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コップの水

作者: 松梟

小学生だった私は、家の中ではよく、押し入れの中に懐中電灯と漫画、お菓子やジュースを持ち込んでは自分だけの空間を満喫していた。狭くて暗い場所が妙に落ちついて心地良かったのだ。


その日も自室の押し入れに入り込み、買ってきた雑誌を楽しもうとしていたところ、頭の上の天井板が

僅かに一枚だけ譲っている事に気がついた。


好奇心もあったのだろう。譲っていた板を押し上げて天井裏へと顔を覗かせて見ると、薄暗い埃だらけの空間の中に水の入った硝子コップが置かれているのを見つけてしまった。


どうやらそれは、隣接する祖母の部屋の押し入れの天井上辺りに置かれているようだった。


散歩に出かけていた祖母の帰宅を待って、天井裏に置かれたコップの事を早速聞いてみると、祖母は少し悲しそうな顔をして、こんな話をしてくれた。


私が生まれる少し前まで、祖母にはとても可愛がっていた飼い猫がいたらしいのだが、その頃は近年同様に熱帯夜が続く毎日で、いつの日からか、飼い猫は姿を見せなくなってしまった。いくら探しても見つからない猫を祖母は泣く泣く諦めていたらしいのだが、家の改修時に屋根を張り替える際、密閉された天井裏から干からびた飼い猫とおぼしき亡骸が見つかったのだそうだ。


その事をひどく悲しく思った祖母は、うだる様な暑さの中で水も食べ物も獲られず涸れていった飼い猫を偲んで、せめてもの供養にと毎日毎晩、硝子コップに目一杯の水を汲んで、自身の部屋の押し入れから天井裏に、そのコップを置いていたのだという。


興味深い事は、祖母は毎日朝方に水を汲んだコップを天井裏に置いていたのだけれど、翌日の朝にはコップの中の水は空になっているといった事が何度も続いているという事だった。


話を聞いて、私の好奇心は一気に膨れあがった。


─────もしかしたら亡骸となった飼い猫の幽霊が、今も夜な夜なコップの水を飲みに来ているのかもしれない。


そんな小学生にありがちな想像力を働かせ、その正体を確かめようと決心したのだ。


ところが、まだ年端もいかない子供に一晩中寝ずの番をする事など到底無理な話で、せいぜい朝方に、空になったコップを確認する事しか出来ない毎日が続いていた。


そんなある日の晩、強烈な暑さに中々寝付けないでいた私に、いよいよ例のコップの水の行方を確かめる機会が訪れた。時刻は深夜を大きく回っていたと思う。


灯りを消したまま天井裏に顔を覗かせて、そっと目をこらして水の入ったコップの位置を確認すると、まだ中には溢れんばかりの水が入ったままだ。


─────もしも本当に猫の幽霊がいるのなら、

漫画やゲームの中に登場する可愛らしい姿なのかもしれない。


そんな期待に胸を膨らませている時だった。


ギギ………ギギギギギギ


と、思いもよらない場所から響いてきた音に身体が硬直する。


それは、私が直視するコップを挟んだ向かい側の天井板が外される音だった。その下から、もぞもぞとした黒い影がゆっくりと天井裏に這い上がってくるのがわかる。


─────確かあの場所は、おばあちゃんの部屋の押し入れの上あたりだ………。


暗闇になれてきた目が、はっきりとその正体をとらえた瞬間、私は思わず息を飲んだ。


丸くかしこまり、目の前のコップに顔を近づけて舌先でちろちろと水をすする影は、隣りの部屋で眠っているはずの私の祖母だったのだ。


コップの中身を空にした祖母は、まるで猫が毛づくろいでもするかの様に両腕を舐めまわし始めた。


「ひっ………!」


小さく悲鳴を上げた私の気配に、祖母の全身がぴくりと反応する。


暗闇に光る金色の瞳が私を捉え、その瞳孔が異様に細長く伸びた次の瞬間。


『フシャアーーーーーーーーーー!!!』


恐ろしい形相の祖母が発した人のものとは思えない叫び声に、私は気を失ったのだった………。


それから月日は流れ─────


私の大学入学と同時に、祖母は大往生を迎えた。


あの日、あの晩に私が見たものを結局は祖母に話す事など出来ないでいた。

もしかしたらあの出来事は、私の想像が見せた夢だったのかも知れない。


あるいは、魂だけとなってもあの場所を彷徨っていた飼い猫の霊が、祖母の身体を借りて、渇いた喉を毎晩潤していたのだろうか?


今はもう、天井裏に水の入った硝子コップは無い。































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― 新着の感想 ―
幽霊だったのか、後悔の念から無意識にそんなふうに、自分を慰めてしまっていたのか。 だけど、自分の祖母がそんなふうだったら、怖いですね。読ませていただきありがとうございました。
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