幕間 王都
王都は、静かにざわついていた。
結界の暴走。
宮殿。
王女の誘拐。
そして救出。
噂はいつも盛られる。
だが今回は、盛った噂の下に“本当の恐怖”が沈んでいた。
結界が割れた。
それは、王都の人間にとって「壁がなくなった」という意味だ。
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市場の空気が、早い。
パン屋の列が、いつもより長い。
塩が、妙に高い。
酒場の笑い声が、夜になるほど薄い。
人々は口に出さない。
口に出した瞬間、現実になってしまうから。
(帝国が来る)
誰もがそれを、舌の裏で噛んでいる。
その代わり。
噂だけが、勝手に増える。
「王女殿下を救ったのは、窓辺の闇だ」
「いや、あれは義賊だ」
「違う。王都の“治安”そのものだったんだ」
そして、もう一段。
誰かが、わざとらしく付け足す。
「……首領は、王位継承権を持つ“ユーリ様”だそうだ」
“様”を付ける。
それは敬意であり。
同時に、火種でもある。
もちろん。
その噂がここまで広がるのは、偶然ではない。
窓辺の闇の諜報員たちが、街の空気を読んで“丁寧に”流している。
情報操作。
民の怒りが、ただの破壊に向かわないように。
向けるべき相手に向くように。
――そういう種類の、怖い優しさ。
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現政権は、何もできなかった。
帝国のテロを防げなかった。
結界暴走を止められなかった。
王女を守れなかった。
王は泣いた。
取り巻きは言い訳した。
民は、黙って拳を握った。
「守れない王は、何のためにいる」
そんな言葉が、夜の路地の奥で増えていく。
騒乱の匂い。
火はまだ上がらない。
だが油が、町じゅうに染みている。
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国家警察は、それを止めるのが仕事だった。
暴動を防ぐ。
扇動者を捕らえる。
秩序を守る。
いつもなら、そうだ。
だが今回ばかりは、現場の“目”が違った。
王城で、窓辺の闇と相対した者たち。
殺さずに制圧し。
王女を奪い返し。
崩れる街に背を向けず。
あの異常な真面目さを、見た者たち。
彼らは、帰ってきて――そして辞めていった。
「……辞表が、また増えています」
部下の声が、乾いている。
監察官エリシアは机の上の紙を見下ろした。
辞表。
報告書。
上層の命令書。
全部、紙だ。
全部、正しい手順の形をしていて。
全部、現場の心を置き去りにしている。
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「止めますか」
部下が聞いた。
止める。
職務上は正しい。
エリシアは、答えなかった。
代わりに、辞表を出した男を見た。
彼は敬礼して。
「……すみません。俺はもう、あれを“悪”として追えません」
そう言った。
まぶしい。
その目は逃げではない。
選択だ。
エリシアは、自分の胸の奥が少し揺れたのを認めた。
王の取り巻きたちの醜悪さを見た。
そして。
民のために動いた“違法者”を見た。
自分の正義が、揺らいでいる。
(国のためを思って行動する民が、悪なのか)
答えは出ない。
でも。
その夜。
エリシアは初めて――民を見逃した。
路地裏。
壁に貼られた一枚の紙。
《王女を救った者たちへ》
文字は丁寧で。
内容は、危険で。
それでも、そこに“祈り”があった。
エリシアは、その紙を剥がさずに歩いた。
足音を、わざと小さくして。
王都の夜が、ひどく長く感じられた。




