悪の組織に、退路は必要ない件
夜の宮殿は、遠くから見るとただの塊だ。
黒い空に、灯りの粒が刺さっている。
……なのに。
僕らの目には、そこが“戦場”に見えてしまう。
「首領。現時刻、潜入フェーズへ移行します」
レイナの声はいつも通り淡々としていた。
でも、その淡々が逆に怖い。
「え、いま“フェーズ”って言った?」
「はい。稟議書の工程表に準拠しています」
「やめて。そこ、会社にしなくていいから」
隣でマリーダが静かに頷く。
「でも、分かりやすいもの。……首領も、迷わない」
迷わない、と言われて僕は胸の奥がくすぐったくなった。
迷うよ。
普通に。
だって、宮殿だ。
潜入って、文字にすると厨二っぽいのに。
現物は、ちゃんと怖い。
ルナが僕の袖を引いた。
小さく、でも確かな力。
「……ユーリ。大丈夫」
「うん。大丈夫。……僕は、ここにいるだけだから」
ルナの魔法が、僕の身体を内側から支えている。
普段なら階段を上るだけで息が上がるのに、今は足が軽い。
剣を握ったこともない手が、なぜか“握れば振れる”気がする。
……怖い。
強くなった、というより。
強くされている、が正しい。
「無茶はしないよ」
僕がそう言うと、ルナは小さく頷いた。
「……うん。守る。強くする。危ないの、止める」
僕は、眺めるだけじゃない。
今日だけは。
前に立つことになる。
---
潜入は、想像より静かだった。
宮殿の外壁。
警備の死角。
巡回の間隔。
レイナの情報と、マリーダの身体能力と、ルナの魔法が重なると。
“侵入”という言葉が、ただの手順になる。
——そう。
静かだった。
だからこそ。
次の足音が、やけに大きく聞こえた。
「……止まって」
レイナが囁いた。
廊下の曲がり角。
松明の光が揺れて、鎧の擦れる音が近づいてくる。
巡回兵。
当たり前だけど、ここは宮殿で。
当たり前だけど、兵がいる。
僕は反射的に息を止めた。
でも——足は、止まらなかった。
止まれない。
ルナの魔法で軽くなった身体が、逆に“前へ出ろ”と背中を押す。
マリーダが一歩前に出ようとした。
その肩を、僕は掴んだ。
「……ここは、僕が行く」
自分の口から出た言葉に、自分が驚いた。
レイナの目が、ほんの一瞬だけ揺れる。
「首領……」
ルナが小さく頷いた。
「……強くする。手、折らない」
折らない。
僕は、その一言で腹を括った。
——殺さず制圧。
僕は、曲がり角から一歩、姿を晒した。
「誰だ!」
巡回兵の声が飛ぶ。
槍がこちらへ向く。
怖い。
でも。
足が、前へ出る。
「……悪の組織の、首領だ」
言った瞬間、内心で(なんで言ったの僕)と叫んだ。
巡回兵が一拍、固まる。
そりゃそうだ。
宮殿でそんな自己紹介、意味が分からない。
その一拍。
僕は、もらった。
身体が勝手に動いた。
槍の間合いの外側から、踏み込む。
足運びがやけに滑らかで、怖いくらい速い。
「っ——!」
巡回兵が槍を引くより早く。
僕は柄を横から叩いて軌道を逸らし、肘を軽く当てて体勢を崩した。
倒れかけたところを、支える。
——倒すけど、壊さない。
「寝てて。起きたら、何も見なかったことにして」
自分でも意味が分からない台詞が出た。
でも、ルナの魔法のせいか、声だけは妙に“それっぽい”。
背後で、マリーダが無音で別の兵の足を払っていた。
倒れる前に、首筋へ手刀。
気絶。
レイナは、落ちた槍を音を立てずに押さえ、兵の口元に布を当てる。
叫ばせない。
徹底している。
数秒。
廊下に残ったのは、松明の揺れと。
倒れた兵たちの、静かな寝息だけだった。
僕は、指先を見た。
震えていない。
……怖い。
「首領、無事?」
マリーダが優しい声で聞く。
「うん。……無事。たぶん」
たぶん、という言葉にレイナが淡々と補足した。
「制圧、完了。致命傷なし。警報未発生」
「なんか、報告が怖い」
ルナが僕の袖を引く。
「……ユーリ、えらい」
褒められて、胸の奥が少しだけ軽くなった。
僕らは、兵を回収して隠すでもなく。
ただ“見つけた人が困らない位置”へ整えてから、影へ戻った。
悪の組織のくせに、やることが妙に優しい。
……いや。
優しいからこそ、悪いのか。
「……ほんとに入れちゃうんだ」
僕が呟くと、レイナが小声で返した。
「入れます。首領が『入れる』と判断したので」
「それ、僕の判断じゃないよ。君たちの実力だよ」
「首領が言えば、実力は発揮されます」
それ、褒めてる?
怖くない?
マリーダが、少しだけ笑った。
「ユーリ様。今は“悪の組織ごっこ”でしょう?」
「……そうだね。ごっこ、だね」
自分に言い聞かせるみたいに、僕は頷いた。
---
宮殿の中。
廊下は広く、床は硬い。
灯りは少なく、影が濃い。
そして。
“結界”が、いる。
目に見えないはずのものが、空気を重くする。
肌の上を、薄い膜が撫でる感覚。
「結界……強いね」
僕が言うと、ルナが首を横に振った。
「……強い、じゃない。変」
変。
その一言が、背筋を冷たくした。
レイナが、壁に指を当てる。
「結界の流れが通常と違います。……“封鎖”が、始まっている」
封鎖。
言葉が、会社の書類みたいに硬い。
「封鎖って、つまり?」
答えたのはマリーダだった。
優しい声なのに、内容が怖い。
「帰り道が、消える」
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最初は、気のせいに見えた。
通ってきた曲がり角。
さっきまで開いていた小扉。
“そこにあったはず”の抜け道が、いつの間にか壁になっている。
「……え?」
僕は、思わず振り返った。
通路は続いている。
でも、空気が違う。
レイナが淡々と告げる。
「隔壁が降りています。結界の内側で、構造が変化している」
「構造って、そんな気軽に変わるの?」
「変わっています」
僕の疑問を、現実が殴ってくる。
その瞬間。
遠くで“音”がした。
ドン。
地面の奥から響く、低い鼓動みたいな音。
ルナが肩をすくめた。
「……脈。結界、呼吸してる」
呼吸。
脈。
結界が、生き物みたいに。
「やだな、それ」
僕の声は、自分でも分かるくらい弱かった。
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末端——いや、構成員の一人が、影から戻ってきた。
息が少しだけ荒い。
でも、声は訓練された報告口調だった。
「首領。偵察班より。王女殿下——“鍵”が確保され、コア側へ移送中です」
鍵。
僕の脳が、その単語を理解するまで一拍遅れた。
「……鍵って、王女?」
レイナがすぐに補足する。
「王家血統。結界コアの緊急認証条件です」
No18の稟議書の末尾。
さらりと書かれていた一行が、頭の中で再生された。
——結界コアの緊急認証は、王家血統の者のみ。
「つまり……王女が連れていかれたら、結界の“ボタン”を敵が押せる?」
マリーダが、静かに頷いた。
「押す。壊す。暴走させる。……やりたい放題」
“やりたい放題”という言葉が、妙に子どもっぽくて。
なのに、現実味がありすぎて。
僕は笑えなかった。
---
結界の脈動が強くなった。
ドン。
ドン。
鼓動のたびに、廊下の灯りが一瞬だけ揺れる。
「……撤退は?」
誰かが小さく言った。
レイナが答える。
「撤退ルートは閉鎖中。通った道は、戻れない」
言い切る。
迷いがない。
マリーダが、僕の横に立つ。
「ユーリ様。怖い?」
怖い。
怖いに決まってる。
でも。
ここで“怖い”と言ったら。
みんなは、僕を守るために何をする?
撤退不能。
この状況で。
僕が一言、弱音を吐いたら。
マリーダは、世界を切る。
レイナは、最短を選ぶ。
ルナは、守りを増やす。
——その全部が、僕のせいになる。
僕は、息を吸った。
「……怖いけど」
言葉を、ちゃんと形にする。
「止めるなら、コアだ。王女を救えば、結界も止まる」
宣言すると、空気が一瞬だけ固まった。
次の瞬間。
全員が、同じ速度で動いた。
マリーダが微笑む。
「御意」
レイナが頷く。
「作戦目標、更新。結界コアへの最短ルートを再計算します」
ルナが僕の手を握り直す。
「……守る」
ああ。
やっぱり。
僕が言葉を出した瞬間に、世界が動く。
---
廊下の先。
見えない壁が、また降りた。
撤退不能の結界。
僕らは、もう戻れない。
だから進む。
“鍵”として運ばれる王女を。
コアへ向かうテロリストを。
追いかける。
そして。
結界の脈が、ひときわ大きく跳ねた。
ドン。
——次の鼓動で、何かが起きる。
僕はそう確信して。
思わず、低い声が出た。
「……よし。潜入、続行」
マリーダが小さく笑う。
「首領の号令、受領」
レイナが淡々と告げた。
「次の区画で、分岐が消えます。急ぎましょう」
ルナが一言だけ。
「……間に合う」
その言葉を信じるしかないまま。
僕らは、結界の奥へ踏み込んだ。
——リーリエのいる、内側へ。
名前を口にした瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
幼い頃、当たり前みたいに呼んでいた名前。
“王女殿下”なんて言葉で包んでしまうと、きっと僕は。
助ける理由を、どこかで言い訳にしてしまう。
だから。
「……リーリエを、取り戻す」
僕が呟くと、マリーダが小さく笑った。
「御意。首領」
レイナは淡々と頷く。
「呼称、更新。作戦継続」
ルナが、ぎゅっと僕の袖を掴んだ。
「……うん。いく」




