悪の組織に、忠誠の線引きがある件
マリーダは、静けさの中で息を整えた。
屋敷の朝は、いつも静かだ。
静かなのに――今日は、胸の奥がざらつく。
(……首領の心を、汚すものが来た)
机の上には、紙束がある。
封蝋ではない。
安い蝋。
薄い匂い。
そして、文字が雑だ。
「……これ」
私は指先で、封の継ぎ目をなぞった。
中身はもう分かっている。
王都の裏で流れる“噂”の写し。
首領の血筋を、値段に変える言葉。
(許せない)
怒り。
それ自体が、首領の心を汚す。
だから私は怒りを、刃に変える。
扉の前で深く息を吸う。
吐く。
そして、友達の顔でノックした。
「失礼します、首領」
「どうぞー」
軽い声。
いつも通りの温度。
それだけで、私の中の刃が少しだけ丸くなる。
部屋に入ると、ユーリ様は窓辺にいた。
青白い頬。
けれど、目は穏やかだ。
「マリーダ。おはよ。……今日も真面目だね」
「はい」
私は笑う。
首領に合わせた、友達の笑顔。
「……ねえ、マリーダ。今日は何の報告?」
(言えない)
言えば、首領の目に入る。
目に入れば、首領の心に残る。
残れば、汚れる。
「軽いものです。いつも通りの確認だけ」
「えー。軽いって言われると気になる」
首領は笑う。
その笑いに、私は弱い。
(弱いからこそ、守る)
私は紙束を机に置かず、腕の中に隠した。
「会議の時間です。皆が揃っております」
「うん。行こっか」
首領が立つ。
その背中に、光が当たる。
光が当たりすぎると、壊れそうに見える。
私は一歩後ろで、影を作る。
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会議室。
長い机。
椅子が四つ。
首領の席が中央。
首領が座る。
それだけで、空気が整う。
レイナは既に書類を並べていた。
無駄のない手。
感情を紙に落とさない手。
ルナは――無言で首領の背後に立ち、毛布を一枚“追加”していた。
「……ルナ。今日、暑くない?」
「寒い」
短い。
完結。
首領は苦笑して、受け入れてしまう。
(受け入れるから、増える)
私は咳払いを一つして、議事を始めた。
「首領。本日の第一議題です」
「うん。どうぞ」
私は、紙を一枚だけ机に置く。
「内部規律――『忠誠の線引き』について」
首領が目を瞬く。
「線引き?」
「はい。末端にまで人が増えました。増えれば、心も増えます」
ユーリ様は笑う。
「心が増えるって、変な言い方」
「首領の前で、変なことを言う者も増えます」
レイナが淡々と補足する。
「“首領のため”を口実に、勝手な判断をする者が出始めています」
首領が首を傾げた。
「勝手な判断?」
私は頷く。
「首領の心を汚すものを、勝手に排除しようとする者が」
その言葉が、自分に刺さった。
(……私だ)
首領は、きょとんとする。
「汚すって……そんなに?」
私は、笑顔を崩さない。
崩せない。
「首領は優しい。優しいから、悪意を見てしまう」
「悪意なんて、世の中にいくらでもあるでしょ」
軽い返事。
軽いのに。
私はその軽さに、息が詰まりそうになる。
(だから、世界ごと片付けたくなる)
ルナが、机の端に小さな札を置いた。
いつの間に作ったのか分からない。
《首領の前では深呼吸》
首領が吹き出す。
「札……?」
ルナは頷く。
「守る」
レイナが無言で札をもう一枚置く。
《首領の前では“御意”禁止》
「え」
首領が目を丸くする。
「え、御意ってダメなの?」
「首領が“友達でいて”と仰ったからです」
レイナの声は平坦。
でも、内容は鋭い。
私はその札を見て、胸の奥がほんの少しだけ痛んだ。
(……御意、は。私の支えだ)
首領が困ったように笑う。
「うーん。じゃあ……“了解”?」
「了解です」
レイナが即答。
ルナが小さく頷く。
私は一拍遅れて、口を開く。
「……了解、しました」
言い慣れない。
だから余計に、線引きが浮き彫りになる。
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第二議題。
レイナが紙を一枚めくった。
「誓約書の扱いについて」
「誓約書?」
首領が身を乗り出す。
悪い癖だ。
興味を持った瞬間、全部を“遊び”として受け入れてしまう。
レイナは淡々と読み上げる。
「末端が、勝手に『忠誠の誓約書』を作り始めています」
首領が固まる。
「……え、こわ」
その一言が、私の中の刃を少しだけ冷やした。
首領は“怖い”を、ちゃんと言える。
「内容は、こうです」
レイナは短く要約した。
・首領の不快を見た者は処罰
・首領の心労を持ち込んだ者は排除
・首領が笑うまで反省会
首領は、口を半開きにする。
「……反省会?」
ルナが頷く。
「必要」
「必要じゃないよ!?」
首領が思わずツッコミを入れる。
会議室の空気が一瞬だけ緩む。
私は、その緩みの隙間で、言うべきことを言った。
「首領。線引きを決めてください」
首領が瞬く。
「僕が?」
「はい」
私は、穏やかに。
けれど、逃げ道を作らずに言う。
「首領が『やめて』と仰ったら、すべて止まる」
首領の眉が、少しだけ寄った。
「……それ、当たり前じゃないの?」
当たり前。
当たり前なのに、当たり前が怖い。
「当たり前を、言葉にしておきたいのです」
首領は、しばらく黙ってから。
小さく頷いた。
「うん。じゃあさ――」
首領は、紙を探す。
探してもない。
ルナが無言でペンを差し出した。
レイナが無言で紙を差し出した。
首領は、少し照れながら書いた。
《やめて、って言ったらやめる》
子供みたいな文。
子供みたいなのに。
私には、王命より重い。
私は、その紙を見て――息を吐いた。
(止まれる)
止まれる。
それが、私の救い。
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会議が終わり、書類が片付く。
首領は立ち上がり、いつもの温度で言った。
「みんな、真面目だなあ」
私は笑う。
友達の笑顔で。
「首領が真面目に遊んでくださるからです」
首領は照れた。
それだけで、世界が少しだけ綺麗に見えた。
けれど。
廊下に出た瞬間。
末端の青年が、私に小声で言った。
「マリーダ様。さっきの“噂の紙”……どうします?」
私の腕の中の紙束が、熱を持つ。
(焼く)
焼いて、灰にして、誰の目にも入れない。
そして、噂の根を断つ。
噂を流した者も、断つ。
私は口を開きかけた。
そのとき。
背後から、軽い声が落ちた。
「マリーダ。何してるの?」
首領。
私は振り向く。
友達の顔を作る。
「……何でもありません」
首領が首を傾げる。
「顔が、何でもある顔だよ」
私の胸が、きゅっと縮んだ。
(見られた)
首領の目に、悪意の匂いが近づいている。
私が近づけている。
私は、紙束を握りしめたまま。
「……首領。お願いが一つ」
首領は、まっすぐ見る。
「うん」
私は、線引きの言葉を探して――見つけた。
「もし私が、やりすぎそうになったら」
首領が一拍。
それから、柔らかく言う。
「やめて、って言うよ」
その一言で。
私の中の刃が、鞘に戻った。
「……了解しました」
初めて。
“御意”ではない言葉が、ちゃんと首領の前で出た。
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※末端の雑談(会議後の裏口)
「なあ、聞いたか。宮殿の結界って、触っちゃいけない“コア”があるらしい」
「王家の血しか触れないとか……いや、噂だけどな」
「おい、言うなって。首領の耳に入ったら――」
「入るわけないだろ。……でも、あの人なら“線引き”ごと飲み込むかもな」




