悪の組織に、叩き壊せぬ壁はない件
結界の奥は、迷路だった。
通路が変わる。
壁が増える。
扉が消える。
守るためのはずの仕掛けが、今は“閉じ込めるため”に働いている。
「……分岐、消えました」
レイナが淡々と告げた。
「予告通り?」
「はい。首領が通る未来を、結界が潰しています」
「いや、その言い方は怖い」
背後でマリーダが静かに笑っている。
笑っているのに、目が笑っていない。
ルナの魔法が、僕の足を軽くする。
軽すぎて、怖い。
強い。
でも。
強いからこそ、迷う暇がない。
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壁が、もう一枚降りた。
透明で。
分厚くて。
触れた瞬間、指先がじんと痺れる。
「……これ」
僕が息を呑むと、ルナが小さく頷いた。
「……防衛。『外へ出すな』」
外へ出すな。
撤退不能。
さっきまで“封鎖”だったものが、今は完全に牙を剥いている。
「だから、コアしかない」
僕が言うと、レイナが頷いた。
「はい。コアの“直接制御可能領域”まで到達すれば、首領の血が通ります」
通る。
血が。
嫌な言い方なのに、これが今の希望だ。
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やがて。
空気が変わった。
湿り気が減って。
金属の匂いが濃くなる。
「……地下に近い」
レイナの声が低い。
マリーダが言う。
「聖域、ね」
滑稽な名前。
でも、そこに“鍵”がある。
リーリエがいる。
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階段を降りた。
足音が、妙に響く。
松明の火が、湿り気で伸びて。
影が長い。
そして。
中央に、黒い結晶。
結界コア。
遠くからでも分かる。
——あれは“物”じゃない。
生き物みたいに、脈打っている。
ドン。
鼓動。
そのたびに、王都が軋む。
「……まだ、動いてる」
僕が呟くと、ルナが小さく言った。
「……止める。壊す」
壊す。
その一言に、背筋が冷えた。
壊すって、簡単に言うけど。
あれが壊れたら、何が起きる?
でも。
壊す以外に止め方がない。
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テロリストたちは、結晶の周囲に陣取っていた。
儀式みたいに。
王女を抱える者。
槍を構える者。
呪文を唱える者。
そして。
中央。
リーリエ。
縄はまだ手首に残っている。
頬に赤い跡。
それでも。
目が死んでいない。
その目が、こちらを見た。
一瞬。
“王女殿下”の目じゃない。
昔、屋敷の廊下で。
紙とペンを広げて。
「合言葉、決めよう」
って言ってきた、あの子の目だ。
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「……これで終わりだ」
テロリストの一人が、結界コアを見上げて笑った。
「通路は封鎖した。あの“正義ごっこ”の連中も、警察も——ここまでは来られない」
別の男が頷く。
「王家の血でコアを押した。もう王都は揺れてる。俺たちの勝ちだ」
余裕ぶった声。
油断。
——だからこそ。
「来たぞ!」
テロリストの一人が叫んだ。
「侵入者を殺せ!」
侵入者。
それで十分だ。
僕は息を吸った。
……作る必要なんて、もうない。
今は、首領でいい。
「ルナ。——音、殺して」
僕が言うと、ルナは小さく頷いた。
「……うん」
世界から、音が少しだけ遠のく。
心臓の音まで、薄くなる。
怖い。
でも、これで。
僕は自分の呼吸だけを信じられる。
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「倒すな。止めろ」
僕は言った。
「国の手足を折るな。……でも、こいつらは違う」
“こいつら”という言葉が、口から滑った。
マリーダが笑わない顔で頷く。
「御意。首領」
レイナが淡々と続けた。
「敵性個体。殺傷許可——」
「殺すな」
僕はすぐに遮った。
「殺すな。……死体は残すなじゃなくて。生きて償わせろ」
言ってから、自分で(誰だよ俺)と思った。
でも。
今は、それでいい。
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戦闘は、速かった。
ルナの強化で、僕の身体が“戦える前提”になる。
槍が来る。
避ける。
怖いくらい簡単に避けられる。
足が勝手に、最短を選ぶ。
僕は柄を叩いて、軌道を逸らした。
肘。
腹。
喉元には当てない。
倒す。
置く。
「寝てろ!」
さっきも同じ台詞が口から出た。
でも、今は冗談じゃない。
マリーダは無音で、足を払う。
レイナは、影から影へ移って喉元の声を潰す。
“叫ばせない”。
警報を呼べば、王都が終わる。
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そして。
中央へ。
僕は走った。
結晶へ。
結界コア。
近づくほど、空気が粘る。
目の奥が痛い。
でも。
足は止まらない。
「——止まれ!」
テロのリーダー格が、短剣を構えて僕に突っ込んできた。
速い。
危ない。
でも。
僕の身体は、もっと速い。
怖い。
僕は一歩横にずらして、腕を取って、関節を決めた。
骨が鳴りそうになる。
寸前で止める。
「……折らない」
ルナの言葉を、僕の中で復唱した。
相手を床に“置く”。
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コアの前。
ここだ。
“直接制御可能領域”。
レイナが言った条件。
僕は、袖をまくった。
自分の血が、月明かりみたいに白く見える。
「……ユーリ様」
マリーダが言う。
怖い声じゃない。
優しい声。
「無理はしないで」
「うん。……無理はしない」
言いながら。
僕は、指先を噛んだ。
痛い。
血が滲む。
その赤が、妙に現実だった。
僕は、その指を。
結界コアへ押し当てた。
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ドン。
鼓動が止まった。
一瞬。
王都の音が消えた気がした。
次の瞬間。
結晶の内側を走っていた赤い線が、逆流する。
「……上書き」
レイナが呟く。
僕は、震える息を吐いた。
強い。
でも、強いのは僕じゃない。
血が。
権限が。
僕を、王家の血として扱っている。
——嫌だな。
でも。
今は使う。
「壊れろ」
俺が言った。
結晶が、ひび割れる。
パキ。
音はしない。
ルナが音を殺している。
でも。
ひびは、見える。
次の瞬間。
結界が、裂けた。
透明な壁が、紙みたいに剥がれ落ちる。
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「リーリエ!」
僕は叫んだ。
音が戻った。
世界が戻った。
リーリエが、こちらを見て。
一瞬だけ。
泣きそうな顔をした。
でも、泣かない。
気丈だ。
だから。
僕は、昔の合言葉を言った。
「……帳を、下ろせ」
リーリエの瞳が、はっと開く。
理解する。
“ごっこ”の言葉。
でも。
今は。
救いの言葉。
リーリエは、頷いた。
「……帳を、下ろすわ」
その返事が、強かった。
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マリーダが、リーリエの縄を一閃で断ち切った。
切れない悪はない。
でも。
“切った”のは縄だけ。
人は、切らない。
レイナが敵を縛り上げ、ルナが暴走の残滓を抑える。
僕は、リーリエの前に立った。
「来い。……連れて帰る」
“王女殿下”じゃない。
リーリエだ。
だから、命令じゃなく。
言い切る。
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背後で、テロリストが呻いた。
「……ば、馬鹿な……王家の鍵は……!」
僕は振り返らずに言った。
「鍵は、ひとつじゃない」
それが何を意味するか。
リーリエは、たぶん分かる。
レイナも分かる。
マリーダは——全部分かって、何も言わない。
ルナは、ただ僕の袖を掴む。
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結界は、まだ完全には消えていない。
でも。
“暴走”は止まった。
王都の揺れが、少しだけ遠のいた。
「……次は?」
リーリエが、短く言った。
強い。
怖いくらい強い。
僕は頷いた。
「次は、王と……こんなことを平気で起こす奴らのところへ行く」
レイナが淡々と続ける。
「政治フェーズに移行します」
「やめて。そこでフェーズ言うな」
マリーダが小さく笑った。
ルナが言う。
「……いく」
僕は、リーリエの手を取った。
強く。
でも、壊さないように。
「走れる?」
リーリエは頷く。
「ええ。……わたくしは、王女ですもの」
その言い方が、気丈で。
だから。
僕は、首領の声で言った。
「なら、行くぞ」
結界コアの破片が、足元で小さく光っていた。
——叩き割れないものはない。
そう言ってしまえば。
僕らの“悪の組織ごっこ”は。
もう、ごっこじゃない。




