第十一話 : サヤの本心
その唄は、少女の心を捉えて離さなかった。
陽も暮れてすっかり薄暗くなった学園。高等部の校舎から一人の女生徒が駆け出してくる。部活の後片付けにかなり手間取って、他の部活仲間はもうとっくに帰ってしまっていた。少しくらい待ってくれてもいいのに、と心の中で呟きながら少女は必死に正門へと走る。
その時、少女の耳に女の子の歌声が響いた。
途端に少女の足は止まった。心臓の音だけがやけに耳に響く。まだ走って間もないのに、頬をつたう汗が鮮明に感じられる。少女の脳裏をよぎったのは最近学園内で噂の歌う女の幽霊の存在。そして教頭が事故ったのはその幽霊のせいだと言う噂も。
――まさか、今度は私が?
歌声は少女の背後から、校舎の裏手から聴こえてくる。少女は振り返ることも、走って逃げ出すことも出来ずに、まるで凍りついたようにその場に立ち尽くしていた。
しばらくして、少女は自分の頬を汗以外の何かがつたっていることに気付いた。それが涙だと気付くのにそれほど時間はかからなかった。
――なんで私、泣いてるの?
その涙はけして恐怖からくるものではなかった。少女にはむしろその涙がとても尊く、愛しくさえ思えた。
少女の問いに答える者はなく、ただ圧倒的なまでに悲しい歌声だけがその場に響いていた。
「慎吾……」
その言葉は、愛しい人に会いたいと願う、少女自身の言葉だった。
◇
ナツの衝撃の告白から一夜が明けました。
日高家は今朝もミオさんがはっちゃけたり、サヤが冷たい一言を言い放ったり、パパさんがその一言に凍りついたり、ママさんはほんわかしてたり。ただ一人だけいつもと調子が違う人がいる以外はいつも通りの日高家なのでした。
「……はぁ」
教室の窓際で肩肘つきながらため息。またもやメランコリーな状態になっているナツ。周囲を見渡すとやっぱりそのたそがれナツの横顔を見ている女子たちの姿が。
――いいよ、いい具合にたそがれってるよ、その調子でどんどんたそがれっちゃおうか。
まるで何かの雑誌のカメラマンのセリフのようなことを心中呟きながら、女子のたそがれナツ観測隊は日に日にメンバーを増やしていくのでした。
「おーいナツ、今日帰りにゲーセン寄ってかね?」
「……いい」
「ナ、ナツくん、今日一緒に帰らない? ナツくんの好きそうな雑貨屋さん知ってるんだけど」
「……いい」
「ナツ、俺のサヤちゃんへの熱い思いを込めたこのラブレターを今度こそサヤちゃんに渡してくれ! なぁいいだろ、いいだろ?」
「……いい」
「マジで? いやぁ、やっぱお前いい奴だな〜。じゃあ頼んだぜ」
クラスメイトの声にも虚ろに返事するナツ。友達の遊びの誘いにも、一人抜け駆けする観測隊員の誘いにも、サヤをお気に入りの男子の言葉にもカラ返事です。その手にはナツの返事を肯定の意味と勘違いした男子の書いたやけにブ厚いラブレターだけが残されるのでした。
「……はぁ」
窓から校舎裏の林を見つめるナツ。窓際・肩肘・ため息の三連たそがれコンボにさらに「目を細めて遠くを見つめる」が加わってナツ観測隊の面々はさらにぎゃあぎゃあとヒートアップするのでした。他にすることないんでしょうか?
さて、ナツがこんなにたそがれてるのにはワケがありました。勘のするどい方ならもうおわかりかもしれませんが、やはり原因はあの林の中にいた白い少女です。昨夜家族みんなの前であんなにも熱い思いを告げたナツ。それにも関わらず、昼休みになってもあの林に出向こうとしません。遠くから林を見つめてたそがれてるだけです。
ナツ。あの娘には会いに行かないのですか?
「…………」
おーい、無視すんな。
「うるさいなぁ。いざ会うとなるといろいろ準備が必要なんだよ」
なんの準備がいるんですか?
「……いろいろだよ」
やれやれ。終始この調子で言い訳三昧です。昨夜わたくしやミオさんに向かって叫んだあのかっこいいナツはどこに行ってしまったのでしょう。今のナツは腑抜けです。この時代では今のナツみたいな人のことを『ヘタレ』って言うらしいですよ? やーい、ヘタレナツ。
「う、うっせーなぁ!」
「うわっ、まだなにも言ってないだろ」
「あ、スケ」
――テメ、またジャマしやがって。しまいにはその顔ボコボコにしてまともな顔に整形してやろうかコラ。
ナツ観測隊の面々の呪いの言葉を背負って健介くんの登場です。こんな登場シーン、いやだ。
「な〜にまたたそがれてんだよ。お前にはそういうの似合わないって言ったろ」
「うるせえなぁ。サヤもスケも口を開けば同じこと言いやがって」
「なんだ? サヤちゃんにも同じこと言われたのか?」
「『おとなしいお兄ちゃんなんて、らしくない』だってさ。普段は『もうちょっと大人になったら?』とか言うくせにさ」
その言葉を聞いて「ふ〜ん」とニヤける健介くん。なにやらいやらしい――もとい、あやしい笑みです。
「……なんだよ、そのニヤケヅラ」
「いや〜、さすがに噂の二人は仲いいなと思ってな」
「勘弁してくれよ。だから俺とサヤはそういう関係じゃないって」
「お前にその気はなくてもサヤちゃんの方があるかもしれないだろ」
「あのサヤが、俺のことを? ないない、そんなバカなこと。あいつは俺のことあんまり頼りにしてないんじゃないか? 兄の威厳とか、あいつにはまったく通じないからな〜」
「そんなもんか?」
「ああ、そんなもんだって」
大げさに右手を振って否定するナツ。たしかに、普段からサヤに「バカ」「死ね」「呆れた」を連呼されてるのですからそう思ってもおかしくはないのですが……果たして、真相はどうなんでしょうね。
◇
「――頼りにしてるよ、お兄ちゃんのこと」
中等部校舎から学園中央広場を挟んで並び立つ小等部校舎。その一教室にて、紀子ちゃんはとても意外そうに目をパチクリさせているのでした。ちなみに今回の紀子ちゃんのヘアスタイルはおだんごヘアではなく、前に髪を集めたリーゼントっぽい髪形です。テレビで好きな女性歌手がやっていた髪形だとか。紀子ちゃん、けっこうミーハーなんですね。
「どうしたの紀ちゃん。そんな口パクパクして。魚のマネ?」
「だ、だって、まさかサヤちゃんの口からそんな言葉が出るなんて思わなかったから」
「お兄ちゃんを頼りにしてるって言ったこと?」
「そうそれ! 普段から平気で悪口言ったりしてるから、素直に褒めることがテレくさくてできないのかな〜とか思ってた」
「わたしはいつも素直だよ。お兄ちゃんのこと、素直にバカな奴って思ってる」
「あ、それは一応本心なんだ……」
「でも頼りにしてるのも本当だよ。昔からわたしのことを助けてくれたのはお兄ちゃんだし。本人は自覚ないかもしれないけど」
そういって中等部校舎を眺めるサヤ。ため息をついてるナツの姿がそこから見えました。クスリと微笑みながら、サヤは言葉を続けます。
「わたし、あまり社交性がないって言うか、友達とか作るの苦手なんだ」
「へ〜、そうなの?」
「紀ちゃんが話しかけてくれなかったら、わたし、ずっとこの教室でひとりぼっちだったと思うよ。紀ちゃんにはすごい感謝してるよ」
「えへへ、どういたしまして〜♪」
ニッコリと笑う紀子ちゃん。その溢れるような笑顔には計算とか後ろめたいこととか暗い部分が一切なくて、サヤはその笑顔が大好きでした。でもやっぱり『よくいつもそんなダサい髪形してくるなぁ』とも密かに思っていたりもするのでした。
「ずっと一人ぼっちなわたしを、お兄ちゃんはいつも連れ出してくれた。友達と遊びに行く時とか何か催しがある時とか。だからわたしは寂しくなかった。一人ぼっちじゃなかった」
「ず〜っとナツ先輩が一緒だったんだね〜」
「うん。だから、お兄ちゃんにはすごい感謝してる。バカな行動起こすのはすごい迷惑だけど」
「うんうん。やっぱサヤちゃん、ナツ先輩のこと大好きなんだね〜♪」
「それはないかな」
「ないんだ……」
いまいちサヤの気持ちが掴みきれない紀子ちゃんなのでした。
しかし、サヤがナツのことを一目置いているのは事実でした。昨夜サヤがナツに助け舟を出したのも、あの白い少女が昔の自分と重なったからなのでしょう。お兄ちゃんならきっとあの娘を救い出してくれる。きっとそう。だってお兄ちゃん頼りになるもの。そうなんだもの。
「……うるさいハエがいるね」
「え、そう?」
キョロキョロと辺りを見回す紀子ちゃんと、ギロッと一点集中でわたくしを睨むサヤ。そんな親の敵でも見るような目で見ないでください。こわいから。マジこわいっすから。
「あ、そうだそうだ。話は変わるんだけど〜、サヤちゃんって古い曲とかに詳しい?」
「……詳しくない、と思う」
「む〜、そっか〜そうだよね〜、サヤちゃんって今流行りの曲とかも全然知らないもんね〜」
紀子ちゃんのその言葉に少しムッとなるサヤ。サヤだって流行りに興味がないわけではないのです。年相応に流行りの曲とかヘアスタイルとか服装にだって気を使っているのです。しかし、それはあくまでサヤたちの時代でのことであって、この時代での流行りなんてサヤからすれば知ったこっちゃないのです。でもさすがにその事情を話すことはできないので、サヤは少しだけプクッとむくれるのでした。あらかわいい。
「で、それがどうしたの?」
「私の部活の先輩の――あ、高等部の先輩なんだけどね。その先輩が口ずさんでた曲があの時の唄と似てるんだよね〜。何かの童謡とかなのかな?」
「あの時の唄?」
「幽霊捕りの時に聴こえた唄だよ。歌詞の中に『フライングマン』とかなんとか出てくるやつ」
「!!」
あの唄を高等部の生徒が口ずさんでいたですって!? サヤ、まさかその先輩とやらがあの白い少女と何か関係があったりするんじゃないですか?
「紀ちゃん、その先輩ってどういう人?」
「ん〜、めっちゃくちゃ優しい人だよ〜。愛海さんって言ってね、私んちのご近所さんで昔から仲良くしてもらってるんだ〜。その人がいるから私その部活に入ったくらいだし」
「…………」
ジッと黙り込んで考え込むサヤ。時折わたくしを見つめてはアイコンタクトです。わかってますよ、サヤ。きっとこう言いたいのですね。わたくしにその人のことを調べてこい、と。
「紀ちゃん。わたし、その先輩と話してみたい」
あれ? 全然違ってましたね。……フカちゃん、ちょっと赤面。
「うん? いいよ〜。先輩、多分今日も部活に顔出すだろうから、その時に紹介するね」
「ありがと。お願いね」
「まかせといて〜♪」
満面の笑顔の紀子ちゃんの返事を満足そうに聞いた後、サヤはまだたそがれているナツの姿を見つめながら思うのでした。待っててお兄ちゃん。わたしがあの娘とお兄ちゃんの仲を取り持ってあげるから。大好きなお兄ちゃんのためならこんなことくらいサヤへっちゃらだもの。そうなんだもの。
「……フカちゃん。一度中身を解体し直したらおとなしくなる?」
今までで一番ゾッとする言葉をあっさりと言い放つサヤなのでした。