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悪の組織に、国家警察が胃を痛める件

胃が痛い、というのは。


体のどこかが壊れている証拠じゃない。


壊れていないのに、壊れそうなほど我慢している証拠だ。


国家警察の監察官——エリシアは、机の端に置かれた資料を眺めた。


積み上がった紙の山は、現場の数だけある。


襲撃。


誘拐。


密売。


どれも、王都では珍しくない。


珍しくないのに。


ここ数か月、数字だけが不自然に“きれい”だった。


被害者が減っている。


死者も減っている。


検挙率は上がっている。


普通なら喜ぶ。


だが、現場の匂いが違う。


「……揃いすぎ」


エリシアの声は低い。


感情は乗せない。


前に立つ部下が、背筋を伸ばした。


「証拠、ですか?」


「証拠も。手順も」


エリシアは紙を一枚、指で弾いた。


押収品の目録。


検分記録。


証言の書き起こし。


全てが、同じ書式。


同じ癖。


同じ順番。


——“現場の人間”が作った書類じゃない。


「誰かが、現場の外から型を渡している」


「ですが、監察官。匿名の通報が——」


「通報が多すぎる」


即答。


部下は言葉を飲んだ。


エリシアは、もう一つの資料を開く。


“上からの指示”


要約すると、こうだ。


・単独捜査は禁止。


・踏み込みは保留。


・手続きの確認を優先。


「……動くな、ってことですか」


部下の声に、怒りが混ざった。


エリシアは顔を上げない。


「感情は後」


「でも——」


「守る」


たった一語。


それだけで、部下の口が閉じた。


「現場の人間を守る。被害者を守る」


「それ以外は、順番だ」


正しい。


正しいが。


胃が痛い。


---


同じ頃。


窓辺の闇——と名乗るようになった“組織”の館では、また紙が増えていた。


ユーリは窓辺で、封蝋の付いた報告書を眺めていた。


「……最近、真面目だなあ」


つい、漏れる。


真面目なのは、紙だ。


僕じゃない。


扉が叩かれた。


控えめに。


控えめすぎて、逆に「急ぎ」だと分かる。


「どうぞ」


入ってきたのはレイナだった。


フードを外し、紙束を胸に抱えている。


「首領。報告です」


「うん」


レイナは淡々と言う。


「国家警察が、こちらを嗅ぎ始めています」


「へえ。警察も忙しいね」


ユーリは軽く返した。


外に出られない生活は、ニュースを“ニュースのまま”にしてしまう。


レイナの表情は変わらない。


「忙しい、では済みません。監察官クラスが動いています」


「監察官?」


「女性。無駄がない。現場を守る優先順位だけは絶対に崩さない」


ユーリは、報告書の角を指でなぞった。


「……格好いいね」


言ってから、少し照れる。


「いや、別に。敵なら敵でしょ?」


レイナは即答しない。


一拍。


「現時点では、敵とは断定できません」


「え?」


「正義で動く、まともな人間です。だから厄介です」


ユーリは笑ってしまった。


「まともな人が厄介って、変な話だね」


そのとき。


部屋の隅で、空気が少しだけ重くなる。


マリーダが立っていた。


いつ来たのか分からない。


いつも通り清潔で、いつも通り穏やかな顔。


「首領」


「マリーダ。今、警察の話してた」


「承知しております」


穏やかなのに、言葉が切れる。


「排除を?」


ユーリが首を振る。


「だめ。警察と戦うなんてダメだよ」


マリーダの目が一瞬だけ揺れた。


「……御意」


止まる。


完璧に。


レイナが続ける。


「現場はすでに、こちらに“助けられた”形になっています。

ここで出れば、痕跡が残ります」


「じゃあ、どうするの?」


レイナは紙を一枚差し出す。


「警察が動けるようにします」


「え?」


「証拠を、警察の手順に合わせて渡すだけです。匿名で」


ユーリは目を丸くした。


「それ、助けてるじゃん」


「助けます。ただし、“たくさん”です」


レイナは淡々と続ける。


「丁寧に揃えた束を渡せば、監察官は確認せざるを得ません。現場も、上も」


「やるべき仕事が増えれば、彼はサボれない」


「……サボれない?」


「監察官は真面目です。真面目な人間ほど、仕事を渡すと動きます」


「証拠集めは、警察に“仕事を増やす”サボタージュにもなります。上の足を引っ張れます」


ユーリは一瞬、言葉を失ってから笑った。


「悪の組織っぽいなあ……」


「はい。悪の組織らしく、善意で殴ります」


レイナの言い方は、あくまで事務。


ユーリは、なんだか楽しくなってきた。


「じゃあさ。『悪の組織として』かっこよくやろうよ」


言った瞬間。


マリーダの背筋が、わずかに伸びる。


ルナが、無言で現れる。


そして。


部屋の防御が増えそうな気配がする。


「ルナ、盛らない。盛ると目立つ」


ユーリが言うと、ルナは小さく頷いて、手を止めた。


「……偉い」


褒めたつもりで言うと、ルナは少しだけ嬉しそうに目を細めた。


---


数日後。


国家警察の詰所。


エリシアの机に、一つの封筒が置かれた。


誰も置いたところを見ていない。


封はされていない。


だが、中身は揃っている。


揃いすぎるほど。


エリシアは、封筒の中身を一枚ずつ見た。


証言。


目録。


現場図。


経路。


そして最後に。


——警察の稟議書のフォーマットに合わせた、提出用の“整った束”。


……整いすぎている。


整っている、ということは。


確認しなければならない、ということだ。


部下が息をのむ。


「監察官……これ」


エリシアは、束の端を指で揃えた。


ページが、ずれる余地すらない。


「設計された善意」


部下が眉をひそめる。


「善意、ですか?」


「善意の顔をした、押し付け」


エリシアは淡々と言う。


「これだけ揃っていれば、私が確認しないといけない」


「確認すれば、手続きが走る。現場も動く。上も動かさざるを得ない」


「……仕事を、増やされた」


部下が呟く。


エリシアは頷いた。


「真面目な人間を、仕事で殴るやり方だ」


「だから胃が痛い。……効くから」


エリシアは立ち上がった。


「動ける。今なら」


部下が顔を上げる。


「上が——」


「上は、上で止まる」


エリシアは窓の外を見た。


王都の空は、薄い。


この街は何かを隠すとき、空まで薄くなる。


「でも、現場は守る」


それだけは譲らない。


部下が頷く。


「……行きます」


エリシアは頷いた。


胃は痛い。


それでも。


痛いほうが、まだ生きている。


---


現場へ向かう馬車の中。


部下が、ぽつりと言った。


「最近、宮殿の結界点検が増えてるらしいです」


エリシアは視線を動かさずに言う。


「噂は拾え。断定はするな」


「はい」


エリシアは窓に映る自分の顔を見た。


——誰かが、街の裏側を“整理”している。


そのやり方は、きれいで。


きれいすぎて。


腹が立つより、胃が痛い。


「……見つける」


小さく言って、窓の外へ視線を戻した。


その頃。


ユーリは窓辺で、また紙を増やしていた。


「警察って、真面目だなあ」


それは感心。


それは、少しだけのときめき。


そして、まだ。


遊びの延長。

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