悪の組織に、宮殿潜入の稟議が回ってきた件
その日、僕の部屋に「紙」がやってきた。
いや、いつも紙は来る。
本も来る。
請求書も来る。
でも、今日の紙は、なんというか……空気が違った。
扉の隙間から差し出されたのは、妙に分厚い束。
端がきっちり揃い、角は直角。
そして、一枚目の中央に、無駄に力強い文字でこう書かれていた。
**「宮殿潜入 稟議書」**
「……え?」
僕は、思わず声が漏れた。
稟議。
潜入。
宮殿。
どれも、僕の中では「悪の組織ごっこ」にしか出てこない単語のはずだ。
なのに、紙の上では現実味を帯びて並んでいる。
ページをめくると、さらに現実味が襲ってきた。
想定リスク。
撤退基準。
役割分担。
連絡手段。
緊急時の代替ルート。
しかも、図解付き。
「……誰が作ったの、これ」
答えは、すぐに来た。
部屋の中へ入ってきたマリーダが、いつも通り穏やかな笑みを浮かべていたからだ。
「首領、おはようございます。」
声は柔らかい。
目も優しい。
——なのに、彼女の背後では、末端の構成員が真顔で追加の書類束を抱えている。
怖い。
「……これ、僕に回していいやつ?」
「もちろん。首領の承認は必要だもの」
マリーダは、さらりと言った。
さらりと言いすぎだ。
その隣でレイナが、淡々と補足する。
「形式上は稟議です。内容は、潜入計画の共有と承認。それだけです」
「“それだけ”って言うには、重くない?」
僕は紙束を持ち上げてみせた。
物理的にも重い。
マリーダは首をかしげて、心底不思議そうに言う。
「でも、首領が言ったでしょう? “ちゃんとした悪の組織は、段取りが命”って」
「……言ったかも」
言った。
言った気がする。
というか、言った。
僕が、書籍で読んだそれっぽい文言を、ノリで。
まさか本当に、末端まで“段取りが命”を実行するとは思わなかった。
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会議は、僕の部屋で始まった。
と言っても、僕は椅子に座ったまま。
机の上には稟議書が塔みたいに積まれ、紙の匂いが部屋を占領している。
マリーダとレイナが立ち、末端が資料を配り、必要なところだけ読み上げる。
淡々としているのに、やけに緊張感がある。
やっていることは、完全に会社だ。
僕が悪の組織の首領であることを除けば。
「本件の目的は、宮殿への潜入です」
末端が真顔で言う。
「潜入の背景として、他国のテロリストが宮殿に侵入し、王女殿下を攫う計画があることが判明しました」
……え。
いま、さらっととんでもないことを言った。
王女。
攫う。
テロリスト。
僕の心臓が、嫌な跳ね方をする。
——でも。
胸の奥のどこかが、冷たく頷いていた。
やっぱり、そうなる。
国内の情勢を嗅いで、危ない匂いを集めて。
その先にあるのが「内輪揉め」だけで終わるはずがない。
誰かが揺らげば、当然、他国の魔の手も伸びてくる。
宮殿みたいな中枢なら、なおさらだ。
……分かっていた。
分かっていたはずなのに、こうして“王女殿下”と名指しされると、背筋が冷える。
……分かっていたはずなのに。
言葉にされると、急に現実が輪郭を持って、喉の奥に刺さる。
守るべき“誰か”が、王女殿下だというだけで。
この計画は、もう遊びじゃ済まない気がした。
でも、次の行がさらにおかしかった。
「よって、我々は先んじて王女殿下を確保し、安全な場所へ移送します。便宜上、計画名は『王女救出作戦』です」
救出、なのに確保。
安全な場所へ移送、なのに潜入。
言葉だけを並べれば、やっていることは“攫い”に近い。
なのに、紙の上では、それが「正しい手順」として整っている。
悪の組織というより、変な正義の組織だ。
僕は、咳払いでごまかした。
「……なるほどね。悪の組織としては、逆に攫う、と」
軽い冗談のつもりで言った。
マリーダが、嬉しそうに頷いた。
「うん。首領らしい発想」
レイナも、真顔でメモを取る。
「“逆に攫う”。承知しました」
やめて。
それ、遊びの言い回しだから。
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資料は続く。
潜入経路。
警備の隙。
巡回の間隔。
宮殿内の結界。
ページをめくるたび、線や数字が増えていく。
僕の知らないところで、宮殿が「攻略対象」になっている事実が、じわじわ効いてきた。
読み進めるうちに、僕はひとつ気づいた。
この計画。
やたらと「首領の安全」に比重が寄っている。
撤退基準が三段階ある。
失敗時の分岐が五つある。
緊急時の退避ルートが、なぜか首領だけ二倍ある。
「……マリーダ。これ、僕のところだけ分厚くない?」
マリーダは微笑んだまま、首を振らない。
「だって、ユーリが危ないのは嫌だもの」
その言い方が、柔らかいのに重い。
……最近、こういう重い優しさが増えた。
仲間が増えたせいだ。
増えた分だけ、守りが増えた。
守りが増えた分だけ、僕の世界は少しだけ広がった。
矛盾している。
でも、たぶん、それが今の僕らの形だ。
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僕は稟議書の最後のページを見た。
**承認欄:首領**
ペンが、手の中で軽い。
ルナの魔法のせいだろう。
あいつは、こういうところだけ器用だ。
僕は、少しだけ息を吸って。
遊びのつもりで。
だけど、仲間の本気を知っている今の僕として。
文字を書いた。
**承認**。
「よし。潜入しよう」
僕が言うと、末端の空気が一瞬だけ張った。
マリーダが、嬉しそうに笑う。
「うん。首領の号令、受領」
レイナは淡々と頷いた。
「各班へ展開します」
そして。
その瞬間だけ、僕は胸の奥に小さな熱を感じた。
——宮殿。
遠いはずの場所。
僕が本来、触れてはいけない場所。
でも。
仲間がいる。
僕の言葉を拾い、形にし、道を作ってしまう仲間が。
だから僕は、いつもより少しだけ本気で思ってしまった。
この先で、誰かの人生が、誰かの命が——僕の知らないところで踏みにじられるかもしれない。
そして、その現場に、僕らの足が向かう。
胸の奥で、嫌な予感が熱に変わっていくのを感じた。
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その夜。
宮殿の周辺では、別の影も動き始めていた。
国家警察。
監察官が、異変の匂いを嗅ぎ取っている。
まだ、衝突はしない。
けれど、同じ現場へ向かう足音だけが、確かに近づいていた。
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そして、稟議書の末尾に、さらりと書かれていた一行が、妙に目に残った。
**「結界コアの緊急認証は、王家血統の者のみ実施可能」**
僕は、その文字を見て。
知らないふりをした。
今はまだ。
——今は、まだ。
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