悪の組織に、奪えぬものはなにもない件
王城の大広間は、静かだった。
……いや。
静か“だった”。
僕らが扉を開ける、その一秒前までは。
---
僕の横には、リーリエがいる。
手首の縄の跡は薄く残っている。
それでも背筋は、まっすぐだ。
「……大丈夫?」
僕が小さく聞くと。
リーリエは、いつも通りの顔で言った。
「ええ。……わたくしは、王女ですもの」
強い。
怖いくらい強い。
---
大広間の奥。
玉座に座る男——現国王。
その背後に、やけに“よく整った顔”の大人たちが並んでいた。
笑っている。
笑っているのに、目が笑っていない。
こんなことを平気で起こす連中。
リーリエが、僕の袖を引いた。
「……あれ」
ああ。
分かる。
あれが。
この国の“首輪”だ。
---
「リーリエ……!」
国王が立ち上がる。
声が震えている。
「無事で……よかった……!」
良かった。
その言葉は本物だ。
でも。
次の瞬間。
背後の“連中”が一歩前へ出た。
「陛下。ご安心を」
声が丁寧すぎる。
「王女殿下は“保護”されました。——そして、保護した者たちは“反逆者”として処理できます」
処理。
言葉が、紙みたいに軽い。
レイナが僕の後ろで、淡々と息を吐いた。
「処理、ですか」
怖い。
レイナが怒ると、言葉が丁寧になる。
---
僕は一歩前へ出た。
「……陛下」
僕は“僕”で言った。
「この国を売るのをやめていただきたい。やめないというのなら——」
息を吸う。
“俺”に切り替える。
「王女だけじゃない。国ごと、奪う」
宣戦布告。
言ってから自分で、なに言ってんだ俺とも思った。
でも。
リーリエが、頷いた。
いや、頷くな。
---
「反逆だ」
“連中”の一人が、待ってましたとばかりに言った。
「王女殿下の前で、陛下を脅迫。——もはや言い逃れはできない」
言い逃れ。
僕は、少しだけ笑った。
「言い逃れする気、ないよ」
---
そこで。
“連中”が、紙を一枚掲げた。
「王命の代行により、ここに命ずる」
王命の代行。
越権。
堂々と言うな。
堂々と言うから、周りも一瞬だけ迷う。
「近衛。国家警察。——反逆者を拘束せよ」
「貴様も、貴様の父親と同じく、みじめに死ぬがいい!」
大広間の扉が、複数同時に開いた。
鎧。
槍。
そして。
監察官。
あの目だ。
冷たくて。
民を見ている目。
「……またあなたたちか」
監察官の声が、わずかに低い。
「またって言い方、ひどくない?」
僕が言うと、監察官は眉を寄せた。
「ひどいのは、あなたたちの方だ」
ごもっとも。
---
マリーダが、微笑んだ。
「ユーリ様。刃は抜きません」
レイナが頷く。
「殺さず制圧。優先」
ルナが小さく言った。
「……守る。強くする。音も」
やめて。
音もってなに。
僕は息を吸って、叫んだ。
「——倒すな! 止めろ!」
大広間が、一拍止まる。
誰もそんな命令を聞いたことがない顔。
その顔が、ちょっと面白い。
でも。
すぐに“仕事”が始まった。
---
近衛が突っ込んでくる。
槍。
盾。
僕の身体は、ルナの魔法で軽い。
軽すぎて、逆に怖い。
「……ごめん!」
僕は言って。
盾を叩いて逸らして。
肩を掴んで。
床に“置いた”。
「寝てろ!」
口が勝手に言う。
もう僕の制圧台詞、これで固定なの?
---
マリーダは無音。
足を払う。
首筋。
気絶。
レイナは、叫ばせない。
口元を押さえる。
槍を落とさない。
鎧を鳴らさない。
“うるさくしない戦い”って、いちばん怖い。
---
監察官が、僕を見て叫んだ。
「やめろ! 王城で戦うな!」
「戦ってるの、そっちだよ!」
僕が言い返した瞬間。
リーリエが、一歩前に出た。
「——下がりなさい」
短い命令。
王女の声。
近衛が一瞬だけ、止まった。
“命令が通る”。
それを見た“連中”の顔が、わずかに歪む。
うん。
それでいい。
---
「王女殿下、危険です!」
監察官が叫ぶ。
リーリエは平然と答えた。
「危険なのは、わたくし達の国を売っている者たちです」
強い。
怖いくらい。
---
その時。
空が鳴った。
ゴォォォ……!
大広間の窓が震える。
「……何の音だ」
“連中”の一人が顔色を変えた。
僕は、嫌な予感じゃなく。
嬉しい予感がした。
「……来た」
---
窓の外。
王城の上空。
僕たちの屋敷が空を飛んでいた。
いや、“飛空邸”が空を飛んでいた。
しかも、めちゃくちゃ大きい。
屋根の上に、金属の骨組み。
外壁には、後付けの装甲板。
腹の下には、艦みたいな推進器が何基もぶら下がっていて、赤熱した排気が夜を焦がす。
……なのに。
窓にはカーテンが揺れていた。
洗濯物が、なぜかしっかりロープで固定されている。
ベランダの植木鉢まで、ちゃんと括りつけてある。
メカメカしいのに、生活感が勝つ。
飛ぶ戦艦みたいな顔をして、やってることは「引っ越し」だ。
「うわ……」
さすがに僕でも引いた。
「……ほんとに飛ぶんだ」
ルナが、小さく胸を張った。
「……飛ぶ」
張るな。
---
屋敷の腹が開く。
縄梯子——じゃない。
なぜか“丁寧な乗船用階段”が降りてきた。
誰が設計したの。
(……レイアだな)
そして。
その階段の上で。
操縦席にいるばあやが、手を振っている。
「ぼっちゃま。お迎えに参りました」
その背後。
機関室の方から、じいやの怒鳴り声が聞こえた。
「ばあや! 勝手に出力を上げるんじゃない!」
落ち着きすぎだ。
王城で。
屋敷が。
飛んでるのに。
---
階段は、一本じゃなかった。
飛空邸の腹から、何本も降りる。
「……全員、回収する気だ」
レイナが淡々と呟く。
回収。
言い方が物騒だ。
でも実際、そうだ。
末端の構成員たちが、影から影へ走ってくる。
腕に包帯を巻いた者。
盾を抱えた者。
「首領ー!」と叫びかけてレイナに口を塞がれる者。
「叫ぶな。今は“王城”だ」
正論すぎて怖い。
幹部たちは、もっと落ち着いていた。
マリーダは歩く。
走らない。
なぜか堂々と、階段へ向かう。
「ユーリ様。お足元にお気をつけて」
気遣いが、ここだけ貴族の外出だ。
ルナは、階段の周りに薄い膜を張った。
「……落ちない。滑らない」
それ、絶対いる?
……いるか。
屋敷が飛んでるんだ。
そして。
王女付きのメイドたちが、列を作って現れた。
乱れない。
悲鳴を上げない。
「王女殿下。こちらへ」
一人がリーリエの裾を整え。
もう一人が、手首の縄跡にそっと布を当てた。
リーリエは、驚いた顔をする。
「あなたたち……無事だったの?」
メイドは深く頭を下げた。
「はい。殿下が戻られるまで、職務を離れません」
強い。
この国、強い人が多すぎる。
---
「反逆者め! 逃がすな!」
大広間が怒鳴る。
でも、もう遅い。
“悪の組織”は、撤退の段取りだけは妙に手堅い。
僕はリーリエの手を引いた。
「走れる?」
「ええ」
即答。
強い。
---
監察官が、僕らの前に立ちはだかった。
「止まれ」
その声は、さっきまでと同じ。
仕事の声。
でも。
目が。
迷っている。
王女は無事。
結界暴走は止まった。
それでも“命令”がある。
僕は、息を吸った。
「……邪魔なら、止める」
監察官は、歯を食いしばった。
「……あなたたちは」
そこで。
リーリエが言った。
「その人は、わたくしを救いました」
監察官の目が揺れる。
救った。
それが、どれだけ重い言葉か。
---
「……行け」
監察官は、ほんの少しだけ横にずれた。
「ただし、次は逃がさない」
「次、あるの?」
僕が聞くと、監察官は睨んだ。
「ある」
即答。
うん。
あるね。
---
僕らは走る。
近衛が追う。
マリーダが止める。
レイナが止める。
ルナが止める。
止めすぎだ。
王城の大広間が、完全に“運動会”になっていた。
「右! 右から二人!」
レイナが指示。
「御意」
マリーダが答える。
「……守る」
ルナが答える。
僕は叫ぶ。
「いや、返事が軍隊なんよ!」
誰も聞いてない。
---
階段。
搭乗。
屋敷の中に入ると、いつもの廊下があった。
安心する。
いや、安心していいのか。
僕の家、飛んでるんだけど。
---
「出航します」
ばあやが普通に言った。
「え、出航って言った?」
「はい。飛空邸ですので」
「そういう分類なの?」
「分類も何も、飛ぶ家は飛ぶ家です!」
機関室から、じいやの声が返ってきた。
---
屋敷が、ぐいっと上がる。
王城が下がる。
人が小さくなる。
そして。
“連中”の叫びが、遠くなる。
「捕まえろ! 王女を! 首領を!」
最後の最後で、やっと“首領”が混ざった。
遅い。
---
飛空邸の廊下。
リーリエは少しだけ歩幅を落として、マリーダを見た。
「……あなた」
呼びかけが、王女のものじゃなくて。
昔みたいに、素の距離だった。
マリーダは、いつも通り穏やかに頭を下げる。
「お久しぶりです。リーリエ様」
リーリエが目を細める。
「やっぱり……そうよね。あなたも、まだ——」
言い淀んで。
「……悪の組織を、やっていたの?」
マリーダは微笑んだ。
その笑みが、優しいのに、怖い。
「はい。首領が望むので」
「望んでないって言ってたけど?」
僕が横から突っ込むと。
マリーダは、何も聞こえなかったみたいに言う。
「望んでいます」
「望んでない!」
リーリエが、ふっと笑った。
「昔の遊びが、まだ続いてたのね」
マリーダは少しだけ首を傾げる。
「遊び……?」
その一言で、空気が一瞬だけ冷えた。
リーリエは、笑みを崩さずに言い直す。
「……冗談よ。あなたが“遊び”で剣を振らないことくらい、分かってる」
マリーダの瞳が、ゆっくり柔らかくなる。
「ありがとうございます」
リーリエは、マリーダの手のひら——剣のタコを一瞬だけ見て。
「でも、変わらないのね」
「はい」
変わらない。
忠誠も。
強さも。
そして。
僕らが面倒ごとを呼び込む才能も。
「……良かった」
リーリエが小さく言った。
マリーダが、少しだけ驚いた顔をした。
「リーリエ様?」
「あなたが味方で」
リーリエは、それだけ言って前を向いた。
その背中が、やっぱり強い。
---
リーリエが、窓の外を見て言った。
「……奪えぬものは、なにもないのね」
僕は反射的に言い返した。
「いや、奪ってない。確保だよ。保護だよ」
リーリエが、ふっと笑う。
「言い方の問題です」
レイナが淡々と補足した。
「法的には誘拐に近いです」
やめて。
マリーダが優しい声で言う。
「でも、ユーリ様が望むなら」
望んでない。
ルナが小さく言った。
「……帰る」
うん。
帰ろう。
---
飛空邸が雲を抜ける。
夜風が静かになる。
王都の灯りが、遠くに揺れる。
まだ混乱は残っている。
でも。
リーリエがここにいる。
僕の隣に。
僕は、息を吐いた。
「……第二部、終わった?」
誰も答えない。
代わりに。
ばあやが言った。
「ぼっちゃま。次の会議資料も、すでにご用意しております」
やめて。
終わってない。
全然終わってない。
僕は天井を見上げて、呻いた。
「……悪の組織、こわ……」
マリーダが微笑む。
「はい。首領」
レイナが頷く。
「これより、第三部の準備フェーズです」
やめて。
ルナが、袖を掴む。
「……寝る?」
寝る。
寝たい。
でも。
この屋敷。
飛んでる。
(第二部・完)




