悪の組織に、斬れない悪はない件
その夜――
ユーリとの再会の夜。主命をいただいたその夜、私は走り出していた。
春雷が鳴り響く。
館を出てから三時間。情報屋から聞き出した悪徳領主の屋敷は、王都の北外れにあった。
石造りの壁に囲まれた豪奢な館。民から搾り取った富で築かれた、腐敗の象徴だ。
私は壁を飛び越え、庭に降り立った。
警備兵が二人、こちらに気づいて剣を抜く。
「侵入者だ!」
「止まれ!」
私は答えない。
一瞬で間合いを詰め、柄で二人の腹を打ち抜く。意識を失った兵士が、音もなく倒れた。
殺す必要はない。主が望むのは、真の悪を裁くこと。
末端の兵士は、ただ仕事をしているだけだ。
屋敷の扉を蹴破り、中に入る。
廊下を走る足音。増援が来る。
五人、六人――剣を構えた兵士が殺到してくる。
私は剣を抜いた。
刃が月光を弾く。
一閃。柄と峰だけで叩き伏せる。
骨を折らない程度に、意識だけを刈り取る。
十年間、私が磨いてきた剣は、こういう時のためにある。
屋敷の最奥、領主の執務室。
扉を開けると、肥え太った中年男が、震えながら机の下に隠れていた。
「ひ、ひぃっ!何者だ!」
「裁きを執行しに来た」
私は冷たく言い放ち、領主の襟首を掴んで引きずり出した。
「あ、あんたに何の恨みが――」
「恨み?違う。これは主命だ」
机の上には、証拠の書類が山積みになっていた。
違法な徴税記録。人身売買の契約書。賄賂の受領記録。
全て、新聞に載っていた通りだ。
私は領主を縛り上げ、証拠の書類を全て袋に詰めた。金庫も開けて、不正に得た金も回収する。
これは全て、主の組織の資金になる。
「た、頼む!命だけは!」
「殺しはしない。お前は生きて裁かれる」
窓の外に、憲兵隊の松明が見えた。
匿名で密告しておいた効果が出たようだ。
私は窓から飛び降り、夜の闇に消えた。
――――
帰り道、私は笑みを抑えきれなかった。
ついに、始まったのだ。
主の悪の組織が、世界を変え始めた。
あの日、倉庫街で。
人身売買組織に囚われていた私を、主は助けてくれた。
「大丈夫?怪我はない?」
優しい声だった。
当時まだ幼かった主は、血まみれの護衛を従えて、私の手を取ってくれた。
「理由なんてないよ。困ってる人を見たら、助けたくなるだけ」
その言葉が、私のすべてになった。
それから数年間、主とは時々遊んだ。
悪の首領ごっこ。正義の味方ごっこ。
主はいつも、こう言っていた。
「悪を倒す悪って、カッコいいよね」
遊びだと、私も思っていた。
でも、主が幽閉されたあの日――
私は理解した。
主は、いつかこの世界を変えるために、準備をしていたのだと。
十年間、私は剣を磨いた。
主の言葉を、現実にするために。
そして今日、ついに主命が下った。
「悪の組織をやりたくってさ。手伝ってよ」
私は、主の願いを叶える。
主が望むなら、世界を燃やしても構わない。
館に戻る途中、私は鏡に映った自分の顔を見た。
ニヤニヤと、だらしのない笑みを浮かべている。
これではまるで、狂信者ではないか。
――でも、構わない。
主のためなら、私は何者にでもなれる。
――――
その夜、僕は眠れずにいた。
マリーダが帰ってから、もう数時間が経つ。
窓の外は暗く、月明かりだけが部屋を照らしている。
「マリーダ、本当に行ったのかな」
僕は呟いた。
いや、まさか。ごっこ遊びだ。
作戦を考えるのは楽しかったけど、実際に悪徳領主の屋敷に行くなんて無理だ。
呪いで外に出られない僕と違って、マリーダは自由に動けるけど……
そんなことするわけない。
そう自分に言い聞かせながら、窓の外を見つめていた。
遠くで、何かが光った。
松明だろうか。
そして、風に乗って、かすかに警笛の音が聞こえた気がした。
憲兵隊の警笛だ。
「……何かあったのかな」
僕は首を傾げた。
でも、すぐに気にするのをやめた。
王都では毎晩、どこかで何かが起きている。
きっと、僕には関係のないことだ。
「明日、マリーダに聞いてみよう」
そう思いながら、僕はようやくベッドに入った。
――僕はまだ知らない。
あのサイレンが、マリーダの「作戦」の成功を告げるものだったことを。
僕の「遊び」が、本当に世界を動かし始めていることを。




