閑話 ポニー&クライブ
飛空邸が飛んだ夜。
王城の大広間で、屋敷が空を割った時――
末端の構成員たちは口をぽかんと開け、近衛は槍を落とし、国家警察は報告書の書き方に頭を抱えた。
そして僕は、こう思った。
(いや……なんで飛ぶの)
僕の家だ。
飛ぶ機能なんて、最初からついていない。
じゃあ誰が。
答えは簡単で。
操舵席――と言い張る卓の前で、ばあやが腕を組み。
機関室――と言い張る台所の奥で、じいやがレンチを振り回していた。
二人とも、やけに慣れている。
慣れすぎている。
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「……ねえ、ばあや」
ある日の昼。
僕がそっと聞くと、ばあやは当然の顔で言った。
「はい、ぼっちゃま」
その“ぼっちゃま”が、今や“首領”だと部下は言う。
でも、ばあやは変えない。
「どうして、うちって飛べるの?」
ばあやは一拍置いて、笑った。
「飛べるようにしたからです」
「そうじゃなくて」
じいやが、奥から顔を出した。
「ぼっちゃま。世の中にはな、聞かない方がいいこともある」
(あるんだ……)
僕は、逆に聞きたくなる。
「二人って、何者なの?」
ばあやとじいやが、目を合わせた。
その瞬間。
――空気が、ほんの少しだけ昔の匂いになった。
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かつて。
空賊として名を馳せた義賊がいた。
名は、ポニー&クライブ。
小型の空挺バギーに乗り、国を問わず空を駆け。
金持ちから盗み。
貧民に配り。
時々、派手に散財して。
好き勝手やって、笑っていた。
「義賊?」
そう呼ばれるのが気に食わない時もあった。
「空賊?」
そう呼ばれると、ちょっと嬉しかった。
世間の評価なんてどうでもいい。
面白いことをして、面白い顔を見て、面白い夜を生き延びる。
それだけで良かった。
……良かったはずだった。
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「ポニー、次はどこ?」
若い頃のばあや――
その頃は、まだ“ポニー”だった。
「王国。貴族の屋敷。
金庫が笑ってる匂いがする」
若い頃のじいや――
その頃は、まだ“クライブ”だった。
「貴族は嫌いだ」
クライブが吐き捨てると、ポニーは笑った。
「嫌いなら、なおさら盗めばいい」
二人のバギーは夜空を滑り、王国の屋敷へ降りた。
盗みは慣れている。
窓を開ける。
鍵を外す。
足音を殺す。
――完璧。
……のはずだった。
「そこまで」
少年の声が、闇に落ちた。
二人は、同時に止まった。
足音がない。
気配がない。
なのに。
そこにいる。
ポニーが目を細める。
「……子ども?」
少年は、笑っていた。
笑い方が、貴族のそれじゃない。
「盗みに来たんだろ」
言い方が、喧嘩のそれだ。
クライブが舌打ちする。
「おい。寝てろ。坊主」
次の瞬間。
クライブの手首が、きれいに捻られた。
「――っ!?」
痛い。
折れない。
でも、動けない。
ポニーが飛びかかる。
……避けられる。
子どもに。
「は?」
理解する暇もなく。
二人は、床に“置かれた”。
気絶じゃない。
殺されてもいない。
ただ、完全に負けた。
「……すげえ」
ポニーが思わず呟くと。
少年は肩をすくめた。
「楽しかっただろ」
楽しい。
この状況で、その言葉が出る。
――こいつ、貴族じゃない。
いや、貴族なんだろうけど。
中身が違う。
少年は名を名乗った。
第二王子。
のちのユーリの父。
そして少年は、二人の目を真っ直ぐ見て言った。
「貧しい者を救いたいなら、国に仕えろ」
正しい。
正しいから、腹が立つ。
でも。
次の一言が、正しさを全部ひっくり返した。
「面白いことがしたいなら――俺に仕えろ」
“俺”。
貴族が。
少年が。
その一言で。
ポニーの胸の奥が、きらきらした。
クライブの眉が、ぴくりと動いた。
「……お前、何なんだよ」
少年は笑った。
「国を救う。
ついでに、面白いこともやる」
ついで。
国を救うのが“ついで”みたいな言い方。
なのに目が本気。
ポニーは、すぐに頷いた。
「仕える」
クライブも、舌打ちしながら頷いた。
「……仕える」
二つ返事。
その夜、義賊ポニー&クライブは終わった。
代わりに。
とんでもない少年の部下が、二人増えた。
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そこから先は、少年の言った通りになった。
子どもに見合わない行動力。
子どもに見合わない責任感。
子どもに見合わない無茶。
少年の友達の悪ガキたちも仲間になり。
全員で国を救おうと、躍起になった。
資金源のために未踏の遺跡に潜り。
ダンジョンを攻略し。
空挺バギーで密輸路を叩き。
時には、王都の“偉い人”の面子をへし折った。
「……貴族って、こういうのもいるんだな」
クライブが呟くと。
ポニーが笑った。
「いるんじゃない。
あの子だけだ」
やがて少年は大人になり。
王弟として国の要職に就いた。
二人は年を感じ始め、前線から退いた。
それでも。
主の屋敷に残った。
働くためじゃない。
面白い未来を、見届けるためだ。
そして――かつてのつてを使って。
密偵。
諜報。
裏の段取り。
“空賊時代の技術”を、国のために使うようになった。
***
(だから飛空邸も動かせるんです、ってことか……)
僕は、だんだん嫌な予感がしてくる。
***
---
何年か経ち。
主に子どもが生まれた。
二人に子どもはいなかった。
だが。
主を自分の子どもみたいに思っていた二人は――
孫ができたみたいに喜んだ。
小さなユーリ。
青白い頬。
窓辺の椅子。
「ぼっちゃま」
そう呼ぶ声が、自然に出た。
「じいや」
「ばあや」
そう呼ばれるのも、自然になった。
自然になって。
――その日が来た。
主が謀殺された。
報せは短く。
現実は重い。
主は、自分がそうなることを分かっていたのだろう。
部下に遺命を残した。
《国を割るな》
復讐を封じる言葉。
主の友は散り散りになった。
ラシードも。
シュラウドも。
それぞれの正義を抱えて、遠くへ。
ポニーとクライブは。
――屋敷に残った。
主の妻と。
孫のように思っているユーリを守るために。
守るために。
空から降りた。
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それから十数年。
何の因果か。
二人はまた空に帰ってきていた。
飛空邸。
推進器。
艦長。
機関士長。
「……年甲斐もなく張り切ってるな、俺たち」
じいや――いやクライブが言うと。
ばあや――いやポニーが、鼻で笑った。
「今さら。
面白いことがしたいなら、俺に仕えろ。
あの人がそう言ったんだから」
俺。
もういない主。
でも。
今はユーリがいる。
いつの間にか。
二人の胸の奥の“空賊”が、目を覚ましていた。
「ぼっちゃま」
ばあやが言う。
「空は、逃げません。
でも、面倒ごとは逃げます。
追いかけますか?」
「追いかけないよ!」
僕は即答した。
即答したのに。
じいやがレンチを鳴らした。
「出航準備、ヨシ」
やめて。
飛空邸の中で。
“ポニー&クライブ”は今日も元気だった。
元気すぎて。
たぶんまた、歴史の書き方が面倒になる。




