表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/18

悪の組織に、暇な諜報部などない件

レイラは、匂いで分かった。


甘ったるい溶剤の臭い。


焦げた砂糖みたいな後味。


それを、路地の奥で“薄めて売る”連中の、手の震え。


——麻薬。


王都の南区、倉庫街。


昼間は荷車が通り、夜は闇が通る。


その“闇”の方を、今日は叩く。


ただし。


今日の狙いは、倉庫そのものじゃない。


狙いは“上”。


製造じゃなく、流通でもなく。


資金を動かす人間。


潰しただけだと、穴は埋まる。


捕まえただけだと、誰かが代わる。


だからレイラは、捨てる。


目の前の成果を。


——本命の尻尾を掴むために。


---


「配置、確認」


レイラが囁くと、路地の影に散った“部下”たちが、指で短く返した。


三人。


一人は屋根。


一人は入口。


一人は通りの端。


顔も名前も要らない。


必要なのは、合図と足。


「焦らないで。


今日は勝つ日じゃない。


勝ち筋を作る日」


——首領の声が、頭の奥で重なる。


『勝つのは派手だが、勝ち筋は静かに作る』


あの人は、そういうことを涼しい顔で言う。


レイラは、唇の端をほんの少しだけ上げた。


自分でも驚くくらい、胸の奥が軽い。


報告に行ったとき。


首領が「よくやった」と短く言ってくれるだけで、たぶん……今夜の冷えも、溶剤の甘い臭いも、全部どうでもよくなる。


——好きだ。


そう認めてしまうと、足取りが乱れる。


だからレイラは、いつもの仮面のまま、息だけを整えた。


部下の一人が、息を飲んで頷く。


レイラは、その反応で分かる。


——まだ若い。


若いから、逮捕して“終わり”にしたがる。


でも、終わらない。


闇は、終わり方まで用意している。


「……ここ、でしたっけ」


隣の影が、小さく頷いた。


フードの奥の顔は見えない。


見えるのは、用心深さだけ。


「倉庫は二つ。


入り口は三。


見張りは、四。


中にいるのは——一人」


「一人?」


「囮だ。


人を置いて、情報を捨てるタイプ」


レイラは舌の裏で小さく舌打ちする。


嫌いじゃない。


——同じ手口だから。


「いつも思うけど、あなたの数え方って嫌になるほど丁寧ね」


影は返さない。


返事より先に、石畳へ“合図”が落ちた。


軽く。


一度。


二度。


——いける。


「屋根、準備。


入口、目を逸らして。


通り、塞がないで。逃げ道は残す」


「逃がすんですか?」


通り端の部下が、思わず言う。


レイラは、目だけで笑った。


「逃がす。


逃げ道があると、人は“本当の逃げ道”に走る。


そこに、鍵がある」


---


レイラは影から影へ滑り、倉庫の裏へ回り込んだ。


扉の鍵は、上等。


素人の付け替え。


つまり——中身は金になる。


「……高級品ね」


針金は使わない。


音を立てないためじゃない。


癖を残すためだ。


レイラは指先で金具を押す。


鍵が“ほどける”。


扉の向こう。


薬品の匂いが濃くなる。


薄暗い倉庫。


木箱。


瓶。


布袋。


帳簿。


そして。


「……いる」


机に座った男。


こちらを見る目が、落ち着きすぎている。


——囮“かもしれない”。


本命がいるなら、ここは捨て駒。


本命がいないなら、ここが本命。


どっちでもいい。


レイラが欲しいのは、この男の格じゃない。


「この男が逃げる時、誰が回収しに来るか」


「逃げる時、どこへ繋ぐか」


組織の“回収の型”は、下っ端にも同じように働く。


だから、追う価値がある。


「——合図」


屋根の部下が、軽く金具を鳴らした。


入口側で、別の部下が小さな破裂音を作る。


煙。


叫び。


見張りの声が飛び、足音が入口に吸われる。


レイラは、裏口から中へ。


男が顔だけ動かして、こちらを見た。


驚きはない。


囮。


だから。


レイラは、会話を捨てた。


言葉を交わすと、相手の頭が回る。


頭が回ると、逃げ方が変わる。


欲しいのは“いつもの逃げ方”。


反射で踏む手順。


癖。


「確保」


一言。


部下が二人、影から出て男を挟む。


腕。


肩。


関節。


必要な力だけで、必要な角度だけ曲げる。


男は声を出そうとして、出せなかった。


喉元に、レイラの指が添えられている。


——叫ぶな。


その“圧”だけで理解する。


レイラは男の懐を探り、鍵束を抜き取った。


重い鍵が一本。


擦れ方が違う。


本命。


「出口、一本」


通り端の部下が、路地の外側に立つ。


塞がない。


塞がないことで、逆に“逃げ道はここだけ”になる。


入口側。


別の部下が小さな破裂音。


煙。


見張りの視線が逸れる。


「行け」


レイラは男を、路地へ放り出した。


押したのではない。


落とした。


落とされた人間は、起き上がる時に迷わない。


迷うと、死ぬからだ。


男はよろめき、しかし次の瞬間には走り出した。


——逃げ方が、綺麗すぎる。


いつも逃げている。


いつも回収されている。


レイラは追わない。


すぐには。


追うと、気づかれる。


気づかれると、癖が消える。


「二十……いや、三十」


レイラは距離を取る。


部下に、指を一本立てる。


待て。


男は走りながら、袖口に指を突っ込み、何かを割った。


——乾いた音。


粉。


目立たない。


でも、目立たないからこそ“合図”だ。


「来た」


屋根の部下が、息だけで言う。


路地の先。


曲がり角の向こうに、馬車が一台。


止まっていたはずがない速度で、滑り込んでくる。


御者が顔を上げない。


目を合わせない。


“回収の型”。


男は馬車に飛び乗り、荷布の下に潜り込む。


馬車は、そのまま加速。


レイラは歩く。


走らない。


走るのは、部下の役目だ。


「入口、ついて。


屋根、上から。


通り端、後ろを切れ。


私は……横」


部下が散る。


馬車が、大通りへ出る。


夕方の人混みに紛れる。


レイラは、露店の客のふりをして角を曲がった。


視線は、馬車じゃない。


馬車の“次”を見る。


角。


信号。


荷の積み替え場所。


護衛の影。


組織は、回収したあとに油断する。


油断した瞬間にしか見えないものがある。


レイラは口の中で、冷たく息を吐いた。


——今日の戦果は、逮捕じゃない。


尾。


その尾が、どこに繋がるか。


それだけだ。


男を乗せた馬車が、南区を抜ける。


レイラと部下たちは、一定の距離を保ったまま、静かに追った。


倉庫街の闇は、今夜、別の場所へ移動していく。


---


——そのとき。


遠くで、笛の音。


国家警察の合図。


遅れて、ようやく“正規の正義”が到着し始めた。


正規が来ると、手続きが始まる。


手続きが始まると、彼らは“証拠”しか追えなくなる。


そして、証拠は。


こちらが欲しい形に、いくらでも整えられる。


---


その頃。


国家警察の監察官——エリシアは、南区の倉庫街に到着していた。


息が白い。


胃が、痛い。


「監察官。踏み込み隊は——」


「遅い」


エリシアは現場を見て、そう言った。


扉は閉まっている。


窓も割れていない。


血痕もない。


なのに。


“終わった匂い”だけがする。


「……また、先にやられた」


部下が唇を噛む。


「誰が……」


エリシアは答えない。


答えた瞬間、胃がもっと痛むからだ。


代わりに。


地面に落ちている紙切れを拾った。


《注意:別口が動いている》


《追跡は、焦らず。断定せず》


——自分の言葉に似ている。


似ていることが、一番嫌だ。


エリシアは紙を折りたたみ、ポケットに入れた。


「現場の安全確保だけする。


踏み込みの成果は、報告書にする。


それ以上は——」


部下が言葉を飲み込む。


「……それ以上は、向こうの仕事だ」


言ってしまってから。


エリシアは、胃の奥で呻いた。


正義が。


自分の手から、すり抜けていく。


それでも。


「次は、抜かれない」


小さく呟き、エリシアは指示を飛ばした。


“やられた”ままで終わらせないための、最低限の仕事を。


紙の角を揃える手だけが、妙に落ち着いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ