が決まってるんだよっ!
「す、すいません、アニキ!」
アニキじゃねぇ。山さんと呼べ。
「?? なんで山さん?」
太陽に吠えないナツなのでした。
さて、おふざけはおしまいにして真剣な話をするとしましょうか。
まず、あの白い少女が本当にフライングマンなのかどうか。今までにいろんな人たちに認識されていることからもその線はかなり疑わしくなってきました。それならば、なぜあの少女は自らを『さまよえる者』だと歌っているのでしょう?
そしてもう一つの疑問、あの少女の異様なまでの白さとは一体なんなのでしょう? アルビノと言う線も捨て切れませんが、それにしたって瞳までもが白いのです。皮膚や髪だけでなく、瞳や瞳孔まで白いアルビノなんて存在するのでしょうか?
そしてさらにもう一つ、あの少女がフライングマンでなかったとするならば、なぜミオさんが撮った写真に彼女の姿が写らなかったのでしょうか? 声や姿は確認されてるくせに、写真には残らない。フライングマンにしては随分と半端すぎます。それとも彼女はやっぱりフライングマンで、声や姿が見えるのには何か理由があるのでしょうか?
……むむむ、考えれば考えるほど謎は深まりますね、ナツ。
「どっちだっていいじゃん。あの娘に直接聞けば済むことだし。……ところでフカちゃん、『アルビノ』ってなんだ?」
アルビノとは先天的に――生まれた時から色素が他人と比べて薄いという病気のことです。色素が薄いために肌や髪は白く見えるのですが瞳は血管が透けて赤くみえる、と言うのが一般的です。色素が薄いために紫外線などの太陽の光が有害で、外出する際には――、
「うん、わかった。とにかく、白っぽい人のことをアルビノって呼ぶんだな」
いや、そうではなくて。
「そうか〜、あの娘、アルビノちゃんって言う名前なのか〜」
それも違うって。人の話きけよコラ。
「うわ〜、あの娘が来たらなんて声かけりゃいいんだろ? やっぱ最初はあいさつからだよな。それともなんかプレゼントとか用意しといた方がよかったかな。……メロンパンでいくか?」
半分かじりかけのメロンパンを手に真剣に悩むナツなのでした。
◇
そんなこんなで時間だけが過ぎ、傾きかけていた太陽も顔を隠して辺りはゆっくりと夜の帳が落ち始めるのでした。学園から結構離れたこの平原には校舎の灯りも届かず、月の光だけがナツを照らします。光を遮る物のないこの平原の中央にいると、まるでこの平原が舞台で、月灯りが天然のライトアップのようです。
「……こんな場所で思い切り歌ったら、気持ちいいだろうな」
ええ、そうでしょうね。周りに気を使うこともなく、光を全身に浴びながら、木々や風や月に向けて思いのままに歌う――、それはとても気持ちのいいことなのでしょうね。
「そうだよな、そうなんだよ。……なのに、なんであの娘はあんなに寂しそうな唄を歌ってたんだろうな」
あの白い少女の唄。ナツがあまりの悲しさに涙したあの唄。あの唄には、とてつもないほどに深くて大きな悲しみと寂しさを感じました。あの少女は一体、誰に対してあんなに悲しい思いを歌っていたのでしょうね。
「…………」
あの時あの少女がそうしていたように、空を見上げて佇むナツ。その視線の先には月がありました。細く曲がったその三日月は、笑っている人の目のようにも、頬をつたう涙のたどった跡にも見えるのでした。
「……フカちゃん。俺、あの娘になにを言えばいいのか、なんとなくわかってきた気がする」
わたくしの方を見ようともせず、月を見上げたままナツはそう言いました。その顔はさっきまでたそがれていたあの虚ろな目ではなく、元気に走り回っている時の心の底から生きることを楽しんでいる子供のようにキラキラした目でもなく、それはまさしく『男』の目でした。
月を見上げたまま、ナツはあの少女がそうしていたように、月に向かって歌いだしました。
天然のライトアップを受けて、優しい風が流れる舞台の中央で、誰にも何者にも気をとめることなく、自由きままに、楽しそうに歌いだすのでした。
「ユ〜レイ、ユ〜レイ、ユ〜レイヒ〜。ユ〜レイヒ、ヨロレイヒ〜♪」
雰囲気に合った選曲ができないナツなのでした。