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閑話 王女の戦い

飛空邸の廊下は、普通の屋敷と変わらない。


――変わらないはず、だった。


外が雲で、下が王都で、屋根の下に推進器が生えていることを除けば。


「……ここ、揺れませんのね」


リーリエが小さく呟くと、すぐ横のメイドが胸を張った。


「はい、姫様。揺れないように固定されています」


「固定……」


「はい。飛ぶ前提で」


飛ぶ前提。


その言い方が、妙に日常で、リーリエは笑いそうになって堪えた。


王女としての矜持は、笑って崩すものではない。


だが――今日は王女としてではなく、“攫われてきた一般人”として動くと決めていた。


(保護されているだけでは、いけない)


助けられた。


確かに助けられた。


でも、それで全部が終わったわけではない。


ユーリは戦っていた。


マリーダも、レイナも、ルナも。


そしてメイドたちも、泣かずに、乱れずに、迎えに来た。


なら――わたくしも、何かしなくては。


「……わたくし、家事を手伝います」


リーリエが宣言すると、メイドたちは一拍止まり。


次の瞬間、目がきらきらした。


「姫様が……?」


「はい。わたくし、攫われましたもの」


「攫われてるのに尊すぎます……!」


なぜか感動されている。


リーリエは咳払いでごまかした。


---


最初の戦いは、洗濯だった。


「姫様、こちらが洗濯物です」


差し出された籠には、布がいっぱい。


しかも見覚えのない布が多い。


「……ずいぶん量がありますのね」


「はい。首領が“屋敷は生活感が大事”と仰ったので」


首領。


その呼び方に、リーリエの胸が少しだけ熱くなる。


(ユーリが“首領”……)


子供の頃は、ただの遊びだった。


それが今は。


本当に人を動かし、国を揺らし――そして、わたくしを救った。


「姫様、こちらに水を張ってください」


「ええ」


桶に水を入れる。


重い。


腕がきつい。


でも、きついだけで、嫌じゃない。


(……わたくしも、生きています)


布を浸して、こすって。


泡が立って。


指先が少し赤くなる。


「姫様、そこはもっと力を――」


「こうですの?」


「姫様、違います。こうです」


メイドの指導が、意外と厳しい。


王宮の礼法より怖い。


「姫様、布は敵ではありません」


「敵ではありませんのね」


「はい。ですが、油汚れは敵です」


敵判定される油汚れ。


リーリエは真面目に頷いた。


「承知しました。油汚れは排除します」


「姫様、言い方が首領側です!」


笑い声が出た。


自分の口から笑い声が出たことに、リーリエは少し驚く。


……それが出る場所なのだ、この飛空邸は。


---


次の戦いは、ジャガイモだった。


「姫様、こちらをお願いします」


机の上に山。


山のようなジャガイモ。


「……これは」


「首領が“じゃがいもは万能”と仰ったので」


また首領。


またユーリ。


(あなたは、どこまで生活感を積み上げるつもりなの……)


ピーラーを渡される。


リーリエは持ち方から教わった。


「姫様、刃をこちらに向けてはいけません」


「……危ないから?」


「はい。姫様のお指は国家資産です」


国家資産。


なんだか、王宮より現実的な保護だ。


皮を剥く。


一つ。


二つ。


三つ。


「……終わりませんわね」


「はい。首領はよく食べます」


リーリエは、ぴたりと手を止めた。


「……ユーリが?」


聞き返した瞬間、メイドたちの顔が一斉に“にやり”に変わった。


「姫様。いま、呼び捨て」


「……っ」


しまった。


王女としての距離感が崩れた。


「その……幼い頃からの癖です」


「では、姫様。恋の癖でもありますか?」


言い方。


「……わたくしは王女です」


「はい。恋する王女です」


勝てない。


ここ、王宮じゃない。


メイドの口が強い。


---


仕事の合間、リーリエは廊下の角から、遠くの部屋を覗いた。


ユーリがいた。


窓辺。


あの椅子。


あの距離。


……昔と同じ。


けれど、昔よりずっと遠い。


(話したい)


助けてくれてありがとうと。


子供の頃――倉庫街で。


あの時も、わたくしは“助けた”側のつもりでいて。


結局、助けられていた。


(もう一度、ちゃんと話したい)


メイドたちが、囁く。


「姫様」


「何ですの」


「近づかないと、何も始まりません」


耳が熱くなる。


「……わたくしは王女です。自分の気持ちは自分で――」


「はい。では、今行きましょう」


「待って」


背中を押される。


押される。


押される。


気づけば、リーリエはユーリのいる部屋の前に立っていた。


(……なぜ、こんな簡単に)


扉を叩く。


「……入っていい?」


返事。


「うん。どうぞ」


子供の頃と変わらない声。


なのに、胸がぎゅっとなる。


---


部屋に入ると、ユーリは窓の方を向いていた。


いつも通りの姿。


でも。


その横顔には、王都で見た“戦った後”の影が残っている気がした。


「リーリエ?」


名前を呼ばれて、リーリエは背筋を正した。


「ユーリ」


呼んでから、また熱くなる。


「……えっと。どうしたの?」


ユーリが少しだけ困った顔をする。


その顔を見たら、リーリエの口から言葉が滑った。


「ありがとう」


短い。


でも、足りる。


「助けてくれて。……わたくしを」


ユーリが一拍置いて、笑った。


「うん。……助けた、のかな」


助けた。


助けたのだ。


誰がなんと言おうと。


「助けたわ」


リーリエは言い切った。


「昔も、そう。


倉庫街で、あなたは――」


言いかけて、喉が詰まる。


(あの時、あなたが現れなかったら)


言葉を続けようとして。


ユーリの目が、優しくなる。


「……あの時のこと、覚えてるんだ」


雰囲気が、少しだけ柔らかくなる。


窓の外の雲が、薄く光って。


(いまなら――)


リーリエは一歩、近づいた。


「……あなたは、変わらないのね」


「え、そう?」


「ええ。……だから、好——」


思わず口らからこぼれ落ちるその瞬間。


背後から、ワザとらしく音を立てて扉が開いた。


「失礼します、首領」


マリーダ。


次。


「資料の更新です」


レイナ。


最後。


「……守り」


ルナ。


三人が、完璧なタイミングで、完璧な距離感で、完璧に“空気”を切った。


リーリエは固まった。


ユーリも固まった。


「え、えっと……」


ユーリが言い訳を探している。


マリーダが、にこやかに言った。


「首領。お食事の時間です」


笑顔。


優しい声。


でも、目が“全然”優しくない。


レイナが追撃する。


「首領。談笑は疲労に繋がります」


ルナが、さらに追撃する。


「……疲れる。寝る。守る」


「いや、寝るはまだ――」


ユーリが抵抗するが、三人の頷きが重い。


リーリエは、拳を握った。


(敵は……幹部……!)


戦いだ。


王女の戦い。


「……マリーダ」


リーリエが静かに名前を呼ぶと、マリーダが穏やかに微笑んだ。


「はい、リーリエ様」


昔の呼び方。


昔の距離。


そして――昔より、ずっと強い壁。


リーリエはにこやかに笑った。


王女の笑みで。


「……わたくしも、お食事に同席します」


幹部たちの空気が、一瞬だけ硬くなった。


勝った。


……たぶん。


ユーリが小さく言う。


「え、じゃあ、みんなで食べよ」


その言葉に、リーリエの胸が少しだけ温かくなった。


戦いは続く。


恋は、もっと続く。


そして。


幹部のブロックは、たぶん……もっと続く。

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