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Short Short Circuit

起こして

作者: 境康隆

「ママはおこしてくれません」

 そんな絵日記を見せられて、私は大きくため息をつきました。

 憧れの幼稚園の先生。笑顔に囲まれる仕事。子供の未来を育む自分。

 そんな仕事に就けた喜びなど、このため息とともに何処かに出ていってしまいそうです。

「ひとりでおきなさいといつもわたしをおこります」

 一人の園児の絵日記が、いつも母親に怒られている話ばかりなのです。

 一時は虐待すら疑いましたが、女の子に痣のようなものはありません。

 ですが育児放棄に近いのではとそろそろ疑っています。

「ママはとてもおこりんぼさんです」

 園児が持ってくるその絵日記。その内容に私は気が滅入ります。

「ママはあさひとりでおきなさいといつもおこります」

 園児は朝起きられないことで、よくこの母親に怒られているようです。

 その園児絵日記にはいつも寝坊をしている本人と、その様子に手を挙げて怒っている母親が描かれていました。

「ママはおこるとふてねをします」

 ここ数日の絵日記の中で、母親は確かにふて寝をしていました。ふて腐れたようにそっぽを向いてベッドで横になっています。

「わたしがおこしてもしらないといいます」

 この園児の家庭は、母一人子一人です。最初に面談した時は、その母親はとても気丈にしてらっしゃいました。

 それこそ母親が倒れないかと思う程、気を張ってらっしゃいました。

 今はこの園児に絵日記を描かせる度に、一人での子育てに苛立つ母親の姿が透けて見えるようです。

「ママはきょうおこしてくれなかったです」

 送迎バスで子供を迎えにくる時も何処か苛立ったような顔をしています。

「ママはもうしらないとおこしてくれませんでした」

 偶然バスを停める場所がこの子のアパートの前でした。家を出れば目の前という近さでありながら、母親はとても苛立たしげに迎えにきます。そしてこの不機嫌な顔で子供の朝寝坊にふて寝を決め込むのかもしれません。

「ママあしたはおこしてくれるかな」

 私はそのページで絵日記を閉じました。


「ママはいつもわたしをおこります」

 翌日も絵日記の状況は変わりません。昨日と同じようにそっぽを向く母親の姿が描かれていました。

 そしてこの日は朝の見送りすら母親はしなかったのです。園児は一人でバスを待ち、私に挨拶をするとやはり一人でドアから乗ってきました。

 いくら家の前とはいえいいことではありません。

「ママはおこるとふてねをします」

 母親は相当怒っているようです。今日も絵日記の中の母親は、ここ数日と同じ姿でベッドで横になっています。

「わたしががんばっておきてもしらんかおです」

 相変わらずの口元です。ギュッと結ばれ開く気配がありません。

 私はやはり心配になり、帰りのバスから送り出す時に母親の様子をうかがおうとしました。

「ママはわたしがおこしてもおきてくれません」

 ですが母親は今度も家から出てきませんでした。私が困惑しているうちに、園児は自分でドアを開けて帰っていきます。

 迎えに出てこない程怒っている。

 まさか――


「ママはまだおこっています」

 翌日描かせた絵日記の言葉です。今日も一人で園児はバスに乗ってきました。状況は同じようです。

「ママはくちをきいてくれません」

 今日こそは一言言うべきと、私は決心をしました。

「ママはおこしてくれません」

 幸い今日は延長保育を頼まれている曜日で、この園児を母親が迎えにくる時にお話をするつもりでした。

「わたしひとりでおきれるようになったのにママはまだおこっています」

 時間を持て余す間、園児には絵日記を描かせました。

 私は育児放棄の可能性を探ろうと、園児にごはんのことを聞きました。ちゃんと食べてるかと。

 園児は冷凍食品と答えました。冷凍食品だけど食べているとのことでしょう。

 おいしいと訊くと、冷たいと答えました。

 ろくに火も通さずに冷凍食品を与えているのでしょうか? やはり虐待です。

 私は思い切って園児に訊いてみました。

 先生に何か言うことない? お願いしたいことはない?

 園児は少し考えるように眉をひそめ、描いたばかりの絵日記を私に見せました。

 やはり母親はベッドでそっぽを向いています。その横では園児の自慢げな背伸びの姿がありました。寝ている人物と手を挙げている人物が、いつもの絵と丁度入れ替わっています。

 一人で起きれたと、やはり園児は自慢げに言いました。

 だから先生――

 私は園児のその言葉と絵日記に描かれた言葉に、

「ママをおこして」

 やっと何が起こっているのか気づきました。


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